第2話 影街中央労災病院 傷持つ男とニューヒーロー

「……ここは、どこだ?」

 目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、無機質な石膏ボードの天井と冷たい蛍光灯の光。

 そして気づけば全身に何本ものビニールチューブが繋がれているのを見て、男は一瞬息を飲んだ。

 いや、正確には息を飲もうとしたのだが、何かが口元にぴったりと貼りついていて、どうにも息苦しい。


 混乱の中で、周りの状況を把握しようとするが、思考はまだぼんやりと霧の中にある。

 気がつけば、体中にいろんなものが挿されていて、そこから妙に重々しい感触が伝わってくる。

 目が慣れてきて、なんとか周りを見渡すと、すぐそばにやや小柄でむっちりとした看護師が立っているのが見えた。

「あ、やっとお目覚めですね! じゃあ早速尿道カテーテル抜いちゃいますねー」

 あまりにあっさりとした口調に、一瞬、男は頭の中でその言葉が意味するところを理解できなかった。

 が、次の瞬間、下半身に走る妙な違和感がそれを容赦なく現実に引き戻した。

「ま、待て待て待て。抜くって、どういう意味だ?」

 男はもがくように口元の補助器具を取り外そうと手を伸ばそうとするが、体はまだ思うように動かない。

 そんな彼の様子を気にも留めずに看護師は微笑んで、ゆっくりと彼の体からチューブを抜き取る準備を進めていく。

「────!」

声にならない激痛。

 気を失いそうになりながらも、なんとか視線をネームプレートに落とすとそこには「影街中央労災病院」と「斉藤綾香」の文字。


 一見して童顔で、親しみやすそうな風貌のその看護師は、まるで患者に対しても遠慮のない態度で手早く作業を進めていく。

 男の脳裏にはどこかこの状況が現実離れしているような違和感と、同時に淡々とした事務的な冷たさが感じられた。

「斎藤さん、俺は……どれくらい寝てたんだ?」

 かすれた声で男が問うと、斉藤綾香と名乗る看護師はにこりと微笑みながら彼の問いに応えた。

「えっと……半日くらいですね。峠は越えましたけど、一時はほんとに死ぬかと思いましたよぉ?」

 あまりに軽々しい調子で告げられた言葉に、男は一瞬言葉を失う。

「……俺は、血染の硬貨を、山王神社に持っていって……そうだ、そしたら奴らに追われて……」

 断片的な記憶が戻ってきた男は何とか声を絞り出しながらも状況を説明しようとしたが、息が途切れ途切れになり、その声もガサガサにかすれてしまう。

 自分がまだ完全に混乱しているのか、それとも目の前の看護師がそのすべてを理解しているのか、疑念が頭の中を反芻する。

「あらら。まだショックで錯乱しているみたいですねー。ビタミン剤でも追加しておきましょうか?」

 斉藤綾香が、またも淡々とした口調で告げる。

 まるで男の言葉を受け流すかのように、近づく彼女の気配に男は一瞬、口をつぐんだ。

 どこか意志の強さを感じさせるその眼差しに加え、意識していないにもかかわらず、その圧迫感に言葉を失ってしまう。


 だが、彼女が距離を詰めたとき、ふと眼窩に妙なものが映り込んだ。

 スクラブの薄い生地越しに、どういうわけか派手なレース地のランジェリーが透けて見えてしまい、男の心臓がどくんと跳ねる。

「っ……!」

 男は反射的に視線を逸らし、思わず顔を赤らめてしまう。

 しかし、その焦りを悟られまいと何とか言葉を探しつつ彼女の存在を意識しないように努めたものの、さっきまでの冷静さはすっかりどこかへ吹き飛んでしまった。

 しかし、斉藤綾香と名乗る看護師はそんな男の様子を気にも留めずに手際よく治療器具を調整しながら男のベッド脇に立ち続けている。

「心拍数が正常値ですけど、ちょっと高いですねー。何か気になります?」

 斉藤綾香が人差し指をぷっくりとした唇に当ててウインクしてきた。

 その仕草には、どこか蠱惑的な雰囲気が漂っていた。

 童顔ゆえの無垢さと背徳感がない交ぜになり、男の動揺をさらに煽る。

「いや……その……」

 男がしどろもどろになっていると、彼女は突然スクラブのジッパーをゆっくりと引き下げた。

 下には、セクシーなランジェリーが姿を現す。

 血のような、赤。

 目をそらそうとしても視界の端にその鮮やかな色と、中に包まれた柔らかそうな乳房が焼き付いてしまう。

「──この色に見覚え、あるでしょう?」

 斉藤綾香がさらに距離を詰めて囁く。

 その視線は冷たさと何かを見透かすような鋭さが混じり合い、男の心の奥にズキリと響いた。

「『パスハ』『シャドウエンジェル』──この単語に、聞き覚えは?」

 彼女の口から放たれたその言葉に、男の全身が凍りく。

 胸の中でかすかに燻っていた過去が、ゆっくりとその暗い輪郭を浮かび上がらせる。


 ほんの数週間前のことだ──。


 男は血染の硬貨を売人として売り捌いていた。

 顧客は影街にある高級娼館「シャドウエンジェル」に遣える極上の夜の蝶たち。

 血染の硬貨を売りつける見返りに、男は散々な肉欲の贅沢三昧。

 我が世の春とはかのことというべきか。

 繁華街特有の甘美な熱と快楽に溺れていたがある夜、客の一人が事件を起こしてから一転、人生は急転直下。

 半裸の痴女にぶった斬られるわ、元締めに下働きの命令を受けるわ、そうして転げ落ちる日々を重ねた。

 ああでも──二人組の女子高生に倒されたのだけはせめてもの救いかな……って。

 ふと男は顔を上げ、目の前の斉藤綾香に目をやる。

「お前……! あの時の女子高生だろ!」

 男の叫びに、斉藤綾香はニコリと笑みを浮かべ、両手の指で大きな×印を作った。

「ブブー、不正解でーす。本当は、白衣の天使さんでーす」

 その口角をあげる顔はどこか彼の無力さを楽しんでいるようで、妙に底知れない冷たさが潜んでいた。

 斉藤綾香は、ニヤリと口角を上げたまま続けて言う。

「それに、なんと! 影街の処刑人やってまーす!」

「なんだと──!」

 男の意識が遠ざかる。

 動悸が激しくなる中、視界の隅で斉藤綾香が「きゃあ! 言っちゃった」などと嬉しそうに、豊満な胸や二の腕を揺らしているのが見えた。

 しかし、男にとってはただの絶望の風景でしかない。


 影街の処刑人──影街の裏事情に少しでも触れた者であれば、その名を知らぬ者はいない存在。

 影街で悪さを働くと、路地裏から現れてどんな人間でも断罪されるとか。

 確か「BOONDOCKs」とかいう壮年の男だと聞いていたが……。

 今、目の前にいるのはそんな話とかけ離れた童顔の女。

 可愛らしいが、あまりに無邪気であまりに恐ろしい。

 彼女が「影街の処刑人」だなんて、悪夢か何かじゃないのか?


 男が呆然と立ち尽くしていると、斉藤綾香はあろうことか証拠でも見せつけるかのような大胆な行動に出た。

 スクラブのジッパーを一番下まで下ろし、ナースズボンがスルリと音を立てて足元に落ちる。

「な、な、何やってるんだ!?」

 男が慌てて目を逸らしながら手で顔を覆うが、指の隙間から映る光景を前に思わず声が震える。

 だが、彼女のほうは全く気にしていない風で、飄々とした顔を浮かべる。

「何って? 証拠を見せてるだけですよ」

「証拠って……い、いや、俺は別にそういう……」

 一瞬、彼の脳裏に蘇るのは先ほど見かけた赤いランジェリー。

 しかし、ふと見直すとそこには全く違う姿で綾香が立っていた。

十字架をモチーフにしたと思しき、漆黒の鎧。

 全身を覆う装甲板の上にはナイフや医療用キットがぎっしり。

一際目を引くのは背中のハードポイントに懸架された短機関銃。

銃の密売をやっていた友人に昔見せてもらったことがある。

確かスター・モデル Z84とかいうスペイン製だ。

 どこから調達したのかは不明だが、それは完全に戦場を歩く者の装いである。

「……これが証拠ですよぉ?」

 綾香は、男の視線が明らかに困惑しているのをニマニマと楽しみながら、その笑みをさらに深める。

「どうですぅ? これこそ影街の処刑人の“戦闘服”ですよ!」

「そ……そんなバカな……ナースの姿で……」

「こっちは表の顔です! みんな驚くんですけどね、こういうときの顔が一番おもしろいんですよねー」

「……なんだよ、それ……」

 絶句する男に、綾香はウインクをしながら、軽い調子で肩をすくめる。

「だから……あなたも見られたってわけ。これで、もう逃げられませんよ?」

 言葉を失った男の前で、斉藤綾香は愉悦の表情を浮かべる。

「あーでも残念。本当は血染の鎧を着たかったんですけど、あれは先代と一緒にルーマニアに旅行してますから」

 斉藤綾香がふふっと笑いながらそんなことを口にする。

 まるで気まぐれに着たい服がタンスに入ってなかったかのような軽い調子だ。

「嘘だろ……」

 男はただ絶句するしかない。

 いや、信じたくなかったのかもしれない。

 目の前にある圧倒的な威圧感。

 それでいて、彼女はまだ“フルスペック”じゃないという。全力を出していない、ということが目の前で証明されている事実。

まるで冗談のようだが、ここにある現実に冷や汗が背筋を伝う。

「それに……あの血染の鎧、って言葉があなたの口から出るとはね……」

 “血染の鎧”——それは都市伝説として語られる、血染武具のひとつ。

 かの“血染の硬貨”と同様、伝説の存在。

 実在すると知らされたときの衝撃は、男の心臓をわしづかみにしていた。

「……まさか……本当に“影街の処刑人”が持ってるってことなのか……?」

 男の声はかすれ、斉藤綾香に向けられた視線にはわずかに恐怖が混ざっている。

「その通り! だけど、先代と仲が良すぎちゃってルーマニアまで持ってっちゃったんですよ」

 彼女はにっこりと、それでいて淡々とした口調で話を続ける。

 さらに続けて、

「でも、あの鎧の中に入ってるラドゥっての、悪い人じゃないんですけどちょっとエッチなんですよねー。私の履いてるランジェリーなんかしょっちゅう暗視装置で見てきたりなんかして」

 斉藤綾香はぷりぷりと頬を膨らませて、軽く眉をひそめる。

その可愛らしい怒りの仕草はどこかアンバランスで、男の目には妙にリアルに映った。

「はぁ……」

 男の脳裏には疑問が渦巻くが、それらはすぐに霧のように消えた。

 彼女が話している内容は、伝説的な“血染武具”に関するもの。

 しかも、どうやらその“血染の鎧”の中には“ラドゥ”なる何者かがいるらしいが——それがAIなのか、人間なのか、あるいは霊なのか、まったくわからない。

 理解しようにも、自分の知識はあまりに浅い。


『BOONDOCKs』、影街の処刑人、そして血染の鎧の中にいる“ラドゥ”という名前——これらのどれもが彼にとっては未知の領域だが、その一端に触れただけで、異様な重みを感じずにはいられなかった。

 斉藤綾香は、そんな彼の反応をちらりと見て、少し意地悪な笑みを浮かべる。

「ま、まだあなたには早い話かもしれませんね!」

「……ですよね」

 まるで子ども扱いされているような気がしたが、男は無言で頷いた。


「で、どうします? 悪いことをしてた人なんで、本当ならサクッと『お仕事』しちゃってもいいんですけどね。でもまあ、まだ患者さんですし、ほら、この間私が汪さんと一緒にやっつけたわけじゃないですか?」

「汪さんって……ああ、あんたと一緒に俺を殴ってきた中学生っぽい子?」

 斉藤綾香は大袈裟に笑い、軽く手を振る。

「やだぁ! 違いますよ。あの人は私よりずうっと大人のお姉さんなんです。それこそ、今ごろルーマニア旅行に合流してるんじゃないかなぁ。ハネムーンも兼ねて」

 男はまばたきを繰り返す。

 次から次へと放り込まれる情報の渦に飲まれ、脳内はパンク寸前だ。

 ハネムーン? ルーマニア旅行? BOONDOCKsと?

「……えっと、整理していいですか? あなたが今影街の処刑人で——」

「あ、そうそう。それ以上聞かないほうがいいですよ?」

 斉藤綾香がまたもいたずらっぽく指を唇に当て、微笑む。

「知りすぎると、身のためにならないかも?」

 男はその言葉に、冷や汗をかきながらこくりと頷くしかなかった。


「ちょっと綾香ちゃん! いつまで患者さんのところで油売ってるのよ!」

突然、病室のドアが勢いよく開いて、婦長らしき人物が駆け込んできた。

「婦長。お疲れ様です」

斉藤綾香は舌をぺろりと出し、まるで悪戯がばれた子供のように肩をすくめた。

「まったく……ちょっと目を離すとすぐこれなんだから!」

婦長は呆れた顔で斉藤綾香を見る。

「お言葉ですけど、婦長。患者さんが寂しそうにしてたんですもん。こんな何にもない病院に来ちゃって、ちょっとくらいお話し相手が必要でしょ?」

綾香は小首をかしげ、手のひらを広げて抗議するように言った。

「そういう問題じゃありません!」

婦長は更に目を鋭くして言い放ったが、何か違和感に気づいたのか、チラリと男の方を見やる。

「ん?……あなた、さっきまで何か違う服着てなかった?」

婦長が疑いの目を向けると、綾香はまたもや無邪気に笑う。

「気のせいですよー、スクラブ姿以外の私なんて想像できませんよね、婦長?」

そう言って軽くスカートの裾を摘んでひらりと回ってみせたが、婦長は眉をひそめたまま納得していない。

「……まったく。いつまでも学生気分が抜けないんだから」

婦長はため息をつきながら、再び男をちらりと見て、怪訝そうな表情を浮かべた。

「君も大変ね。こんなのに付き合わされるなんて」

「ええ、まぁ……いろいろと……」

男が気まずそうに目を逸らすと、綾香が横からニヤリと笑った。

「それじゃ、婦長の目が怖いんで戻りますねー。また後で、患者さん?」

綾香が小さく手を振って部屋を出ようとすると、婦長がピタリと綾香の肩を掴んで引き止めた。

「斎藤さん、ちょっと待ちなさい。あなた、また派手な色使いの下着を着けて。透けちゃうし、勤務中にはふさわしくないでしょう」

婦長は顔をしかめつつ、軽くため息をついて呆れ顔で言う。

「ああ、これですか? 旦那さんと待ち合わせなんですよー。今日、この後デートなので」

綾香は悪びれることなく、婦長に向かってニッコリと微笑んだ。

「既婚者のくせに、病院で堂々とこんな真似するんじゃないの!」

婦長が釘を刺すように一喝すると、綾香はいたずらっぽく舌を出して笑う。

そして再び軽く手を振って部屋を出ていった。

その場に残された男は、心底驚いた表情で婦長のほうを振り返った。

「婦長さん。あの人……既婚者なんですか?」

「あの子、困ったものよ。患者さんの受けはいいし、仕事はできる。でもね、時々この病院で妙なことをするんだから。こっちも気が抜けないのよ」

婦長はそう言って、小さく首を振りながらため息をついた。

男はぼんやりと視線を床に落とし、頭の中で綾香のさっきの仕草と大胆な発言を思い返しながら、どうにも言葉が出てこない。


    ◇


「で、なんでまたあんたがいるんだ!」

男が、うんざりしたように顔をしかめて言うと、綾香はにっこり微笑んで言った。

「いや、なんでって。食事介助ですよ。あなた今、まだ病み上がりなんですから」

そう言って、トレーからスプーンを手に取ると、さっと男の口元に差し出す。

「はい、アーンしてください」

男はしぶしぶと口を開けると、即座に病院食がねじ込まれた。

「────なんで病院食が美味いんだよ、クソっ」

男が思わず感嘆をもらすと、綾香は笑いながら肩をすくめた。

「ちゃんと口開けてください。全く、私だって夫以外にはアーンなんてしたくないんですよ? 本当は」

彼女のその言葉に、男は一瞬動揺して視線を逸らす。

それでも綾香から容赦なく食べ物を口に押し込まれ続け、反論の余裕もなく結局は口を動かし続ける羽目になった。


それにしても随分と食事の手がこんでいる。

スプーンに乗っているのは、しっかり出汁の効いた白粥。

ほんのりと塩味が効いていて、胃に優しく染みわたる。

添えられた小鉢には色鮮やかなほうれん草のおひたしが入っており、シャキシャキした食感が口の中に広がる。

薄口醤油とほんの少しの柚子が効いていて、後味が爽やかだ。

「はい、汁物も」

次に綾香が差し出してきたのは、スプーン一杯分の温かい味噌汁。

香ばしい味噌の香りが鼻をくすぐり、具材には小さく刻んだ豆腐とわかめが浮かんでいる。

少し控えめな塩気がかえって体に優しい。

「病院の飯ってもっと味気ないもんだろ?」

男が思わずつぶやくと、綾香はにこりと笑って言う。

「ここの食事は評判なんですよ。厚生労働省のテストモデルになっている次世代型医療を取り入れている病院ですから、栄養も味も妥協しないってことで」

そして次に、鶏ひき肉を使った和風ハンバーグがスプーンに乗せられる。

ふわっとした柔らかさと、つなぎの中に練り込まれた刻み生姜の食感と香りが心地よい。

甘辛いタレがしっかり絡まっていて、口に入れるとじわりと確かな肉汁が染み出してくる。

「うーむ……いいところに運ばれたもんだ」

男が思わず感嘆すると、綾香は満足げに頷いた。

「でしょ? はい、次、アーンしてくださいね」

男は観念したように口を開けるが、心の奥ではこの妙に満たされるひとときに不思議な感覚を覚える。


男は眉をひそめる。なんでこの状況で笑顔なんだ? 


「まさか、風呂に入るのもあんたが?」

綾香はくすりと笑って、わざとらしく首を傾げた。

どこからどう見ても、わかりきっていた質問に対する余裕の返答だ。

「当たり前じゃないですか。入浴介助も私ですよ?」

その返答に、男は思わず目を丸くした。

背筋に冷たいものが走り、少しずつ背中にじわじわと汗がにじむ。

「いやいや、勘弁してくれよ!」

「そうですか? 普通のことですよ?」

綾香はタオルや入浴用具を詰めたカートを引き寄せ、さも気にも留めない様子で支度を始める。

そしてさらっとこう言う。

「それに、ちゃんと私、手加減してますから」

「……手加減?」

「病み上がりの患者さんに、いきなり刺激が強いと困りますからね」

彼女はニコリと微笑む。

その目はどこか底知れない何かを秘めた色で光っている。

男は、背筋がぞくりと凍りつくのを感じた。

「──いやいや、冗談だろ? 風呂に入るだけなんだから、余計なことしなくていい!」

「安心してくださいってば……さぁ、さぁ」

そして数分後、彼は思わず小さな安堵のため息をついた。


「……なんだ、身体を拭かれるだけとは」

綾香は肩をすくめて答えた。

「まぁ、割と重体ですからね」

男は、綾香がタオルを持って腕を伸ばすたび、微妙に体を縮こませた。

「じっとしててくださいね、そんなに怖がる必要ないですから」

綾香が淡々と告げる。

「いや、そういう問題じゃなくてさ……その、やっぱりこう、女性に……」

綾香はそんな彼の困惑などお構いなしとばかりに、タオルを持ったまま、顔を少し近づける。

「まさか、何か期待でもしてるんですか? 病み上がりの患者さんが?」

男は反射的に「してない!」と強く否定したが、綾香の顔には余裕の笑みが浮かぶ。

その笑顔がどこかからかっているようにも見えるし、単に純粋に楽しんでいるようにも見える。

それが余計に男の緊張を引き立てた。

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