第二章 前編

五月二十九日

 次の殺しのターゲットはあまりに多い。俺に不採用通知を送り付けてきやがった馬鹿どもを全員殺さなければならないからだ。そもそも俺は面接や就職活動自体が気に食わなかった。なんで俺のこれからの人生を、面接で初めて会った馬鹿な面接官どもに託さなきゃならんのだという思いがずっと心の中にあった。しかし、あの馬鹿どもに従わなければこの社会では生きていけないから従ったというのに、奴らは俺の努力をあざ笑った。今こそ他人の人生をその場の気分で台無しにする面接官なんてものの人生を、俺がこの手で台無しにしてやる時だ。いままで二十社以上受けてもどこも採用しやがらなかったから、これだけでも最低二十人地獄に送らなくてはいけない。バイトの面接も含めるとそれ以上になり、殺さなければならない人数はさらに増える。これでは一か所にまとめて殺すのは警察などにばれる危険性を増やすだけなのではと思い、一人ひとり手ずから殺すことにした。一日一人殺しても最低一か月以上かかってしまうが今の俺には時間は掃いて捨てるほどある。やらない理由なんてなかった。ひとまず一日一人殺すことを目標にして、キリの良さを考えて来月から行動を始めることにした。五月が終わるまでは奴らの殺し方や証拠の隠滅方法、アリバイのでっち上げについて考えることにした。生まれてきて以来、一番頭を使って考えることが人殺しである自分を少し悲しく思いながらも椅子に深く腰掛け、腕を組み目を閉じた。


五月三十日

 明後日から俺は連続殺人犯として一日に最低一人は殺して回らなければならない。一番の問題は途中で疑われたりして計画が中断されてしまうことである。それを防ぐためにもアリバイのでっち上げとほかに犯人がいるかもしれないという思考を警察に植え付けることが重要だ。アリバイに関しては例の被害者の会の人たちに協力してもらってでっち上げてもらえばよく、それは一か月のうち一日や二日程度で十分だろう。みんなで旅行にいってましたなんて嘘が通れば儲けものである。それに連続殺人を印象付けるものとしてメッセージが書かれた紙を必ず現地に残しておけば、一日アリバイがあるだけで犯人候補から外されるだろう。あとは凶器の用意や処分方法が重要となってくるが前回同様、指紋などをすべてふき取ったうえで現場に置いていくのが簡単だが、そうしてしまうといちいち凶器を用意しなければいけなくなるからその方法ではいけない。持ち帰り、使いまわすことで傷口を調べた警察が同じ凶器によってつけられた傷口だからこれは連続殺人だろうと判断する可能性が出てくる。凶器には一般的に使われる包丁を使うことで誰にもこの殺人が可能だということを印象付け、凶器は家の倉庫にしまっておくことにした。俺まで捜査の手が伸びてくることは考えにくいし、もし伸びてきたとしてもでっち上げてもらうアリバイが存在するから俺に殺人は不可能と判断されるはず。馬鹿な警察共を出し抜き、鬱憤を晴らせる時が近づいてきているのを感じ、にやけるのを抑えられなかった。


五月三十一日

 今日は明日からの活動のために凶器の調達とアリバイへの協力を要請した。彼らは快く協力の意を示してくれ、凶器の調達も無事に終了した。店員に顔を覚えられる可能性もあるが、どうせ一般的に使われる包丁であり、それに家に同じものがもう一本ある。調べられたところで痛くもかゆくもない。今日やるべきことを終えると最後の仕上げとして明日から始末していく人間の名簿と始末するタイミングを記したメモ帳、その地域の地図を用意し、頭の中でシミュレーションを開始した。頭も疲れてきたし、明日から忙しくなることも考えて、シミュレーションを二週通したところで切り上げ、早めに眠ることにした。


六月一日

 今日から毎日一人ずつ殺していく日々が始まる。手始めに殺すのは俺が第一志望していた会社の人事の男だ。名は槇原。奴は会者の人事業務以外にも人事コンサルティングを仕事としている。しかし、奴の本性はモラハラパワハラ当然のクソ野郎だ。面接で就活生を罵倒するのは当然、話している最中にスマホをいじる、あくびをしたり頬杖を突く、質問しておきながら興味がない態度をとるなど当時俺と集団面接で一緒になった四人全員にかましやがった正真正銘のクズだ。人事コンサルとして取材も受けており、その時には「人事業務は誇りある仕事ですね。しかし私はその誇りに胡坐をかくことはなく、日々精進しているつもりです」と当然のように嘘もつく。ふざけた面接をしかけて就活生たちの人生設計台無しにしてくるような奴らに生きている価値はない。人を試すなんて思いあがった態度を死をもって矯正するのがこれからの俺の仕事になるだろう。槇原を殺すタイミングはやはり夜、顔を見られず周りに人気があまりない場所が好ましい。槇原は愚かにも毎日通勤の途中で様々な写真を撮ってはSNSに投稿し、何の中身もない下らん格言めいたことをほざいていたから通勤ルートは簡単に把握できた。奴の通り道には公園があり、そこにはあまり遊具がなく、子供たちもそこに行くよりも少し遠くの、遊具が多く広い公園に行くことも把握できた。殺す場所は小さい公園にすることを決め、準備をして時間になるまでいつも通りの生活を始めた。いつものような生活をしている様子を近所の人に見えるようにしておくことで、俺は犯人ではないという印象を植え付けられ、もし俺が疑われても勝手にあいつらが彼は犯人じゃないと話してくれるだろう。

 そうして過ごしているとそろそろ終業時間が近づいてきたから、奴の始末のため家を出た。電車に乗り、二つほど駅を過ぎて降り立った地が今回の目的地だ。槇原の姿を探しながらおそらく奴が使っていると思われる通勤路をたどっていく。今回の殺しをする場所である公園に着いたが全く人の気配が感じられなかった。周りには一般住宅が並んでいるのに妙に物静かでここが隔離されているような気持になった。そうしてぼんやりしていると道路の向こう側から影が伸びてきているのが見えた。この時間にここを通る音はおそらく奴のはず。しかし間違えていれば取り返しのつかないことになるため、道に迷った人を装って話しかけて確認することにした。

「あのー……。すいません、ちょっといいですか」

「ん?なんだお前、俺に何の用だ」

「道に迷ってしまって。駅に行くにはどう行ったらいいか教えてほしいんです」

「ああ……。駅は向こう、この道をまっすぐ行けば駅が見えてくるはずだ」

「ありがとうございます。……そうだ、名前と連絡先を教えていただけませんか?後日改めてお礼申し上げたいので」

「へえ、お礼か。最近の若者にしては殊勝な心掛けだね。……俺は槇原裕司、連絡先は携帯でいいか。番号は……」

そう言いかけた槇原の腹を目掛けて包丁を突き出した。包丁は奴の左腹に深く突き刺さり、血が流れていた。一思いに引き抜くと奴の腹から血が吹きだし、俺の服と地面を赤く染めた。槇原は最初困惑していたようだったが状況を理解すると助けを呼ぼうとし、それに気づいた俺は奴の首を包丁で横に裂いた。槇原は声を出す代わりに首からひゅーひゅーと間抜けな音を出していた。うつぶせになり這いずって逃げようとした奴の背中を思いきり振りかぶって包丁を突き刺した。くぐもった悲鳴を上げ槇原は動かなくなった。周りを確認し、見ていた人がいないことや槇原が何かメッセージを残していないかを確かめた。木陰に隠れて服を着替え、天誅と書かれた紙を置いていくと足早にその場を去った。電車に乗っている途中、周りの人間が全員俺を見ているような気になった。消臭はしっかりしたはずだがもしかしたら血の匂いが消し切れておらず感づかれたような気がして早く電車を降りたくなった。駅に着き、電車を降りると足早に駅を出て、家に帰った。入念に体を洗い、包丁も洗剤を使って洗った。血の反応は洗った程度では落ちないが血が付いたままにしておくと切れ味が落ちてしまう。血が付いた服は処分するかどうか悩んだが、もう一度着る気にもならなかったため、処分することにした。これから毎日人を殺すとなると服の用意もしておくべきだったと反省し、服はこれが終わった後、バーベキューを装って焼きに行くことにした。食事も済ませ、あとは寝るだけなのだが一向に眠気が来ない。人殺しの興奮のせいで脳が覚醒してしまって一向に眠くならず、仕方なく明日の準備を始めた。それが終わってもまだ眠くならなかったが、とりあえず目をつぶって横になることにした。少しでも体を休めて明日に備えようとしたが心臓の動悸が激しくなっているのがはっきりとわかる。それでもベッドに寝転がっているといつの間にか寝ていたようだ。


六月二日

 昨日は中途半端な状態で入眠したからか微妙に頭が痛む。しかしそれでも計画を中断する気はなく、準備と多少の腹ごしらえをして今日は早めに家を出た。今日のターゲットは今田。こいつは俺の第二志望の会社の人事であり面接担当者だった。こいつも槇原と同じようなことしかしないクズだったが、今田は槇原に比べ、女性へのセクハラが多かった。面接に来た女性に対し、集団面接中でも「彼氏いる?」や「スリーサイズ、上から答えてくれる?」といったセクハラをかましていた覚えがある。当時面接を受けていた俺もその発言には辟易していた。だから、直接俺に関係がなくてもこんなどうしようもない奴殺したところで、罪悪感なんかまったくわかないだろうという気持ちが存在している。奴が一人になるタイミングは家から駅までの途中にある近道の路地裏だが、これは朝も夜も人気が少ない。そのため、昨日の疲労回復のことも考えて早めに始末をつけに来たのである。路地裏は狭く薄暗いが曲がり角が多く、身を潜めやすい。今田がここを通った瞬間、背中に思いきり包丁を突き立てるプランを立てている。今日は昨日の反省を生かしてレインコートを着ており、服が汚れる心配はない。今か今かと待ち受けていると足音が聞こえてきた。少し顔を出して歩いてきた人物を確認するが今田で間違いはなかった。今日もあの時と同じような間抜けな面をしていたが、その顔ができるのは今日で最後だぞと心の中でほくそ笑みながら奴が通り過ぎ、背中を向けるのを待った。

 そして通り過ぎた瞬間角から飛び出し、勢いをそのままに今田の背中に刃物を突き立てた。うまく刺さらず、致命傷どころか動きを奪える一突きにもならなかったせいで、倒れた奴が起き上がって逃げようとしたがそこに馬乗りになってもう一度背中を刺した。まだ動くので禿げ上がりかけの残り少ない髪を引っ張って頭を持ち上げると、首に包丁を当て包丁をのこぎりのように動かし、首を切りつけ続けた。一回切りつけるたびに真っ赤な血が噴き出し、周囲に鉄の匂いが広がっていく。痛みに耐えかねた今田の助ける声は次第に悲鳴に変わったが誰も近づいてくる気配はない。ついに声を上げるのをやめ、がっくりとうなだれ、抵抗をやめた今田を仰向けにし、馬乗りになって体重をかけ心臓目掛けて突き刺した。これで今田の始末は終わったが、予定よりてこずって時間がかかってしまった。俺は手早くレインコートを脱ぎ、天誅の紙を置いてその場を去った。まだ午前八時半ぐらいだ。時間はいっぱいあるから、においが広がるのを防ぐため包丁専用のケースを買いに行ったり、昨日駄目にしてしまった服の代わりでも買いに行く予定をこなせそうだ。だがまずは今日の朝ごはんとして予約していたイングリッシュ・ブレイクファーストを食べに行くとしよう。

 カフェでの食事、ケースの調達に新しい服、これらの予定を片づけ、家に帰ったころにはすっかり昼頃になっていた。テレビを見ながら買ってきた昼ご飯でも食べようとしていた時、待ち望んでいたニュースが飛び込んできた。

『今日未明、○○駅周辺にあるともだち公園で男性の死体が発見されました。発見者は早朝五時、日課であるジョギング中だった夫婦。死体の男性は槇原裕司(37)と身元が確認されました。多数の刺し傷があることから警察は殺人とみて捜査しています』

ニュースで客観的に見て初めて、自分が自らの手だけで人を殺したことを再認識した。俺はもう後戻りできないし、途中で投げ出すこともできない。だが、一人殺すなら悪人、百人殺すなら英雄と自らを奮い立たせ、決意を改めた。昼の食事を済ませると昨日と今日の疲労が一気に睡魔として襲ってきた。昨日は碌に寝られなかったし、昼寝でもするとしよう。

 昼寝から目を覚ますと午後三時だった。このままだと碌に腹が減っていないのに夜ご飯の時間になってしまうため、趣味の一つである筋トレを家の地下室で行うことにした。もともと筋トレは父親の趣味で、いろんなトレーニング器具を買いそろえ、地下を増築しシャワールームまで完備したという代物なのだが今は俺がありがたく使わせてもらっている。二時間ほど筋トレしてシャワーを浴び、キッチンに戻って夜ご飯を作りながらテレビを見ていると、今田のニュースが流れていた。

『今日昼頃、○○市内の路上で男性の遺体が発見されました。被害者の身元は今田壮介(42)と確認されました。発見者は……』

正直ここまで早く二つも死体が発見されるとは思っていなかった。この調子だと警察が警戒を強めてパトロールをする頻度を増やしてしまう。焦って一日に二人、三人殺しに行くのはあまりにもリスクがあるが、時間をかける方がリスキーと思った俺は、予定を変更して一日にできるだけ沢山始末して早めに片をつけることにした。夕食を済ませ、趣味のネットサーフィンを始めると、思った通りの書き込みが大量に見つけられた。

『今日死体で見つかった槇原ってやつ、圧迫面接かます痛い奴だったらしい』

『実際それのせいで自殺した人がいるって話も聞いたことある』

『今田も同類だぞ。あいつは社内でもそれ以外でも好みの女にセクハラし続ける変態だったらしい』

『絶対その時の就活生とかに恨まれてるじゃん。殺されても文句言えねえなそいつら』

『まあ天罰みてえなもんだろ。別にそいつら死んでもなんとも思わねえわ』

『残念でもないし当然』

 この瞬間、奴らの命は最も価値のないものになり果てた。命には平等に価値があるという言葉があるがあれは嘘だ。自分にとって好ましい人間はより大事になり、好ましくない人間はどうでもよくなる。これが俺の望んでいたことかもしれない。自分の欲望のために他人を不幸にする人間が嫌いだった。運だけで上り詰め、既得権益を振りかざして偉い顔をし続ける馬鹿どもに腹が立ってしょうがなかった。俺より先に生まれただけで偉いのか疑問でしかなかった。でも、ついに一矢報いることができる。今まではただのうっぷん晴らしだった殺しが、意味を持ち始めた。今まで何も成し遂げられなかった自分の人生に初めて成し遂げるべき事柄ができた。必ず俺の野望を達成するという決意を胸に今日は眠りについた。


 六月二日

 滝沢さんが本当に警察をやめてしまい、僕と組むペアが変更された。名は赤島、滝沢さんよりは短いが僕よりは長く警察官として働いていて、滝沢さんよりも熱血的な人だ。新しいペアを結成して間もなく初仕事が飛び込んできた。ある公園で成人男性が死んでいるという通報を受けたのだ。早速、赤島さんと二人で現場に急行し、発見者に話を聞くことにした。赤島さんは先に現場についていた交番勤務の警官に話を聞いている。

「お待たせしました。警視庁の香山です。発見したのはお二人で間違いありませんか?」

「はい、そうです」

「では、お名前と発見した経緯を教えていただけますか?」

「はい……。私は倉本隼人、あそこのベンチに座ってるのは私の妻の倉本桜です。桜はあれを見て相当ショックだったようで……。それで発見した経緯なんですが、朝のルーティーンとしてジョギングを二人でしていたんです。ここを通りがかったとき桜が先に、『誰か倒れてない?』って言いだして。酔っ払いが寝てるだけかもと思ったんですが、倒れてる人の周りが赤黒くなっているのが見えて……。何かまずい状況なんじゃないかと思って駆け寄ってみたんです。遠くから見えた赤黒いのは近づくにつれて嫌なにおいを出していました。呼びかけても反応がなくて揺さぶってみようと背中あたりを触ったら妙に冷たくて、ここでこの人は死んでるって確信したんです。そこで、桜に警察を呼んでと頼んだんですが私の必死さでこの人が死んでるって感づかれたようでちょっとしたパニックになっちゃいまして……。結果通報がちょっと遅くなってしまったんです」

「なるほど……。その時周りに人影とか何かありました?」

「人の気配は微塵も感じられなかったですけど紙が落ちていまして……。ただ天誅って書いてありました。もう鑑識の人が回収したと思います」

「そうですか……。ではこれで事情聴取は終了となります、ご協力ありがとうございました。もう帰っていただいても結構ですよ」

「はい、ありがとうございます。……桜、もう帰っていいって。帰ろうか」

「ごめん、腰が抜けちゃって、立てないや。もうちょっと休憩させて」

「……よろしかったら家までお送りしますよ。覆面パトカーに乗ってきたので周りから変な目で見られることもないと思います」

「……いいんですか?それならご厚意に甘えさせてください」

「もちろんいいですよ、捜査協力へのせめてものお礼ということで。……では私は上司への報告と車の用意をしてきますので少々お待ちください」

赤島にこのことを伝えると感極まったようで、「素晴らしいぞ香山君!今君が最も市民のために働いている警官だ!そんな人が部下で僕は誇らしい!僕ももっと精進せねばな」とオーバーな評価をいただけた。倉本夫婦を迎えに行き、車で家まで送り届け、警視庁に戻ると捜査本部が設立されていた。

「戻ったか香山君。そろそろ今回の殺しについての捜査会議が始まるから、中で待っているといい」

そういわれて会議室の後方の席に座っているとぞろぞろとほかの警官が入ってきて五分ともしないうちに会議が始まった。

 殺された男性は槇原裕司、ある会社の人事部長で人事コンサルタントとしての仕事も兼任している。メディア露出もたまにしており、顔だけなら見たことがある人が多いということ。かく言う僕も一度テレビで見たことがある気がする。解剖の結果、死亡推定時刻は昨日の午後五時から七時の間、死因は大量の切り傷による失血死であること。凶器は現場からは発見できず犯人が持ち去った可能性が高いが、おそらく包丁などの刃物であり、犯人はあの時間人通りが少ないことを知って犯行に及んだ可能性があることから、土地勘がある人間だと思われること。当時怪しい人物は目撃されておらず犯人の足取りはわかっていないことが会議で共有された情報だった。捜査はまだ初動で情報は多くないため、これからの捜査が非常に重要になるだろうとのことだった。最後、捜査本部長から締めの言葉をいただき会議は終了となった。

 僕たちはまたあの場所に行って見落としたものがないかを探したり、近所の人に話を聞きにいかなければならない。ほかのメンバーは被害者の会社の出向いたり、被害者の人間関係を調査するという。もう一度事故現場に出向き、到着したのは午前十時。公園は立ち入り禁止のテープがはられていて、近所の人が野次馬で集まっているから、まずその人たちに聞き込みをすることにした。しかし、彼らは事件があったことすら知らなかったようで物珍しさから集まっていたようだった。だが、この路地は一本左側に大通りがあるおかげでほとんど人の通りがないらしく、ここを誰かが通るようなら公園の近くに住んでる人が何か見ているんじゃないかと助言をもらえた。野次馬たちに礼を伝え、早速公園周りに住んでいる人たちに話を聞きに行った。

 そして最初に尋ねた人が当たりの人物だった。その人は午後四時五十分頃、洗濯物を回収するときに、公園の前の道を早足で歩いていく人を見たという。夕暮れで顔などは良く見えなかったが、体格からおそらく男性で、あまり見かけたことはないからたぶんこの辺に住んでいる人ではないということだった。リュックを背負っていたから仕事帰りの人かもしれないと証言してくれた。被害者の死亡時刻は五時頃だからおそらくこのリュックを背負った男が犯人だろう。そう思っているともう一つ重要な証言をしてくれた。その怪しいリュック男のすぐ後に普段からここを通っている鞄を持った男性が通っていき、その五分位あとリュック男がこの道を戻ってきたというのだ。

この証言を聞いた僕は確信した。そのリュック男が犯人に違いない。証言してくれた人に礼を告げその場を去り、二手に分かれていた赤島と合流して得られた情報を伝えた。赤島はみるみる目の色を変え、興奮した様子で今すぐ本部に戻って報告しようと息巻いている。その勢いのまま本部に戻ると被害者の会社を調べていたメンバーが報告中だった。

 彼らの話では被害者の槇原はかなり横暴な人間だったらしい。部下や同僚に対して「使えない」や「能無し」といった罵倒は日常茶飯事で時には暴力をふるったこともあったそうだ。その横暴さは面接担当の時にも十二分に表れており、様々な罵倒文句を受けた人が面接中に泣き出してしまうことも珍しくなかったようで、その報復として会社への苦情はもちろん、労働基準監督署への通報、槇村に対する殺害予告などもあったとのこと。正直言って槇村は殺されても文句言えない人種だと思った。

 会社への調査組の報告が終わり、次は僕たちの番だ。そこで得られた情報を伝えると捜査本部長も驚いていた。その後緊急会議が開かれ、ほかのみんなが持ち帰った情報を組み合わせ、一つの推測が完成した。犯人は槇村のせいで面接に合格できなかった就活生またはその父親、あるいはひどいパワハラを受けて会社を辞めてしまった元社員の男というところまで絞られた。これらはすべて槇原の会社に行けば情報として残っているはずなのであとは地道に一人ひとり調べ上げるだけになった。実質的に事件はもう解決したような空気が会議室内に流れ出したその時、一人の刑事が焦った様子で会議室に入ってきた。

「失礼します、緊急です!○○市の路地裏で男性の遺体を発見したとの通報が入りました!現場へは他の刑事がすでに向かっているので捜査本部の立ち上げをお願いします!それでは自分は業務に戻ります、失礼しました!」

この刑事の言葉で会議室は騒然とした。せっかく今回の事件の片が付きそうだったのにおちおち休んでもいられない。いったん槇原殺しの捜査本部は停止として新たな捜査本部の立ち上げを行っていると現場に行っていた刑事が息を切らせながら入ってきた。

「はぁ……ふぅ。すいません、慌てていたもので。ってそれよりも大事な話があるんです。事件現場にまた天誅の紙が置かれていたんです。この事件はおそらく槇原殺しとつながっていて、連続殺人事件なんじゃないかと思われます。それに被害者の死因は今回も多量失血によるもので傷跡もおそらく槇原のものと一致していると思われます。詳しくはこれから解剖に回すのでまだわかりませんが……。わかっているのは被害者の身元ぐらいですね。えー……今田壮介、ある会社の人事部長とのこと。これは残されていた遺留品に社員証が入っていたのでわかりました。あとは特に目立ったものがなく、現在現場付近の聞き込みと今田が務めていた会社へ事情聴取が進行中です」

会議室内はまた騒然とした。約一か月弱音沙汰がなかった連続殺人と関連があるのかないのかはまだわからないが、また連続殺人が始まってしまった。しかも一日でもう二人。そして被害者はまた人事担当の人間、死因も同じ、極めつけに天誅と書かれた紙が二件とも置かれていたことから、連続殺人とみて間違いないだろう。だが、我々はすでに犯人の予想がついていた。調べなければならない会社の数が増えてしまったが犯人が捕まるのも時間の問題だろう。そう思っていると捜査本部長も同じ思考だったようだが、「我らはすでに犯人の推測ができている、とらえるのも時間の問題だ。……しかし、連続殺人犯に時間を与えてはならない!今すぐに現場や被害すあの勤め先に出向き情報を集めるのだ!」と刑事たちを激励し、仕事を再開させた。だが、時刻は現時点で午後三時を過ぎていた。今から向かって聞き込みや資料の閲覧をしたとしてそれらが終わってここに戻ってこられるのは一体何時になるのだろうか。嘆いていてもしょうがないから赤島さんとともに今田の殺害現場の方に向かった。

 今田の殺害された現場は駅より少し離れているさびれた路地裏。ここに着いた時では午後四時に近い時間だったが、日の光が全く入ってこず、暗かった。周りの住居を訪ねて回ったが人がいない。近くを通っていた人に聞いてみたが、ここは駅前にできた大型ショッピングモールの影響でつぶれてしまった商店街の裏路地とのことだった。確かに一個隣の大通りに出てみるとシャッターが大量に並んでおり、奥には幸せ横丁という商店街の名前が付いた古ぼけたアーチが立っていた。駅までの通り道としては今でも使われるが買い物は例のショッピングモールで済ませてしまうせいで、徐々にここで買い物をする人がいなくなってしまったらしい。今でも通勤路として使われているなら何か見た人がいるかもしれないということで、時間もちょうどよかったから帰宅してくる人たちに話を聞いてみようとなった。だが帰宅してくる人たちは日々の業務で疲れ切っており、警察の相手をしてくれる人などいなかった。全員「疲れてるから」や、「そんな暇じゃない」と聞き込みの協力を断ってしまう。これでは明日の朝同じことをしても同じ結末になるだけだろう。

 諦めて今田が務めていた会社に向かい、先行組と合流して、資料の確認などを早く終わらせようとしたが、それも難航した。まず、今田が務めている会社が全く協力的ではないのだ。仮にも従業員が被害者のはずなのに、誰一人として真剣に取り調べに協力してくれなかった。さらに今田が仕事で関わった資料が膨大だったのも作業の難航さに拍車をかけた。今田は社内のほとんど全員から嫌われているような人間だったらしく、体よく人事部の業務を押し付けられていたらしい。それは今田の部下でも同じで、他部署に応援を頼まれたと嘘をついて仕事を擦り付けていたと供述したものもいる。今田はそれを「能力ある者の当然の仕事、君たちのような無能では難しいからな。安心して私に任せるといい」と言いながら増長していたようだ。それでも仕事のストレスはたまるようで「なんでそんな無能なんだ君は?何のために生まれてきたんだよ、役立たず。この会社に入社して、今まで何をやってたんだ?気みたいなごくつぶしはどこへ行ってもどうしようもないだろうな。……でもそんな君にも、君にしかできない仕事があるんだ。それはね、私のサンドバッグだ。君みたいな無能の仕事を代わりにやってやるんだから当然だよね。突っ立ってるだけで給料もらえるなんていい仕事じゃあないか。たまに君みたいな無能がうらやましくなるよ」と言ったり、女性に対しては「これだから社会に出たいなんて言う女は嫌いなんだ。そんなことを言う割にはこのレベルの仕事も人に頼らないとできないようだし……。君みたいな出来損ないはね、出来損ないらしくそこら辺の男に股でも開いて養ってもらった方がいい。君には働くという行為が向いていないよ。わかったら今すぐ仕事をやめて男に媚びる練習でもしてるといい、その練習には付き合ってあげるよ。この優秀で寛容な私がね」と発言していたこともあったようで、社内に今田の味方は一人もいないようだった。

 やっとの思いで面接のときに使っていたと思われる名簿が発見されたが、これもひどいものだった。名簿というのだから名前が書いてあるはずと思ったのだが、女性はしっかり名前が書いてあり、それに加えて顔の良し悪しやスリーサイズの数値など不必要な情報が数多く存在した。それとは逆に男性の部分は男Aや男Bとしか書いておらず、まったくもって男に興味がなく、適当だったことが分かった。このような適当な名簿が十七年分存在していたが、履歴書はとっくに処分していたのか見つけられず、このあまり役に立たなそうな名簿しかめぼしいものは見つからなかった。そのくせ資料だけは山ほどあったから無駄に時間がかかるうえに半分も終わらない。これにはあの熱血漢の赤島さんでさえ辟易したようで帰りには口数がいつもの半分以下になっていた。

 会議室に戻って報告をしたが捜査本部長は呆れた顔をしていた。話によれば槇原の方も碌な情報が得られなかったらしい。槇原は十年ほど人事担当として面接なども行っていたらしいが、その時に使っていた名簿も今田と似たようなものだった。バカ、アホ、間抜け面、ブスといった具合に区別されていたらしい。履歴書は当然処分済みで、長い時間をかけて得られた情報はないに等しかった。解剖の結果やはり今田は槇原と同じ凶器で殺されていることが分かったがそんなことは今さらどうでもいい。せっかく被害者の共通点が見つかったのに被害者たち自身の生前の行いで犯人が遠ざかっていく。これ以上は調べるものもないため事実上の迷宮入りとなってしまった。そのまますっきりしない形で今日のところは解散となってしまった。いったい犯人は誰なのか……。被害者の日ごろの行いの報いとでもいうように犯人への手がかりは途絶えていく。


六月三日

 今日から予定を変更する。一日一人殺して無駄に時間をかけるよりも、一刻も早く始末をつけて迷宮入りさせるのが望ましい。そう思い、早朝から支度をして家を出た俺は駅前に来た。

 今から殺そうとしているのは駅前にあるスーパーの面接担当だった支店長の男、成田だ。初対面で俺の顔を見た瞬間表情が変わり、質問や受け答えに至るまで適当になりだした男だ。その面接を受けている最中、自分も「こいつ俺を雇う気なんかないだろ」と感づいたから、その瞬間から適当な受け答えをはじめ、最終的には互いが互いを罵り合う世界で最も醜い面接と化した。だから今回、成田を殺す理由はほかのやつとは少し違っていて、落とされた恨みではなく面倒くさいことに対する仕返しの面が強い。簡単に言えば「うざいから殺す」というやつだ。成田を待つためスーパーの倉庫近く、入荷した荷物で監視カメラの刺客になっている部分に身を潜めた。そうして待っているとイラつく面をぶら下げながら成田が歩いてきた。ここで従業員を装い、物陰に成田を呼び込む。のこのこと悪態をつきながら近づいてきたところを思いっきり突き刺し、壁にたたきつけた。すぐに引き抜き、逆手持ちに切り替えて首の左側を斜めに突き刺した。成田は何が起きたかわからないといった様子でずるずると壁に寄りかかりながら座り込んだ。刺し傷からは血がとめどなく流れ続けており、ようやく事態を理解した成田が助けを呼ぼうとしたがそれも遅かった。たくさん血を流したようでまともに声を出すこともできず、口から出るのは血と消えかかっている呼吸だけだ。そもそもこんな時間に従業員なんていないんだから助けを呼んだって無駄なはずなのに。最後の仕上げとして首の左側に刃を当て思いきり右斜め上に振りぬいた。成田の首を一文字に切り開き、そこからも大量に血が噴き出した。その光景を見届けて成田の死を確信した俺は、血除けのレインコートを脱ぎ、天誅と書かれた紙を置いていくと足早にその場を去った。時刻はまだ朝の七時半、このペースなら今日中にあと三人か四人手にかけられる。早速次のターゲットのいる場所に向かった。

 次のターゲットはまた駅の近くにいる。名前は早川、奴は駅近くの塾の塾長である。早川は面接中に下らん自慢話とどうでもいい質問ばかり投げてきた挙句、その場で「お前いらねえわ」と言い放ってきた正真正銘のクズだ。そんな奴が塾で子供に何かを教えるなんて片腹痛い。早川はいつも八時ごろに塾に来て、授業の準備などをしているという当然のことを前の面接で自慢していた。ならばおそらく奴はまだいないはず。前回の面接のときもそうだったが、塾の教員などは裏口を使うのがルールらしいため、そのあたりに身を潜めることにした。身を潜めて五分足らずで早川がやってきた。裏口のドアにカギを差し込んでいる無防備な背中を思いきり突き刺した。奴は俺から逃げるため、俺を突き飛ばすと塾の中に入ろうとし、力ずくでドアを閉めてこようとしたので、その手を切りつけて、手を使い物にならなくした。早川は血を流しながらも塾の中に逃げ込んでいくが、警察を呼ばれるかもしれないと思った俺は奴に追いつき、もう一度背中を突き刺した。早川は痛みに耐えかね、床に倒れこむ。蹴り飛ばして仰向けにし、馬乗りになって奴の心臓部分目掛けて包丁を振り下ろした。早川は短い断末魔を上げると動かなくなった。早川の死を確かめた俺はレインコートを脱ぎ、紙を置いていき、その場を去った。今日はペースが速い。この調子で次の目的地に向かった。

 三人目のターゲットは羽川、ある中古品販売店の支店長だ。ここの面接態度には特に不満点はないが、合否の伝え方が気に食わなかった。「合否の結果は一週間以内に連絡するんですが、不採用の場合は連絡いたしません」というスタイルで恐らくほかのところでもこのやり方を使っているところがあるが、このやり方が非常に気に食わない。志望者側には礼儀がどうだの常識がなんだのと求めてくるくせに、結果は電話一本でしかも不採用の時は連絡すらないとはふざけていると言わざるを得ない。さらに気に食わない面として、例えば「一週間後の金曜日の午後五時までには連絡します」と言われたら、そのい週間はいつ連絡が来るかずっと身構えてなければならず、連絡が来ない日を終える度に「不採用か?」という思考と「まだどうするか話し合ってる途中かも」という思考が入り混じる。最終日に近づくにつれて不採用だという確信が大きくなるがまだ指定された時間にはなっていないため、もしかしたらという思考を捨てきれない。でも結局時間を過ぎても連絡は来ず、不採用になった場合は面接の準備時間と面接の時間を無駄にしただけでなく、連絡を待ち続ける時間までも連絡をしないという企業側の怠慢のせいで無駄にしているのである。この無駄になった時間は今から羽川の命で清算したいが、奴の命の価値では俺の失われた時間の百分の一にも満たないだろう。心の中で今回の殺しに対する思いを呼び起こし、決意を新たにしていたところで羽川を見つけた。

 出勤途中のようで、一人で歩いている。周りには人影がなく殺すには絶好のタイミングだった。そう判断するが早いか、包丁をケースから抜き、角から飛び出して突き刺す。奴の脇腹に刺さったようで、そこを抑えながらうずくまっている。犯人の顔を確かめようとしたのか顔を見上げたところで、左目をついた。そもそも俺の顔はフードのおかげで影になっているから一目見ただけではわからないだろう。目を突かれ悶絶し、地面にのたうち回る羽川の腹にけりを入れ黙らせ、丸くなるところに蹴りを入れて仰向けにする。その後とどめとして心臓部を突き、羽川は絶命した。血の付いたレインコート脱いでいるところで、何者かの足音が聞こえてきた。まずいと思い、急いで脱ぎしまうと紙をその場に投げて走って去った。そのすぐ後に甲高い女の悲鳴が聞こえてきたが、追いかけてくるようではなかったので裏路地を使ってその場を離れた。目的は達成できたが一般人に見つかりかけてしまった……。だが、もう後戻りできないところまで来ていたし、後戻りすることなど考えてもいなかったから関係ない。見つかりかけなら逃げ、見つかったなら口封じすると新たに決意して、次のターゲットのもとに向かう前に、一度休憩として家に帰ることにした。

 家に帰ってきてちょうど九時半ごろ、朝早くから殺して回っていたせいでかなり疲労がたまっていたため、熱いシャワーを浴び、仮眠をとることにした。十一時半ごろ、腹を空かせ、目を覚ました俺は昼ご飯の準備を始めた。その時、羽川殺しが見られていたのを思い出し、テレビをつけると案の定どの局でも羽川殺しの報道をしていた。運がいいか悪いか、第一発見者が週刊誌の会社に勤めている女で、自分のSNSアカウントで事件の話を好き勝手しゃべり散らかしている。そこには今まで警察が表に出さなかった天誅の紙についても触れられており、彼女曰く「六月に入ってから起きてる殺人事件はすべてつながってる!おそらく今までの遺体の近くにも天誅の紙が置いてあったはずだけど警察がその情報を隠していた!警察は我々の知る権利を妨害する悪徳組織!」とのこと。途中から下らん思想にまみれだしたのでSNSを閉じ、ニュースを見ながら昼ご飯を食べ始めた。

『今朝八時五十分頃、○○市内の路上で男性が遺体で発見されました。男性の身元は遺留品から、羽川健司(32)と判明し、現場で死亡が確認されました。警察は死亡時刻や凶器などを調べるとともに、今月発生した二件の殺人事件や、先月の四人連続殺人事件との関連性も調べています』

 テレビで自分が起こしたニュースが流れる度に手ごたえを感じる。俺の行いは決して褒められたことなんかじゃないが、今の俺にはそんなことどうでもよかった。今まで自分さえよければいいと他人を見下し蹴落としてきた人間を抹殺することに、この上ない達成感と優越感を得られる。

 昼飯を済ませた俺はもう一度外に出た。今日はまだやるべきことがある。次のターゲットは内山、飲食店のバイトの面接のときに担当をしていた男だ。こいつもなかなか権力をかさに着たどうしようもない男で、面接が始まって開口一番「男はいらないんだよね」と口走った。それから聞いてもいないのに「僕はここで自分だけのハーレムを作りたいわけ、女になって出直してくれる?……いや、女になっても俺の好みじゃなさそうだしやっぱ不採用かな」と聞くに堪えない言葉しか吐けない愚か者だ。直接他人に迷惑をかけているわけではないが、こんな奴がのうのうと生きているということを考えると腹の虫がおさまらない。その飲食店に行くと店の裏にある喫煙所で一人、内山がタバコを吸っているのを見つけた。にやにやしながらスマホの画面を見ている。異常なほどの食いつきで俺が近づいていることに全く気づかなかったようだ。真正面に立つとさすがに気づいたようだがもう遅い。そのまま握りしめていた包丁を突き出す。内山は間抜けな顔でそれを腹で受け止める。手に持っていたタバコを落とし、目は見開いていて何が起きたかわかっていないようだ。俺は包丁を引き抜きながら奴の左肩をつかみ、奴の体をひねらせながら背中から心臓目掛けて包丁を突き立てた。内山は苦痛に満ちた声と共に血と煙を吐いてその場に倒れた。仕上げとして奴の頭を鷲掴みにして持ち上げ、一思いに首を掻っ切る。一斉に鮮血が壁を染めた。俺はレインコートを脱ぎ、天誅の紙を置き、その場を去った。奴は休憩時間中だったはずだから、呼びに来た従業員によりすぐにでも警察に通報されてしまうだろう。だが、あそこには監視カメラはない。内山なんぞのプライバシーのために設置していないのだ。だから簡単に俺が犯人だとはわかるまい。足取りは軽やかに、次のターゲットのもとへと急いだ。

 時刻は二時、普通の会社ならば就業時間中であるため、ターゲットを人目のないところで始末するというのは非常に難しい。どうしたものかとターゲットが務めている会社をカフェから眺めていると会社からぞろぞろと人が出てきている。会社のホームページに書かれていたが今日は早上がりらしい。増えていく人ごみの中にターゲットの顔が見えた。手早く会計を済ませてカフェを出る。人込みは駅に向かって進んでいるため、後ろからついて行っても違和感はないだろう。駅までついていくのはいいが、問題はどこで奴を始末するかということだ。このまま大通りを進まれると手が付けられない。すると奴は親しそうな部下を二・三人連れて裏路地に入って行った。付き人が邪魔だがかなり都合がいい。これ幸いと裏路地に向かった。そこはさびれたバーやかなりアングラな雰囲気が漂うキャバクラなどが集まっている路地だった。ちょうどガールズバーらしき店の前で目的が突っ立っているのが見える。部下三人に手続きを丸投げして外でタバコを吸っているようだった。もし神がいるのなら俺に味方している。そう確信した俺は懐から包丁を抜いた。努めて自然に奴の前を通り過ぎようと歩く。奴は気づく様子もなく時折ドアを開けて「さっさと決めろよ」とヤジを飛ばしている。奴が部下三人の優柔不断さにあきれてドアを閉めた瞬間、後ろから思いきり背中をついた。短くうめくがドアは分厚く中に聞こえはしないだろう。助けを求めるためドアを開けようとする奴の右手首に思いきり包丁を振り下ろし、たたきつける。奴の手とドアノブがぶつかる音がするが中の人たちに気づく様子はない。これも催促の一種とでも思っているのだろうか、知る由などないしどうでもいい。とどめに痛みにのたうち回る奴を押さえつけて首あたりを掻っ切れば仕事は終わりだ。例のごとく紙を置いてその場を離れる。裏路地から出て少し駅に向かって歩いた瞬間、裏路地から叫び声が聞こえてきた。集まった野次馬に混ざってみればやはり騒いでいるのはあいつらだ。このままだと警察が来て面倒ごとに巻き込まれそうなので、さっさとその場を離れることにした。電車に乗る寸前サイレンの音が聞こえてきたが、電車が動き出し次第に遠ざかって行った。車内はサイレンが引き起こした喧噪でざわついている。目的の奴が出てくるまで時間がかかったし、今日はもうここまでにして早く家に帰ろう。電車の席に座りながらそう思い、深く腰掛けなおして目を閉じた。


 六月三日

 僕たち警察は昨日から働きどおしだ。誰が起こしたかわからない連続殺人の犯人を捜してはいるものの目撃情報の一つだってありはしない。唯一の手がかりと言えば被害者たちの共通点だが、これも犯人の特定にはつながらない。はっきり言えば被害者たちには「敵が多すぎた」のである。昨日からほぼ徹夜で捜査本部は動きっぱなしだがそれをあざ笑うかのようにまた事件が起きた。駅前の大型スーパーの支店長が死体で見つかったという通報が届いたのだ。まだ朝早くなのに本部は騒然としている。現場からの報告によれば、死体はこれまでの殺しと同じ手口で殺されており、現場に残されていた紙もこれまでのものと同様のものであるということらしい。この情報をもとにこの一件も連続殺人事件のうちの一つとして同時に捜査することになった。もうすでに人手は限界なのになぜこんなに殺人が起きるのだろう。そう思う暇もなく仕事に駆り出される。赤島さんも昨日からの疲れが取れていないのかいまいち覇気が物足りない。ひとまずスーパーに向かって聞き込みをしようかと車を走らせて五分も経たない頃、もう一度通報が入った。とある塾の従業員が中に入ろうと裏口のドアを開けたところ塾長の早川という男が床に倒れているのを見つけたという。赤島さんの指示でスーパーの聞き込みをいったん諦めて塾に向かった。

塾に着くと仕事に追われた野次馬が規制線の先をちらちら横目で見て過ぎていた。裏口に向かうと第一発見者の女と近くの交番勤務の警官らしき男が話していた。裏口を入ってすぐにはまだ鑑識が到着していないのか被害者の遺体が残されていた。交番警官に一度挨拶してから業務を引き継ぎ、事情を開始した。

「どうも、警察の香山です。こちらは上司の赤島。通報を受けて急行しました。まずお名前とここで何があったのか教えていただけませんか?」

「はい、私は宮下と言います。今日は早番だったので朝八時半までにはここにいなければいけなかったので、八時十五分ごろ塾に到着して、従業員の決まりなので裏口から入ろうとしたんです。鍵をいれて回すとなぜか手ごたえがなくて、試しにドアノブを回してみたら鍵がかかってなかったんです。早川さんはそういうことに無頓着な人だったので、特に不思議には思わなかったんです。でもドアを開けたら早川さんが倒れていて……。血も沢山……」

「……ありがとうございます。その時、不審な人物などはみませんでしたか?」

「いいえ、人っ子一人いませんでした。……そもそも裏口に来るにはあそこの細い脇道を通らなければならないんですよ。ここには生垣や倉庫の裏といった人が隠れられそうな場所はありますけど、そこから飛び出した人を見逃したり、塾の近くですれ違ったりというのはないと思います」

第一発見者の宮下と話している間に、赤島さんは遺体を調べているようだ。すると何かを見つけたのか「香山君、ちょっと来たまえ!」と呼びつけた。どうしたんだろうと近寄ると赤島さんは何かを持っている。それは一枚の紙のように見えた。それを紙だと認識した瞬間嫌な予感がしてきたが、赤島さんがそれを決定づけるように紙を見せてきた。……やはり「天誅」か。宮下に聞かなければならないことが増えた。

「……宮下さん。答えづらい質問かもしれないんですが、早川さんって人に恨まれるような人間でしたか?」

「何を言ってるんですか!亡くなった人を前にする質問ではないですよ。それになんでそのようなことを聞くんです?」

僕はどこまで話したらよいかと赤島さんと目配せした。赤島さんは何かを決した顔で頷くだけであった。

「……早川さんは連続殺人のターゲットにされたと考えられます。こちらの紙を見てください、これは一昨日と昨日遺体で発見された人たちと一緒に置かれていたものです。……この天誅という文字から恨みを持つ人間がその恨みを晴らすために被害者を殺害し、その場に残しているのではないかと我々は考えています。そしてその紙が早川さんの近くにも置いてあった。つまり早川さんも誰かの恨みを買った結果殺されてしまったのではないか、だからこそ早川さんが他人に恨まれるような人だったかどうかが非常に重要なのです」

「……早川さんは厳しい人でした。塾内のスローガンでも『偏差値七十未満はFラン』なんて掲げてるような人でしたから。生徒さんたちにも厳しいし、従業員の私たちにも、そして早川さん自身にも。早川さんの教育方針は生徒さんたちの親からは評判がよかったんですけど、生徒さんや我々従業員の数人は『ついていけないよ』といった雰囲気で。何人かやめてしまった従業員の方もいらっしゃいますし、塾に来なくなってしまった生徒さんもいます。けれどそれで人を殺すというのは……考えづらいと思います」

「……ありがとうございました」

 事情聴取が終わると同時に応援の刑事が鑑識と清掃員を連れてやってきた。僕と赤島さんは彼らにあとのことはすべて任せて一度報告のため本部に戻ることにした。本部に着くと僕たちの代わりにスーパーへ聞き込みに行っていた人たちと鉢合わせた。時系列で言えばスーパーの方が早いため、報告の順番を譲る。スーパー組の報告によれば、ここで殺された男もまあまあ良くない男だったらしい。

 名前は成田、三十二歳でスーパーの支店長になった男だ。支店長の平均年齢は四十一歳らしいのでだいぶ早い出世だ。それで調子に乗っていたのかパワハラ・ロジハラが当然のような職場だったらしい。仕事が遅い人にはたとえ客が目の前にいても「出来損ない」と大きな声で罵る。五分の遅刻に一時間怒鳴るといったように仕事に支障が及びそうな出来事の数々で退職者も後を絶たなかったという。数多のパワハラにより精神を病んでしまった人も少なくないらしく、彼は誰に殺されてもおかしくはなく、従業員は成田がいつ刺されるかという賭けまでしていたそうだ。

 これでスーパー組の報告が終わった。続けて塾組の我々も報告を行うが犯人に直接つながるような情報はない。この二つの事件に共通して「天誅」の紙が置かれていたということだけが捜査の方針を定めるものになっている。しかし恨みによる犯行というのも揺らいできてしまった。何故ならまたもや通報が届いたからだ。また支店長が殺害されたようだが、今度は中古販売店の支店長らしい。スーパー組はこれからスーパーの本社の方に向かうということなので僕たちが現場に向かうことになった。

「赤島さん、今回の事件おかしくないですか?あまりにも事件が頻発しすぎてますよ。怨恨というにはあまりにも人を殺しすぎている」

「香山君、君もそう思っていたか。だが、怨恨と人殺しの数はイコールにはならないものだよ」

「……どういうことです?」

「依頼だよ、殺人の。ある人の復讐を代行する業者が現れたんじゃないかと私は考えている」

「そんなものほんとにいるんですか?あまりにも陰謀論じみたものですけど……」

「どうしても生きていてほしくない人間というものは一人や二人絶対にいるものさ。必ず需要はあるんだ。あとはいかに人間としての一線を越えるか。『金さえ払えば』ならその一線を超える人が出てくるのも不思議じゃない、自分は手を汚さないしね」

「でも……だからって人殺しなんて」

「人の価値というのは人それぞれによって異なるんだ。全員が全員尊い存在なんてことは決してありえない。そんなことを言うのはよほどの世間知らずか、あるいは宗教家くらいだろうね。まあだからって人殺しが肯定されるわけでもない。この国の法律で人を殺してはいけないと決まっているんだから」

「つまり……どういうことですか?」

「どうしても殺したくなる人がいるという気持ちもわかるいうことだ」

 この時だけ、赤島さんがいつもの熱血漢に見えなくなった。でもすぐにいつもの調子に戻り「まあ何にせよ犯人は必ず捕らえるべきだ。気張れよ、香山君」と言った。

車内が微妙な空気に包まれたころ、ようやく現場に到着した。もうすでに鑑識の人たちが撤収した後で、事件の痕跡は道路に書かれたチョークと乾いた血液のみだった。今日、この店は臨時休業になっており、客の姿はない。第一発見者や店員たちは事務室で待機していると先に到着していた警官に教えてもらった。ノックをして事務室に入ると早々に「早く家に帰らせてくれないか?」と詰められるが適当に受け流す。部屋には五人おり、男性が三人、女性が二人だった。とりあえず第一発見者の人に話を聞かなければならない。

「今回の事件の第一発見者はどなたですか?」

そう聞くと奥に座っていたやせぎすの男が反応した。ネットでは第一発見者を名乗る人物は週刊誌の記者の女だったはずだが。

「僕です」

「失礼ですが、お名前は?」

「金子です」

金子と名乗った青年は警察という存在におびえているのか、それとも遺体を見つけてしまったショックからか挙動不審気味だ。それでも受け答えは存外しっかりしているので証言としては期待できそうだ。

「それでは金子さん、発見当時の状況を教えていただけませんか?」

「はい。あの時は九時ちょっと前ぐらいだったはずです。いつも通り業務員用の裏口を使うために裏に回ろうとして、角を曲がってすぐに羽川さんが倒れていました。血がいっぱい出ているのが一目見てわかったので、すぐに通報しました」

「そうですか……。その時、不審な人物とか、何か気になるものとか落ちていませんでしたか?」

「羽川さんの写真を撮るだけ撮って走って行ってしまった女の人がいました。あとほかには『天誅』って書かれている紙が落ちていました」

その女はおそらくネットで死体を見つけたとか言って騒いでいたあの女だろう。あの女は事件には関係ないが、やはりこの事件も前の殺しと繋がっている。赤島さんの方を見るといつになく険しい顔をしていた。とにかくこれも連続殺人事件のうちの一つならば聞かなければならないことがある。

「金子さん、あとほかの四人の方にもお答え頂きたいんですが、羽川さんは生前どのような人物でしたか?」

「どんな人物と言われても……。普通に優しい人でしたよ、今時珍しく威張ったりもしなければ変に下手にも出ないまっとうな上司って感じでしたね」

「ほかの方はどうですか?」

そう聞くと、開口一番帰らせてくれと言っていた男が苦々しく口を開いた。

「優しい人ねえ、金子君はあの人の裏を知らないんだな。あいつはれっきとした悪人だよ。……先月うちの大本が発表したことがあったろ?『従業員による架空の買い取りや不適切な在庫計上の不正行為が発覚』ってな。ここの店の名前は不正リストに入ってはなかったが、ありゃ賄賂だよ」

「どうしてそんなこと知ってるんですか、何の証拠もないでしょう?」

「証拠ならあるさ、不正の在庫計上が証拠だよ。今店にある商品と照らし合わせても絶対に数が合わない」

「でも賄賂だなんて……」

「それも証拠がある。賄賂を贈るにもやり取りっていうもんは絶対にどこかに残っちまう。すぐ削除したとしても意外と簡単に復旧できるんだぜ」

それからは羽川は悪人だと思う人たちとそうでない人たちによって口論が始まってしまったが、今そんなものは関係ない。

「皆さん、一旦落ち着いてください。ここで口論を始めても帰れるわけじゃありませんよ。我々の質問に答えていただければすぐにでも帰れるようになります。どうか、ご協力を」

「でももう質問には答えたじゃないか?まだ何かあるのか?」

「……羽川さんは誰かに恨まれていたりしませんでしたか?あるいは羽川さんを恨みそうな人物っていますか?」

「意外といないかもな。不正してたって別に誰かを不幸にしてたわけでもないからな」

「そうですか……。それでは我々からの質問は以上になります。皆さんご協力ありがとうございました。もうお好きに帰っていただいても結構ですよ」

そう言うと一斉に荷物を持って我先にと事務室を出て行った。やはり誰も好き好んで事情聴取なんて受けたくないものだろう。僕もさっさと本部に戻って報告しなけれはならない。

 本部に戻ったときにはすでにお昼時だった。ここ三日ぐらいは忙しすぎてろくに飯を食べられていないことを思い出す。今日の昼飯は何を食べようかと考えながら報告をしていた時、一人の刑事が息を切らしながら入ってきた。彼が言うには外に記者が大勢集まっているらしい。おそらく朝のあの記者の女のせいだろう。どう対応しようかと思っていると捜査本部長が立ち上がり、部屋の外に向かって歩き出した。

「部長!何処へ……。まさか部長自らが!?」

「それ以外あるまい。……それに先ほどの報告を聞く限りでは、記者の女は遺体を見つけて写真を撮るだけ撮って逃げたという話ではないか。……好機だ。今一度、マスメディアなどと言う職業の位置づけをはっきりさせておかなければなるまい」

他の刑事の制止も振り切りずんずんと外に向かって歩いていく。外には「警察は説明を!国民の知る権利を侵害するな!」と喚き散らしたマスコミが大量にいた。部長が外に出た途端、一斉にフラッシュがたかれる。許可もとっていないのに勝手にリポートまで始めだす輩もいた。それらを部長は拡声器すら使わず自らの声のみで一蹴した。

「黙れ!今回ばかりはこちらからも言いたいことがある。もうとっくに調べはついているが、週刊ライアーの渡辺佐紀。お前は今朝八時四十五分、○○駅前の中古販売店で、羽川健司の遺体を発見したのに、写真を撮りネットに投稿するのみで警察への通報を怠ったな。それなのに今度は『知る権利』だと、片腹痛い。貴様らが掲げている下らんジャーナリズムでは国民が求めている物など一生かかってもわからずじまいだろう、他所様の重箱の隅をつつく暇が貴様らごときにあるのか。……門を超えたものは全員不法侵入者として拘束する。動くなよ」

 部長の覇気に押されたのか誰一人として動くものはなかった。部長からの指示で門を超えて入ってきた者はすべて留置所に入れることになった。どうせすぐに開放することになるが、奴らには良い薬となったことを祈るばかりだ。

記者陣を黙らせた後、すぐに会議が始まった。今日に入ってからもう三人死んでいる。少しの時間も無駄にはできないが、この会議でも犯人像は浮かんでこなかった。当初は人事担当の人間ばかりの殺人だったため、人事の結果に恨みを持つ者かとも思ったが今日に入って発生した事件はいずれもそうではなかった。一応人事のようなものはしているが、担当というほど専任しているわけでもなく分担作業もあるため人事に関しての恨みと断言できなくなってきたのだ。しかし、だからと言ってそれ以外の動機を説明できるかと聞かれれば首を横に振るしかない。結局新しいことは何もわからないまま会議は終わってしまった。

「どうします赤島さん。これじゃ犯人逮捕なんて夢のまた夢ですよ」

「……証拠もなければ目撃証言もない。……やはり聞き込みしかないか。と言ったもののそれも正直行き止まりに来ている気がする。人事関係の書類が残っていればもう少し動けるんだが、ぼやいていても仕方ない。今我々にできることをするのみだよ」

「……そのできることと言うのは?」

「腹ごしらえだ」

確かに昼はマスコミの騒ぎのせいで昼飯を食べられなかった。腹が減って仕方ない。

「腹を満たせば何か妙案が浮かぶかもしれないぞ。……それにこの空きっ腹では出動要請を受けてもまともに動けんだろう」

二人で食堂に赴き、朝まともに食べられなかった分まで含めてかなりの量を食べた。完食するのに少々時間を要したが、腹を満たせばおのずとはやっていた心も幾分落ち着いてきた。食休みとして食堂に備え付けられているテレビを見ながら事件について話していたところ廊下が騒がしくなってきた。

「いったい何があった?」

赤島さんが廊下にいる刑事に話しかけた。

「また殺しです!飲食店に勤めている男が殺されていると……」

その話を聞いた僕と赤島さんは驚いた。これで殺しは四件目だ。明らかにあり得ないペースで続いている。

「……我々は現場に向かうとしようか、香山君。仕事を全うせねばな」

僕たちはすぐに現場に向かう用意をした。ほかの刑事たちは別の事件を調べるために出払っていたようで、今ここで出動できるのは僕たちだけのようだ。

 現場に着くと野次馬が大勢集まっていた。時刻はまだ午後一時前、昼休み中の人も多いことだろう。遺体はまだ現場に残されていた。何か所も刺されており、痛々しい。遺体をじっと見ていると赤島さんが「香山君、事情聴取が先だ」と促してきた。飲食店の中に入ると従業員は十人以上いたが全員女性だった。

「どうも、刑事の香山です。通報を受けて急行しました。それで第一発見者にお話を伺いたいんですが、どなたですか?」

そう聞くと、手前にいた女性がおそるおそる手を挙げた。

「ああ、あなたですね。では、発見時の状況を教えていただけますか?」

「……十分ぐらい前のことです。内山さんは昼休憩の時、外でタバコを吸うのが習慣だったんですが、それと同時に私たちも指定の時間に内山さんを呼びに行くことが習慣になっていたんです。まあ、ほぼ無理矢理みたいなものだったんですけど。それで、今日は私がその担当だったんです。呼びに行く時間は十二時五十分と決まっていて、その時間通りに呼びに行きました。喫煙所は見ての通り外からは中は見えないようになっていまして。いつも通り外から『店長、時間ですよ』って呼びかけたんですがいつも聞こえる返事が返ってこなくて。どうしたんだろうと思い、中を覗くとすでに亡くなっていて……」

「……そうですか。……そういえば防犯カメラとかってないんですか?あそこもお店の一部ならついてるのが普通ですよね」

「防犯カメラはないんです。内山さんが防犯カメラ嫌いのせいで。『いつも見られてるような気がして落ち着かない』って言ってました」

「なるほど。では、何か不審な人物とか気になるものを見つけたりしませんでした?」

「いえ、特には何も……なかったと思いますけど」

予想が外れた。勝手にこれも連続殺人事件のうちの一つかと思っていたが何やら違うのか。疑問に思い首をかしげていると外にいた赤島さんが何かを見つけていた。

「香山君、例の紙を見つけたぞ。この事件もやはりつながっているようだ」

赤島さんが言うには喫煙所の角、遺体の影になっているところに落ちていたらしい。喫煙所の中を一目見た程度では気づかないような場所にあったのだ。その紙があるのならばこれも聞かなければなるまい。

「ほかの従業員の皆様にもお聞きしたいんですが、内山さんってどんな人でした?誰かに恨まれそうなところってありましたか?」

そう聞いた途端、全員があらぬ方向を向き始めた。誰も問いに答えてくれず、第一発見者の女性もだんまりだ。これは怪しいと思い、揺さぶってみることにした。

「内山さんはそんなに人に言えないようなことばかりされていた方だったんですねえ、しかもそれは殺されてもおかしくないほどの。だから皆さん黙ってらっしゃるんですか、このままだと皆さん全員警察所にお連れしてお話を聞くしかないですねえ。そうですよね、赤島さん」

赤島さんはいきなり僕が芝居がかったことを言い出して驚いているようだが、すぐに僕の意図を察してくれた。

「そうだねえ、香山君。従業員の皆様には申しわけないが、重要参考人として所に連行しなければなあ。ここで洗いざらい話してくれればそんなこともしなくていいんだが、どうだろうねえ」

つたない芝居に引っ掛かってくれたのか気の強そうな女性が口を開いた。

「わかった、話せばいいんでしょ。……あの男はね、正真正銘のクズ。女を自分が気持ちよくなるための道具としか思ってない男だったの。覗き、盗撮は当たり前、セクハラだって日常茶飯事だった。……もちろん警察にも相談した。けどね、証拠不十分ですって。……そんなわけないでしょ!更衣室にカメラが仕掛けてあったのに何の証拠が足りてないの?……おかしいって抗議したけど警察は聞く耳を持たなかった。……後になって知ったわ、あの男が警察を買収してたってね。しかもよりによって盗撮した私たちの写真を使って。……殺されて当然なのよあの男は。できることなら私が殺したかったぐらい」

「それは……その、なんと言ったらいいのか」

「いいわ、謝らなくて。そもそもあなたはあの時の担当の刑事でもないし、簡単に私たちの苦しみに同情してほしくもない」

「……話していただいてありがとうございました。これで事情聴取は終了となります。我々はこれで失礼します」

「刑事さん、犯人捕まったら教えてね。犯人にお礼を言わなきゃいけないから」

 恨みのこもった言葉に何を返せばいいかわからなかった僕は、何も言わず頭を下げてその場を去った。今の話が本当ならば内山という男は相当恨まれている。あの場にいた人たち以外にも内山が原因で仕事を辞めた人も大勢いるだろう。この事件から犯人の目星が付けられそうだ。そう思っていたが捜査本部の見解は非常に厳しいものだった。まず僕たちが飲食店で事情聴取をしている間にもう一件殺しが発生していたらしいのだ。谷岡という男が裏路地で遺体となって発見されたという。これも現場に「天誅」の紙があったことから繋がっていると考えられたが、その考えはある一つのネットへの投稿で粉々に打ち砕かれてしまったのだ。それはあの週刊ライアーの女の投稿だった。

「六月に入ってから起きてる殺人事件はすべてつながってる!おそらく今までの遺体の近くにも天誅の紙が置いてあったはずだけど警察はその情報を隠していた!警察は我々の知る権利を妨害する悪徳組織!」

この投稿のおかげで今まで報道していなかった「天誅の紙」という連続殺人の証明が崩れてしまったのだ。被害者はすべて刺殺されているというのはすでに公開済みだったが、この情報が加わることにより、誰でも模倣犯になることができてしまう。そのためどれが本筋の事件なのか判別ができなくなってしまったのだ。これでは今まででも困難だった犯人の特定がより不可能になってしまう。だが拡散された情報はもうとどまるところを知らない。人手もすでに限界で各所に応援を頼むことになった。これからの捜査に大きな暗雲が立ち込めていくのを感じ、自分にできることはもう事件が起きないことを祈るだけであった。


六月四日

 昨日までの三日間で合計七人を殺した。罪悪感というものはとうに消え失せていて、あるのはいかに見つからないように手早く殺すかというゲームのような意識だ。今日も早朝に家を出て目星をつけた人物を殺す一日の始まりだ。電車に乗り駅を過ぎていくうちにスマホでニュースを見るがやはり俺が起こした連続殺人で世間は持ちっきりだ。恨みを持った人間の犯行という所はいいとこついてると思うが、その後の推理がいささかお粗末だ。「あまりに大勢の殺人のため組織的な犯行が疑われる」とは……。これなら俺にたどり着くことは決してありえないし、捜査線上に浮かぶこともないだろう。ニュースを聞きながら歩いていると目的地に着いた。ここはターゲットがジョギングのためによく来る公園だ。……なぜ愚かな人間ほど自らの私生活を暴露するのだろうか。ターゲットはいつ来るかとベンチに座って待ち構えていたが、向こう側から走ってくるのが見えた。ここにはターゲットと俺しかいないため、奴は俺のことを警戒しているようだ。それでも露骨に反応するのは嫌だったのか、冷たい一瞥を送るのみでその場を離れようとこちらに背を向けた。その瞬間を見逃すわけもなく、素早く立ち上がると同時に刃物を抜き、走り出した。奴も足音を聞いてこちらを振り返ると、顔が一瞬で恐怖に歪む。逃げようと走り出すがもう遅かった。横に振りぬいた切っ先が奴の二の腕に当たった。痛みに耐えかねた奴は足がもつれ転んでしまう。それで終わりだった。あとは碌に動けない人間の急所に刃を突き立てるだけの簡単な作業だ。こいつは最後まで命乞いをしていたが聞く気もなかった。あとはいつも通り天誅の紙を死体のそばに置き、この場を去るだけだ。今回は時間もかけていないしほかの誰かにも見られていない、かなり完璧な仕事だった。この調子でいくとしよう。

 次のターゲットはこの近くに住んでいる。苗字が特殊なおかげで住んでいる地域さえわかれば後は簡単だ。それに自慢なのかSNSでどのような家に住んでいるかを詳細に説明しているため、もはや殺してくれと言っているようなものだ。奴の家の前に着いた時、ちょうど家の中から奴が出てきた。塀に身を潜め、タイミングをうかがう。敷地を出てこちらに気づいた瞬間のどに刃を突き立てた。叫ぶ間もなく痛みに崩れ落ちかけるが、急いで家の中に入ろうとしている。家を出る際にかけた鍵が仇となり、こちらに背中を無防備にさらす形になっていた。最後にはただ家の鍵穴に必死にすがり続ける死体と、「天誅」だけがその場に残っていた。

 それからも俺は次々に手を汚していった。誰一人として殺される理由も理解していなさそうな間抜けな顔をさらしながら死んでいったことだけが印象に残った。街を歩くさなかひっきりなしにサイレンの音が聞こえる。街の住民も名も知れぬ殺人鬼にすっかりおびえ切っているようだ。何の罪もない街の住民には申し訳ないがもう少し殺人鬼の幻影におびえていてもらはなければならない。ターゲットは大体が昼は働いているせいで手が出せないから朝と夜が勝負だ。次のターゲットのもとに向かうため急いで電車に乗り込んだ。

 次のターゲットはすでに目の前にいる。奴の職場近くで待ち伏せようとも思ったが、偶然にも乗った電車に奴も乗り合わせていたのだ。これは好機かと思ったがそうではない。人目が多いうえ、逃げ場もない。ここから尾行でもしなければと思っていたが神は俺に味方した。ターゲットはいきなり立ち上がりドアに向かって歩き出したのだ。降りるのかとも思ったがそうではなかった。おそらく次の駅が目的地のためすぐに下りられるようドア横に移動したものだと思われる。さらに幸運なことに別の路線の電車が人身事故により止まってしまい、この電車に大量の人が流れ込んだ。そのせいでターゲットの男も人波に押されて電車の中央付近まで戻されていた。この二つの出来事により俺はターゲットの真後ろに陣取ることができたし、周りのあまりの人の多さで碌に手元も見られない。この瞬間を好機ととらえた俺はリュックに隠しながらゆっくりと包丁を取り出した。そして電車が大きく揺れるのを待った。すぐにもその瞬間はやってきた。ほかの線の遅延により急いでいたのかはわからないがスピードは他の電車に比べても早いため揺れやすい。緩いカーブに差し掛かった時でもあまり減速せず走ったため車内はかなり揺れた。その瞬間揺れに負け、よろけてしまったことを装ってリュックに隠していた包丁を心臓がある部位に体重をかけて突き立てた。あとは刃を抜くだけだと思って離れようとしたときもう一度大きく、さっきの揺れとは逆方向に揺れ、奴の全体重が俺と包丁にかかった。先ほどよりも深く刺さっていくような感触がする。腕で押し返して包丁を抜き、リュックにしまう。仕上げに奴のズボンのポケットに「天誅」と書かれた紙を押し込んだ。奴は何が起きたかわからないような反応を見せており、一言も発していない。揺れが収まるとすぐ駅に着きドアが開いた。一斉に降りていく乗客に紛れてその場を離れる。するとすぐに異変に気付いた人間の悲鳴が聞こえてきた。背中から倒れたようで刺し傷はまだばれていない。血を吐いているのを見て重度の体調不良とでも思っているのだろう。他の乗客はただ悲鳴の方向を一瞥するのみで足を止めるものは一人もいなかった。発見者と、偶然その周りにいてしまった人物が必死に駅員と助けを呼んでいる。その声を背中に受け、足早に駅から離れた。

 駅から離れた俺は会社に出勤する体を装いながら次のターゲットが勤める会社に向かっていた。ゆっくり歩きながら通り過ぎていく人物の顔を確かめていく。駅から離れて五分ほど、ついにターゲットを見つけた。横断歩道の赤信号で立ち止まっているところであった。あとは一人になる瞬間を待つだけである。少し離れたところを歩きながらターゲットの様子を窺った。まだこちらには気づいていなさそうだ。確かにここはオフィス街の大通りでありここを歩いている間は特に怪しまれたりもしないだろう。このまま大通りに面している会社に入られてしまえば計画は失敗に終わるがそうはならない。奴がどの会社に勤めているかはすでに知っているからだ。しばらく歩いていると奴は大通りの交差点を左に曲がっていく。ここを右に曲がれば新進気鋭の会社が集う我が国有数のオフィス街だが、左に曲がれば人手が根こそぎ取られ、あとは無能ばかりが残った斜陽企業の墓場であった。ターゲットはそのうちの一つで経営している会社の人事をやっていた。こんなさびれたところに受付の人などいる訳もないし監視カメラなどに金を払っている場合でもない。奴が会社に入って行く寸前、後ろを横切るふりをして包丁を真横に振りぬき奴のうなじあたりに傷をつけた。奴は切られたショックと混乱で何が起きたかわかっておらず、のんきにこちらに振り返っていた。そこをもう一度今度は袈裟切りの要領で包丁をふるう。血しぶきが出ると同時に何が起きたかの理解も及んだようで、急いで会社の中に入ろうと必死に鍵がかかったドアノブを回していた。その様子が滑稽でしばらく眺めていたがようやく、自分がまだ鍵を開けていないことに気づいたようで必死にポケットをまさぐっている。ちなみにドアの鍵は開けようとした寸前で切りつけた衝撃により床に落としているのだが、それにはまだ気づいていないようだ。うわごとのように「助けて」と言いながら鞄をひっくり返す奴は思わず吹き出してしまいそうになったが、最後まで茶番に付き合うほど暇ではない。床にぶちまけた鞄の中身を必死にかき集め鍵を探す奴の無防備な背中に思いきり刃を振り下ろした。その衝撃で床に這いつくばった奴はついに目の前に鍵があるのを見つけ、手を伸ばしたが鍵を握るまえに、もう一度刃を深く刺した。あと少しで鍵に届くという所でついに奴は絶命した。その必死に開かれた手の正面に「天誅」の紙を置き、その場を離れた。

 時刻は午前九時。次のターゲットたちは会社の中でぬくぬくしており手が出せないため、夜になるまで待つしかない。一度家に帰って休憩がてら熱いシャワーでも浴びるかと電車に乗りながら考えていた。事件が見つかったであろう場所からサイレンの音が聞こえてくる。警察はまだ犯人の特定すらできていない。たった一人で組織を出し抜けているという優越感に浸かるため、電車の壁にもたれかかり、目を閉じた。


 六月四日

 今日から隣の県の刑事たちが応援に来てくれるらしいと、早朝からの会議で伝達された。今この状況で応援なんてよこされてもどうしようもないが、ないよりはましだろう。時刻は六時半、結局また事件の調査のせいでまともに寝られなかった。人手が増えれば休憩も増えるかとも思ったが、捜査本部長は、「奴らには捜査を”手伝ってもらう”ということをゆめゆめ忘れるでないぞ。我らの区域で発生した事件なのだから我らが解決するのが道理。まず奴らは連続殺人事件のせいで滞っていた事務作業に回す。捜査の応援をしてくれるのはそれが済んでからだ。決して甘えるな、その甘えは犯人に付け込まれる隙になる。よいな!」と碌に寝ていないはずなのに覇気たっぷり。捜査本部長からのありがたいお言葉も頂けたところで会議は終わりかと思ったが、会議の終わりの合図は部長補佐の号令ではなかった。またもや殺しがあったのである。

 急いで現場に向かうとそこは閑静な住宅街。近くの交番勤務の警官が規制線を張って野次馬を追い払っているが無駄な努力だ。警官はこちらを見つけると敬礼し「お待ちしておりました!こちらへどうぞ」と通してくれた。そこはとある民家の目の前でドアの方に頭が向きうつぶせになった死体があった。その手は最期までドアノブをつかもうとしたのか目いっぱい開かれた状態で固まっている。その手の先にはこれ見よがしに「天誅」の紙が置かれていた。刺し傷、現場に置かれていた紙から考えてやはりつながっていると考えていい。一度敷地の外に出て、野次馬たちに「第一発見者はどなたですか」と聞いた。すると真正面にいた上下ジャージ姿の女性が「私です」と名乗り出た。

「失礼ですが、お名前をお願いします」

「松崎と言います」

「ありがとうございます。それでは見つけた時の状況を教えていただけませんか」

「はい、この格好を見ればわかると思うんですが、朝ジョギングしていたんです。日課を終えて帰ってシャワーを浴びようとここを通りがかったところ血がここまで流れてきていたんです。何かが変だと思っておそるおそる覗いてみると桜井さんが倒れていて……」

そういえばこの遺体が誰かと言うのはまだ確かめられていなかった。

「桜井さん?どういう方だったんですか?例えばお仕事とか」

「詳しくは知らないけど、かなり上の立場についていたと思いますよ。前、ちょっと遅くにスーパー行った時ちょうど鉢合わせましてね。その時少しお話して、確か『部下があんまりにも仕事できないから尻拭いが大変でしょうがないわ、そのせいで今日はこんなに遅くなっちゃった』って言ってましたね」

「なるほど……証言ありがとうございます。それで次に質問なんですが、桜井さんって誰かに恨まれてたとかっていうのは何かあります?」

「そうねえ……何と言えばいいのか。死んでしまった人をあまり悪くは言いたくないけど、何かを言うたびに高圧的だったから嫌いな人は多かったかもしれないですね。でも殺すほどかって言われたらそうでもないし。所詮ただのご近所様ですから、いちいち目くじらを立てる人もここら辺にはもういないんじゃないかしら」

「そうですか……どうも、ありがとうございました」

証言をくれた女性に礼を告げ、その場を離れもう一度死体を検めた。スマホと鍵以外は持っておらず個人の特定は難しい。おそらく働いていたということだが、職場はどこなのだろう。考えていたところで思いつくわけもないかと秋雨て立ち上がったとき赤島さんが鍵を握った。

「赤島さん?まさか中に入る気ですか?」

「もちろんだとも、香山君。桜井さんがどこで働いていたかを知るためには家の中を探す方が早いだろう」

「ですが、不法侵入になるんじゃないですか、それに現場を荒らすのは……」

「不法侵入になったとして訴えを起こす人物はすでに亡くなっているんだ、関係ない。それに現場は玄関前、家の中に入っても問題ないだろう。さて、入るぞ」

言い訳をしながらでも鍵を開け、扉を開けていた。赤島さん一人で行かせれば散らかしてしまうと思い、僕もついて行った。中には誰もおらず、桜井は一人暮らしらしい。外があんなに騒がしかったのに誰も出てこない時点で当然だが。赤島さんはリビングまでずんずん歩いていくと何かを見つけたのか「香山君」と僕のことを呼びつけた。リビングには仕事用のスーツと鞄が置かれており、出勤の準備は完了といった具合だ。鞄の中には社員証が入っており、桜井がどこに勤めていたかを知ることはできたが、時刻はまだ七時半、始業にはまだ早いだろう。赤島さんと相談の上、一度朝飯をどこかで食べてからこの会社に向かうことになった。報告は後から来た別の刑事に任せるとしよう。

 朝飯を食べ終わった僕たちは桜井が勤めていた会社に向かっていた。その時ある駅の前を通ったが、なんだか人が多い気がする。人身事故でも起きたのだろうか。妙に気になる駅を通り過ぎ、目的地の会社にたどり着いた。十三階建てのビルでここら一帯では一番高いだろう。中に入るとかなり大きい受付のカウンターが目に入った。横には駅の自動改札機のようなものが置かれており、おそらく社員以外は入れないようになっているのだろう。僕たちは受付に近づき、話しかけた。

「すいません、我々こういうものなんですが」

そう言いながら警察手帳を見せた。すると受付の女性は特におびえた様子もなく受け答えを始めた。

「はい、今日はどのような用事でしょうか」

「ここで働いているはずの桜井さんと同じ部署で働いている人たちに用事があるんですが」

「承知いたしました。それではご案内いたしますのでこちらへどうぞ」

思ったよりもすんなり中には入れてしまった。あまりのスムーズさに赤島さんも怪訝な顔をしている。案内されるままエレベーターで六階まで上がり廊下を進んでいく。受付の人が「こちらです」と指した先には『営業部』とプレートがかけられていた。受付の人は「ここで失礼いたします」と言い、その場を離れていった。礼を言いながら背中を見送ると営業部のドアをノックした。中からは低めの男性の声で「どうぞ」と聞こえてきた。

「失礼します。警察の香山です、こちらは赤島。今日は桜井さんの件でお邪魔しております」

「これはご丁寧にどうも。私は福田、この営業部の部長です。……それで桜井がどうしたんです?」

「今朝、桜井さんの自宅前で死亡が確認されました。その報告と事情聴取を行いたいんです」

「殺された……?桜井が?誰に?……いや、それを調べている最中か。聞きたいことはそのことについて、ですね」

「そうです。桜井さんが勤めていた営業部の皆さんに桜井さんがどういう人物だったのか、桜井さんを恨んでいる人はいないかを聞くつもりです」

「なるほどね……。わかりました、部下のみんなには私から香山さんたちに協力するように伝えてきます。少々お待ちください」

そういって彼はこの部屋を出て行った。少しすると戻ってきて「ではこちらにどうぞ」とまた別の部屋に連れていかれるようだ。

「実はさっきの部屋は営業部の会議室なんです。先ほど受付の方から連絡をいただきましてね、部下たちに不要な心配をさせたくなかったんですが、まさかこんなことになるとは」

そういいながら通された部屋は仕事場のようで福田の部下であろう人たちが大勢いた。だれから話を聞いてもよかったが営業部のトップである福田から話を聞いてみることにした。

「単刀直入に行きますね、桜井さんはどういう方でしたか?」

「彼女は一言でいえば『口だけ女』でした。桜井は昨今の女性の社会進出の波にあてられた我が社が、お情けで作った女性枠に引っ掛かった人です。雇ったはいいですが営業もできない、事務もできない。周りの上司、部下とも協力できない。何とかやらせたお茶くみは文句を言い出す始末。そのくせ世間の『女性の重役が少ない』という声におびえたかわが社の上層部は年齢だけは重ねていた彼女を課長に昇進させてしまいました。そこからは彼女の本領発揮です。これまでの無能さに加えて階級という立場を得てしまったので、パワハラが始まりだしました。桜井のせいで何人が異動申請してきたか彼女は知らないまま、異動していった人たちを『軟弱者』と罵って……。さすがに部下も黙っていられなかったのか彼女の発言を録音して労基に駆け込むとかやったんですが、労基の注意は彼女の自尊心に傷をつけたのみで、パワハラは過激化して手を出すことも多々あったりしました。……誰かがつい、やり返してしまったことがあるんです。その時彼女は「女性を殴るのは非常識!これだからこの国の男は駄目!もっと紳士の……」なんてわめきながら警察を呼びはじめましてね。まあ、通報を受けて来た警察は適当になだめてまともに取り合わなかったんですが。……桜井ははっきり言えばだれにも求められていませんでしたし、だからと言ってどうでもいい存在でもありませんでした。桜井はここからいなくなることを望まれていたんです」

「……そうですか。では、彼女を恨んでいそうな人物は」

そう聞いた途端福田は言葉を遮るように答えた。

「そんなのここのいる全員ですよ!いつ彼女がここからいなくなるか待ち遠しかった。……部長としては部下をかばうためにも『彼女を恨んでいる人物なんてここにはいませんよ』というのが当たり前なんでしょうけどね」

そう答えた福田の顔はどこか誇らしげで憑き物が落ちたような顔だった。

「……ありがとうございました」

その後、次々に桜井について聞いてみたものの、帰ってきた答えはすべて同じような恨み節ばかりであった。それぞれ桜井から受けたであろう苦痛の数々を思うがまま吐き出していった。関わった人間すべてから恨まれていたことは把握できたもののそれは犯人の絞り込みには役立たない。結局収穫と言っていいものは何も得られぬまま本部に報告のため戻ることとなった。

 本部には僕たちより先に報告中の刑事たちがいた。話を聞く限りではそれぞれ違う殺しらしい。一つ目は車内で連絡を受け取った殺しの件で、もう一つはまた別件の殺しだというのだ。ちょうど僕たちも戻ってきて、時間もちょうどいいと言うので今日二回目の会議が始まった。まずは僕たちが調べてきた桜井の殺しについての現状を報告する。話を聞いていた刑事は被害者の人柄に辟易したのもつかの間、手掛かりがないということにひどく落胆している様子で、普段から「頑健たれ」と気を張っている本部長でさえ頭を悩ませているようだ。次に別の刑事が報告を始めた。

「殺されたのは平井亮で死因は刺殺。ズボンのポケットの中には無理やり押し込めたのか「天誅」の紙がくしゃくしゃになった状態で見つかりました。もともと電車内で血を吐き倒れていたため、重度の体調不良者、または持病によるものかと思われ病院に搬送されました。その途中、担当者が肩甲骨の下あたりから出血しているのを発見し、応急処置と共に警察に通報。しかし間に合わず、救急車内で死亡が確認されました。状況からして被害者は電車内で刺突されたということになりそうですが目撃者は今のところいません。当時現場になった電車はひどく混雑しており肩から下は碌に見えていなかったと思われます」

いくら混雑しているとはいえ電車内で人を殺すなんて可能だろうか。刺されれば声を上げるものだろうし、周りもその異変に気付くはずだ。全員がイヤホンでもして耳をふさいでいれば話は別だが。しかしそれは現代ではそれはあり得る話だ。誰もが小さい画面に夢中ですぐ目の前で起きている事に気づかないし他人のことなんかどうでもいいと思っている。現代人はある意味全員が盲目なのだ。目撃情報がろくに出ないことを頭の中で嘆いていると、次の報告が始まった。

「この事件で殺されたのは木下健介、こちらも死因は刺殺です。会社のドアの前で倒れていたのを後から出勤してきた社員が第一発見者です。発見時、木下の右手の先には「天誅」の紙が置かれておりこれも連続殺人事件のうちの一つだと思われます。会社での聞き込みの結果、かなりのパワハラ気質な人間であることが発覚しました。木下のせいで仕事をやめた人間は数えきれないほどいるし、木下のせいで自殺した人間もいるかもしれないという話です。これからその関係者をあたりたいと思います」

これで報告は終わったかと思えば、息を切らした刑事が飛び込んできた。

「すいません、遅れました!……実はつい先ほど『人が倒れている』と通報を受けまして、事情聴取と現場捜査に向かっていましたので、成果を報告いたします。……殺されたのは若松友恵。おそらく早朝のジョギング中だったところを殺害されたものだと思われます。死因は失血死、傷口から凶器は包丁のような刃物と推定され、これまでの殺人と同じであると考えられます。さらに今回の殺人でも『天誅』の紙は見つかっており、連続殺人はまだ続いていると考えられます。……報告は異常です」

これで報告はすべて完了となり、会議は終了した。ほかの刑事は聞き込みなどのため半分ほどで払っており待機を命令された僕たちは残っていた書類でも片付けるかとデスクに向かっていた。一通り片付き休憩中に赤島さんと事件についての話をしていた。時刻が十時、十一時と過ぎていくが新たな通報は来ない。今の僕にできることは書類の片づけをしながらもう事件が起きないことを祈るだけだった。


六月四日

 時刻は午後四時。大体の企業は後一時間ほどで退勤時間となる。今日は金曜日で明日は仕事が休みの会社が多い。そのため飲みに出る人間もおのずと増えることだろう。準備をして家を出る。電車に乗りターゲットがいる会社の目の前まで向かった。到着したときの時刻は四時半。あと三十分ほどで中から大勢の人が出てくるだろう。社員の昼飯を稼ぎに狙ったファストフード店に入り、窓側の席で様子を窺う。少し待っていると中からぽつぽつと人が出てきている。すぐ向かいの二階から眺めているため顔の判別はしやすい。まだかまだかと待っているとようやく中からターゲットが出てきた。部下を連れて飲みに行くというような素振りはなく一人でさっさと駅に向かって歩き出した。店から出るともうかなり離れていたが信号で足止めを喰らっている。近づきすぎても怪しまれそうだし少し離れて着いて行くことにした。ターゲットは駅までの大通りから次第に脇にそれ、住んでいるような人しか知らないであろう道を使っている。着いて行った先には閑静な住宅街が広がっており、奴はここらに住んでいるのだろう。その証拠として人通りがなく、まだ街灯もついていない道を一人で歩いているターゲットが見えた。奴はしきりに後ろを振り返りこちらを警戒しているようなそぶりを見せた。しまいには駆け出していったが奴の名前はわかっている。見失ったところから一軒一軒表札を確認すれば済むことだ。だが奴は俺が見ている間に家に入って行った。これでは自分の家はここですと喧伝しているようなものだ。入って行った家の表札を確認するとターゲットの名前だった。やはりここが目標の家だったのだ。しかし奴はすでに家の中だ。それに窓を破ろうものなら周りにも気づかれかねない。さらに先ほど俺と言う不審者を目の当たりにしているから訪問者を装うのも無理があるだろう。どうしたものかと隠れながら庭まで向かったが、そこには洗濯物が干してあった。これはチャンスだ、洗濯物を回収しに来た瞬間がねらい目だ。包丁を抜き、息をひそめる。中では誰かと通話しているのかヒステリックな話し声が聞こえてきた。電話口の人物はそれを何とかなだめようとしているらしい。一旦落ち着いたのか電話を切り、「そうだ、洗濯物」と言っている。窓を開けた音が聞こえた瞬間角から飛び出した。叫び声を出すのと同時に腹に一突き、叫び声には血が混じり遠くまで届くことはなかった。仰向けのまま床に倒れこみ、腹を押さえている。そこに馬乗りになると力ずくで手をどけ胸のあたりを突き刺した。目はかっと開き口から血が噴き出している。絶命を確信し、腹の上に「天誅」の紙を置くと手早く着替えてその場を去ろうとした。すると玄関の方から「ただいま」という子供の声が聞こえた。急いで庭から離れて家の壁に身を寄せ隠れる。中で死体を見つけた子供は大騒ぎし、警察に連絡しているようだ。その隙を縫い、音をたてないように家を出た。駅まで戻る最中、けたたましいサイレンの音が聞こえてきた。通報を受けて急行しているのだろうが、犯人はここにいるのには気づいていないだろう。彼らが無駄に時間を使っている間、もう一人ぐらいは殺せそうだ。

 時刻は六時頃、電車内は帰宅ラッシュの影響で混雑している。どこぞのお偉いさんが満員電車ゼロを目指すとほざいた割には何の成果も出せていないのを恨みつつ揺られていた。目的地の駅に到着し降りようかとドア付近まで移動したとき、偶然にも次のターゲットが乗ってきた。また電車内で殺してもいいが、前よりは混んでおらず人の手元程度なら普通に見える。やはり一人になったところを仕留めるべきだ。自宅の最寄り駅からあまり離れないでくれと願っているとターゲットは自宅の最寄り駅で降りてくれた。これで帰りも楽だ。ついでに雨も降り始めてきたのでいつも使っているレインコートを問題なく着られる。拭いて手入れはしていたものの多少の汚れはついていた。それが雨で流されていき、勝手にきれいにしてくれる。ターゲットの後をついていくとわざわざ狭い路地の方に向かっているのが見えた。大通りの方は街灯もあり明るいが、その分信号も多く足止めされやすい。その代わり狭い路地の方は信号が少なく足止めされにくいというメリットがある。その代わり他人に命を狙われやすくもなるが。どこかいい場所はないかと吟味しながらストーキングを続ける。するとすっかり夕闇に包まれた公園を見つけた。公園と言っても遊具があるわけではなく、自然と散歩コース、あとはベンチ程度のものだが今回は都合がいい。雨も激しく、足音は気づかれにくい。後ろから抱き着き、腹に刃を沈めた。その場に倒れたターゲットを引きずり、公園までもっていく。奴は痛みをこらえるのに必死なのか碌な抵抗をしてこなかった。公園まで連れていくと後はいつものように心臓を目掛けて刃を振り下ろした。雨で紙が濡れるのは嫌なので死体が持っていた鞄の中に入れておいた。返り血は雨が流してくれる。今日は雨で冷えたしここまでにしよう。人を殺したそのままの足で家に帰った。

 

 六月四日

 午後五時半、またもや通報が届いた。現場に向かうと野次馬がたかっており、その注目の先には泣きじゃくる子供、そしてそれをなだめる男がいた。先に現場の保管を行っていた刑事から殺された女性がここに住む新島輝美であること、現場にはあの紙が残されていたことを教えられた。ひとまず被害者の関係者らしきあの二人に話しかけてみることにしよう。

「どうも、警察の香山です。こっちは赤島。第一発見者から話を聞きたいんですが……まさか、第一発見者は君かい?」

泣きじゃくる子供に話しかけると彼は必死に涙をこらえながら頷いた。一度深く深呼吸をすると「そうです」と答えてくれた。

「じゃあ、お母さんを見つけた時お部屋はどうなっていたか教えてくれるかな」

「……部屋はいつもと変わってませんでした」

「変わってなかった?例えば、箪笥や引き出しが開けっ放しになってたとか、何も?」

少年はうなずいて答えた。これ以上負担もかけたくないので、部屋で休んでもらい、隣にいた男に話を聞くことにした。彼は少年の父親であり、殺された女性の夫であった。名前は新島正幸、会社員だという。

「輝美さんはどのような方でしたか?誰かから……恨みを買っていたというようなことはありましたか?」

「……おそらくないと思います。会社でも近所づきあいでも特に何かトラブルがあったとは聞きませんでしたし」

「……なるほど。お答えいただきありがとうございます」

一通り事情聴取は終わったので帰ろうと車に乗ろうとした寸前、声をかけられた。声の方に振り向くと、交差点の角から誰かが手招きしている。怪しいかと思ったがこちらは二人、念のため警棒をもって手招きに従った。その先には初老の女性が一人立っていた。彼女はこちらに寄って周りに聞かれるのを嫌がるようなそぶりを見せながら話し始めた。

「……輝美さんはね、近所では有名なコソ泥じゃないかって噂があったのさ。家に招きゃ何か取られる。子供のおもちゃ、ブランドのバッグにアクセサリ。さらには使ってる途中の化粧品までね。現金取られた奴もいるってんだから驚きだよ。旦那さんと子供は多分知らないはずさ。何人も警察に相談したけど証拠出ずってさ、素早く処分しているんだろうねえ。いやあ、腹立たしい。だからここらに住んでる誰かが、盗られたもん取り返そうとしたんじゃない?それではずみで殺しちまった……。一つの考えとしちゃ悪くないだろ」

「……輝美さんが盗みをしていたっていうのは本当ですか?」

「噂さね。盗られたもんは結局あの家からは出てこなかったし。でもその噂を裏付ける証拠はあるのさ。あの家、ほかの家と比べてちょいとばかし豪勢に見えるだろ?車のためのガレージなんかも建てちゃってさ、それに車もいっぱしの高級車よ、ここの平凡な町には合わないねえ」

「……あの車は人から盗んだものを売り払って作った金で買ったものではないか、ということですか」

「そういうことさね。前にちょっと話したことがあるんだが、旦那も私も薄給なんて愚痴言ってたよ。人の給料なんぞに興味はないが、もしあれが本当ならあの車はどうやって手に入れたんだろうねえ。もしその言葉が嘘だったとしても印象は悪いがね」

ここまで話すと、「お話はおしまい、さあ行った行った!ここであんたらに何かしゃべってるなんて噂されるのはごめんでね」と追い払われてしまった。車の中であの話が本当なのか赤島さんと話したが結論は出ない。だが火のない所に煙は立たぬと言うし、一応報告する価値もあるだろう。

 本部に戻り報告しているとき、何人かの刑事が戻ってきた。彼らは別件で出ていたらしい。今まで事件に巻き込まれていた被害者たちの会社に向かい、新たな情報はないかと当たってみたが何も見つからなかったという。今日最後の会議が始まりさっき起きた事件の報告を行う。今回は犯人の手がかりになりそうなものは一応あるが噂程度だ。だが今は藁にも縋る思いが捜査本部全体に漂っている。明日はその周辺地域での聞き込みを強化しつつ、また被害者の周辺を調べることになり、会議は終了した。明日はまたあの地域まで行かねばならないが、犯人とまではいかずとも何かしらの手がかりが見つかることを祈るばかりだ。


 六月五日

 時刻は午前九時、昨日新島輝美が殺された地域に聞き込みのため向かっていた。適当なところで車を止め、誰か話を聞かせてくれそうな人を探しながら歩き回る。公園の近くでは子供を公園で遊ばせながら井戸端会議に興じていた主婦たちを発見した。警察手帳を見せ新島輝美が盗みを繰り返していたことについて聞きたいというと主婦たちのうちの一人が口を開いた。

「あんた達がさっさとあの人逮捕しないから誰かが痺れ切らして殺しちゃったんじゃないの?あの人に物盗まれたって何人も相談してたのにまともに取り合わないから、じゃあ自分の手でどうにかしようって思うのは当然よ。誰が殺したかはわからないけど殺されてもしょうがなかったわよ、新島さんは」

かなり強気な性格だ。だが、ここではいそうですかと引き下がるのは警察の存在意義が問われてしまう。努めて冷静に言葉を返した。

「……そもそも新島さんの盗みの件は僕たちの担当ではないので文句を言われてもどうにもできません。それに殺されてしょうがなかったとはいえ、この国には人を殺してはならないという法律があります。ルールを破った人間は裁きを受けるのは当然です。その人間をかばうと言うならあなたにもそれ相応の代償を支払ってもらわなければなりませんが……覚悟はありますか?」

「……悪かったわよ」

「……では、本題に戻りましょう。新島さんは盗みを繰り返していたとのことですが、物を盗まれた方ってどのぐらいいるんですか?」

そう聞くとその場にいた主婦六人は全員「盗まれたことがある」と答えた。盗まれたものは人によってまちまちだがかなりの回数繰り返していたと思われる。

「無くなったのに気づいたその日のうちに新島さんのとこに行って『返して』って言ったんだけど、『そんなもの知りませんよ』って私が馬鹿言ってるような雰囲気出して……。でもそのバッグはその日は使わないでクローゼットにしまってたし、その日家に来たのは新島だけだし。どう考えても盗んだでしょって言うと急に『証拠ないのに何を言うの!そんなに私が嫌いなの!』って喚きだして。悲劇のヒロイン気取りね、どう考えても悲劇なのは物盗まれたこっちよ」

「でも盗まれたものは出なかったんですよね?ならなんで新島さんが泥棒だと?」

「……盗んだものほとんどフリマアプリに出品してたのよ。前に『最近フリマアプリでいらない物売るのいいですよ。捨てるよりもおトクって感で~』ってほざいててね。新島が使ってるっていうアプリ教えてもらって気まぐれにブランド品を眺めてたのよ。そうしたらなんか見覚えのあるバッグが出品されててね、前に盗まれたバッグと同じ柄だったの。もう売れてて買えなかったんだけど未練がましく眺めてたら、あることに気づいてね。出品された日付が、私のバッグがなくなった日だったの!さすがに偶然とは思えなかったわ。出品者の名前はメチル、今までどんなものを売ってたんだと思ってみたらあら不思議、人さまから盗んだ物売りさばいてたってわけ。そりゃ家からは見つからないわけよね」

「そのメチルって人が新島さんだと確定しない限り新島さんとは関係ないんじゃ……」

「アナグラムよ。あいつの名前は輝美、ローマ字に直すとTERUMIになる。それを入れ替えればMETIRU……メチルになるってわけ。まあアナグラムにしてはちょっと単純だけど」

「……なるほど。なかなか筋が通っているような気もしますね。どうも、お話ありがとうございました」

そういって主婦たちの会議場から離れた。赤島さんは「いいのか香山君、もう少し何か聞いてみた方がいいんじゃないかい」と名残惜しそうだが、今は主婦たちの噂を決定づける証拠の方が欲しい。

「赤島さん、フリマアプリの運営会社の方に出向きましょう。捜査の協力と言えばメチルが誰なのか教えてもらえるんじゃないですか。噂の真偽を確かめてからでも聞き込みは遅くないはずです」

「そうか、その手があるか。いい判断だ香山君、では早速その会社に向かおうではないか」

事前連絡なしで会社に出向いたため警戒されたものの、殺人事件の捜査中だというと手の平を返すように協力的になった。個人情報を見せてもらった結果、メチルはやはり新島輝美であった。噂は本当だったのだ。だが、そうなると一つ疑問が残る。「天誅」の紙だ。今までの連続殺人もすべてあの地域の人間が起こしていたものだったのか?しかしそうだとすると今回の事件でそこまで範囲が絞られてしまうため犯人からすれは紙を置かない方が安全なはずだ。もしやこれは模倣犯なのか。様々な疑問が出てきたが、今犯人逮捕に一番近いのは新島殺しだ。早く現場に戻り聞き込みを再開しなければ。そう思い車に乗り込んだ瞬間、連絡が届いた。ここから二つ先の駅の近くにある公園で人が死んでいたという。そしてその死体の鞄の中には「天誅」の紙が入っていた。

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