完璧な私に

老木 椒

第1話

「赤橋君って本が好きなの?」

「川浪さんってどの靴のかかとでも絶対踏み潰していますよね。見ていて不快なんですよ、あれ。心の中のだらしなさが見えるというか。直した方が良いですよ」


 私が考え抜いてかけた声に対して返って来たのは、何も関係がない最悪の嫌味であった。しかも絶妙に反論しづらい事実である。むかつく。なんでそんな所だけ話したこともないのに見てるんだよ。きもいよ。とはいえ、彼に関わりに行ってしまったのは私からなので、心いっぱいの怒りを優しさのブレーキで押し止めて、乾いた笑みで彼のリュックにチョップした。


 私が赤橋君とこの様な破滅的コミュニケーションを起こしてしまった経緯はこうだ。今は中二の六月。この時期にもなるとクラス替え後の混沌とした状況は終わり、大体あの辺とあの辺が仲良いんだというのが固まってくる。私は幸い中一の頃から仲良かった二人と同じクラスになれた。更にその二人からもう二人の新しい友人へと繋がってラッキーって感じだった。労力のかからない友達作りほど嬉しいことはない。

 

 そんな友達作り期間が終わった後でも、どの友達グループにも所属していない孤高の人がいた。それが赤橋君である。実在しているのか怪しいくらいの存在感しかなく、誰の目にも入らないようにしているのではないかのように思えた。休み時間は一人でブックカバーの付いた謎の本を読み、体育で二人組を作ると大体余っているのを遠くから見かけ、授業が終わると即帰宅。声を聞いたことがあるかも怪しい。赤橋君と席が近くの友人からも赤橋君が全く喋らないという話を聞いたので、私と赤崎君との席が真反対だからとかいう話ではないらしい。なんとなく気になる子だった。


 そして今日の話になる。友達二人組は委員会があるとかで学校に居残りになり、私は一人で下校することになった。新しい友達も帰りの向きが一緒だったら良かったのになぁと思いつつも早足で歩く。帰ったら何をするかなぁとでもぼんやり考えて歩いていると一人の男子中学生の背中が見えた。しかもどうやら見覚えのある人物である。赤橋君である。


 仲良くもない男の子に話しかけるということを普段やるほど、私はコミュニケーション猛者であるという自信はない。でも、クラスで声を聞いたことすらない赤橋君に学校外で声をかけてみるとどうなのかどうしても気になってしまったのだ。

 取りあえず小走りで接近する。彼が気づいた様子はない。早歩きで並走してみる、横の私をちらっと見たが、すぐに前を向き歩く速度を早められた。ここまで来たら止まれないという気持ちで私も速度を上げて追走する。


 そうしてしばらくの並走には成功したもののなんて話かければいいか迷う。おはようは困ったときの声掛けランキング最強の王者であるが、今は朝ではないため不在である。こんにちはやこんばんはなんか学生が使う挨拶としては他人行儀な気がする。もう少し中身のあることを話してみるべきか、そうして選択された言葉が「赤橋君って本が好きなの?」であった。そうして思わぬカウンターからチョップへと続く。リュックをチョップされた赤橋君は嫌だったらしく。


「何するんですか」

という言葉と共に普段の無表情さから変わって私を睨みつけてきた。

「うるさい、こっちのセリフだよ。気にしてるんだよ私も。親にもやめろって言われてるし。でもさ、楽な道に反れるのもまた人間の心なんだよ。変なこと言われても話し続けている私の理性に感謝して。てかちゃんと声出るならまともに返せ答えを」

私も嫌なことを突かれた怒りからか睨み返してしまった。普段睨まないから睨んでい

るつもりになっているだけでちゃんとできているかは分からない。


「嫌です。関わらないでください」

「嫌です。先ほどの発言を詫びてください」

 どうして私はこんなに意地を張っているのであろう。気が強いと思ったことはないが、思い切って行動をして、こんな風に引っ込みがつかなくなるところがよくある。自分でも嫌だ嫌だと思いながらも変えられない所だ。

 しばらくにらみ合っているうちに、相手の方が折れて目を反らした。私の勝ちだ。いや、勝負をしに来た訳ではない。

「なんかごめんね。いきなり話しかけちゃって。びっくりしたよね」

 無言で目を反らされ続ける。ちょっとこれはどうしようもないな。

「また学校で!」

 今日は手を振って別れることにしよう。去り際に後ろを横目で振り返ると彼はまだ目を反らしたまま立ち尽くしていた。

 

 翌日、いつもと変わらぬ学校生活が進んでいく中で、昨日のことがなんとなく頭の隅から離れなかった。昨日のやり取りを整理すると私はいきなり話しかけて、リュックにチョップして逃げ去っていった女である。不審クラスメイトなのではないかという不安が頭を過る。どうしよう。

 赤橋君は学校に取りあえず来てはいた。そのことには安心したけど、いつもと変わった様子は見られず、相変わらずその目線は誰にも向かずに本だけに向けられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

完璧な私に 老木 椒 @HouhouKanpa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る