狼少女はウサギ少年に恋してる

石田空

恋と故意はよく似ている

「トト好きー。将来はトトのお嫁さんになるー」


 大きなふさふさとした耳はチャコールグレイで、同じ色の尻尾がワンピースから覗かせてぶんぶんと振っている。

 それを真っ白な長い耳の少年は冷めた目で見ていた。

 少年を潤んだ瞳で見ている少女の目はまん丸お月様の色をしているのに対し、冷めた少年の瞳はその態度に反して赤いザクロ色だ。


「ぼくはウサギで、君は狼。ムリじゃないの?」

「むっ、昔はダメって言われてたけど! 今はムリじゃないもんっ!」

「ふーん。そう」


 少年は冷めた態度で素っ気なく去って行ってしまった。トトと呼ばれた少年は逃げ足が速い。どこにいても少女……ルルは匂いで見つけ出すというのに、肝心なときはいつも逃げられてばっかりだった。


「うーうーうー……」


 言葉にならない言葉を吐きながら、ルルはきゅっとワンピースの裾を掴んだ。


****


 かつては獣そのものだったらしい獣人も、今や昔。交配が進みに進んだために、今や耳や尻尾以外で祖先の素養を残しているものはほとんどいない。

 かくいう狼の獣人であるルルだって、父は狼獣人だが、母はヒトだ。おまけに彼女は肉食系獣人特有の肉好きではなく、甘いリンゴや酸っぱいザクロのほうが好きだった。タンパク質はほとんどミルクで摂っている。


「今日もトトにフラれちゃったの……」


 ルルはへにゃりと尻尾をぶら下げる。トトに会ったときは嬉しくてブンブンと振っていた尻尾も、今は全く元気がない。それに母は困った顔をした。


「トトくんはご先祖様に近いからじゃないかしら?」

「そうなの?」

「ウサギ獣人はなにかと困ったことが多いから。でもルルはトトくんが好きなんでしょう?」

「うん。大好き」


 それにルルはこっくりと頷いた。

 いくら今のご時世、獣人はかつては持っていた野生を失ってしまったとはいえど、それを求めてしまう既成概念というものはなかなか覆るものではない。

 特に狼獣人は、一部では神様にたとえられるくらいに強くて格好いいとされている種族だ。しかしルルは狼獣人としての素質は本当になかった。せいぜい鼻がいいくらいだが、鼻のよさやかけっこの速さは、犬獣人だって、狐獣人だって、シマウマ獣人だっている。


「なんだ、こけおどしかよ」


 そう言われて呆れられたことは一度や二度ではなく、ルルは走るのが大嫌いになった。だからかけっこをしないといけないときは、すぐに逃げ出してしまう悪癖がつきかけたが。いつも探しに来るのは、犬獣人でも狐獣人でも、ましてや狼獣人でもないトトの仕事だったのだ。


「いっしょに走ろう。どうせぼくだってそこまで速くないし」

「……ウソ。トトは速いじゃない」

「いざというときのために、逃げ足は速いほうがいいじゃない。それにルルも逃げ足は速いんだから、そのうち速くなるよ。ほら、行こう」


 そう言って手を出した。

 真っ白な髪に、気怠げな態度。それでいて、一番先に迎えに来てくれる態度。

 絵本に書かれる王子様みたいな態度に、ルルはトトに夢中になってしまったのだった。

 幼馴染でしょっちゅう引っ付いていたものの、トトの態度は素っ気なかった。思春期を迎え、ルルはミルクのおかげで身長も伸び、少しふくよかになったものの、トトは小柄で華奢なままだった。

 それでもルルはトトが好きだったが、思春期に入ってからトトは鍛えに鍛えた逃げ足の速さで、ルルを撒いてばかりいるので、さすがに脳天気なルルも「もしかしなくても嫌われているのでは」と考え込むようになってしまった。


「トト……」


 それにしょんぼりとしていたものの。

 トトがルルからしょっちゅう逃げ出していた理由は、ルルの体の変化のせいで判明した。


****


 ある日、ルルは熱を出していた。

 そうは言っても微熱程度で、月のものが来る手前ならばよくある話だったのだが、その日は妙に感覚が鋭くなっている上に、立てないのは初めてだった。


「あれ?」


 結局は学校を休み、看病されることになった。

 医者を呼んで診てもらったら、医者は「あー……」と言った。


「今時珍しいんですけどねえ。思春期のせいですかねえ」

「ルルの体調がなにか問題でも?」

「お母様はたしかヒトでしたねえ。あまり驚かないであげてくださいね。この子……発情期に入っています」

「まあ……」


 発情期は、元々獣人であったら春先になっていた、子作りするための期間だったが。今はヒトとの交配が進んだせいで滅多に起こることがなかった。その上、今は春ではなく秋だった。

 医者は発情を抑制する薬と胃薬、あと保健体育の薄い冊子を差し出すと「あまり娘さんを怖がらせないであげてくださいね」と帰って行った。

 ルルはポカンとして話を聞いていた。


「はつじょうきって?」

「子作りの期間だけれど……今はヒトとの交配のせいであんまり季節関係なくなったからねえ。あらまあ……」


 母は困った顔をすると、ルルに言った。


「トトくん好きなのはいいけど、子作りは卒業してからにしてね。避妊してるならお母さんはなにも言いません」


 それにルルはポカンとして聞いていた。


「……トトに嫌われてるのに、発情期に入っているからって、なんともならないと思うよ」


 薬を飲んで冊子を捲る。

 冊子には発情期の歴史や発情期に入った場合の薬の処方については書かれていたものの、肝心の発情期に入った場合の子作りの方法は一切書かれていなかった。

 これってなんの役に立つのだろうと、ルルはだんだん悲しい気分になっていくのを感じていた。大きなルルの耳は垂れ、尻尾にも力が入らなくなる。そのまま力なく眠ってしまったのだった。


****


 ピルピルとルルの耳が動いたのは、優しい手触りを感じたからだった。彼女の耳が誰かに撫でられている。


「……ごめん。ルル。逃げたりして。ぼく、ウサギ獣人としての適性が強過ぎるから」


 撫でているのがトトだと気付き、ルルの尻尾がピシャンッと立ちそうになるのを必死で堪える。トトは制服のまま、ルルのお見舞いに来ていたらしかった。

 母が警戒したのか、今のルルの部屋は大きく開け放たれて、プライバシーもへったくれもなくなっている。その中、トトはとつとつと語った。


「ウサキ獣人は、すぐに発情するんだってさ。好きな子が近くにいると、本当にすぐ。ヒトだって発情期は関係ないけれど、ウサギ獣人ほどでもない。そんなの、ルルを傷付けるだけだから、嫌だった。だから逃げた」


 それにルルの体がカッカと熱くなるのを感じた。

 今は発情期を抑え込む抑制剤が聞いているから、本来だったら発情はしない。ただ、好きな人に告白されて、照れて体が火照るのだ。


「気持ち悪いよなあ……こんなの。全然見境なくなるんだからさ。だからぼく、ずっと薬飲んでた。君を襲わないように。君が獣人の先祖返りに目覚めて発情期に入ったってとき、勝手に喜んで、そんな自分が嫌になったんだ。君を傷付けたくないと言っておきながら、君を傷付ける大義名分ができたからさ。ごめん……ルル。ぼく、もう君に近寄らないようにするから」

「……そんなこと、言わないで」


 ルルはたまらなくなって起き上がると、トトをじっと見た。

 ザクロ色の瞳が焦りの色を浮かべ、腰は逃げ腰になっていた。それでも、ルルは必死に彼に追いすがった。


「私、トトのこと好きっ! 発情期になって、気持ち悪いなんて思ってない! むしろ私のほうが気味悪がられたって思ってた!」

「……思ってない。思ってないから。むしろぼくは……ごめん」

「トトは薬飲んでるんでしょう? 私とお揃いね」

「……うん。だから君の発情期に引きずられてないよ」


 大昔の性質によると、メスの発情期に合わせてオスは発情に至り、子作りを成したらしいが。今は薬を飲んで抑制することが推奨され、好き勝手に発情することはタブーとされていた。

 それが幸いして、まだ子供のふたりは発情期に引きずり回されることなく、話をすることができた。

 ルルは必死で言った。


「トト、気持ち悪くないから。大人になったら、お嫁さんにしてくれますか?」


 それにトトは答えた。


「……ぼくはウサギだし、逃げ足しか速くないよ。それでもいい?」

「かけっこが速いのはいいことだし、逃げ足が速いのは最後まで生き残れる可能性が高いでしょう? 大丈夫!」

「……うん。ぼくも、ルルが好き」


 狼獣人とウサギ獣人。

 すっかりと野生の失われた現代だからこそ、ふたりはこうして結ばれることができた。

 きっと発情期に振り回されたら最後、どちらかが取り返しの付かないことになって泣いていただろうから。


<了>

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狼少女はウサギ少年に恋してる 石田空 @soraisida

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