第29話

 散歩を終えてマンションに戻ろうとすると、俺の部屋まで着いてくる双葉。


「おい、自分の部屋に帰れ」


「いやだ!帰ったら仕事が待ってる!」


 尚更帰らなきゃだろうが。

 俺も明日仕事だからゆっくりしたいし……。なんと言って断ろうか。


「だめ?」


 上目遣いはずるい。

 ここで許してしまうのが俺の意思の弱いところ。


「だめじゃないです」


 そう言ってガチャガチャと鍵を開けて部屋へ。

 暖色のライトにテーブル、開けられたカーテンにハンガーに掛けられたジャケット。いつもと同じ見慣れた光景に見慣れない人物がひとり。


 うちに来ることを当たり前にしてなるものか、と心の内側がざわざわとやかましい。


「お茶飲む〜?」


 食器棚からコップを取りだして冷蔵庫の扉に手をかけている双葉。俺の家だぞ。


「もらっていいか」


「ほいよ〜!」


 軽快な返事とともに冷蔵庫が開けられる音。

 あぁこういうのいいなっと過ぎった感覚は楔のように心の深い部分に突き刺さる。


「さっき冷蔵庫見た時に思ったんだけど、野菜無さすぎじゃない?」


「……偶然使い切った後だったんだよ」


「はーい嘘〜!じゃあこの封の開いてない調味料は何!」


 くそ、見つかっちまった。

 一人暮らしで料理ってめんどいんだよな。自炊は節約なんて言うが、あれは時間と心に余裕のある人専用のシステムだ。


 1食を200〜300円で作るんじゃなくて、5食を1,000円ちょっとで作るから、家族が多いなら安く済むんだろうな。

 そういう訳で、俺は専らスーパーの半額弁当頼りだ。


「料理な……面倒なんだよな」


「じゃあじゃあさ」


 彼女は顔をずいっとこちらに寄せた。

 ふわっと甘い香りが鼻を通り抜ける。さっきまで外にいたのに、風呂に入ったばっかりとかではないのに……ずるいな。


「なんか作ったげようか?」


 にかっと歯を見せて笑う双葉に、俺は降参とばかりに手を挙げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

街を歩くなら君とがいい 七転 @nana_ten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画