第3話 堕落した師弟と、情報屋


「……あ、ヤバい。もうこんな時間だ」

目覚まし時計を見ると、針がいつの間にか九時を指していた。

うっかり寝坊だ。

しかも昨夜遅くまでブラウン管と対峙していたのがたたって、頭がズキズキする。

「白さん、起きてる……かな?」

そんな淡い期待も虚しく、視線を隣に向ければ、そこには世紀の大いびきが響き渡る光景が広がっていた。

「……うぅ、城下ぁ……グゥ」

彼女はブランケットを豪快にはだけて、四肢を大の字に広げて夢の中。

しかも下着姿(いつもほぼそうだけど)。

それどころか、下半身は何も身にまとっておらず、見慣れないものがどこからか引っ張り出されて不自然な場所に挿さっているではないか。

いや、そういう使い方か?

冷静に考える余裕はなく、状況は明らかにマズイ。

こんな教育者、どうかしてるとしか思えないが、本人は至って気持ちよさそうに熟睡している。

「白さん、起きてくださいよ!」

「ん……。ああ、剣チャン。おはよぉ……。あれ? 昨日ゲームして、それからトイレ行って……」

眠たそうに目をこする白さんが、少しずつ現実に引き戻されている。

それでも、事態をまるで把握していないのが困ったものだ。

「いいから早く抜いてくださいよ、その……股の……」

そこに視線をやると、どうしても言葉が詰まる。

いや、正直恥ずかしすぎて言えない。

「ああ、これね。トイレ行ったついでにオナニーしちゃったんだ。ごめんごめん!」

さも悪びれず、ケラケラと笑っている。

こういう状況でもまるで動じない彼女が羨ましいような、そうでもないような。

「剣チャンもする? 気持ちいいよぉ」

「やりません!」

全力で即答すると、白さんは「そっかぁ」と軽く肩をすくめて、ようやくそれを股からスルスルと引っ張り出した。


まったくもう!


白さんがようやく体を起こし、なんとなくボサボサの髪をかき上げる。

全く悪気も恥じらいもないのがすごい。

私がここまで赤面しているのがバカみたいに思えてくる。

「いやー、いい天気。昨日やることやったし、もう気分爽快」

「……だから、もう少しそういうこと、慎んでくださいって!」

半ば怒りながら言うと、白さんはケラケラと笑うだけで、まるで効果がない。

反省どころか、すでに次の行動を考えているようだ。

「じゃ、朝ごはんでも作ってあげるとしよう! 何が食べたい、剣チャン?」

この唐突な切り替えの速さ、どうやったら真似できるんだろう。

肩の力を抜いて、ため息を一つ。

「……なんでもいいです。でも、ちゃんと服は着てくださいよ」

「了解了解、ちゃんとエプロンつけるよ」

いや、それじゃ裸エプロンじゃないか、と突っ込みたいところをぐっと飲み込む。

やれやれ、今日もまた騒がしい1日が始まりそうである。


「あ、そうだ。パンティ濡れちゃったから洗濯してもらっていい?」

「いいですけど、早く着替えてくださいよ。着替えがないなら、私の貸しますから」

白さんは「ええー」と露骨に嫌そうな顔をする。

「剣チャン、身長高いから服のサイズ合わないし」

「小さいよりマシですよ。それより、剣道着か巫女服ならまだ余ってますけど、着ます?」

白さんは眉をひそめる。

「コスプレみたいでやだなぁ」

などとぶつぶつ言い始める。

いやいや。

いやいやいや。

まさか剣客が、自分の本職であるはずの剣道着を「コスプレ」扱いするとは、いくらなんでもいかがなものか。

「……三代目九十九魍魎を拝命した剣聖が、それをコスプレって言うのはどうなんですか」

「いやだって、剣道着ってピシッとしてて落ち着かないんだもん。動きにくいし」

真面目な顔でそんなことを言うのだから、もはや呆れるしかない。

そういえば、一度もこの人が道着を着たところを見たことがない。

こうして、彼女はまるでその肩書きの重みなど関係ないかのように、ひょうひょうと構えている。

「まったくもう……」

とは言え、白さんのそういうところが彼女らしいというか、九十九魍魎の名にふさわしいというか。

私は呆れ顔で、今し方見つけた服を白さんに手渡した。

「これは?」

「母のです。旅行に行く前に何着か残してたみたいなので、どうぞ。」

白さんは服を受け取り、広げてみるとにっこりと笑った。

「おお、サイズぴったりっぽい!」

「じゃあ、それに着替えたらブラの方も貸してください。なんか……臭いので」

つい口にしてしまったけれど、白さんはまったく気にする様子もない。

「あー、そう? 昨日ちょっと汗かいたしね!」

などと、あっけらかんと答える。

こんなに無邪気に流されると、こっちの方が気まずくなってくる。

というか、本人がこれだけ自由で堂々としていると、自分が気を使っていること自体が妙に小さいことのように思えてくるから不思議だ。

「じゃあ、洗濯しておくんで。着替え終わったら言ってください」

そう言ってその場を離れかけると、白さんは「ありがとう、剣チャン!」と軽い調子で手を振った。


    ◇


「これ、本当に白さんが?」

テーブルの上に並べられた料理を見て、思わず確認してしまう。

彩りも味も、まるでプロのように整えられている。

「勿論。菱黒白特製朝食!」

胸を張って自慢げに言う白さん。

昨夜あれだけの備蓄食料を食べ尽くしたはずなのに、どこからこんな豪華な料理を錬成してきたのか不思議でならない。

「いや……本当にどこからこんな材料を?」

「へへ、剣チャンには内緒~」

と、謎めいた笑みを浮かべながらウィンクしてみせる。

その仕草に小さくため息をつきつつも、テーブルを囲んで座る。

せっかくの朝食だし、ありがたくいただこうと思い直すしかない。

「ん! ……濃い」

一口食べた瞬間、口の中に広がる妙に濃厚な味と独特の歯ごたえに、思わず顔がゆがむ。

なんだか固くてもっさりとした味わい。

「あれ、レーション、口に合わなかったかな?」

白さんが不思議そうに首をかしげる。

「れ、レーション?」

思わず聞き返すと、白さんはニヤリと笑って頷いた。

「そう! 昨日のうちに食料尽きちゃってさ、古いレーションが見つかったからそれを出しといたんだ」

いや、どうりで妙にゴツゴツしていると思ったら……それを特製朝食って堂々と言ってのけるあたり、さすがに常識がずれているというか。

「大体、なんでうちの神社にレーションがあるんですか。私物でしょ、白さんの。」

そう指摘すると、白さんは子供がイタズラしていたのがバレたみたいな顔をして、どこからともなくボロボロの段ボール箱を持ってくる。

段ボールには過剰なほどにラベルが貼られているが、書かれている文字は見慣れない記号やら言語やらで統一感がない。

どれほどの国を渡ってきたのやら。

「二年前にさ、バイトしてたパキスタンの傭兵部隊があってね。そこの隊長がギャラの補填がわりに送ってくれたレーションなんだよね~。置きっぱなしにしてたの忘れてた!」

白さんがケロッと言う。

いや、情報量。

「え、何ですかそのバイト……。神社にこんなもの放置しないでくださいよ!」

「だって持ち帰るの重たかったしぃ、山王神社なら安全かなって思ってさ」

そう言って肩をすくめる白さんに、さすがに反論の気力も失せてくる。

「……で、パキスタンの傭兵部隊って何してたんですか?」

「細かいことは気にしないの~。レーション、食べてみたら案外イケるでしょ?」

いやいや、それはこっちの疑問が収まってからの話だ。

「バイトよ、バイト。城下とデートするにもお金かかるし」

問いただす前に白さんはさらりと言ってのける。

「そういえば、ここ最近ずっと『城下、城下』って言ってますけど、誰なんですか?」

「影街の旧市街地にいる情報屋よ。あ!そうだ、城下は血染武具関連の事件しか取り扱ってないから、ちょうどいいし事務所行こうよ!」

白さんが妙にキラキラした目で提案してくるが、明らかにデートが目的だろう。

自分の用事が二の次になっていることが透けて見える。

「……デートする口実が欲しいだけでしょう」

指摘すると、白さんは「バレたか~」と悪びれずに笑う。

笑いながら、さっさと支度を始める。

さっきまでぐうたらしていたのが嘘のような素早さだ。

「いやー、だって剣チャンも興味あるでしょ? 血染武具とか。絶対に面白い話聞けるからさ!」

「……まぁ、確かに。少しぐらいは興味ありますけど」

血染武具――影街に伝わる、呪いや怨念が宿ったとされる異形の武具。その関連事件を専門に扱う情報屋となれば、確かに貴重な情報が聞けるかもしれない。が、それ以上に目の前の白さんが城下に会うのを楽しみにしていることが手に取るように分かる。

「じゃあ決まり! 行こう行こう!」

まるでピクニックにでも出かけるかのようなテンションで、白さんは俺の手を引っ張る。

まったく、この熱意の半分を日頃の生活にも回してくれればと思いつつ、なんだかんだで私も足を踏み出す。

こうして、二人で影街の旧市街地に向かうことになった。


    ◇


影街の旧市街地は、朝だというのに薄暗く、まるで異世界に迷い込んだような雰囲気が漂っている。

古びたレンガ造りの建物がひしめき合い、狭い路地を歩く人々も、どこか影をまとっているような感じだ。

「ねえ、剣チャン、緊張してる?」

白さんが振り返りながら、ニヤリと笑っている。

その手には、レーションにおまけで入っていた不味そうなスティック状の菓子があり、口にくわえたままだ。

「別に緊張なんてしてませんけど……ここ、なんだか空気が独特ですね」

影街のことはうわさで聞いたことはあったけど、実際に来ると、その雰囲気の重さが肌に感じられる。

周りを歩く人たちも、どこか普通じゃない雰囲気をまとっていて、視線を交わすと不安を感じる。

「ふふん、ここは影街の中でも特にディープなエリアだからね」と、白さんが小声で言う。

「情報屋とか、裏の人たちが集まってる場所。ここの人たち、みんな表には出せない顔があるの」

「表に出せない顔って……」

思わず口ごもってしまう。

白さんは、そんな俺の不安を楽しんでいるかのように、少し得意げだ。

「城下もきっとその辺にいるよ」と白さんは歩き出す。

「彼、いろいろ知ってるから、剣チャンにもいい話聞かせてくれるかもね!」

そう言って俺の手を引っ張る白さん。

気づけば、私はその後をついていっていた。

白さんと一緒にいると、いつも思いもよらないことに巻き込まれてばかりだ。

だがそれが刺激になっているのか、目が離せない。


路地を抜け、さらに奥へ進むと、街の雰囲気がさらに変わっていった。

建物の壁には古びたポスターが重なるように貼られ、その上からは奇妙なマークや言語で描かれた落書きが所狭しと主張している。

人通りもまばらで、時折こちらを一瞥する視線が妙に鋭い。

「ここ、危なくないんですか……?」

思わず白さんに尋ねると、彼女は振り返って肩をすくめた。


「影街に入る時点で危険なのは当たり前じゃん。でも、大丈夫! 私たち無敵だから!」

意味不明なことを言ってにっこり笑う白さん。

どうして彼女がこんなにも無防備でいられるのか、まったく理解できない。

経験の成せる発言なのだろうか。

「それにしても、城下さんってどこにいるんですか?」

話を戻そうと尋ねると、白さんは立ち止まり、辺りを見回した。

周囲には似たような古びた建物ばかりで、どれもこれも見分けがつかない。

「んー、たぶん今日もどうせ『小丑軒』だと思うよ。炒飯でも振ってるんじゃない?」

白さんは軽い口調で言うが、その名前に聞き覚えがあった。

「小丑軒って、中華料理屋ですよね。なんでそんなところに情報屋が?」

「そこの二階に下宿してるのよ。店主が昔からの知り合いでさ、居候してるんだって。でも、前の台風で店が潰れてなければの話だけど……」

そう言いながら、白さんが少し歩くと、手を叩いて「あっ! あった!」と叫んだ。

目の前に現れたのは、年季の入った暖簾がかかっている中華料理屋だった。

店名はすっかり色あせているが、どうやらここが『小丑軒』らしい。

入口には「千客万来」と書かれたボロボロの札がかけられている。

「ほんとにここでいいんですか……?」

「大丈夫、大丈夫。城下はこういう雑多な場所が落ち着くタイプだからさ」

白さんがずかずかと店の中に入っていくのを、仕方なく追いかけた。

店内は小さいが、香ばしい匂いが漂っていて、古いながらも独特の温かみがある。

カウンターの向こうでは、大男が痩せた体に似つかわしくない手際で鍋を振っていた。

痩せぎすで無口。

髪はザンバラで、無精髭を生やしている。

おおよそ飲食店の店員らしかぬ風貌だが、所作には妙な威圧感がある。

「こんにちはー!」

白さんが元気よく声をかけると、大男は振り返ることなく一瞥を寄越した。

鍋を振る手は止まらない。

「悪いなお嬢ちゃん、まだ開店準備中だ。」

「お邪魔しましたー」

そう言いかけた私の声は、白さんの叫びでかき消された。

「城下!」

「……え。この人が城下さんなんですか⁉︎ 店主じゃなくて」

呆然とする私をよそに、白さんは口角を釣り上げる。

「店主はルーマニアにハネムーン中で不在なの。つまり、この男が城下。私の大事な大事な人!」

城下と呼ばれたその男は、一瞬だけ白さんを見つめると、深い溜息をついた。

そして鍋の火を切り、無造作にカウンター越しの椅子に腰を下ろす。

「……菱黒か。また厄介ごとを持ち込んだんじゃないだろうな?」

ボサボサの髪、疲れた目、寝起きのような表情――頼りなさそうに見えるが、その目だけは妙に鋭い。

「会いたかった!」

白さんが満面の笑顔で叫ぶ。

まるで親友にでも会ったかのような態度だが、城下の顔は引きつっていた。

「おいおい……で、そっちの学生みたいな子は誰だよ?」

「こちら、山王剣チャン! あたしの弟子!」

「初めまして……山王剣です。影街中央高校で、菱黒先生に指導してもらってまーす」

白さんの妙な紹介に恥ずかしさを感じつつ、自然と頭が下がる。

だが、城下は私ではなく白さんを睨んでいた。

「で、なんのようだ。まさか血染武具?」

「その通り!」

白さんは親指を立てて笑う。

「あー……やっぱりな」

城下は頭をかきながら深々と溜息をつき、カウンターの上に転がっていた煙草を一本取り上げた。

火をつけて一息吸い込むと、ゆっくりと白い煙を吐き出した。

「それでどこから手を付けてほしい? 最近拾ったネタだけでも、何個か骨が折れる話ばかりだが」

白さんは目を輝かせながら椅子に腰を下ろし、満面の笑顔で答えた。

「全部! ついでにデートもしましょう!」

深く額を押さえた。

白さんの真の目的が一瞬でバレバレになる。

この無駄な全力感。

城下もきっと呆れているだろう。

などと思いきや、彼は何の感情も浮かべずにただ煙草の煙を再び吸い込んでいた。

「全部教えるのは構わないんだが、まずはその“デート”の優先順位を一番下にしてくれないか?」

私は心の中で、彼に深く同意した。

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血染武具 晩夏 TAKEUMA @atsushiA1210

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