雪の影

@mikii_

第1話 忍び寄った影

影が吠えていた。何も見えない空の下、地面に映ったドラゴンの形をしている巨大な影がひどくがさつな声を張りあげた。

まるでその恐ろしいさに怯えるように空気が震えて、どこからともなく猛烈な風が吹いてきた。

それだけではない。あらゆるところから聞こえられる低い音、獣が肉を咀嚼する音が、その風を乗り、村中を埋め尽くすほどの亡き骸たちを包み込んでしまった。

がつがつ、むしゃむしゃ。

血にまみれた村の中でねっとりとした湿った音が響き渡る。

その音が消えたのはいつだったのか、誰も知らない。知られることは一つだけ。この村にはもはや生きている者は一人もいないということだ。

散らかっている赤い血と白い肉や骨。それらが静かになった村至るところに横たわって、悪臭を放っている。そして草が風に揺れる音。これらだけが今の村に残されたすべだった。

遅れて村の外から馬の蹄の音が聞こえてきた。間もなく、狼耳を持つ十数人が姿を現した。彼らが村に足を踏み入れると、当然のようにこの凄惨な光景が目に飛び込んできた。

「くそっ!遅かったのか!」

一番前の人の隣にいた青年が歯嚙みをして声を荒げた。

「お前たちはまず村中を探せ!生存者がいないかどうか、確認しろ!」

その先頭に立つ、狼耳を持つ者たちの長が、冷静かつ力強く命じた。

先程の青年はこの命令を聞こえて、早速馬を駆って村の奥へと向かっていった。


「こんな悲惨な状況になったけれど、助けられる人は一人や二人があるかもしれない!」


そうした楽観的過ぎる考え方は、彼が未熟であることを如実に示しているだろう。

どこへ行っても目に映るのは血、肉や骨。それらはかつて人間であったはずの肉塊であり、獣に嚙まつかれた跡が生々しく残っている。

例えば今青年の前に横たわる肉塊の惨状。皮膚はまるでマットのように地面に敷き詰められ、筋肉や内臓は無惨にも引き裂かれ、乱雑に食い荒らされている。

「この傷痕......影竜(ドラゴン)に違いない!こんな酷い有り様、俺は雪山であいつらと戦え時にいやというほど見てきた!」

肉塊に目を凝らして青年は唇をかみしめてひとりごとをした。

(だが、あいつらは何故突然雪山から降りて人間の村を襲ったんだ?ずっと雪山の中で俺たちウルフ族と戦っていたはずじゃないのか!?)

「まさか、また聖狼(オオカミ)様の予言通りに現れ、人々を襲い始めたのか...?前代の聖女と騎士が儀式を行ってから、まだ二十年しか経っていないというのに!?影竜(ドラゴン)が封印されている時間、だんだん短くなった!?」

そう考えているところに、もう一人の細身の青年が来た。

「レノ!どうだった?」

「レノ」と呼ばれた青年は細身の青年、自分の親友キャロルに目を向けた。

「ダメだった。お前の方は?」

「僕も。結局、手遅れだったね......」

嘆きながらキャロルはレノに歩み寄り。その無惨な肉塊を見てしまって、顔が青ざめた。

「うぅ…!」

キャロルは視線をそらし、吐きそうになった様子だ。

「二十年前に影竜(ドラゴン)が封印されてから、みんなはこれまでの経験から、『次に襲ってくるのはきっと百年後』と判断した。それなのに間違ってしまい、山の下の村すら守れなかった......完全に僕たちの落ち度よね」

キャロルは苦笑しながら、吐き気をこらえて言った。

その後、ウルフ族の人たちは村を捜索したものの、やはり一人の生存者も見つけられなかった。

長の命令で、全員が村の入口に集合した。

「なんて酷いことだ」「二十年も経たないうちに、なぜまた」

彼らはひそひそとつぶやき合った。

「――ここまでだ。起こったことは仕方ない。今の俺たちがすべきことはただ一つ。二十年前と同じく、聖女と騎士を選び、王都で儀式を行わせることだけだ」

「レノ、キャロル。お前たちはラリサの友人だ。彼女が聖殿へ向かう際、同行してやってくれ」

「この村はもうどうしようもない。俺たちの村に戻るぞ」

そう言い捨て、ウルフ族の長は馬を駆り、来た道を引き返した。みんなはまだ受け入れきれていないようだったが、結局長の後を追うしかなかった。

「王都での儀式か!聖狼(オオカミ)様が予言した儀式って、どんなものなんだろうな?楽しみだ!二十年前俺はまだ子供で、儀式のことなんてほとんど覚えていないからな。今回はしっかり見届けるぞ!」

レノは興奮気味に話した。

「レノは平気か?儀式のこと」

キャロルはなぜかレノに訊いた。

「もちろんさ!これはいいことだろう?」

「僕の記憶によって、確か儀式には代償を必要だったはずだ。レノはそれを忘れたのか?」

「まあ代償が必要って話は聞いた気がする。でもきっとそれは光栄な犠牲じゃん?ラリサも『聖女になりたい』って言ってたじゃないか。彼女が聖女になるなんて...さすが聖女の血筋を引いている者。友人として誇らしい!」

「...そうか、レノはもう忘れているのか。僕も記憶は曖昧だけど、あの儀式の代償はとても重いものだったはず...でも、そうだね。レノの言う通り、光栄なことなのかもしれない、ラリサ自身も望んでいるし、僕には止める権力なんてない......」

キャロルの声は次第に小さくなり、ひとりごとになった。レノはそれに気づかず、友人の胸に落ちた小さな影には、まだ知らなかった。

彼が知っていたのは、ウルフ族が影竜(ドラゴン)を再び封印するために、戦わなければならないこと。そして、自分の親友ラリサが聖女として、その封印の儀式の中心に立つことだけだった。

その時のレノは、ただ太陽のように輝く予言の希望を見つめていた。「自分の友人が聖女、英雄になる」と信じ、無邪気に喜んでいた。その濃い希望の光の裏側に忍び寄った影に、彼は全く気づいていなかった。

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