第二章 中編
六月五日
メチルが新島輝美であることを突き止め、新島殺しの犯人へ一歩近づいた時、それをあざ笑うかのように事件の連絡がきた。やはりその事件でも「天誅」の紙が現場に残されており、連続殺人はまだ終わっていないということを突き付けられた。その現場では今、発見者に発見したときの状況を聞いているらしい。新しい事件の連絡で多少戸惑いはしたものの、新島殺しは大体予想がついていた。動機は怨恨であり、その理由も自分の私物を盗まれたあげく、勝手に売却されていたこと。おそらくその件で相談することを装って持ち込んだ包丁で刺殺した。その後自分の犯行を隠蔽するために「天誅」の紙を置き、連続殺人だと誤認させようとしたのだろう。赤島さんも同じ考えのようで、「もし連続殺人の犯人でなくとも、模倣犯の可能性が高いから調べは徹底的に行うべきだ」と息巻いている。新島殺しが起きた町に戻ったときには時刻は十二時を指していた。ひとまず近くの飲食店で昼飯を済ませるかと適当な店に入る。そこはチェーン店ではなく個人営業の店で地域の人が良く利用する店だった。
「あんたら、見ねえ顔だな。どっから来た?」
「僕たちは警察です。昨日この町で新島さんが殺されたのでその捜査のためここにいるんですが、お腹がすいてしまいまして。ここでお昼をいただこうかなと」
「ああ、そうかい。悪かったな、変に警戒しちまって。……注文が決まったら呼んでくれ」
この店の店主はかなり人がよさそうだ。彼ならここの地域の住民のいざこざでも知っているだろうか。注文をすると同時に聞いてみた。
「話って、俺にかい?……なるほどねえ、ここで起きたいざこざ……。それが輝美さんが殺された原因かもしれねえってことだな。とはいってもあの人はことあるごとに周りと揉めるような人だったからな。ここで店やってりゃ嫌でもそういう話を聞くんだが、かなり多いね、輝美さんの話は。やれ物盗まれた、馬鹿にされた、逆キレされたってな。死んだ人にこういうこと言うのもどうかと思うが人間として生きるのには厳しい性格をしてたね。よく結婚なんかして子供作ったなと感心してたよ。……旦那さんと子供の前では猫かぶってたんだろう。……話がそれたな、えっといざこざだよな、それも具体的な。あったよ、かなりひどいのが。人に寄っちゃ殺されても仕方ないって言えるほどにな。……笹山美咲さんって人がいてな、旦那さんと子供が二人いる。お兄ちゃんと妹ちゃんだな。それでいつだったか輝美さんが家にあがりこんできたんだと。美咲さんは終始『さっさと帰ってください』としか言わなかった。たとえ輝美さんが『客人にお茶も出さないなんて非常識』と喚いてもな。ついには美咲さんは力ずくで輝美さんをたたき出した。それで輝美さんの恨みを買ったんだ。……最悪の逆恨みだな。それから何日か経った頃、美咲さんは子供たちと一緒に買い物に出かけた。家には誰もいない。そこを輝美さんは狙ったんだ。まさかのピッキングで中に入って家を物色、そのあげく娘さんが大事にしてたぬいぐるみを盗んでいったのさ。ぬいぐるみは五年前、遊園地の二十周年記念で作られた限定物で抽選に当たらなけりゃ手に入らないってんで相当なシロモノだったらしい。ぬいぐるみの相場は詳しくないが、一か月は食うに困らんとか。……家に帰った美咲さんは異変に気付く。家の鍵がかかってないってな。彼女は家を出る前鍵をかけ忘れたかなと思い、家の中に入ると廊下は土で汚れていたんだ。ここで彼女も泥棒が入ったと確信した。それで急いで貴重品を保管してる引き出しを探したが特に何も盗まれてない。一安心してたとこで娘さんの泣き声が聞こえてきた。どうしたものかと聞いてみればぬいぐるみがないという。後ろでは必死に息子君がベッドの下にまで潜って探してくれているが見つかりそうもない。ここで美咲さんは警察に通報したってわけ。当初は物取りの犯行だと思われた。偶然入られたんじゃないかってな。いつ帰ってくるかわからん住人におびえて目についたぬいぐるみを盗んだんじゃないかって推理だった。でもその事件の数日後、公園で話していた時に輝美さんが来てな、『あの限定物のぬいぐるみ盗まれちゃったんだって?大変だったね。早く見つかるといいね』って話しかけてきたんだと。そしたらそこにいた美咲さんの友達がな、『あのぬいぐるみが限定物だってなんで知ってるの?誰もあのぬいぐるみが限定物だって話してないんだけど』って切り返してな。……そっからはもう大騒ぎだ。盗んだ、盗んでないの水掛け論。あれでまた警察が来て輝美さんには美咲さんとの接触禁止が言い渡されたんだ」
「結局、輝美さんはぬいぐるみを盗んでたんですか?」
「ことの顛末は知らんよ。ただ、俺は輝美さんは盗ったんじゃないかって思うな。……前に一回、タダ飯ごねられてな。『財布忘れたけどお腹すいてしょうがないからなんか食べさせて』って、非常識だ。それを断って以降、輝美さんはウチには来なくなったが悪評は届く届く。もしかしたらやってないかもしれないけど俺はあの女は信用できねえよ」
「そうですか……こんなに詳しく話していただいてありがとうございます」
店主は謙遜するばかりだったがかなりありがたい情報だった。笹山さんにアリバイがなければほぼ確実と言ってもいい。食事を済ませたのち、店主に笹山さんの住所を教えてもらった。
家につき、ベルを鳴らすと中から女性が出てきた。こちらを警戒しているようで、警察手帳を見せるとその警戒はさらに増した。新島殺しの件で話を聞きたいと言うと渋々ながら家にあげてくれた。単刀直入に本題に入る。
「笹山さん、昨日の午後四時半から五時半までの間、どこで何をしていましたか?」
「なんでそんなこと聞くんです?……まさか私が犯人だと思ってるんですか!?そんなわけありません!」
「ではその時何をしていたか教えていただけませんか。そのウラが取れれば疑いも晴れます」
「何をしてたかって……。プライバシーの侵害ですよ。答える気になれません。それに、強制じゃないのでしょう?私は黙秘しますよ」
「……そうですか。じゃあ本部に令状だしてもらって、重要参考人として署までご同行願うことになりますがよろしいですか?そこでももちろん黙秘してもらっても構いませんが、余計に疑われることになると思いますよ」
「……脅すんですか、一般市民を。市民の味方であるべき警察が」
面倒くさい女だなと思いながら令状発行のため通信機を取り出そうとしたとき、普段事情聴取の時には話さない赤島さんが口を開いた。
「笹山さん、どうしても話したくないことなら話さなくても結構ですが、それなら我々はあなた以外の住民にあなたが何をしていたか聞きまわります。あなたが何をしていたか突き止めるまでずっと。今ここで隠したところでどうせ後でばれるんですよ。……『天網恢恢疎にして漏らさず』という言葉もあります。……事件に関係なければあなたが何をしていたか口外するつもりはありません。協力していただけませんか」
赤島さんの言葉と、署まで連れていかれるという面倒くささに負けたか、笹山はようやく観念したようで、「誰にも言わないで」と念押ししてから話始めた。
「あの日は……駅前のホテルで不倫相手と会ってました。五時に別れて家に着いたのが十五分位。その時点でもう新島さんのあたりが騒ぎになってました」
「……ありがとうございました。我々はこれで失礼します」
笹山からの証言を得て、その場を離れた。次に向かう場所はホテルだ。この駅の近くにはホテルは一つしかない。受付に頼んで監視カメラを見せてもらったところ笹山の姿を確認できた。……となると新島殺しは一体だれがやったのだろう。一番の容疑者候補だった笹山は不名誉なアリバイで己の身の潔白を証明したのだ。もう一度あの店の店主に話でも聞こうか、だがこれ以上何か新しい情報が出るとは思えない。結局また捜査は手づまりだ。これ以上ここにいてもしょうがないので一度署に戻って報告がてら休息でも取るかという赤島さんの提案により署に戻った。
本部の会議室にはいくらか落ち込んでいるような刑事の顔しか見られなかった。誰も彼も捜査は行き止まりについてしまったらしい。いくら聞き込みをしたところで犯人に繋がりそうな情報は出てこなかったという。捜査本部長もこれを受け、怨恨などではなく最初から愉快犯の仕業だったのではないかと考え始めているようだ。しかしそうだとしても不審な人物の目撃情報が全くと言っていいほどない。たまに「路地裏に入って行く人影を見た。背丈は……」といった具合に目撃情報が見つかることもあるが、裏路地を近道として使っていただけの人間がほとんどで、たまに裏路地から入れる店に用がある人間がいたぐらいで犯罪の匂いはしない。今日も今まで通り同じ言葉で会議が終わろうとしていた時、一人の刑事が飛び込んできた。
「手がかりを見つけました!これです!」
そういって机にたたきつけたのは大量の履歴書だった。
「今田壮介の会社に残されて残されていた書類を漁っていたんですが、奥深くにしまわれていました。個人情報の処分を行っていないという会社の規約違反をしていましたが、今回ばかりは感謝すべきかもしれません」
予期せぬ大きな手掛かりに会議室は騒然とした。この履歴書の山は一気に犯人へとつながる情報の山だ。ここからは刑事総出で履歴書の人物をすべて洗いなおす作業が始まった。犯人像は就活生だった男性、またはその父親。結局ほぼすべての履歴書の情報が必須だったが、刑事たちの目は真剣そのものだった。そうして一枚一枚履歴書の情報をデータにしていると、一つの名前が目についた。四十万一、どこかで見たような名前だなと考えたが、そんなことに時間を割いている暇はなく、頭の片隅に追いやってしまった。その後もデータ化が続けられ、終わったのは夜の十一時であった。本格的に話を聞きに行くのは明日にしようということで、今日はお開きになった。そういえば今日はまだ殺しの通報を受けていない。もう目的は達したのか、あるいは動かない理由でもあるのか。訳は分からないがもう人が殺されないことを祈るしかなかった。
六月六日
ここ最近いつもそうだが、今日は特に大忙しだ。昨日のうちにまとめ上げた容疑者候補の名簿は五十人詰めで四枚分にまで及んだ。それを細かく分け、それぞれの地域に刑事が赴き、話を聞く。今日は日曜日のため、家にいない可能性もあるかもしれないが、それは仕方あるまい。僕たちが向かうことになった地域には大体二十人程度の候補がいる。時刻は朝九時、休みだからまだ寝ているかもしれないがそこは我慢してもらおう。
一人目の家に到着した。インターホンを鳴らすとすぐに女性の声で返事が来た。こちらが警察であり、ある事件についてお話を伺いたいというと怪訝な反応を示したが、承諾してくれた。ご厚意に甘えて家にあがらせてもらう。
「お時間いただきありがとうございます。私は警察の香山、こちらは赤島。……我々がお話を伺いたいのは伊藤守さんなのですが、ご在宅ですか?」
「あの人に用事?……わかりました、呼んできますね」
そういって応対をしてくれていた女性が家の奥に消えていった。少し後その女性は後ろに男性を伴って戻ってきた。この男が伊藤守か。
「伊藤守さんでよろしいですか?」
「はい、そうです。……それで私に何の用なのでしょう」
「今田壮介殺人事件についてのお話です。彼は六月二日、路地で殺害されているのが見つかりました。現場に犯人が残した『天誅』の紙から怨恨とみています。……あなたの娘さん、伊藤仁美さんは川尻製薬に面接に行っていたようですね。そして落とされた」
「仁美が犯人だと言いたいんですか?」
「いえ、目撃情報から犯人はおそらく男性だということはわかっています」
「じゃあ、私が犯人だとでも!?」
「そうは言っていません。……ですが、今田と言う男はかなりひどい男だったようですね」
「……それは仁美から聞きました。彼氏がどうとか、スリーサイズがどうとか関係ない話ばっかりしたあげく、不合格通知……。仁美もかなり精神的に来ていたようでしたが、何とか持ち直して別の会社に就職したんです。恨んではいても殺したくなるほど囚われてるわけではないですよ」
「それは仁美さん自身のことでしょう。……あなたはどうだったんですか?愛娘にひどい言葉の数々を浴びせたあげくに不合格なんて弄ばれていると言っても過言ではないでしょう」
「第一仁美があの会社の面接を受けたのは五年以上も前だ!なんでいまさら今田とかいう男を殺さなきゃならない!仁美も、私も、妻だって今の今まで忘れてたんだ。……私たちには関係ない話だ。お引き取り頂こう」
「……最後にアリバイだけ確認させてください」
「その日は会社で残業だった!同僚も何人か残ってたから間違いない!……もういいだろう、帰ってくれないか」
「ええ、お時間いただきありがとうございました。我々はこれで失礼します」
その後、ほぼ追い出されるように伊藤家を後にした僕たちは次の目的地に向かった。しかし、どこに行ってもけんもほろろだ。伊藤のように怒る者もいれば、ずっと「知らない」と繰り返す者、こちらが警察だと分かった途端用事をでっちあげて避けようとする者など様々で、碌な証言は得られない。さらに今田の履歴書保管術が災いし、十年以上前の履歴書まで混ざっていたらしく聞き込みは困難を極めた。そんな調子で全員終わったころにはもう午後三時ごろになっていた。こちらは収穫なしなので、ほかの場所に行った刑事の成果を期待するほかない。
本部に戻るとすぐさま会議が始まった。まず一区に向かっていた者達から順に報告を行っているが、こちらも何年も前の履歴書が残っていたりしてかなり苦戦していた。結果、一区内では二十人中七人がアリバイなしのため、容疑者候補となった。そのまま続けて二区、三区と報告を続けていき、最終的には二十五人の容疑者が残った。明日からこの容疑者たちの近辺を洗うのが優先業務になりそうだ。それと明日からようやく書類業務に押し込められていた応援の刑事たちが解放され、ともに動けるようになるという。人手も増え、容疑者候補もだいぶ絞れた。犯人が捕まるのも時間の問題だが、高飛びだけはしてくれるなよと祈りながら会議の終了を待った。
六月七日
昨日はいきなり家に刑事たちが来た。今田壮介のことで話があると言っていたが、まさか捜査が俺のところまで来るとは思っていなかった。証拠は残していなかったし、目撃も碌にされていないのにどういうことだと内心焦っていたが、今田が遺していやがった履歴書の束を手掛かりにして来たみたいだ。適当な嘘でもつくか悩んだが、ばれた時はかなり面倒だ。そこで今田殺しだけは伏せておき、ほかのことはすべて詳細に話した。カフェでの食事や服の購入などには特に反応しなかったが、包丁ケースの購入にはひどく反応している。ケースの購入のみで殺しの疑いを強めているようだが、キャンプセットを見せ説明するとすぐに納得して帰っていった。これで恐らく俺は容疑者候補から外れる。まだまだ邪魔は入らないだろう。今日は何人手にかけられるか頭の中で簡易的にシミュレーションしながら家を出た時、電信柱の影に何かがいる気がした。急いでいるわけでもなかったからその不審な影の正体を確かめるため、その電信柱に近づいた。あと少しで裏を確認できると言ったところまで近づいた時、その電信柱の影から人が飛び出し、逃げていった。顔はほとんど見えなかったため、あれが誰かはわからなかったが、誰かが俺の周りを嗅ぎまわっているということはわかった。あの人物か誰かを確かめる必要が出てきたが、奴はどこかに行ってしまったし手がかりはない。もう一度近くに来た時には逃がさないようにしなければならない。だが、今は別件で忙しいのだ。
駅に向かい、電車に乗る。そこから二駅ほど揺られていくと目的の駅に到着する。ちょうど通勤ラッシュのため人が多く、見通しが悪い。駅のホームも人手ごった返しており、まともに歩くのも難しく、ほかの人にぶつかってしまうのは当然のことだ。そうして発生するトラブルの数々を見送っているとようやく目的の人物を見つけた。インターンの時もかなり腕っぷしだけをアピールしていた能無しだ。この世のことはすべて力で解決できると思っていそうな馬鹿だが、今だけは同意する。奴が起こしたトラブルは結局大事になり駅員まで出てくる事態になった。そして奴とそれに絡まれたもう一人が駅員に連れられ事務所に向かっていった。それに通勤中を装いながら着いて行くと、まずターゲットの男だけ外に残され、巻き込まれた方のみが事務所内で事情を話しているようだった。おそらくあの男、ここで何回もトラブルを起こしていたせいで、駅員からも面倒な人物と言った扱いなのだろう。事務所内に入れてしまうと、騒ぎ立てて自分に非がないということしか主張せず、話し合いを進ませない厄介者と言ったところか。だが外で待たされて二分ほどで飽きたのか中に声もかけず、ふらふら歩きだした。そしてそのまま便所に入って行った。便所には奴が一人のみで、個室に入って行くのが見えた。ほかに人はいない。駅員も流石に便所までは監視したくないのかカメラ類は見受けられなかった。意を決して奴が入って行った個室のドアをノックする。中から「なんだよ、俺はまだ入ったばっかだぞ。別の所行けよ」と返ってきたがそれでもかまわずノックを続ける。腕っぷししかない人間がしつこい奴を相手にしたときの行動なんて高が知れている。二回相手の応答を無視し、三回目のノックをしたところでついに奴は動いた。勢い任せに扉を蹴り開け、大声で怒鳴り散らす。正面に誰もいないことに驚いている隙に奴の懐へ飛び込んだ。俺に驚き声を上げるよりも速く、刃を腹に刺す。そのままの勢いで便座に座る形になった。腹を押さえながらも俺に反撃しようと右手で握りこぶしを作っているが、肩のあたりを刺せば握りこぶしも解かざるを得なくなる。仕上げとして髪をつかんで持ち上げ、切りやすく露出した首を思いきり突き刺した。これが致命傷になったかはわからないが奴はそれを機にぐったりと動かなくなった。血でぬれた胸あたりに「天誅」の紙を張り付け、その場を去った。便所から出て、改札を過ぎたあたりでようやく事情聴取が終わったようで、あの男のことを駅員が三人態勢で探し回っていた。死体が見つかるのも時間の問題なので早足で駅から出た。
時刻は八時三十二分、もう一人は殺せそうな時間だ。ターゲットが通っていると面接で話していたルートをたどり、奴を探してみよう。駅から大通りを抜け、少し大き目の橋を渡って遠回りして会社に行くのがターゲットのルーティンらしい。健康がどうとかほざいていたが、気に入らない人間を見つけた瞬間怒り狂う人間に健康なんぞ必要ないだろう。大通りを抜け、橋に差し掛かったところで、橋の途中のベンチで休憩しているターゲットを見つけた。奴が動き出さないことを祈りながら近づく。奴はどんどんと近づいてくる俺を警戒しているようだ。ベンチまであと少しと言ったところでいきなりその女に話しかけられた。
「ちょっと、そこの人。私に近づかないでもらえる?」
「何を勘違いしているかわかりませんが、あなたに用はないです。この橋を渡りたいだけなので」
「噓でしょ。ならなんで私に近づいてくるの?」
「この橋を渡ればだれでもそうなるでしょう」
「私がおかしいって言いたいの?これだから男っていうのは……。良い?男がなんと言おうと私たちが嫌って言ったらそれは駄目なことなの。もうそういう社会になってなければおかしいのに、あんたたちはいつまでも古い考えに縋ってばっかり。恥ずかしくないの?」
「……恥ずかしいのはあんたらだろ。誰がお前みたいなブスなんぞに用があるんだよ。いつまでもそういう下らん被害者意識まとってんじゃねえ。なんでお前らみたいなバカな女を優先する社会にしなきゃならないんだよ。……もう少し賢くなることをおススメします」
この言葉を聞いた途端、奴は金切り声を上げながら大きく右手を振りかぶった。それを左手で受けつつ腕をつかんでひねり動けなくする。その間も奴は「女に暴力を振るなんて最低!これだからジェンダーギャップ指数が」とよくわからないことを言っていたがおそらく辞世の句なのだろう。そのまま奴を地面に抑え込み、リュックに入っていた包丁を取り出す。その時に「お前に用はないって言ったけど、ありゃ嘘だ。死んでくれ」と言ったが、奴はひねられた右腕が痛むのかまともに反応してくれない。それでも包丁を見た途端、今までとは違う必死さに変貌し、助けを求め続けたがそれは誰にも届かなかった。この橋は土手を繋ぐ橋であり、周りはすべて工場などの工業地帯になっている。まだ出勤時間外のためか人はほとんどいないようで、この女の助けを求める声はすべて無駄になっていた。まずはそのうるさいだけで無駄な口を黙らせようと、首を掻き切った。奴は意味のない言葉の代わりに血を吐いている。その後両手首を血管に沿うように切り、両足の腱も切った。そして女を持ち上げると橋から川に落とした。奴が持っていた鞄類はどうしようかと中身を物色していると防水機能がありそうな書類ケースが入っていた。その中に「天誅」の紙を入れ、鞄にしまうと、奴の荷物をすべて川に投げた。時刻は九時二分、一旦これまでとしよう。少し休憩としてベンチに座り、目をつぶって穏やかに吹く風を身に受けた。
六月七日
今日は昨日までに集めた情報から、特に容疑者候補の二十五人の周りを調べることになっている。朝の会議もそこそこに刑事たちが動き出したところで、通報が届いた。駅員からの通報で、駅のトイレの中で人が死んでいるという。僕たちは日曜日に担当した地域に容疑者候補がいなかったため、今日は署で待機だったが、早速出動となってしまった。現場に到着するとトイレの入り口には規制線が何本も貼られており、異様な雰囲気を醸し出している。駅の利用者もこんな事件はめったにないことだからか野次馬がたかり、中には興味津々でスマホを向けている人もいる。人込みを避け、中に入る。トイレの一番奥の個室に遺体があるらしいが、それは流れ出ている血を見れば一目瞭然だ。遺体の近くには被害者の持ち物であろう財布やスマホが落ちており、物取りではないことが分かる。財布の中から免許証が確認でき、殺されたのが宮田豪であることが分かった。なぜ殺されたのか考えていた時、遺体の足元に「天誅」の紙が落ちているのを見つけた。これも連続殺人のうちの一つなのか。とりあえず第一発見者の人に話を聞こう。
「第一発見者はあなたですね?見つけた時の状況を教えてください」
「はい。でもそのためにはいろいろ説明が必要なんです。……まず、この殺された方と別の方で、肩がぶつかったとか何とかで揉めていまして。殺された方……宮田さんはよくトラブルだなんだと大騒ぎする方で、今まで何回も対応させられました。今回もその類だろうということで、巻き込まれた方に話を聞いて、あとは適当に済ませようと事務所前で待たせていたんです。今まで一緒に話し合いをしようとすると、自分に都合の悪い話が出た途端大声を出したり、他人を威圧して黙らせようとするような人だったので。……それで、巻き込まれた方からの話を聞き終わり、一応話を聞く体は保とうということで事務所内に招こうとドアを開けたんですが、誰もいなくてですね。……今までも何回かあったんです。五分も待てないでイライラしながらどこかを歩き回って、それでまたほかのお客様に迷惑をかける。今回また起きたらさすがに面倒だということで、私をいれて三人で探し回ったんです。そして最後に探したのがここのトイレでした。入ったときは特に何も違和感はなかったんですが、なんだが鉄のような匂いが漂っていて……。よく見れば赤い液体がドアの下から流れ出ているんです。もしやと思いましたが、ドアを開けると宮田さんが亡くなっていました」
「……なるほど。そのトラブルに巻き込まれた方は今どこにいらっしゃいますか?」
「わかりません。お話を聞き終わった後で帰してしまったので……」
「その人のお名前とか、勤め先とかわかりませんか」
「お名前は井上卓也さんで、鋼光という会社で働いていると言っていました」
「そうですか。どうもありがとうございます」
井上卓也、彼は今田壮介が残していた履歴書の中にいた。自分の担当した地区とは違う地区だったが、容疑者たりえないということで候補から外されていたはずだ。急いで彼のもとに向かわねばならない。
井上が働いている鋼光と言う会社はどうやら鋼加工の新技術を開発したり、これまでよりも効率のいい加工技術の研究をする会社のようで、かなり大層な会社だ。受付に井上と会いたいというと、彼はかなり上の立場らしくそんな簡単には会えないということだった。警察手帳を見せても同様で、まったく取り合ってくれない。仕方ないので彼と話をするため予約はできるかと聞いたところ、二年後なら開いているということだった。捜査に必要だからそんなに待っていられないが向こうも稼ぎ頭を縛られたくないのか一向に引き下がらない。そうして受付で言い合いをしていると、奥のエレベーターから誰かが降りて来た。そして受付で言い合いしている我々のもとに来ると「いったい何の用ですか?」と尋ねて来た。この男の胸に着いた名札には井上と書いてある。この男が井上卓也なのか。
「井上卓也さんですか?我々は警察です。今朝、駅で起きた宮田豪さん殺人事件でお話を伺いたいんですが……」
「……いいですよ、おそらく駅でその人に絡まれたことについてでしょう」
事情聴取を快諾してくれた井上は秘書に何かを伝えると我々を応接室に案内してくれた。
「受付でかなり押し問答されていたみたいですねえ」
「井上さんがかなりお忙しい方なので時間はないと言われたんですが、捜査に必要なことなので少しでもお時間いただけないかとお願いしていたんです。ですが、結果はあの通りで、けんもほろろと言うやつですな」
「いや、申し訳ない。僕は普段スケジュールかつかつですから、そんな時間ないと受付の人にも思われていたんでしょう。どうかお許しください」
「いえいえ、こちらこそお仕事中にお邪魔して申し訳ないです」
「いやいやそんな……。そろそろ本題に入りましょうか、刑事さんたちも忙しい身でしょう」
「そうですね。……宮田さんとはあの場で初めて会ったんですか?」
「はい、あの人とは初対面です。……殺されてたって本当ですか?」
「本当です。駅のトイレで殺されていました。……井上さんは駅員から解放された後どうしていましたか?」
「普通に会社に向かいましたよ。……僕があの人を殺したとでも思っているんですか?」
「いいえ。井上さんは宮田さんとは初対面なんですよね?なのに肩がぶつかったぶつかってないで揉めた程度で人を殺めるのはあり得ないと思っています」
「それなら安心です。僕も犯していない罪で裁かれるのは勘弁願いたいですからね」
「それでは我々はこれで失礼します。お時間いただきありがとうございました」
恐らく井上は宮田殺しには関係ない。もしかしたらとんでもない人間性の持ち主であるかもしれないが、その可能性は極めて低いだろう。赤島さんも同じ考えのようで、「ここまで来たのは無駄足だったかもね」とぼやいている。しかし宮田殺しは連続殺人事件の続きであるため、本部への報告は急いだほうがいいだろう。
本部に戻って報告をしてから二時間ほどたった。待機命令を出された僕たちは本部に残って仕事をしていた。のんきに今日のお昼はどうしようか等と話していたがその雰囲気も一つの通報で掻き消えることになった。川の下流で死体が見つかったという通報だ。僕たちはすぐさま現場に向かった。現場は工業地帯が続く川の下流だ。発見者は市の委託した清掃業者で、草刈りなども請け負っているため、今回はその仕事を受けていたという。彼らは十時に現地到着し、業務を開始。開始地点から徐々に下流に向かいながら業務を行い、一時間経った頃、熱中症対策として十分ほどの日陰での休憩、水分補給が挟まれた。その時川の方を見ていた清掃員の一人が何か浮いているのを見つけたという。この川は都市近郊では珍しく綺麗で、河原でバーベキューだったり、泳いで遊んだりも可能なほどであった。そのためゴミか何かが流れてくるというのは珍しい。十年以上も前から草刈り業務を委託されていた業者もこの川については知っているため、流れてきたものを不審に感じた。遠目で見てもわからないので近づいて確認することにしたという。近づけば近づくほど流れてくるものが何か理解が及びそうになり、足が重くなる。流れてきたモノはやはり人であった。しかも体に刺し傷がいくつかついておりただ事でないことが分かり、そこで警察に連絡したという。流れて来た遺体の身元は一緒に流れてきた荷物から、飯島和子であることが判明した。社員証も持っていたので、会社に連絡し身元の判断をしてもらうことになった。会社からは飯島の同僚である山内という女性が来た。山内は一目見た途端、「飯島で間違いありません」と震えた声を出した。そのまま彼女に飯島がどのような人物かを聞き出すことにした。
「飯島がどんな人間だったか?優秀そのものと言えるような人でした。女性の社会地位向上にとても貢献してくださった方で、勤めている会社になかった『女性部』を作り上げて、幹部陣営と闘っていたんです。飯島さんのおかげで、私たちは会社でも立場ができたし給料も増えたしで感謝してもしきれません。……えっ?飯島さんに恨みがあるような人?……いるんじゃないですか、大勢。会社の幹部連中は飯島さんのことを『やかましいだけの女』という不当な評価をしていましたから、あの人たちなら動機はいくらでもあると思います。でも、男性って言うのは卑怯だからああいう立場にいる人は自分で殺さないでほかの人にやらせるんじゃないですか?」
ところどころくだらない思想が垣間見えたが、この話が事実なら飯島の会社にも聞き込みに行く必要があるだろう。本部への報告よりも聞き込みの方が優先度が高いと思い、このまま飯島の会社まで向かおうとした。その時山内も会社に戻るそうなので「パトカーに乗っていくか」と聞いたが、「性犯罪者予備軍のいる車になんか乗らないわよ」と言い捨てられた。これには赤島さんも苦笑いで、「女性部への聞き込みはうちの女性刑事たちにやってもらおうかな」と肩をすくめていた。
飯島の会社にはすでに話を通しているので、問題なく中に入れた。まずは会社幹部たちに話を聞いてみよう。受付の人に案内され会議室の前に到着した。中には五十から六十ぐらいの男性が四人、その中心には彼らよりも年を取っている男性が座っていた。
「どうも、警察の香山です。こちらは赤島。今回は飯島さんが……」
「いや、詳細は結構。もうすでに話は分かっている。飯島がどのような人物だったか職場を調べに来たんだろう。……私は久保だ」
五人いるうちの一番左端の男が答えた。久保はそれから順番に名前を紹介してくれた。高橋、鈴木、川島。そして中心の男性は五十嵐。それぞれ部署のトップの人たちで五十嵐は現社長であった。そして女性部のトップは先ほど受け答えをしてくれた久保らしい。女性部のトップなのに男なのかと疑問に思っていると、それが顔に出ていたのか久保が口を開いた。
「やりたくて女性部のトップをやっているわけないだろう。ただの貧乏くじだ。まあ、代わりと言っては何だが、給料は他の部署よりは多く出るのでね。いわゆる『危険手当』というものだ」
「そうですか。……愚痴もそこまでにして本題に入りませんか?」
「ああ、飯島がどんな人間だったかだな。一言でいえば邪魔、それに尽きる。経営学を学んでもいないのに経営に口出ししようとする、割り振られた仕事はやらない、そのくせ産休制度がない育休制度がない……。あったところであんなナリじゃ使う機会もないだろう。しかも仕事をしていないのに給料は上げろとごねてな。せっかくだから重役でも与えてやろうと思ったが、『責任はいらない』だと。こっちでできることと言えば飯島の話を無視するぐらいだ。それはそれで『女性の意見を尊重しろ』ってうるさくてな。近頃じゃあ素性も知れない女性団体とくっついて『女性解放運動』なんて頓智気なことやってたぐらいだ。それも就業時間中にな。邪魔以外の何物でもない。……こんなことは人としては良くないんだろうが、飯島を殺してくれた奴には感謝している。そいつのおかげでこれから女性部を無理やり畳んで、出来損ないどもを会社から突き出せるんだからな」
「……お話しいただいてありがとうございました。それで、もう一つ聞きたいことがあるんですが、よろしいですか?」
「ああ、構わんよ。と言ってもアリバイがあるかないかぐらいだろう。飯島殺しの一番の容疑者は我々、特に私だからな。飯島が殺された時間はいつだ?」
「まだわかりません。発見されたのは十一時ごろだったのでそれより前としか……。ですが川の流れる速さを考えると、そこまで朝早くと言うわけでもないですね。おそらくですが八時か九時ごろです」
「八時から九時か、その時はちょうど通勤中だったよ。車でね。証明できる事柄と言えば、八時半、ここに着いた時に受付とあいさつしたぐらいかな」
「そうですか。ありがとうございました。我々はこれで失礼します」
「おや、もういいのか。結局私だけが話すことになってしまったが、仕方ないと思ってくれ。直接的に飯島と関係があったのはこの中では私だけなんだ」
それから改めて失礼しますと言い、会議室を後にした。赤島さんが言うには「彼らは事件には関係ない」らしい。一度本部に戻って報告と昼飯としよう。
六月七日
時刻は午後四時半、そろそろ動くとしよう。橋の上で女を始末した後、一度家に帰り、休憩がてらダラダラしていた。その後準備を整え、終業時間となるこの時間にもう一度外に繰り出すのだ。しかしその目論見はある人物によって破られることになった。また電信柱の裏に誰かいるのだ。帰ってきたときはいなかったはずだが、いつの間に湧いて出たのだろう。もう一度警察を呼び、今度は警察に身柄確保を徹底してもらおう。通報してから五分ほどで警察は到着した。前後を挟み撃ちにして逃がさないように対策している。隠れていた人物は警察の姿を見つけるとまずいと思ったか急いで駆け出した。しかし後ろにもすでに警察がいたためあっけなく捕まった。俺も急いでその場に向かう。警察が取り押さえていたのは男だった。手には地面に押さえられた衝撃で壊れたカメラが握られている。その男はしきりに警察に対し「職権乱用だぞあんたら!俺が記事を書けばあんたらの人生は終わるんだぜ。わかったらさっさと離せ」と喧嘩腰だ。それに対し警察は「俺たちの姿見ただけに逃げ出すのが悪いんだろ。捕まっちまうようなことやってたんだろ?」とこちらも強気だ。ひとまずこの場を収めなければ面倒なことになるだろう。
「どうも、お疲れ様です刑事さんたち。その人が電柱の裏からのぞいてたやつですか?」
「そうです。それにカメラを構えていたので写真を撮られている可能性もありますね」
「その男に聞きたいことがあるんですがいいですか?」
「ええ、構いませんけど」
俺は取り押さえられている男に目を向ける。男はこちらの視線に気づいたのかきつく睨み返して来た。
「あんたどこの何もんだ」
「……てめえに答える筋合いはねえ」
「……あんたがまっとうに答えてくれるならそのカメラ新しいのと変えてやってもいい。会社にごちゃごちゃ言われるの好きじゃないだろ?自分の置かれている立場をよく考えな」
「……週刊ライアーの木崎だ」
「そうか。……木崎、お前はなんで俺の周りをうろついてんだ」
「そりゃお前の家に警察が何度も出入りするからだろうが。先々月、先月、そして今月。どう考えても普通じゃねえ。そんな奴の周りを嗅ぎまわってりゃおいしいネタでも出るかなと思ってただけだ。……それに、俺はお前が今起きてる連続殺人事件の犯人だと思ってる」
「なぜ?」
「被害者の死亡時刻の時、お前は必ず外出していた。殺しが出た時は必ずな。それに朝と夜、二回家を出ている。通勤中の奴らを殺すのが一番やりやすいだろうからな」
「……それだけか?」
「それだけじゃねえ、お前が犯人だっていう証拠もある!まず殺されたのは全員立場のある人間だ、人事とかのな。それでお前はただの穀潰し。……要するにただの僻みだろ、『俺の方が優秀なのに~』ってか?」
「……それは証拠とは言わねえんだよ。それに何の役にも立たねえ雑誌書いてるような奴が他人を穀潰しだなんてよく言えたな。俺は人さまに迷惑かけてねえが、お前らはどうだ?お前らのおかげで何人が幸せになった?お前らのせいで何人が不幸になった?……よく考えろよ」
「……おい、刑事。こいつのリュックの中を調べろ。こいつはこれから殺しをやろうとしてるんだ。中に包丁が入ってるはずだぜ。それが一番の証拠だろ」
警察の視線がこちらに向いた。木崎の話を信じたのか。そして二人の刑事のうち一人が「リュックの中を見せてくれないか」と言い出した。見せたくはないが、ここで断ったりしたらそれこそ怪しまれるだろう。努めて冷静に「いいですよ」と答えた。地面にリュックを置き、刑事に任せる。彼は丁寧に一個ずつリュックに入っている物を確かめていく。その場に普段経験し得ない緊張感が漂い始める。ついに刑事はリュックの中身の確認を終えた。そして一度俺に「ご協力感謝します」と言うと木崎に向き直り、「でたらめを言うなパパラッチ!包丁なんか入ってなかったぞ!自分の保身のためにそこまで汚いことをやれるのか」と叱責している。俺はそれを「所詮マスコミですから」となだめ、木崎に話しかける。
「お前が汚いことばっかやるから気が変わった。カメラは弁償しない。精々こっぴどく叱られるんだな。……それでは刑事さん方、こいつを連行してくれませんか」
木崎はその後、しきりに「そんなはずはない、奴のリュックには隠しポケットがある」と言っていたが、刑事たちには相手にされなかった。彼がパトカーで去ったときにはすでに時刻は五時半。すっかり時間を取られてしまった。しかし、ここで動かなければ木崎に「俺に時間を取られたから殺す時間が無くなったんだろ」とでも言われそうなので、多少無理してでも殺しに行くべきだ。
目的地に着くころにはすっかり日は暮れてしまった。駅からはくたびれた社会人がぞろぞろ出てきている。その中にターゲットの顔を見つけた。奴はとてもよく目立つ。他人を見下すためにしか使えない目には見覚えがあった。今も周りの疲れ切った人たちを眺めては心の中で馬鹿にしているんだろう。仕事はすべて部下に押し付けているくせに。一人だけ朗らかに歩く姿は周りからは浮いていて滑稽に見える。奴は軽い足取りで死屍累々の群れから足早に抜け出すと駐輪場の方に向かっていった。この駅の駐輪場は規模があまり大きくないおかげで、監視カメラはなく係の人が見まわるようになっている。そしてその見回りの人はかなり高齢の男性で、耳が遠いうえ、目もあまりよくない。彼のおかげで駐輪場はすべて死角になっている。ターゲットはのんきな足取りのまま、自分の自転車のもとに向かっている。自分の自転車のもとにつき、鍵を解除しようと若干前のめりになった瞬間、無防備に差し出された背中に思いきり刃を振り下ろした。その勢いは止められず、奴を自転車に叩きつけてしまう。奴の顔は自転車のフレームにぶつかり前歯が折れてしまったようだ。自分の口をおさえて、傷の状態を確認しているが、その必要はすぐになくなる。左手で頭を鷲掴みにし、もう一度フレームに叩きつけた。奴の顔は血と涙で汚れ、鼻は曲がり歯は何本か折れたり欠けたりしている。その時、ようやく事態を把握したのか、何か俺に話しかけてきているが、口の中も切っているのか痛みと血であふれておりまともに話せていない。頭から手を放すと奴は地面に背中から倒れた。一番痛いところだったのかしきりに鼻と口を気にしているようだ。そのせいで胴体部分はまたも無防備だ。腹に刃を突き刺し横にスライドさせ、切腹させた。その瞬間奴は目を見開き、口から二回ほど血を湧き水のように吐き出すとピクリとも動かなくなった。奴の自転車の中に「天誅」の紙を入れ、駐輪場を後にする。去り際、「自転車を取りに来たんじゃないのかい」と係の人に聞かれたが特に返事はせず去った。
時刻は八時近く、頑張ればもう一人は殺せそうだ。ターゲットの家に向かう。ほかの人間よりも先に生まれただけで偉い立場につき、無駄なほどの金をもらっているからか、かなりの豪邸である。広い庭と大きなガレージのおかげで隣の家までの距離も開いている。さらにターゲットは現在妻と喧嘩したため別居中らしい。おそらく家の中に一人だろう。家の敷地に侵入し、中の様子を窺う。今はリビングで一人くつろいでいるようだ。しかし家の裏に回ろうとすると、シャワーの流れる音がする。リビングに戻ってみるとやはりまだターゲットはそのままだ。どういうことかと思っていると家の奥から若い女性の声が聞こえてきた。
「ねえ、拓郎さん。私そろそろあがるから『準備』よろしくね」
「うん、待っているから早くあがっておいで」
風呂場からの女性の声に対し、気持ち悪くなるほどの猫なで声を出しながら応答する男。おそらくこれから二人で何かするため、今しかチャンスはない。適当に窓をたたき、こちらにおびき寄せる。今の音を不審に思った男は何かがぶつかったのかとでも思いながら窓のほうに歩いてきた。そこで影に潜み、庭の方に一円玉を投げる。それは月の光を反射させ、暗闇でも目立った。奴もそれに気づいたのか「今のはなんだ」と言いながら窓を開け、庭に出てきた。何かがきらめいたあたりを暗い中で入念に探し回っている。うずくまり背中ががら空きになったところを突き刺した。一言うめき声をあげるとピクリとも動かなくなった。さすがに年寄りなだけあって、特に苦労もしなかった。倒れた奴の手に「天誅」の紙とおびき出すために使った一円玉を握らせてその場を離れ、月の光に照らされた帰り道をたどった。
六月八日
昨日は骨が折れた。飯島の同僚への聞き込みは至難を極め、結局本部に女性警官の応援を頼むことで事なきを得た。その方法にたどり着くまでに異常なほどてこずったため、まともな捜査は微塵もできていない。そして、その捜査の進展のなさはどの事件でも同じことのようで、会議を何度したところで新しい情報は出てこないのだ。監視カメラに不審な人物は映らず、聞き込みにも成果はない。被害者の交流から容疑者を推測しようとしたが、それなりの立場のせいか人脈が多いうえに敵も多い。犯人に目星を付けると言うのは夢のまた夢である。会議室にあきらめの空気が漂い始める。刑事たちにもやる気は見えず、指揮官にも覇気はない。お手上げだ。ここ一週間ほど連日でこの事件が報道され続け、それと同時に警察の怠慢も指摘され続けているが、これには正直手も足も出ない。警察がこんなことを思うのは許されることではないが、警察に非難をぶつける市民に対し「文句言うならあんたらでやってみろ」と言う気持ちが奥底からジワリと湧いて出た。会議ではもうだれも発言をしない。どうせ話すこともないのだ。全員が時計を見つめ、会議の終了時刻を待った。長針が動き、あとに踏んで会議が終わる時、電話が鳴った。その受話器からは猛烈に嫌な予感がする。本部長が意を決して受話器を取った。
この場にいた全員が間違い電話であることを祈った。いっそのこといたずら電話でもよかった。しかし、そう思い通りに行くことはなく、当然のように事件の通報だった。やはり「天誅」の紙が現場にあるらしい。刑事たちはそれぞれ項垂れたり、ため息をついたりと思い思いに絶望を表した。それでも仕事なので一応の体裁は整えておかねばなるまい。僕たちへの現場出動命令をもって会議は終了した。
殺しがあった現場は閑静な住宅街。それもここ最近再開発が終了し、セレブ街に生まれ変わった場所であった。一軒一軒がとても広い敷地を持っており、普通の住宅街のような「ご近所づきあい」というものはなさそうだ。近い場所に住んでいるだけで、それぞれが独立し、町会などは存在していないようだ。通報のあった家はその中でもひときわ大きい家で、表札には「樋之口」と刻まれていた。見覚えがあると思い、調べてみると樋之口建設という会社が見つかった。樋之口拓郎という男が一代で築き上げた会社のようだ。家の庭に向かうと通報したであろう女性が壁の方で立ちすくんでおり、鑑識の人たちが遺体を調べているようだ。まずは通報者の女性に話を聞いてみることにしよう。
「通報を受けてきました、香山です。こっちは赤島。あなたが第一発見者で間違いはありませんか?」
「はい……。そうです」
「では、お名前と遺体を発見したときの状況を教えていただけませんか」
「私は、杉原です。……見つけた時は、朝起きて階段を下りた時、リビングが妙に明るいことに気づきました。気になってリビングに入ったんですがリビングには何もなくって。明かりを消した後ふと庭に目を向けたら……。拓郎さんが真っ赤になって倒れていたんです」
発見時の状況を聞いた時、ちょうど鑑識の簡易的な所見も終わったようで、死亡推定時刻は昨日午後七時から八時だということだ。それまでに遺体を発見しなかったのはなぜだろうか。
「今、鑑識さんから教えてもらったんですが、樋之口さんの死亡推定時刻は昨日の夜七時から八時ということらしいです。その時間は何をしていましたか」
「お風呂に入ってました。ちょうどその時ぐらいに、リビングにいる拓郎さんに向かって、『私そろそろあがるから準備よろしくね』って声を掛けたら、ちゃんと返事が返ってきたんです。それも拓郎さんの声で」
「その時が何時ぐらいだったか正確に思い出せませんか」
「七時半ぐらいだったと思います」
「なるほど。それで、あなたはお風呂から出た後樋之口さんと何をする予定だったんですか?」
「二人で二階にあるシアタールームで映画を見ようと……。準備というのは軽食や機材の設定のことです」
「でもシアタールームに樋之口さんは来なかった。何か変に思いませんでしたか?」
「いいえ、特には。お風呂から上がった後、リビングをちらと見たんですが明かりがついていて……。キッチンで何か用意しているのかなって。手伝おうかなと思ったんですが、私料理はからっきしで。先に上で待ってるねと言って二階に向かいました。」
「その時樋之口さんからの返事はありましたか?」
「……なかったです。じゃあ、まさか」
「いやな予想になりますが、その時にはすでに樋之口さんは……。その時が何時だったか覚えていますか?」
「……七時四十二分でした。二階に上がってシアタールームに入った後、自分の携帯で時間を確認したので」
「そうですか。……あなたは樋之口さんを待っていたが、彼は一向に来なかった。様子を見に行ったりとかはしなかったんですか?」
「……シアタールームにはワインセラーも併設されているんです。拓郎さんを待ちながらワインを飲んでいたら飲みすぎてしまって……。そのまま寝てしまったんです」
「……先ほどから樋之口さんのことを『拓郎さん』と呼んでいますがどのような関係ですか?」
「ただの……友人です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「では、友人の立場から見て樋之口さんに恨みを持っていそうな人物はいますか?」
「……拓郎さんには別居中の奥さんがいるんです。喧嘩したから実家に帰っていると。お名前は樋之口すみれさんで、実家は田舎の方だと」
「喧嘩の原因とかっていうのは知っていますか?」
「なんでもすみれさんが不倫していたとかって。拓郎さんが探偵に依頼して調査してもらったそうなんです。それをすみれさんに話すと『不倫じゃない』って言いだしたらしくて。彼女が言うには……『セカンドパートナー』だったかな、だから不倫じゃないと。そのうち紹介するつもりだし隠してたわけじゃないから不倫じゃないって言い訳を続けてたって拓郎さんがぼやいてました。結局拓郎さんもその話を真に受けるほどボケてもいなかったので離婚調停にまで話が進みましたが、すみれさんがこれを拒否。そのため今は別居して、それぞれ裁判に向けて準備中ということらしいですよ」
「……お詳しいですね。貴重な情報ありがとうございます」
最後に樋之口すみれの実家の住所と探偵事務所の教えてもらい、遺体処理を他の刑事に任せて現場を後にした。探偵事務所の方が近場で向かいやすいため、探偵事務所から調べることになった。その道中、車内では聞きなれない言葉について二人で話し込んでいた。
「香山君、さっきの話なんだがね。『セカンドパートナー』というのは何だい?」
「『セカンドパートナーとは、配偶者以外の2番目のパートナーのことで、多くの場合、肉体関係がないプラトニックな関係です。しかし、お互いに好意を抱く既婚者同士の男女が、刺激やときめき、誰かに必要とされている実感を得るためにセカンドパートナーとなるため、友達以上恋人未満の危うい関係であるケースが少なくありません。』とのことです。……まあ要するに不倫もどきですね」
「……いったいいつこんな言葉が生まれたんだ。ただの不倫にそれらしい言い訳を並べているように聞こえるのは私だけなのだろうか」
「赤島さんだけじゃないですよ。僕もそうだと思いますし、調べようとしたら『セカンドパートナー 頭おかしい』なんて検索候補も出るぐらいです。おかしいと思っている人も大勢いるんじゃないですか」
「そうか……。それにしても不義理だなあ。今隣にいるはずのパートナーをほっぽり出してそんなことをするのか、私にはどうにも理解できない。セカンドパートナーなんて今の配偶者がいなくなってから探せばいいじゃないか、何をそんなに焦るんだろう」
「まあ、ここで男二人雁首並べても理解できっこありませんよ。どうせ今の相手に飽きたからとか自分勝手な理由に決まってますって」
「ふむ、まあその程度のものなのだろうね。理解できる気もしないし、する気も湧かないな。まあでも、この話題はちょっとした気分転換の役目は果たしてくれたんじゃないかな。……そろそろ到着だ香山君、準備したまえ」
樋之口拓郎が不倫調査の依頼をした事務所に到着した。ビルのテナントの一角に構えられており、窓には『相談無料』とポスターが貼られている。ビルの三階まで上がり、事務所のドアをノックする。中から「どうぞ」と男性の声が聞こえたので扉を開け中に入った。中は広々としており、衝立などで仕切りを作ることで相談スペースなどを作っているようだ。おそらくここの事務所長である男が「こちらにどうぞ、お掛けになってください」とソファへと誘導してくれる。
「藤井探偵事務所所長の藤井です。今回はどのようなご依頼ですか?」
「まあ依頼は依頼なんですが……。樋之口拓郎さんについて少々お聞きしたいことがあるんです」
彼の名前を出した途端、藤井は驚きを見せた。しかしすぐにそれを取り繕うと、警戒しながら問いただして来た。
「その人についてどんなことが知りたいんです?内容によっては高くつきますが」
「ああ、そんなに警戒しないでいただきたい。我々は……こういう者ですから」
警察手帳を見せると藤井の顔に浮かんでいた警戒の色がいくらか薄くなった。そしてこれは単なる依頼ではないことを察したようだ。
「樋之口さんに何かあったんですか?」
「はい。今朝通報がありまして、樋之口拓郎さんが殺害されているのが確認されました。その樋之口さんは生前、不倫調査の依頼でこちらに依頼をしていたということですが、間違いはありませんか」
「はい。樋之口さんは先月半ばに奥様が不倫しているかどうかを調べてほしいとご依頼にいらっしゃいましたが……。殺された?誰にですか?」
「それは今調査中です。だからこうして樋之口さんの生前の動きを調べているんです」
「ああ……。それもそうですね、申しわけない。少し動揺しまして……」
「それも無理からぬことです。顧客が殺害されたという話を聞いて動揺しない人間などいるはずもないでしょう。……話を戻しましょうか。彼の依頼の内容の詳細と、樋之口すみれとの裁判がどこまで進んでいるか知っている範囲で教えていただけませんか」
「依頼の内容は先ほども話した通り奥様である樋之口すみれさんが不倫しているかの調査です。一週間ほどかけて近辺を調べまわったところ倍以上年の離れた若い男にかなりご執心であったことが分かりました。これが証拠の写真です」
そういわれて提示された写真は六十は超えているであろう女と、二十代半ばらしき風貌の男が喫茶店でティータイムを楽しんでいるところだった。しかし、この程度で不倫というのは少し無理があるような気がする。一目見た程度では祖母と孫に間違えられてもおかしくないほどだ。藤井はその疑問が僕の顔に浮かんでいるのに気づいたのか、補足を始めた。
「正直これだけでは不倫の確たる証拠とは言えません。仲のいいおばあちゃんとお孫さんと言い訳すればだれもが納得するでしょう。ですが彼らが次に向かった場所が問題だったのです」
藤井は二枚の写真を見せてくれた。一枚目は駅前のホテル街に向かって歩いていく二人が写った写真だった。二枚目はとあるホテルの中に入って行くところを押さえた写真で、そのホテルの名前も写真内に収められている。スマホで調べてみたがやはりラブホテルで間違いはなさそうだ。二枚の写真を見終わり藤井に返すとため息混ざりに口を開いた。
「これが決定的でした。この写真で樋之口さんは奥様の不倫が確かなものだとお思いになったようで、報酬をお支払いになった後は足早に帰っていきました。……樋之口さんは自宅でかなり苛烈に奥様を問い詰めていたようです。あそこは一軒一軒が大きいので隣人の騒音被害も起きないと聞きますがあの時だけはかなり大騒ぎだったようで、警察が呼ばれる事態にもなったとか」
「その後はどうなりました?」
「樋之口さんと奥様はそれぞれ別のツテを頼って弁護士事務所に駆け込んで裁判の準備を始めました。樋之口さんの方は私が紹介したのでわかりますが奥様の方は私の方ではわかりかねます。樋之口さんの担当の方なら相手方と何度も話し合っているはずなので把握していると思いますよ」
そういって藤井は自分が樋之口に紹介した弁護士事務所の住所と連絡先を教えてくれた。ここにもう用はないので弁護士事務所の方に向かおう。藤井に礼を告げ事務所を去った。その足のまま、弁護士事務所に向かいながら車中で事務所に電話をかけ、樋之口の担当だった人物がいるかどうか確認する。担当の者はおり、手も空いているため今すぐ来ても問題ないということだった。事務所に到着すると、樋之口の担当だという男が出迎えてくれた。名前を重谷という。丁寧なあいさつもそこそこに相談室のような場所に案内された。
「本日は樋之口拓郎さんのことについて聞きたいことがあるということでしたね」
「はい、樋之口拓郎とすみれの裁判はいったいどこまで話が進んでいたのかを知りたいんです」
「……一言で申せば『佳境』でした。証拠も出揃い、日程も決まりあとは開廷するだけでした。しかもその開廷予定日は明日だったんです。これでは相手方に裁判の中止を申し出ねばならないかもしれませんね」
「裁判はどちらが優勢というのは決まってましたか?」
「樋之口拓郎さんが優勢でした。証拠もそろっていますし、すみれさんと不倫していたとされる男性も不倫であったことを認めています。……まあ、慰謝料を減額してもらうための取引だったのかもしれませんが。とにかくすみれさんに勝ち目はありませんでした」
「全く?一パーセントもなかったんですか」
「はい、裁判が始まり次第、樋之口拓郎さんの言い分が認められることになるだろうと予想していました。ちなみにこれはすみれさんの弁護士の方との共通認識だと思います」
「ちなみに慰謝料の方はいくらになるんでしょう?」
「……実は慰謝料というのは法律で明確に決められてはいません。加害者側の落ち度によっていくらでも増える可能性があります。さらに加害者側の年収なども計算に含める場合があるのでピンキリといえますね。……今回の場合は、不倫相手の男性が七十五万、すみれさんが六百二十五万を慰謝料として支払うよう求める予定でした」
「……相手方にその金額の支払い能力はあるんですか?」
「……裁判の場合、原則相手の支払い能力を計算に含みません。払えない場合は強制執行による差し押さえなどを行い、捻出させるのが一般的です。……今回の場合、相手方たちには能力はないと思われます。すみれさんは専業主婦で蓄えはほぼありませんでしたし、男性の方は会社に勤めたてなので碌なたくわえがないのです」
「なるほど……。この裁判はこの後どうなるんですか?」
「原告者が亡くなってしまい、この裁判を引き継ぐ相続人という人が必要なんですが、拓郎さんとすみれさんには子供がいなかったようですし、拓郎さん側にはご兄弟もおらずすでに両親も他界してしまっているようで……。おそらく裁判は開廷することもなく終わることになるでしょう。訴えはすべて取り下げられ慰謝料なども支払う必要も発生しません。まあ弁護士に支払う報酬は必要になりますが」
聞きたい話は全て聞けたので事務所から出て、本命の樋之口すみれの実家に向かうことにした。重谷に礼を告げ事務所を後にし、車を走らせる。車内では樋之口すみれ犯人論が現実味を帯び始めていた。
「赤島さん、樋之口拓郎殺しの犯人って樋之口すみれなんじゃないですか」
「早計だぞ、香山君。……と言いたいところなんだが、私もそう思っている。証拠はまだないが殺害の動機が十分すぎるほどだ」
「到底払えない慰謝料の請求を逃れる唯一の方法ってわけですか。殺せば全部チャラになるから……」
「そうだ。あとまだ名前がわからない不倫相手の男性も犯人候補だ。桁が違うとはいえ彼もなかなかの高額を請求されていた」
「二人で手を組んだってことも考えられますよ、あの二人はグルでアリバイ工作もしてあるんじゃないですか」
「なるほど、『共同作業』というわけか、ありえない話じゃないね」
その後も彼ら二人が犯人ではないかという推測は尽きぬまま、すみれの実家があるという地域に到着した。まさに都市郊外といった雰囲気で田畑が点在しているが、それほど交通の便も悪くないと言ったところで、良く言えばちょうどいい、悪く言えば中途半端と言った感じだ。その中にすみれの実家は存在した。大きくもなく小さくもない普通の二階建ての住居だ。表札には「鈴木」とあるがすみれの旧姓だろう。インターホンを鳴らすと年老いた女性の声が聞こえてきた。こちらが警察であることを名乗るとひどく狼狽しているようで声が震えている。樋之口すみれに用があると伝えると、何となく話の内容を察したのか家の中に招いてくれた。家には先ほど対応してくれたであろう女性と、奥から出てきた高齢の男性。そしてすみれと思しきソファに座っている女性がいた。こちらも促されるまま椅子に座る。目の前の女性がすみれであることを確かめると、我々がここに来た目的を話した。
「実はあなたの夫である樋之口拓郎さんが、今朝何者かに殺害されているところを発見されました」
すみれは悲しむどころか驚きも見せず、まるで我関せずと言った様子だ。
「何か思う所はないんですか?揉めていたとはいえ夫だったわけですし」
「いえ、何も。強いて言えば馬鹿みたいに高い慰謝料払わなくて良くなったからラッキーってとこかしら」
「そんな言い方無いでしょう、人が死んでるんですよ」
「私には関係ないわ。それに人が死んだって、あいつは死んで当然の男だからいいの。死んだのを喜ぶべきなの」
「……そんなに樋之口拓郎さんが憎いんですか」
「当然でしょう。こっちの言い分も聞かないで怒鳴り散らかした挙句に裁判ですって。しかも弁護士も勝ち目がないって言いだす始末。私は不幸な女ね、周りの人間は大体役立たずなんですもの」
「……だから夫である拓郎さんを殺したんですか?」
「は?私が、あいつを、殺す?……冗談言わないで。なんでわざわざ私があの男殺さなきゃならないのよ。あいつはほっといたら勝手に死ぬぐらいにはよぼよぼだったんだから」
「……昨日の夜七時半から八時半ごろ、何をされていましたか?」
「なんでそんなこと聞くの?まだ私のこと疑ってるの?ふざけないで、私はやってない!」
「質問にお答えください、昨日の夜何をされてましたか?」
「言うわけないでしょ、プライバシーの侵害よ」
「そうですか、ではアリバイなしとして報告しておきます。近いうち出頭命令でも来ると思いますので……」
「は?なんでそんなすぐに話が進むのよ」
「あなたが今一番の容疑者候補だからです。だから今ここでアリバイをはっきりさせておけば、疑いも晴れますよ」
「……孝二君と一緒にいた」
「孝二君?誰のことです?」
「村岡孝二、今交際している人のこと」
「その人と一緒にどこで何をしていましたか?」
「そこまで言わなきゃならないの!?本当に最悪だわ。……一緒にホテルに行ってた、これで十分でしょ、もう帰って気分悪い」
「最後に一つ、村岡さんの連絡先と住所教えてください。アリバイの確認に向かいますので」
切れ気味に住所と連絡先を教えてもらうと、家から追い払うように叩き出された。ドア越しに「二度と来るな税金泥棒」と罵声を浴びせられたが、気にしないようにしておこう。
教えられた住所の方に向かったが、そこはただの公園だった。公園にいる人に尋ねて住所を確認してもらったかここで間違いないらしい。つまり僕たちはあの女に嘘をつかれたのだ。教えられた連絡先に連絡してみると「現在この電話番号は使われておりません」という文言が繰り返されるだけであった。これも嘘だったのだ。騙されて捜査が続かないところまで来たので、キリもよいと思い、一度本部に戻ることにした。本部に戻る途中、いくつか来ていた通知を確認してみると、僕たちが樋之口拓郎殺しを調べている間に三件ほど殺しがあったことが分かった。どれも捜査の進捗は耳にしていないが連続殺人のうちなのだろう。このまま被害者が増えていけば、一九八五年に発生した大量殺人事件の記録を抜き、過去最大の殺人事件になってしまうだろう。本部に到着した僕たちは会議室から漏れだす重い空気にあてられて足が重くなっていた。ドアノブに手をかけるのも億劫になるほどだ。だが、報告をしなければ操作も進まないだろう。僕たちにできるのはこの報告が事件の解決につながることを祈るだけであった。
六月八日
昨日は大層な邪魔が入ったせいでゴールデンタイムが無駄になってしまった。結局一人殺すにとどまってしまったが、今日はその遅れを取り戻すためにも気張らなければならない。朝六時、用意を整えた俺は普段あまり使わない車を走らせてターゲットのもとに向かった。一時間も車を走らせてようやく目的地に到着した。ターゲットはもともと俺の家から近い駅の本社に勤めていたのだが、異動で農業部の業務についていた。今も畑のど真ん中で農作業をしている。会社曰く「わが社の食品開発部で使用する材料を自分で調達するようにすることでさらなる雇用を生み出し、SDGsにも対応する」ということらしい。つまり奴は体よく左遷されたのだ。証拠としてさらなる雇用を推進と謳っていたものの、ここに配属される社員は今のところ一人もいないらしい。奴はこの広大な田畑を機械の手はありつつも一人で管理させられているのだ。俺は奴に新たに配属された社員だと嘘をつき近寄った。さすがにこの業務にはこたえていたのか歓迎ムードが漂う。奴は早速頼んでもいない案内を始め畑の中をずんずん進んでいく。まずは自分が使っている道具の紹介をしたいようで、倉庫に連れていかれた。中には収穫用の機械や畑を耕すための機械がいくつか並んでいるが、中には籠と鎌という原始的なものも置いてある。奴が言うには「これでしか収穫できない野菜もある。これが俺のこだわりだ。仕事にはこだわりを持つべきだぞ」と聞いてもいない下らん説教が続く。時間が無駄なので、置いてあった鎌を取り、奴を目掛けて投げた。それは綺麗に回転し、円を描きながら飛んだ。かわす間もなく奴の右肩に突き刺さる。刺さった鎌の取っ手を持ち、左斜め下に引っ張った。刃が食い込み、肉が裂けていく音が聞こえる。奴は俺を止めようと腕をつかむが、片手では力が足りず、もう片方は引き裂かれている途中なので碌に力が出ない。鎌は手入れされていなかったのか切れ味が悪く、途中で動かせなくなってしまった。これを頃合だと思い、奴を思いきり蹴飛ばす。後ろにあった農耕用の機械に体をぶつけてうずくまった奴の腹に刃を沈めた。声を出さず血だけ吐いて事切れた。今回は今までとは違い周りに人はおらず余裕がある。奴の衣服を剥ぎ、うつぶせにすると血で汚れた鎌を使って、奴の背中に「天誅」を刻み込んだ。その後服を着せ、その場を後にした。時刻は七時半、まだまだこれからだ。
車を走らせて駅前まで来た。出迎え用のエリアに車を止め、ちらと外の様子を窺う。これから出勤するであろう人たちがエスカレーターでどんどんと運ばれていく。その中にターゲットはいた。エスカレーターを下りて、仕事場に向かって歩き出した。十字路を曲がったところを確認した瞬間、車を走らせて後を追った。一度その十字路で止まったが、奴はまだ歩いている途中だ。姿を確かめた途端目的地に到着したのか建物の中に入って行ってしまった。急いで車を止めると、中に忍び込んだ。従業員専用の出入り口には監視カメラはない。前に面接に来た時に確認済みだった。奴はシャッターの前で手こずっていた。後ろに忍び寄り肩をたたく。シャッターが開かないイライラをこちらにぶつけるように「何?」と不機嫌そうに振り向いたところを一突きした。当たり所がよかったか、一発で動かなくなった。意外とあっけなく片付いたおかげでまだ時間がある。忘れないように紙を置いていくと、足早にその場を去った。
車を走らせてようやく到着したのはスイミングスクールだ。職員用の駐車場を勝手に使わせてもらい、ターゲットが来るのを待った。二人ほど見過ごした後ようやく現れた。こちらに背を向けた瞬間に車を降り、静かに近づく。奴がドアノブに手をかけた瞬間、その背中に追いつき刃を突き立てていた。ドアに奴の身体がぶつかり大きな音が出てしまう。前には二人がここに来ていたはずなので気づかれてしまう可能性が高い。早く仕留めるため後ろから首を締めあげると、右手を使って奴の身体の前面を何度も刺した。呼吸が確認できなくなったところで首から手を放した。ドアの向こう側から階段を下りてくるような音が聞こえる。紙を置いていく時間はない。急いでその場から離れ車に乗り込んだ。その瞬間ドアが開き従業員の二人が死体を見つけてしまう。今は車を動かせない。二人は死体を見つけて大騒ぎしており、急いで警察を呼びにオフィスまで戻っていった。今なら車を出せる。少しドアを開け紙を地面に置き、砂利を少し乗せて風で飛んでいかないようにしてその場を去った。
家に到着するとさっきまで張っていた気がほどけていくのを感じ、足の力が入らなくなってしまった。一度深呼吸をして情緒を整え、家に入った。何の気もなしにテレビをつけ、ソファに座りボーっと眺めていた。見つかりそうになった緊張感からの解放が頭を支配しており、まともに物事を考えられない。今見ているテレビも情報を取り込めておらず、ただ目に映っているだけに過ぎない。そうしてからどれほど経ったか、ぼんやりしていた意識が戻り始めてきたころ、テレビでアナウンサーがしゃべっていることを聞き取れるようになった。
「先月二十二日、倉庫での殺人事件の犯人とされていた男の初公判が始まりました」
このニュースを聞いた途端、中途半端にぼんやりしていた意識は一気に引き戻された。あれは俺が犯人だったはずだが、確か高岸という男が冤罪で捕まっていた。どうせそのうち解放されるだろうと思っていたが、裁判が始まってしまっているとは。明らかに早すぎる。あれは丁寧に後片付けをしたおかげで碌に証拠も残っていないはずだ。どうやって裁判までこぎ着けたんだと考えていると新たな情報が流れて来た。
「初公判を傍聴しましたが、被告人の口座には事件が発覚した前日に多額の金銭を動かした形跡が確認されていたとのことです。検察側はそれを『委託殺人の報酬を受け取ったのではないか』と考えているようです。さらに現場となった倉庫には高岸のものと思われる血まみれの洋服が隠されていましたが、警察が何とかこれを発見したということです。弁護側は高岸の訴えを尊重し無罪を主張するとしていますがかなり厳しいのではないかと思いました」
今の話で事態の把握ができた。おそらく警察は、不正を働いたのだ。未だ見つからぬ連続殺人事件の犯人のせいで、警察への評価というものは地に落ちていた。そこで少しでも仕事をしたというアピールでもしたかったのか、証拠をでっちあげて関係ない人間を犯人にしてしまったのだろう。もし冤罪だった場合、犯人がいまだにのうのうとこの社会で生きていることになる。そうなれば警察のメンツにかかわるのだろう。そのでっち上げた証拠がどこまで通用するか見物ではあるが警察も愚かな選択をしたものだ。笑いがこらえられない。いっちょ前に正義の味方のふりをしていた割にはこの体たらくなのか。俺は独り、こらえなくてもいい笑い声を必死にこらえていた。
六月八日
会議中に高岸の裁判の情報が流れて来た。本部長も驚きを隠しきれていないようだ。会議は中断され、全員で裁判の行く末を見守った。初公判が終わり、続きはまた二日後という所で、本部長がモニターの電源を切った。それからいつにない低い声で口を開いた。
「あの洋服を見つけた者は誰だ」
あの洋服とは高岸の洋服のことだろうか。確かにあれが決め手になっているし、本部長はお褒めの言葉でもくださるのだろうか。そう思っていると本部長の隣にいた副部長がおそるおそる手をあげ、「私です」と消え入りそうな声で答えた。その声に疑問を持つが早いか本部長が烈火のごとく吠えた。
「自分で何をしたかわかってるのか!証拠を捏造して犯人に仕立て上げるなど言語道断だ。今すぐ裁判所に行って証拠が嘘だったと伝えてくるんだ」
会議室にいた刑事たちは全員置いて行かれている。話の内容についていけない。捏造?嘘?どういうことか全くわからず戸惑っていると副部長も応戦した。
「……お言葉ですが、部長。あれは我々のためなのです。……今、我々警察が市民になんと言われているかご存知ですか?……『税金泥棒』ですよ。こんなに毎日頑張って夜遅くまで捜査したり聞き込みしたりしているのに、ですよ。市民のために頑張ったのにその市民からは出来損ない扱い。……私は『目覚め』ましてね。こんなしょうもない市民なんぞ守らなくてもいいんじゃないかと。自分の身を犠牲にしてまで守る価値などありません。だから私は証拠を捏造したのです。市民は馬鹿だ、犯人一人でっち上げれば簡単に手の平を返す。そいつが冤罪だって?関係ないですよ私には。ちょうどいい犠牲がいてくれて助かりました。高岸も結局殺しはやってなかったとしても詐欺はやってたんですから。悪人が裁かれることに間違いはありませんから大丈夫ですよ。真犯人なんか野放しでいいんじゃないですか。何人市民が殺されようがどうでもいいですし、むしろ僕からすればありがたいですよ。死んで当然のクズども殺してくれるんですから」
ここまで言うとさすがに本部長も黙っていられなかったのか副部長の胸倉を掴み上げた。そして何かを言いたげに口を開いては閉じたりを繰り返してはいるものの、結局何も言わないまま手を離した。力なく椅子に座ると「お前はここでクビだ。明日からもう来るんじゃない。わかったらここから今すぐ出て行ってくれ」とうなだれながら呟いた。副部長はその言葉には何も返事をしなかったが、部屋を出る時に振り返って「お前らもいずれ後悔することになる。何が自分にとって大切なのかよく考えると良い」と言い残して去っていった。その後の会議室の空気は最悪だった。何を話しても静寂と無力感が付きまとう。結局なし崩しに会議はお開きになった。一人ひとり項垂れながら会議室を出ていく。もう捜査本部の体をなしていない。僕も赤島さんと二人で部屋を出たが、何も話せなかった。それぞれ自分のデスクについたが仕事も手につかない。副部長の言葉が頭の中でずっと反響しているのだ。今これからやろうとしている仕事も本当に価値のあることなのだろうか。もし本当に価値がないのなら自分は何のためにこの仕事をしているのだろう、何のために生きているのだろう。その考えから逃げるように業務にかじりついた。
六月八日
時刻は午後三時。高岸のかわいそうな初公判を見送った俺は、今日のノルマを達成するため家を出た。駅まで向かうと何やら大勢が集まって騒いでいる。何やら何かしらの権利を訴えて行進をしているようで、一部の道路が通行止めになっていた。下らん理由での通行止めに腹が立ったがせっかくなのでその愚かな行進を見物していくことにした。聞こえてきた内容としては、「俺たちに合わせろ!お前らには教育が必要だ!俺たちを支援しろ!」というもので、この集まりがどこから来たかもわからん移民共の集まりだということが分かった。その途端、見物した五分間がひどく無駄なものに思え、俺の通行の邪魔をした移民共にひどく腹が立った。この怒りの矛先をどうしようかと周りを見渡しているとあふれた人ごみの中に移民共の仲間を発見した。顔も似ており、使う言葉も一緒だ。確認のため裏路地に連れ出して移民だということを確かめる。移民の仲間だと確認が取れた瞬間、刃物を取り出し胸あたりを刺した。二回ほど抜き刺しすると簡単に絶命する。能無しの身体は脆い。死体の手の指を力ずくで切り取って、馬鹿の行進の中に投げ入れる。最初は何かわかってなかった奴らも投げられたモノに気づいたのか一斉に騒ぎ始めた。その騒ぎを確かめると裏路地から死体を蹴りだして衆目にさらす。とてつもない大騒ぎで人の波が一斉にこの場から離れようと動き出した。荷物をすべてリュックにしまうとその波に紛れて駅に向かった。駅前も人でごった返していたどころか駅構内は進入禁止になっていた。おそらく警備に回っていた警察が犯人がその場から離れることを恐れたうえでの行動なのだろう。あとから聞いた話だが、殺しが発覚した瞬間に半径二キロ圏内で通行止めが発布され、人の出入りが厳しく制限されていた。そのおかげでまだ犯人はこの中にいるということだろう。このままでは気まぐれに移民の馬鹿を殺したことが発覚してしまうがこちらにも秘策がある。案の定警備を担当していた警察共がこっちに来て何かを話し始めた。
「この中に移民の方を殺害した殺人犯がいます。ここから犯人が出てくるまで皆さんを解放することはできません」
俺の予想通りだ。これなら問題なく帰れそうだ。静まり返る民間人の中で一度深呼吸をして、警察にたてついた。
「てめえらに何の権限があって俺らをここに閉じ込めるんだ?移民共の走狗になり果てたクズどもに指図される筋合いなんてねえ。身の程をわきまえて謙虚に生きろよ出来損ないどもが」
警察は一度驚いたような顔をしたが、こういう時の対応もマニュアルで決まっているのだろう、穏やかな返答が帰ってきた。
「私たちは警察で、犯罪者を捕まえるのが仕事なのです。ここから皆さんを出してしまうとここに紛れている殺人犯も逃げてしまうので、皆さんにはここに残っていただきます。……それに我々は移民の走狗になどはなっていません。我々は市民の味方ですよ」
俺は自分の思い通りに喋る相手がおかしくて仕方なかったが、ここで時間を浪費していられるほど俺は暇じゃない。
「……じゃあなんで移民共の犯罪は取り締まらないで、俺たちは取り締まるんだ?あいつらの窃盗は?性犯罪は?殺人は?取り締まったことあるか?ないよな。あるんだったらここの地域に自警団なんて組織は生まれたりしねえ。自警団という組織があるということ自体がお前らの無能さの証左なんだよ。馬鹿の奴隷どもが」
ここまで言うと一緒に軟禁されていた民間人も騒ぎ始める。もともと警察に好感なんてない民間人を扇動するのは簡単だ。あいつらは権威の悪事にやたらと強く出る。一斉に警察に向かって蜂起しだした。もともと見物だったり駅に用があったりでかなりの人数がいたため、警察の制止を振り切るのはかなり簡単だった。警察も必死に「指示に従え!」と喚いているが「職権乱用で警視庁呼ぶぞ」と言われると立場をわきまえたのか黙りこくった。この言葉が決め手になったのか次第に警察の制止の手も弱まり通行止めも解除された。駅も出入りが解禁されたので、駅に入り電車に乗った。
くだらない一件のおかげで時間がとられたがかえってちょうどよい時刻になった。時刻は五時。普通の企業なら終業となり会社人がぞろぞろビルなどから出てくるころである。最近はスーツだけでなく私服でも構わない会社が増えており、その中に紛れこんでも違和感はあまりないだろう。忘れ物を取りに行くふりをして会社の中に入って行く。ここはつい二年前に立ち上げられた会社である。開業当時金がなかったのか防犯会社との契約等はしておらず監視カメラはどこにもついていない。エントランスの掲示板には、来月に防犯カメラの設置工事が行われることが掲載されている。つまり今がチャンスだ。目的の部屋までひたすらまっすぐに歩いていく。すれ違う会社員には特に怪しまれてはいなさそうだ。そしてついに目的の資料室にたどり着いた。ここは会社の資料がまとめられているほか、面接などで受け取る履歴書も管理している部屋である。そのため、ここは資料室である上に人事部の仕事部屋でもある。少しだけドアを開けて中を伺う。奥のデスクに一人男が座っているのが見えた。それ以外に人影はない。「失礼します」と言い、中に入る。男から「何の用だ」と聞かれるが、「忘れ物を取りに来たんです」と答える。男は「そうか。じゃあ早く探してさっさと出てってくれ、鍵が閉められん」と言っている。俺は男を無視して棚が並んでいる方に向かいほかに残っている人がいないことを再確認した。やはりここには俺とあいつしかいない。奴はドアの前で俺を待っているようだ。俺は忘れ物を見つけたふりをして奴のもとへと向かった。リュックに物をしまうふりをしながら近づき、手が届く距離になった途端、リュックから刃物を取り出し、胸あたりを切りつけた。奴は何が起きたのかわかっていないようで動きが止まっている。その隙を縫って刃物を刺しやすいように持ち直しおどりかかった。首元、胸、腹を刺した。一回刺すたびに反応が鈍くなっている。最後、脇腹を刺した時には全く動かなくなっていた。資料室の棚に「天誅」の紙を仕込んでおくと、死体から鍵を取り、部屋に鍵をかけた。その後社内の廊下の窓から外を目掛けて思いきり放り投げた。どこまで行ったか分からないがどうでもいい。そのまま会社を出るがやはり誰にも怪しまれなかった。受付業務をしているアンドロイドには「お疲れさまでした」と言われてしまい、なんだか皮肉っぽくて少し笑ってしまった。
次に向かったのは先ほどの会社から徒歩で行ける範囲の会社であった。もう大体帰ってしまったかなと思ったが、どうやらそうではないらしい。どの部屋も明かりが点けられており、おそらく今日は残業なのだろう。ここで待っていてもいいが、それはかなり時間の無駄になる。だが、この会社は受付なし、社員証の提示もなしと言ったセキュリティ意識が足りていない会社であることは前に把握していたので簡単に中に入れる。問題はターゲットをどうやって一人にするかだったが、思いのほか簡単に解決した。目的の部屋に向かっている間、とある部署の人間がほかの部署の人間を呼びに行くという行為を何回か目にした。今この会社で扱っている業務がいくつものを部署をまたいだ大きな仕事なのだろう。これなら俺も使えそうだ。別の部署の人間を装い、ターゲットに対して「うちの部長が呼んでましたよ」というだけで簡単に連れ出せる。あとは人気のないところで始末するだけだ。だが、こいつはなかなか面倒な奴で「先に飲み物いれてきていい?のど渇いちゃって」や「ごめんちょっとトイレ行ってきていいかな」と自由気ままに歩き回るせいで俺が目星をつけていたポイントに全く向かわない。だが、トイレに向かってくれたのはかなりありがたい。奴がトイレに入って行ったのを確かめると、清掃中の看板を置き、ほかの人が入ってこないようにした。奴は今個室の中だ。目の前で待っているとようやくドアが開き、中から出てくる。目の前にいることに驚いたのか声をあげようとするが、俺はその口を力ずくで塞いだ。そして隠し持っていた刃物を取り出し、ゆっくりと奴の腹に刃を沈めた。それを何回繰り返したかわからないが、いつの間にかそこには死体が転がっていた。奴が持ち歩いていたツールバッグの中からセロハンテープを見つけると、それを使って、個室の真正面の鏡に「天誅」の紙を貼り付けた。個室の扉を閉め、清掃用のホースを持ち出し、個室からはみ出た血を流した。ホースと看板を片付けると、会社から出た。会社を出る途中、奴を連れ出した部署の前を通ったが、まだ戻ってこないことに少し不思議がっているようだった。あいにくだが、奴は一生その部屋には戻るまい。
会社を出て駅まで戻り、電車に乗って次の目的地まで向かう。もう時刻は七時に近いため、会社に出向くよりも家に出向いた方がましだろう。駅からバスに乗り、二十分ほど揺られていく。着いたのは大きめのマンション、ここにターゲットがいる。しかし、マンションというのは部外者が中に入るにはかなり厳しいものであるというのは十分把握している。監視カメラしかり、エントランスのドアしかり。配達員などを装うのもいささか無理がある。だが、ここは新築のマンション。見栄えを重視しすぎたせいで穴があるのだ。このマンションには憩いの場らしき中庭が存在し、そこには部外者でも問題なく入れる。そしてマンションのエントランスは中庭と壁一枚で隔てられているのみなので、壁をよじ登れるのなら、中に侵入できる。今日の天気は曇りで、月明かりはない。ジャンプすればぎりぎり壁の縁に届きそうだ。俺は周りに誰もいないことを確認すると、壁に向かって跳んだ。縁を掴み、レンガ調の壁に足を引っかけてよじ登る。無事に壁を乗り越えられ、ドアの向こう側に出られた。あとはもうこちらのものだ。目的の部屋まで向かって、殺すだけ。奴は確か最上階近くの十三階に住んでいたはずだ。エレベーターを使って上に向かう。エレベーターは一度も止まることはなく十三階まで俺を送り届けてくれた。目的の部屋はすぐそこにあった。隣人の表札を確認し、成り済ます用意を整えてインターホンを鳴らす。「はい、どちら様ですか」と中から声が聞こえる。返事する間もなくドアが開けられる。奴は見覚えがない俺の顔に驚いているようだ。俺は用意していた刃物もろとも突進し、部屋になだれ込んだ。腹を刺して動けないようにすると、俺はまずドアを閉め、鍵をかけた。ほかの奴が入ってきたら困る。安全を確保したところで奴の方に振り返ったが、すでに事切れていた。腹への一撃が致命傷だったのだろうか。とりあえず部屋を漁ってめちゃくちゃにしておき、カーペットの下に「天誅」の紙を忍ばせておいた。部屋から出るとき、先ほどとっておいた鍵を使って外から鍵をかけておいた。エレベーターで一階まで降り、エントランスから堂々と退場する。持ってきた鍵は中庭のちんけな噴水がある池に投げておいた。
時刻はまだ八時をまわったばかりだ。まだまだ時間はある。次の目的地は先ほどのマンションから歩いていける距離にある閑静な住宅街。あまり活気がない街なのか街灯が少ない。民家から漏れ出る明かりを頼りに夜道を歩いた。少ししてようやく目的の家に着いた。明かりもついており、リビングと思わしき部屋からは大人と子供の笑い声が聞こえてくる。楽しそうな一家団欒の雰囲気を肌で感じ、今からこの空気を木端微塵にするということに若干気が引けるが、これも仕方ないことだ。世の中は理不尽なのだ。これのみがこの国で今まで生きてきて学んだことだ。部屋で団欒していたところ、何かの用事でターゲットが家から出るらしい。俺はこれが何の用事か知っていた。不倫だ。面接の際、弱みでも握っておこうと思い、調べたことがある。結局この弱みは空振りしてしまったが。奴は不定期に外に出て家族を放って、自分の汚い欲を満たすのだ。それが今日だとは思っていなかったが、これは都合がいい。奴が家から出てくる。地域の集まりにしてはおめかししすぎだろう。奴は足早にどこかに向かっていく。不倫相手に会う前に始末しておいた方がいいだろう。奴はバス停に向かっているようだった。まさか駅前まで行く気なのか、バスに乗られたら非常に面倒だ。ここで殺しておこう。同じバス待ちを装い、後ろに立つ。そしてバスが来る時刻を確かめるふりをして奴の前に出ると、用意していた包丁を横薙ぎした。服と肌がともに裂ける。白いブラウスに血が滲みだした。逃げようとする奴のネックレスを掴んで引き寄せ、覆いかぶさるように刺す。奴の体温がどんどん下がっているような気がした。もう息はしていない。首にはネックレスの跡がくっきり残っている。バスが来るまであと五分。死体の持ち物を漁ってみると、中から絆創膏が出てきた。これは使える。「天誅」の紙をバス停の時刻表に貼り付けて、その場を離れた。向こうを見ると、バスはすぐ近くまで来ていた。運転手が何か騒いでいるのが聞こえるが、俺には関係ないことだろう。
六月八日
副部長がしでかしてから六時間ほど経った。部長は高岸の裁判で取り扱われた証拠は嘘のものだったと裁判所に申告しに行ったそうだが、まだ戻ってきていない。その間にも僕らの苦労をあざ笑うかのように事件が起きる。隣の警察署から応援を頼まれた。なんでも何かのデモ中に殺しが出たらしいのだ。だが、「天誅」の紙がないらしく、ほぼその事件につきっきりになっていた僕は応援に向かう必要性をあまり感じなかった。しかも応援が欲しい理由は「民間人の鎮圧」だという。鎮圧しなければならないほど民間人に適当な対応していたのはあんたらだ、こっちは関係ない。「例の事件に関係なさそうなので、応援は出せません」とだけ返した。マスコミの方が早かったのか、テレビで生中継をしている。一人移民が殺されて、容疑者候補のため駅にいた全員をその場に軟禁していたと報道している。暴動が起きても仕方ない行為だ、なおさら関わらなくて正解だったと思える。そう思ってテレビを見ていると受話器が鳴り響いた。またもや殺しがあったらしい。会社のトイレの中で殺害されており、鏡には「天誅」の紙が貼られているという。副部長の一件でくすぶっていた僕は赤島さんと共に警察署から飛び出すように現場に向かった。その道中、とある駅で大騒ぎしているのが目に入った。何やら市民と警察、移民の三つ巴で揉めているようだった。その外野からは先ほどテレビで見たアナウンサーがここで起きた事件の概要か何かを話している。道路側に立っていた警官には応援だと勘違いされたが赤島さんが見たことないほどの剣幕で追い返していた。訳を聞くと「何があったとしても守るべき市民を鎮圧だなんて決して協力できんよ。それにこっちの事情は聞こうともしないで、人間的にも成ってない。そんな奴らに協力していると、こちらまで同じ存在だと思われてしまう。香山君も奴らにはかかわらない方がいい」とかなり冷たい反応だった。その後もあの警官たちに対する愚痴は絶えないまま、通報があった現場に到着してしまった。
「赤島さん、そろそろ切り替えてくださいよ。もう現場入りしますから」
「ああ、すまない。……大丈夫、じゃあ行こうか」
受付に行くと通報した人物らしき人が待ち構えており、こちらの姿を見つけるが早いか駆け寄ってきて「警察の方ですよね!早くこっち来てください!」と急かされた。その人の案内の通りに進んでいくと、殺しの現場となったトイレが見えてきた。数人の警備委が必死に野次馬と化した会社員を追い返している。彼らもこちらの姿を見つけると、「お待ちしておりました!さあどうぞ」と中に通された。トイレの外から「警察の方がいらっしゃいました。捜査の邪魔をしてはいけないので、どうか離れてください」と野次馬を追い払う警備員の声が聞こえる。トイレの中には第一発見者らしき女性がいた。彼女に話を聞いてみることにしよう。
「お待たせして申し訳ありません。警察の香山です、こっちは赤島。あなたが第一発見者の方で間違いありませんか?」
「はい、そうです」
「では、あなたのお名前と、遺体を発見したときの情報を教えてください」
「私は、藤沢と言います。……それで井川さんを見つけた時は、まずほかの部署の人が井川さんのことを呼びに来たんです。「開発部の蓮沼さんが呼んでますよ」って。……ここ一週間ほど、新商品の開発と広報が忙しくて、そういうことは多々あったんです。私たちも何回も呼びに行ったりとかありましたし。でもそういうときでも十分もすれば戻ってくるんです。たいていは確認作業ですから。なのにいつまでたっても戻ってこなくて、おかしいなと思って開発部に行ってみたんです。でも「井川さん今日はこっち来てないよ」って言われて。そういわれて思い出してみたら、井川さんを呼びに来た人、見たことないような気がしたんです。……それで何かあったかもって思って人手を集めて会社中探し回ったんです。それでトイレに入ったとき、鏡にあの紙が貼られているのを見つけて……。ニュースで見て知っていたから……。後ろを振り替えってみると一つだけ閉まったままの個室があったんです。そこを開けたら……。井川さんが……」
「なるほど。……殺された方は井川さんというんですね。どういう方でしたか?」
「どうって言われても……。仕事ができる女性って感じでしたよ。しかもそれで特に威張ったりもしないですし。ただ、井川さんはかなりの仕事人間で、なおかつ完璧主義者でしたから仕事に対する気力は人一倍でした。そのせいで周りの人とちょっと揉めたりとかしていて、前にいた部署もそれで異動になっちゃったんです。うちの部署に来るって聞いた時は大丈夫かなと思っていたんですが、あの一件で反省したのか、うちに来てからは揉めたこと一回もないですね」
「ふむ……。その前にいた部署というのはどこなんです?」
「人事部です。その時、上司と大喧嘩していたらしく、それを疎ましく思った上司が異動させたんです。ほぼ懲罰みたいなものですね」
「その喧嘩の内容は知りませんか?」
「いいえ、あれは人事部だけの秘密になっているようですし、井川さんも話す気はなさそうでしたので。人事部の人に聞いてみればわかると思いますよ」
「そうですか……。最後に、井川さんって誰かに恨まれていたりしませんでしたか?」
「喧嘩した上司とかそうなんじゃないですか?他は……特に思いつきませんけど。そういう後ろめたい感じはあの人にはなかったので」
「そうですか……。ご協力いただきありがとうございました。……ああ、そうだ、申し訳ない。最後にもう一つ、人事部の人ってまだ会社の中に残ってたりしますかね?」
「いや、わからないですね。階層も違うのでどうしてるかはさっぱり。ここに一個下の階なので言ってみればわかると思います」
藤沢にもう帰ってもいいということと、捜査協力に対する礼を述べたところで、一階下に階段で向かった。その途中、三階と二回を繋ぐ踊り場で通信が入った。バス停の近くで女性が死んでいると通報が来たのだという。その現場には「天誅」の紙が残されており、まだ事件は続いているということを思わせる。現場にはすでに別の刑事たちが向かっているらしい。こっちはこっちの仕事をしなければ。二階にはまだいくつか明かりが残っていた。上の階で事件が起きていたということを話すと、まったく気づいていなかったのか大層驚いている。上の階の騒ぎはここまで届いていないのか。殺されたのは井川という女性だと話すと、人事部のほとんどが一斉に奥にいた男性に視線を向けた。その男はこの状況を把握したのか、開口一番「俺は関係ない」と話した。だが、こっちは上司の誰かが井川ともめ事を起こしたのを知っている。
「あいにくですが、関係ないのは嘘ですよね。ほかの会社員から井川さんが異動前、人事部にいたということと、当時そこの上司と揉めていたことを掴んでいます。そしてその揉めていた上司というのはあなたのことですよね。私が井川さんのことを口にした途端、他の方々が一斉にあなたのことを見るものですから嫌でも気づきます。……井川さんと何があったんですか?」
「……あいつは俺の人事に口をはさみやがったんだ。それで、何人もの就活生の人生を弄んだんだ。……ある年にな、もう面接も終えて、内定も渡して、あとは入社してくるのを待つだけだったところまで人事を進めてた時があったんだ。その年はいつも通り、他の幹部とも相談して採用する人間を真剣に選んださ。うちはまだ駆け出しの会社だ、学歴なんかよりコミュニケーション能力と誠実さが会社を大きくしていくには必要不可欠だと俺は思っていたんだ。会社の経営陣もこれには賛同してくれたよ、だから俺の採用した新卒たちは歓迎されると思っていた。なのに井川がな。海外赴任からちょうど帰ってきてな、開口一番『今年の人事は私に任せて』だとよ。もちろん言い返したさ、『もう決めちまって内定も出したからそれは来年にしてくれ』って。でも聞く耳なんか持ってなかった。……あの女が持ってたのは海外で仕入れたずれた常識だけだったんだ。あの後あいつは就活生の履歴書前部に目を通して、自分が気に入った奴らに内定を送ろうとした。もう新卒の枠なんてないのにな。そう伝えたら奴はどうしたと思う?内定送ってたやつに一方的に『やっぱりあなたはうちにはいらない』って電話して回ったのさ。当然苦情は来たが、奴は『私は女性よ?私にクレームを言うということは女性を敵に回すことだけどいい?』って強気でよ。あわや裁判かとも思ったが、就活生はそれぞれ別の企業の内定ももらってたらしいから裁判までには発展しなかった。それでうまくいったと勘違いした井川は増長してな、このままじゃ会社はつぶれると経営陣は思ったのか、懲罰異動させたんだ。問題児だらけの広報部にな。……これが事の顛末だ。俺にはあの女を殺す理由はねえ、殺すとしたら内定外された就活生たちなんじゃないか?」
「じゃあその時の履歴書とかって残ってますか?」
「いや、残ってねえ。井川がご丁寧にその年の書類を全部処分しちまったからな。最終的に内定した奴らはわかるが、取り消された奴らが誰だったかまではわからん」
新しい情報を得られたところで、これ以上仕事の邪魔をしないでくれと言われ、会社から出ざるを得なくなった。すでに遺体は運びだしていたらしい。会社から出た後報告に戻ろうかと車に戻り、エンジンをかけた瞬間通信が届いた。ここからすぐ近くの会社で殺しがあったらしい。「天誅」の紙は見つかっていないというが、現場に向かった。第一発見者は巡回中だった警備員で外から見るとこの部屋の窓が開いていたのが気になって確認しに来たのだという。管理室からスペアキーを持ってきてドアを開けると、何かにぶつかってしまったらしい。暗くてよく見えなかったため、持っていた懐中電灯でその物体を照らしてみると、それは死体だったということだ。殺されたのは倉林壮一、四十一歳。この会社を立ち上げた当初から人事部の部長として働いていたことが分かっている。死んでいた部屋は人事部の仕事部屋としても扱われていた資料室で、かなり広く、大量の書類を保管している。そこから考えると会社の社外秘を盗もうとした誰かの姿を見つけてしまった倉林が殺されてしまったと考えるのが普通だろう。応援を呼び、資料室から盗まれたものの捜索と、どこかに行った資料室の鍵の捜索が行われた。鍵は存外すぐに見つかった。会社の駐車場、そのわきにある小さい花壇に突き刺さっていた。そこから振り返って会社の方を見るとどこの階層もちょうど廊下の部分になっており、廊下の窓から投げ捨てた可能性が高いことが分かった。鍵を見つけ、鍵捜索隊も資料室の確認作業に回されることになった。全員で棚の資料の確認を始めて一時間ほど経った頃、別の棚を確認していた刑事が大きな声をあげた。他の刑事全員がその声につられ、その刑事のもとに集まる。そこには震える手で「天誅」と書かれた紙をもって立ち尽くしている刑事がいるだけであった。
死んで当然 源 @ookido
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