第3話 怒りの右ストレート
走る、走る。ネオンの光り輝く薄暗い街を、ただひたすらに駆け抜ける。目的地もなく、一心不乱に走り続けた。
ずっと前を走っていたリビアもそれは同じ。明らかにスピードが落ちていた。
「お……おい。ちょっと……止まれ。もう、追って来てないから……」
「……そうね。ちょっと休憩しましょう」
振り返らずとも追われてないのは明白。あんな血塗れの男が街中を歩けば、騒ぎになるに決まってる。だけど、街は静かだ。
目立っているのは真昼間から全力疾走している俺たちくらい……
立ち止まり、街を見渡し感じた違和感。
何かがおかしい。
リビアが俺の家に来たのは、朝の出来事。だというのに、なんで街がこんなに暗いんだ?そもそも人は何処に消えた?今、昼だぞ。
見慣れた街並み。だというのに人気はなく、まるで夜みたいに薄暗くなっていた。
この現象は、知っている。
「《
《
だけど発動の際は無関係の人が逃げられる様に、近隣住民に通知が来るはず。俺に通知は来ていない。一体どうして————
ポケットに手を入れるが……スマホがない。入れておいたと思ったが、どうりで通知が来なかった筈だ。
此処が
——
「安心したまえ。起動させたのは、私だ」
俺の心の中を見透かす様に、いつの間に接近していたのか、血濡れの男が答える。
「携帯一つで異空間を作り出せる。全く……便利な世の中になったものだ」
ハットを被った、紳士的な服装。だが、全身から滴る赤黒い血が、その男を紳士から程遠い存在に感じさせていた。
「そちらの学生、君に用はない……と言いたかったのだが、一つだけ質問に答えてくれるか?」
「…………なんだ」
「“鞘”の持ち主はお前か」
『鞘』——その単語に、数分前に体の中に消えたあの不思議な鞘を思い出し、反応してしまう。
血濡れの男は、その一瞬の反応を見逃してはくれなかった。
「なるほど。何処に隠したかと思ったが、まさか人の中とはな。貴様がそんな手段に出るとは思わなかったぞ。“ブレーメン”」
「私だって予想外だっての——“青髭”」
空気が鋭く、一触即発の雰囲気が流れる。
間違いなく、戦いが始まろうとしていた。
「【
先に動いたのはリビア。静寂を破るかの様に、ブブゼラの音色が空気を震わせた。
音の振動が大地を揺らし、周囲の建物に亀裂が走る。音は次第に大きく膨らみ、大気は揺れ、それは目に見える波紋として男に襲いかかった。
「【
青髭と呼ばれた男は懐から金の鍵を取り出すと、何もない空間に鍵を突き刺した。
“ガチャッ”という音が、鍵の捻りと同時に確かに聞こえた。次の瞬間、巨大な扉が開き、中から大量の血液が溢れ出す。
あれは俺の部屋で見た、生き物の様に動く血液。うねうねと脈打つ血液は意思を持つかのごとく、音の波紋から主人の身を守る。
「聞いてた以上に厄介な魔法ね」
「そちらは聞いていたより、随分と間抜けだな」
ぐいっと右足が何かに引っ張れた。
——これは、血だ。
もの凄い力で投げ捨てられ、俺の体は空を舞う。しかし、すぐに空中で静止した。と同時、全身が燃える様に熱くなる。
「——え?」
焼ける様な、激しい痛み。
声も出ない。体も動かない。
かろうじて視線を動かせば、何やら鋭利な針の先端の様なものが、体中の至る所を刺し貫いていた。
「私の目的は“鞘”の回収。この少年が取り込んだというのなら、切り刻めば出て来るのが道理」
“ヒュン”と風を切る音と同時に、平衡感覚が狂い出す。
違和感、右肩が軽い。
それもそのはず、しなる血の鞭の一撃で、俺の右腕は根元から綺麗に落とされていたのだから。
「全身を切り刻む前に出て来るといいな」
左腕、右足、左足。
四肢の全てが切り落とされた。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
何やってんだよ、リビアのやつは。
お前のせいで巻き込まれたんだから早く助けろよ!
祈っても、悪態をついてもリビアは来ない。青髭の操る血で阻まれている。
「だるまになっても出て来ないとなると……残念だ。殺すしかないな」
“ヒュン”と一閃。横一閃に振られた腕から、僅かに遅れて飛んで来たしなる血の鞭が、俺の首を容易く刎ねた。
「死体は解剖するとしよう」
そう呟き、男は俺の体を回収しようとする。
ああ……こんな、訳のわからない事件に巻き込まれて、俺は死ぬのか。
まだやりたいことは沢山あった。美味いもんを山ほど食べたいし、彼女だって欲しい。高い酒や高いマンションに住むなんてのも、いい夢だ。だけど何より、俺はまだ魔法を使えてない。
子供の頃、漫画で見た“奇跡の力”
目にした時から憧れで、現実で手に入るものだと知った俺は、それはもう興奮した。
だけど俺に
どんな魔法でもいい。どんなにショボくてもいい。一度でもいいから、こんな絶体絶命の状況をひっくり返せる、そんな“奇跡の力”を使ってみたかった。
首が跳ねられているというのに、妙に頭が働く。
よく見ると、ムカつく顔してるな。くそっ!どうせ死ぬんなら、一発殴ってやるんだった。腕があったら今からでも殴れるのに。
悔しさで、拳を強く握る。
ん?今、俺は何を握った?
感覚がおかしい。そもそも頭だけなのに、俺はなんでまだ意識を保っている?
重力に従って落ちて行く感覚、それ以外にも、もう一つ。つい数分前に失ったあれの感覚を、俺は確かに感じている。
青髭は俺の胴体を見ていて、飛んで行った頭には警戒すらしていない。
これは——チャンスだ!!
痛ぶられた憎しみを、拳に乗せる。
運よく生えた(?)新しい体は、青髭の背後をとっていた。これは神様が俺に殴れと言っているに違いない。
「くたばれ。エセ紳士」
力の限り振り抜いた右ストレート。
完全な不意打ち。どんな魔法の力を持っていようと関係ない。体は人間のまま、俺と同じなのだから。
俺の拳は青髭の顔面を捉え、近くのビルに叩きつけた。
次の更新予定
電子と魔法の古代遺物《アーティファクト》 杉ノ楓 @sou1234
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