ウンシュルディケ・アーシェ 罪なき方舟

宙灯花

第一章 しのびよる [1]2020年1月 襲撃 1―1―1 刈り取る


 夜空に満ちた星々が、黒い山脈を見下ろしている。

 その山間やまあいを縫うように走る曲がりくねった細道を、幌をなびかせたトラックが闇に紛れて駆け抜けていく。ヘッドライトは点けていない。

 ナビシートに座る夜月よづきは、切れ長の目を細めて空を見つめている。深く澄んだ瞳に映る三日月は、透き通るように冷たい光を投げかけていた。

 去年の夏、夜月よづきは十八歳の誕生日を迎えた。少女の面影がほのかに残る顔だちからは、年齢に相応の危うさが感じられる。だがその表情に、わずかな甘えも浮かんではいなかった。

夜月よづき、そろそろだ」

 運転席から鋭く声がかかった。香輝こうきだ。鮮やかに青い短髪と彫りの深い顔だちは、見る者に勇猛さを予感させるだろう。まっすぐに前を向いて闇の向こう側を見つめている。

 夜月よづきはじっと動かない。このあとの行動を頭の中で整理しているのだろうか。それとも他に思うことがあるのか。

 やがてトラックは舗装されていない道に乗り入れた。荒れた大きな凹凸おうとつを越える度、不快に揺れる。タイヤが小石と砂を噛み、ザラザラとした走行音と共に土煙を上げた。

 左に山肌が迫り、右は底知れぬ崖だ。連続する急カーブのせいで先が見通せない。少しでも操作を誤れば、取り返しのつかないことになるだろう。たとえ白昼でも、のんきなドライブというわけにはいかない状況だ。だが、香輝こうきの運転に、微塵も揺るぎはない。

 しばらく進んだところで左に大きく曲がった。唐突に右側に視界が開けた。崖の上だ。下界の街明かりが遠くまたたいている。その先にあるはずの海は、今はよく見えない。

 道の左側、切り立った斜面の手前に平地が広がっている。奥の方に、ぽつん、とたたずむ建物が見えた。鉄筋コンクリート造りの二階建てだ。香輝こうきは慎重にトラックを近づけて、タイヤが土の地面を噛む微かな音だけを鳴らして門の前に停めた。朧気おぼろげに灯る門柱の明りが『ストレリチアの里』と書かれた金属製のプレートを浮かび上がらせている。

 助手席のドアが音もなく開いた。半身はんみを乗り出した夜月よづきは、目を閉じて周囲の気配をうかがっている。やがてまぶたを開くと、しなやかな身のこなしで車外に飛びだした。

 一切の装飾を排した無骨な編み上げブーツで大地に降り立つ。膝上丈のハーフコートスタイルの戦闘服は、月明かりのもとでさえ清廉せいれんな輝きを見せる純白だ。ウェストに巻かれた黒いスカーフベルトが全体のシルエットを引き締めている。

 立て気味の襟の上でうつむき加減に門を見つめる夜月よづきの瞳にはなんの表情も浮かんでいない。ショートにした艶やかな黒髪が、凍えるように冷たい一月の風に揺れた。

 輝かしい未来、か。

 表札を一瞥いちべつした夜月よづきは、口もとに微かな笑みを浮かべて、白い息と共にそう呟いた。ストレリチアの花言葉だ。

 香輝こうきが隣に並んだ。夜月よづきより頭ひとつ分、背が高い。純白の戦闘服の腰に巻いたスカーフベルトは、髪の色と同じく鮮やかな青だ。服の上からでさえはっきり分かるほどに筋肉が発達している。周囲に鋭く視線を巡らせると、ぽん、と夜月よづきの肩を叩いた。

 夜月よづきの細い右手が挙がり、静かに振り下ろされた。

 夜月よづきたちと同じ戦闘服姿の四人の男女が幌を開いてトラックの荷台から飛び降りた。統率の取れた動きで施設への突入を開始する。彼らの身長より高い鉄柵を軽々と跳び越えて音もなく駆けた。

 建物の入り口は重厚な金属の扉によって守られていた。施設の役割から考えると不似合いだ。襲撃を警戒してのことだろう。

 扉の数カ所に粘土のようなものが押しつけられた。C―4爆薬だ。すかさず全員が左右に散って地に伏せる。夜空に爆発音が遠く響いて山々に木霊した。扉は噛み合わせ部分のロック機構を破壊されて歪んでいるが、それ自体が持つ質量が相変らず進路を塞いでいる。

 香輝こうきが進み出た。扉の隙間に青い手袋をめた両手の指を滑り込ませた。腰を沈めて力を込めると、銃弾をも受け付けない重厚な金属の扉が、西部劇のスウィングドアのごとく軽々と左右に開いた。間髪入れずに全員がなだれ込む。

 センサータイプのフットライトが反応する間も与えずにすみやかに廊下を駆け抜けて、メインフロアに出た。隠しようのない屎尿しにょうの臭いがする。いつものことだ。

 ガラス張りの部屋が通路の右側にいくつか並んでいる。ドアはない。部屋にはそれぞれ六台のベッドが、あまり間隔を空けずに置かれていた。間を仕切っているのは薄いカーテン一枚のみだ。お世辞にも快適に眠れる環境だとは言い難い。大きなスペースを用意できるだけの経済的余裕がないのだろうか。

 通路の先は広場になっていた。リクリエーションのために用意された空間だ。壁際に押しやられた旧式の大型テレビが、窓から入る月明かりを受けて合板製のフロアタイルに薄く影を落としている。だが、果たして有効に活用される機会はあるのだろうか。

 夜月よづきたち六人の他に、館内に人の動きはない。先ほどの爆発音や襲撃者の気配で目が覚めた者もいるかもしれないが、誰も声を出したりベッドから起き上がったりはしなかった。息を潜めているのではなく、そもそも動けないのだ。ここは生まれつき、あるいは事故や病気によって重度の障害を負った者たちが生活する施設なのだから。

香輝こうき、一階は任せる。希夢れあむ黎花れいかを連れて行け」

「了解」

 香輝こうきを先頭に、三つの影が一番近い部屋に飛び込んだ。夜月よづき海王みお翔太しょうたを従えて、警戒しつつ早足で奥に進んだ。ブーツの硬い足音が、無人のように静まりかえった空間に冷たく響く。

「なにやってるの! あなたたち」

 突然、女の大きな声が館内の空気を震わせた。同時に、照明が一斉に点灯した。夜月よづきたちは反射的に腕で顔を覆って飛び下がり、姿勢を低くした。

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