第6話 甘い檻

 ぷかぷかと、湯の上でオーガンジーの布袋が揺れている。

 中には良い香りのする花びらや香草が詰められており、浴室は心地よい香りに満たされていた。

 先日アナイスからもらったお土産のサシェだ。ニナはバスタブの中から礼をいう。


「ありがとうございます、アナイスお姉さま。これ、すごくいい香り」

「喜んでもらえてよかったわ……。 体、温まってきた……?」

「はい。おかげさまで。落ち着いてきました」


 張り詰めていた緊張の糸はほどけていた。心もゆるんで、つい口が軽くなる。一生口に出すまいと思っていた前世の話をもらす。


「お風呂が好きなの、前世の影響なんです。毎日入っていたし、バスグッズを集めるのが好きだったから。

 こっちの世界の習慣に慣れているんですけど、お風呂好きは抜けきらなくて」


「そんなに好きだったなら早く教えてくださいよ。私、毎日でも準備しましたよ。私なら厨房で湯を沸かしてここまで運ぶなんてこともなく、神術であっという間ですから」


「ミシェルもお湯の用意、ありがとう。いいお湯加減で気持ちいい」


 浴室の戸口に立っている双子の使徒は、慈しむようにニナを見守ってくれている。

 ニナはようやく先について尋ねる勇気が出た。


「私、これからどうなるの? 討伐されないの?」

「しませんよ。クライス教において転生者は悪魔ですが、一概に排除したりはしません。

 教会から無害と認定されて普通に一生を終えた転生者もいます」


「そうなの?」

「まあ、一生監視つきなのだけれど……。ニナのように本人にその気になくても騒ぎの元になることがあるから……」


 アナイスはちらりと兄を横目にした。

 ミシェルはバスタブのそばに座って、ニナに穏やかな視線を注ぐ。


「ニナ、安心してくださいね。あなたのことは一生、私が見守りますからね。

 他の使徒に見張らせるなんて冗談じゃありません。ニナは私の妻なんですから。

 ニナだって身も知らない人間に始終そばにいられるなんて嫌でしょう?」


 妻の手を両手でつかみ、ミシェルは誓った。


「また頭のおかしい変な連中が来ても、絶対あなたを渡したりしませんからね。

 命に代えても守ります。あなたのためにすべての悪を平らげ殲滅します。あなたと私の仲をだれにも邪魔させたりしません。

 なんだか仕事がとっても楽しくなってきましたよ。ふふふふふ」


 今朝までの懊悩はどこへやら、ミシェルはとても晴れやかな表情だった。


(私が転生者っていうの、何かよくない口実を与えた気が……)


 一抹の不安を覚えるが、処遇に異を唱える気はない。

 ミシェルの檻はやさしくて甘い。――くどいくらいに。


「私もこれからここに住むわ……私も監視しないといけないし……」


 アナイスが口を挟む。


「ニナを見守るのは私一人で十分ですよ。ニナのストレスになるのでやめてください」

「私が監視するのは兄様よ……監視にかこつけて変態行為が増長するといけないから……」

「心配しなくても、ちゃんと元の生活に戻ります」


 ミシェルは立ち上がった。


「ニナの私物、全部元の部屋にもどしておくので。今夜から元の部屋で過ごしてくださいね」

「戻すの? これから監視しないといけないのに?」

「ニナが私から離れないとよく分かったので」


 監視が必要になった途端に、監視の必要がなくなるというのは変な話だが。

 人並みの生活に戻れると知ってニナは安堵した。


「では、ゆっくりお風呂を楽しんでくださいね」

「ニナ、私も一緒に入っていい……? 体、洗いっこしましょ……?」

「出たら、そのままでいいですから。片付けもしておきます」


 服を脱ぎだす妹の耳を引っ張って、ミシェルは浴室を出て行った。

 ニナは浴槽にもたれ、タイル張りの天井に向かって深く息を吐く。


(転生者って知られてしまったけど……ミシェルに嫌われなくてよかったな……)


 目を閉じておだやかな時間に身をゆだねていたが、湯から出る頃になって、ふと疑問がわいた。


(片付けって。メイドに任せればよくない?)


 わざわざミシェルがやることはない気がした。


「……」


 ニナは自分が浸かったお湯を両手ですくい、凝視した。


 ――好きな子のフィンガーボウルの水を飲んだいとこがいて


 アナイスの話が頭をよぎった。


「あれ? ニナ、お湯、片付けたんですか?」

「ミシェルにそこまでさせるのは悪いから」

「……本当にそのままでよかったんですけど」


 夫が残念そうに見えたのは気のせいと思うことにした。

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愛が重い夫と、それに気づかない転生妻 サモト @samoto

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