血染武具 晩夏

TAKEUMA

第1話 山王神社 血染とJKと痴女と


 今年は長雨だった.

 6月から猛威をふるい続けた長く憂鬱な梅雨もようやく明けたかと思えば、今度は台風が上陸.

 幸いにも実家が山の上にあった私は無事だったが、高校の方はそうもいかなかった.

 しかし学校が壊れたから休める=ラッキーという具合にはいかない.私の家は神社なので、避難場所になったのだ.

 おかげで降って湧いた長期間の夏休みを遊び倒そうと考えていた私の浅はかな計画は、献身的な奉仕活動という大義名分の前に脆くも崩れ去ったのである.

 だが、それも今日で終わりだ.昨日最後まで居座っていた避難民か家なき人か判別のつかない人が警察に連れいかれた今、私の栄光の夏休みが始まりを告げる……!

「一週間だけね」

 母の声.その手には大量の水着と、サングラス、そしてパスポートが握られている.

「あれ、旅行なんか行く予定あった?」

 若干ウキウキした感じで母に問うと、

「あるわよ.私と、鎬さんの結婚20周年記念旅行」などと宣ったではないか.

「……な、なるほど」

 一気にトーンダウンである.

 海外旅行に行ける! という私の淡い幻想は幻想に過ぎず、ただ古臭くて暑いだけが取り柄の神社に縛られることを意味するのだった.

 途端に、母が今トランクに躍起になって詰め込もうとしている水着も恨めしく見えてくる.

 近々50になろうとするオバンが、豹柄のハイレグやエナメルレッドのビキニを着ないで欲しいものだ.

 私でも着ないぞ、そんな派手なの。

 というか、

「その黒いハイレグビキニ、私が今年買った新しいやつじゃない! なんでお母さんが着るの!?」

友達と海に行く約束(台風でご破算になったが)をしたときに着ていこうと思って、虎の子の貯金を叩いてまで購入したちょっと高級な一品である。

「別にいいじゃない.この辺の海岸は台風で全滅、入れる頃にはクラゲでいっぱいよー.それにしてもどうよ、高校生の娘のものがまだ着れる母のプロポーションは.ああ、鎬さん喜んでくれるかしら」

「……喜ぶんじゃない.パパ、お母さんのこと好きだから」

 ゲンナリする.駄目である.

 親が女の貌を子供に見せるのはなんか嫌だ。

 なにより、完全に浮かれ切っている母とは満足にコミュニケーションを取れそうにない.

 私は両親が帰ってきた時に自分に見知らぬ弟か妹ができていないかが怖くなり、そそくさと自室へ帰った.


    ◇


 部屋に戻り、ベッドにどさりと倒れ込む。

 天井を見上げると、夏の太陽が窓から容赦なく差し込んでくる。

 結局、こうして貴重なJK時代の一夏を神社に閉じ込められるのか、と改めて実感するたびに、私の心は少しずつすり減っていく。

 そもそも、この夏はたっぷりと計画が詰まっていたはずなのだ。

 それはもう、ベタベタな。

 友達と海に行って、夜には線香花火でも灯しつつ、熱々のバター醤油でコーティングされたトウモロコシをかじりながら何も考えずに笑う。

 普段の学校生活のことも、勉強のことも、すべて忘れて。(宿題はあるけど、それはおいおい)

 兎にも角にもお手本のような「楽しい」が詰まった夏休みになるはずだった。

 それが、どうしてこうなったんだか。

「まぁ、もういいか」

 思わず口からこぼれた独り言。

 それは諦めの言葉というよりも、もうこれ以上悩むのも馬鹿らしいって感じだ。

 神社は嫌いじゃない。

 むしろ好きだ。

 でも、それとこれとは話が別。

 遊びたい年頃の高校生にとっては、いくら神社が古くて歴史があっても、夏休みを台無しにされるのは許しがたい。

「じゃあ、何しようかな」

 自分に言い聞かせるように、そうつぶやく。

 やることは山ほどある。

 例えば、掃除などの神社の管理とか、両親が不在の間の神事とか。(剣舞とかね。あれは楽しいから好き)

 でも、やりたいことなんて一つもない。


 ふと窓の外を見やれば、夏の青い空が広がっている。

 その下には、台風でボロボロになった町の景色が見えた。

 瓦が飛ばされている家もあれば、道路が崩れかけているところもある。

 あの景色のどこかに、私が行きたい場所があったはずなんだけど、今はその全てが幻だ。

「神様ってやつも、なかなか手厳しいですなぁ」

 またもくだらないことをつぶやいてしまう。

 神社の娘が神様に文句を言うのも変な話だ。

 でも、これが本音なんだから仕方ない。

 神社の娘だからって、神様と特別仲がいいわけではない。

 私はただ、普通の(?)高校生なのだ。

 そんな風にぼんやり考えていると、スマホが震えた。

 画面を見れば、友達からのメッセージが来ている。

 《剣、マジで神社に囚われの身? 家の仕事とかサボってさ、遊びに行っちゃお!》

 思わず笑ってしまった。

 気の合う友達がいるっていうのは、こういう時にありがたい。

 彼女たちも私が神社に縛られているのを知っているから、こうして声をかけてくれる。

 《いやー、無理無理。親が海外行っちゃって、私が神社の番人やっちゃってまーす》

 そう返事を送って、少しだけ自分の気持ちが軽くなる。

 遊びにはいけなくても、誰かとつながっているだけで、少しはましだと思える。

 現代文明に感謝。

 でも。

 それでも、窓の外の青い空を見つめると、心の中にぽっかりと空いた穴があるのがわかる。

 夏の風がその穴を通り抜けていくたびに、私の体温は少しずつ奪われていく。

 退屈だ。

 どうしようもなく退屈だ。

 そのときふと、家の外から物音が聞こえた。

 風のせいだと思ったが、どうも違う。

 玄関の方で、何かが転がったような音がした。

「……なに?」

 私はベッドから体を起こし、音のした方向へと向かう。

 よくわからない音がするのは日常茶飯事だけれども、なんだか今日はその音が少しだけ異質に感じる。

 玄関を開けると、そこには見知らぬ男が立っていた。

 いや、立っているというよりかは地面に無理やり突き刺さっているというのが正しいかもしれない。

 目の下にはクマができていて、髪はボサボサ、服も汚れていて、台風に巻き込まれたのかと思うほど。

「……誰?」

 私が問いかけると、男はゆっくりと顔を上げた。

 その目には、焦点が合っているのかいないのか、よくわからない光が宿っている。

 ドラッグでも吸ってるのか。

「お前、山王神社の子か?」

 声はかすれていて、どこか不気味。

夏風邪でもひいたのか。

「そうですけど。なんの用?」

 警戒心を少し強めて問う。

 しかし男はその問いには答えず、ふらつきながら立ち上がった。

 私の方に一歩、また一歩と近づいてくる。

 その動きが独特なテンポで繰り返されて、ロビー・ザ・ロボットのよう。

「お前に、頼みがある」

 その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で警戒心を強めた。

 いよいよもって怪しい。

「頼みがあるって、何のこと?」

 私の声には、自然と硬さが混じる。

 男の様子は不気味だし、この状況も理解できない。

 神社に奇妙な来訪者がくることもしばしばあるが、これはそれとは違うという感覚。

「血染の…」

 男の口から、かすれた声が漏れた瞬間、私は何かが引っかかるような気がした。

 血染。

 どこかで聞いた言葉。

 でも、その先を思い出す前に、男はふらりと倒れ込んだ。

「ちょ、ちょっと、しっかりして!」

 思わず駆け寄り、肩を揺さぶるが、男はそれきり動かない。

 脈を確かめてみると、まだ生きているようだけど意識はなさそうだ。


 まずい。

 これは、まずい。


 こんな状況を、私はどうすればいいのか。一瞬、頭が真っ白になる。

「警察、呼ぶべき…?」

 いや、待て。

 警察に連絡すれば、両親がいない今、私が全部対応する羽目になる。

 大体私はホームレス騒ぎで夏休みをすり減らしたのだ。

 それだけは避けたい。


 その時、ふと目に入ったものがあった。

 男が倒れた拍子にポケットから転がり出てきた、やけに古びた硬貨だ。錆びついて赤くなっている。

「何これ?」

 拾い上げてみると、やけに冷たい手触りがして、見たことのない模様が刻まれていた。

 日本円でもないし、外国のコインとも違う。

 なんとも言えない、異様なデザイン。

 不安が胸をよぎるが、同時に妙な好奇心も湧き上がってくる。

 これが何なのか知りたいという気持ちが、恐怖に勝ってしまう。


 男を放置して、私はコインをじっくりと観察した。

 表面には、獣のような、しかしどこか人間的な顔が彫られている。

 それがこちらをじっと見つめているような錯覚さえ覚える。

 裏側には、十字架をベースに複雑な模様が放射状に走り回っていて、見ていると目が回りそうだ。

「いくらぐらいするんだろ、これ。売ったら旅行代の足しにでもならないかなぁ」

 独り言のように呟いたその時、背後からひやりとした風が吹き込んでくる。

 夏のはずなのに、妙に寒い。

「……!」

 誰もいない。

 玄関先に転がる男以外、周囲には人影はなく、ただ古びた神社の建物と、ざわめく木々の音が響いているだけ。

「気のせいか……」

 自分に言い聞かせるようにして、再び男を見ると、彼の唇がかすかに動いていた。

 意識を取り戻したのか?

「大丈夫?」

 焦りながら声をかけると、男はかすれた声で、再び同じ言葉を繰り返した。

「……血染の、硬貨を……隠せ……」

 その言葉を最後に、男の体は完全に力を失い、気絶してしまった。

「隠せ……って、いわれましても」

 その場に取り残された私は、握りしめた硬貨を見つめ、言葉を失っていた。

 この日、私はただ夏休みを楽しむつもりだったはずなのに。

 まさかこんな得体の知れないトラブルに巻き込まれるとは思いもしなかった。

 だが、どうやら「普通の夏休み」なんてものは、私には訪れそうにもない。


 男がぐったりと倒れてしまった後、私は呆然としたまましばらくその場に立ち尽くしていた。

 息を呑む静寂の中で、握りしめた銀色の硬貨だけが異様に冷たく感じる。

「隠せってねぇ」

 小声で呟きながら、硬貨を見つめる。

 このまま放っておくべきか、今すぐ110をプッシュするべきか。

 どうするのが正しいのか、頭の中で様々な選択肢が渦巻く。

 そのとき、玄関の外でざわめきが聞こえた。私は反射的に硬貨をポケットに押し込み、外に目をやる。

 神社の門の向こう側に、不審な影がいくつか見えた。

 人影のようだが、こちらの様子を窺っているように、じっと動かない。

「……誰?」

 思わず声に出してしまったが、返事はない。視線だけがこちらに向けられているのが分かる。

 まるで、この神社の中に何かを求めているような、不吉な気配。

「くそっ……なんで、こんなことに……」

 男が最後に言い残した言葉を思い出し、私は直感的にこの状況がその「血染の硬貨」と何か関係があるのだと感じた。

 握りしめた硬貨がじわりと冷たく、手のひらに重く感じる。

 何かが、私を見ている。

 何かが、硬貨を狙っている。

 背筋が凍る。

 直感が告げている。

 このままここにいたら、まずい。

「隠せって言ったのは、このことか」

 しかし、どうするべきか。

 男が言った通り、この硬貨をどうにか隠さなければいけない。

 そう思うと、自然と足が動いていた。

 男を残して、神社の裏手にある古い蔵へと向かう。


 古びた蔵の扉を開け、中に滑り込むと懐かしい埃の匂いが鼻孔をつく。

「うわっ、これ『金属戦士物語』だ。ここに転がってたとは」

 小学生の時に無くしてたソフトとの感動の再会を果たしたが、そんなことは後回し。

 息を整え、ポケットから赤色の硬貨を取り出す。

 まじまじとそれを見つめると、またもや不思議な感覚が襲いかかってくる。

 この硬貨には、明らかに何かが宿っている。

 そうとしか思えない。

 触れているだけで、冷たいのと熱いという二つの感覚が同時に押し寄せる。

「一体何なの、これ……」

 恐怖と好奇心が混ざり合う中、私は硬貨を古い木箱の中に押し込んだ。

 蓋を閉じると、その瞬間、硬貨の冷たさが消え、蔵の中の空気がどこか静かになったような気がした。

「これで、隠せたかな」

 外からの気配はまだ続いている。

 だが、硬貨を蔵の中に隠したことで、少しは安心感が生まれた。

「とりあえず、男の人をどうにかしなきゃだ」

 一度落ち着きを取り戻した私は、外の様子を窺いながら再び男の元へと戻る。

 神社の敷地にある、ひんやりとした石畳の上に横たわる男は、まだその姿勢を崩さずにぐったりとしている。

「119のほうがいいかな……でも山だし、時間かかるなぁ」

 その時、背後でまたざわめきが聞こえた。

 反射的に背後を見るも、そこに人は誰もいない。

 風の音が、ただ耳に響くだけ。

「気のせい……!?」

 そう思った瞬間、男が急に目を開け、私の手を掴む。

 驚きで息が詰まりそうになる。

「嘘ッ、強い」

 男の手の力は異常なほど強く、痛みで思わず声を上げる。

 そして男はそのまま私を引き寄せるようにして、耳元で弱々しく囁いた。

「奴らがやって来る。……気を付けろ……」

 それだけ言い残し、男は再び力を失い、あれだけ強く掴んできた手が緩む。

 混乱する。

「ちょっと待ってよ、何のこと。奴らって誰!? ていうか大丈夫」

 問い詰める私の声は虚しく響くだけ。

 男の身体はそれ以上動くことはなかった。

「うわ、まじでどうしよう……」

 ますます混乱が深まる中、私は男から離れ、周囲を見渡す。

 神社に自生している柳が風に揺れて、ざわめく音が響いている。

 普段なら癒しを感じるが、今は不安な気分にしかならない。

 ……。

「よしっ」

 決意を固めた。

 この謎を解くためには、まずこの男と硬貨の秘密を突き止めるしかない。

 そして、「奴ら」と呼ばれた存在が何なのかを。

 だが、その前に――

「やっぱり110押すべき……?」

 しかし、再び玄関の外から不審な影が見えた時、私はその考えをすぐに捨て去ってしまった。

 影は刻一刻と近づいてきている。

 まるでこの神社を包囲するかのように。

「やばい、早く逃げなきゃ」

 私は再び神社の奥へと駆け出す。


「なにやってんの?」


 唐突に、背後からかけられたのは随分と間延びした声。

明らかに場違いだ。

 振り返ると、そこには声以上に場違いな、見知った痴女が立っていた。

「おっと、剣チャン。痴女ってのはないんじゃないの。そりゃTPO的にはまずいかもだけどさ」

 彼女の声が、冷えた空気の中に響く。

 その手に握られるのは、惚れ惚れとするような質素な白鞘。

 暗闇の中で、猫のような大きな目からは想像もつかないような鋭い視線が飛ぶ。

 私と、倒れた男を交互に見ている。

「……白さん」

 そうだ。

 そこに立っていたのは、私の剣術の師匠であり、影街中央高校の剣道部顧問を務める菱黒白だった。

 普段は飄々としているが、剣技は超一流。

 この神社にゆかりのある偉大な剣豪、九十九魍魎(私の先祖らしい)の三代目を名乗ることを許されたすごい人だ。

 彼女は、男に向けていた鋭い視線を緩め、私に目を向ける。

「久しぶり。終業式ぶりだっけ。宿題やってるー? 私勉強全然わからないから質問されても答えられないけど」

 白さんは軽口を叩きながらを浮かべながら、手元の刀を軽やかに回す。

 だが、その笑みにはどこか普段とは違う。

 いつもの気まぐれな態度の裏に、警戒感が漂っていた。

「……どうしてここに?」

 私は息を整えつつ尋ねるが、彼女は肩をすくめて答える。

「え、給料不足。城下とデートしようと思って勝負下着買ったらボーナス使い切っちゃってさぁ。三日呑まず食わずだとホラ、お腹が減っちゃって。剣チャンの家にご飯恵んでもらおうと思って来たら……まさか、こんなエマージェンシーなことになってるなんて」

 そう言って、菱黒さんは男を一瞥する。

 男は肩口から血を流しながらうずくまり、うめき声を上げている。

「で、その男。剣チャンに何かしたの。セクハラ?」

「まさか。なんか、『奴らが来る』とか言ってて」

 菱黒さんは私の言葉を聞きながら、不意に刀を振り上げると、地面に落ちていた硬貨を器用に跳ね上げて自分の手元に収めた。

 器用なものだ。

「おおっ、これはこれは……」

 その硬貨を手に取った瞬間、彼女の表情が一瞬険しくなった。

 だが、すぐに何事もなかったかのように、いつもの気だるげな笑みを浮かべる。

「うわぁ。これは厄介なことになりそう。剣チャン、そいつを抱えて中に入れましょう」

「えっ? でも……」

「大丈夫。私がここにいる間は、どんな奴が来ても大体斬れるし」

 彼女の言葉には、どこか力強い響きがあった。

 私は半信半疑ながらも、男の腕を引きずりながら社務所の中へと戻る。

 白さんは私たちの後を追いながら、再び不審な影を一瞥する。

 まるで、そこにいる何者かに対して牽制するような目つきだ。

 神社の中に入ると、白さんは男を床に横たえさせ、手早く応急処置を施しながら口を開く。

「剣チャン、とりあえずこのひと119ね。それとあなたが拾ったその硬貨……そいつが今回の騒ぎの元凶って感じ。まったく、まだそんなものが残ってたなんて。あーあ、嫌になっちゃう」

「……どういうことですか?」

「簡単な話。これ、血染の硬貨っていうちょっとヤバい代物」

 彼女は硬貨を見つめながら、続けて言った。

「こいつを欲しがっている連中は、碌でもないよ。剣チャン、しばらくは大人しくしといた方がいいかも。私がなんとかするから」

「はぁ。でも白さん、どうしてそこまで」

「うーん、そうね。 まぁ、剣チャンが大事な教え子ってのもあるしー、何より、私今素寒貧だからさ、ちょっとはイイトコ見せて、飯でも奢ってもらおうかと思ってね」

 そう言いながら、白さんは目を細めて笑う。

 だが、その瞳の奥に、何かしらの緊張感が潜んでいるように感じた。

「しばらくはこの神社も賑やかになりそう」

 そう言うと、菱黒さんは再び外の気配に注意を向ける。

 風が強く吹き、柳がなおもざわつく。

 その音が響く中、私たちは静かに緊張感を共有していた。

 どうやら、私の思っていたよりも事態はずっと厄介なものらしい。

 白さんの後ろ姿が、普段以上にやけに頼もしく見えたのは、そのせいかも。

 そして、神社の外で待ち構える“奴ら”が何者なのかを知るまで、この長い夜は続くのだろうと思った。


    ◇


 男は影街中央病院から来た救急車に乗せられていった。

 ひと段落ついたところで社務所に戻ると、菱黒さんは早速座布団に腰を下ろし、手にした箸を握りしめる。

 目の前には、避難所になってた時に影街の役所から提供を受けたものと先ほどの蔵から引っ張り出したありったけの食糧。

 役所からもらった食糧はレトルトパウチが多いからまあいいとして、問題は蔵の方。

 いつから眠っているのかわかったものではない米や漬物、そして備蓄の缶詰だ。

 期限は切れてるかもしれないが、この人なら多分大丈夫だろう。

「剣チャン、悪いねー。やっぱりね、身体が資本の職業でしょ、こういうのが一番ありがたいというか。……いただきます!」

 菱黒さんはそう言ってニヤリと笑ったかと思うと、勢いよく箸を動かした。

 山のように盛り付けた白米を大口でかきこみ、梅干しを一緒に口に放り込む。

 そして、米粒が口から零れ落ちる暇もなく、次の一口を運んでいる。

 細い身体のどこに消化するスペースがあるのかを知る由もないが、手品のようだ。

 ガンガン食糧が吸い込まれていく。

「んぐ、んぐ……はぁー! 美味しい! 久しぶりの白米だよ、剣チャン!」

 彼女は綺麗な顔を変形させ、頬をふくらませてご飯を頬張り続ける。

 いつの米かも分からないのに、こちらからしたらありがたい限りだ。

 私があきれたように見つめているのも気にせず、どんどん食べ進めていく。

「あ、そうそう。剣チャンも食べなよ。こっちは遠慮しないからさ」

「……いや、遠慮しときます」

「あ、そう。じゃあ次、コンビーフいっちゃいまーす」

 缶詰の蓋を器用に開け、中身を豪快に箸で掬って口に放り込む。

 その姿はもはや、掃除機。

「ハイペースですけど、大丈夫です? 喉詰めても助けられませんよ」

「あー、大丈夫大丈夫。剣チャンの心配なんてご無用よ。ほら、この昆布の煮付け、なかなかいい味付け!」

 彼女は箸を振り回しながら昆布の佃煮をかじりつつ、言葉を継ぐ。

 その無邪気な姿を見ていると、さっきまでの張り詰めた空気が少しだけ緩む気がした。

「そういえばさっきの話だけどさぁ……剣チャン、あの硬貨、絶対に誰かに渡したりしたらだめだよ。旅行の足しとかにね」

「げ。なんでそれを」

 白さんは一瞬箸を止め、目を細める。

「いや、噂でね。その硬貨を持つ者にはいろいろと厄介なことが起こる……的な?」

「厄介なこと……ねえ」

 彼女の言葉に耳を傾けながらも、私は目の前の師匠が容赦なく食べ物を食らい尽くす様子に少し気が散っていた。

 彼女の胃袋は底なしなのだろうかと、そんな考えさえ浮かんでしまう。

「……けど、まあ、その硬貨に魅力を感じてる連中も多いみたいでね。奴らが狙ってるのは、それだ」

「そういう話はもっと早くしてほしいですけど」

「飯が先でしょう。話は後でもできるけど、食べるのは今しかできないわ」

 白さんは笑いながら、最後の缶詰を開ける。

 そして、さっきまでの緊張感などどこへやら、彼女はひたすらに食べ続けていた。


 私の方はというと、彼女が一心不乱に飯をがっつく姿を呆れたように見つめながら、これから自分が何に巻き込まれているのか、その実感を得るには至っていなかった。

「ま、剣チャン。あなたも大変だろうけど、とりあえずは安心なさい」

 食べ終えた彼女は、ふぅ、と満足そうに息をつく。

 その顔は、まるで嵐の前の静けさのようで、彼女がただ者じゃないことを再び感じさせた。

 そんな師匠の姿を見ながら、私はなんとも言えない不安と、そして少しの安心感を胸に抱いた。


 白さんが食事を平らげてひと息ついた頃、私はお風呂の支度をすることにした。

 と言っても、掃除ぐらいだが。

 この神社は敷地内に関係者だけが入れる温泉がある。

 露天なので冬には冷え込みが厳しいが、夏の夜風がふわりと入り込むこの時期には、むしろ心地よさすら感じる。

「じゃあ、風呂の支度してきますから」

「おー! 待ってました、温泉入るのは久しぶりだからねぇ」

 白さんはそう言いながら、腕を大きく伸ばす。

 彼女の動きに合わせて、胸に着けている見せブラの刺繍が大胆に揺れ、ホットパンツの切りっぱなしの裾からは引き締まった脚が覗いている。

 風呂場の準備を整えた後、私が服を脱いでいると、後ろから菱黒さんが「おっ、流しっこでもしちゃいますか」と、にやにやしながら話しかけてきた。

「いいですけど、洗うならちゃんと洗ってくださいよ」

「何よ、まるであたしが不潔みたいに言うじゃない。でも、気をつけないと、剣チャンの美貌が湯気で隠れちまうかもね」

「……冗談きついなぁ」

 私は少し照れくさそうに肩をすくめ、風呂場に入る。

 白さんもそれに続くようにして、急ぎ身体を洗った後に湯気の立ちこめる温泉に足を踏み入れた。

 濁ったお湯に体を沈めると、彼女は大きく息を吐き、長い一日の疲れを一気に吐き出していく。

「おっ、剣チャン。もうGカップぐらいある? 高校生にしてそのプロポーション、羨ましいねぇ」

 彼女の目線が私の体を舐め回すように見てくるのを感じて、私は思わず頬を赤らめた。

「……ありますけど、先生も身長の差があるだけで変わらないじゃないですか。からかってます?」

「からかうわけないじゃない。むしろ褒めてるんだよ、褒めてる。だってさぁ、剣道部の主将と顧問がこんないい女だと、もう部員ガンガン入ってくるわよ」

 白さんは大げさに手を広げて笑う。

 だがその目には、冗談だけでない何かが宿っているような気がしていて、私は少し戸惑った。

「はぁ……ま、褒め言葉として受け取っておきます」

 私はため息をつきつつも、少しだけ湯船の中で姿勢を正した。

 静かな水音が響く中、白さんの無邪気な笑い声がいつまでも続いていた。


 風呂から上がった後、私は蔵から先ほど発見した「金属戦士物語」のソフトケースを眺める。

 わずかに黄ばんだプラスチック製のケースの中には厚紙のパッケージ。

「金属戦士物語」とCGで書かれたタイトルに、ポリゴンで作られキャラクターがポーズを決めている。

 プレイしたくて、ゲームをプレイするために必要なものをあれこれと準備、発掘。

 36インチのテレビデオ。(もっと大きいのが欲しかったが、神社の紹介用ビデオを再生する用に使ってたものを引っ張り出した)

 ケーブルが複雑に絡まった昔のゲーム機。

 それとボタンの印刷がやや剥がれかかったコントローラーが四個。


「あれ、剣チャン。『金属戦士物語』じゃない。懐かしいー、アーケード版なら高校のときよく遊んだわ」

 白さんが、湯上がり姿のまま、私の肩越しに覗き込む。

「動くかな……お」

 試しに電源を入れてみると、奇跡的に古いテレビと接続がうまくいったのか、ブラウン管の画面にタイトルロゴが映し出された。

 ド派手なタイトルロゴが表示され、少し残念なゲームにありがちな無駄に手の込んだBGMが流れ出す。

「おー! これこれ、この曲。まだ動くとは思わなかった」

 白さんが面白そうに笑いながら、コントローラーを手に取る。

 私ももう一本を握りしめて、久々の古い格闘ゲームに挑むことにした。


 画面の中では、金属製の鎧を纏った戦士たちが派手な必殺技を繰り出し、荒唐無稽なバトルを繰り広げる。

 お互いに適当にボタンを連打しつつ、たまに意味不明なコンボが決まると「おおっ」と声を上げて盛り上がる。

「亜流波始の『刃投射』ズルくないですか?これボタン一個で必殺技出るのおかしいですよ」

「でも火力低いし。剣チャンこそ、水善寺京の液状化能力で体力無限回復はズルでしょ」

「相手の攻撃を十回連続ガードして特殊勝利狙うしかないんで、中々難しいですよ」

「ならキャラ変えちゃうのもアリかもね。緋姫・アルスタルクル・ローゼスとかめっちゃ火力高いしどう?」

「火力最強だけど燃費と耐久一番低いじゃないですか」

「これ裏コマンドで水善寺京呼べるよ。アーケード版で私、それ使って県大会優勝したから」

「ズルじゃないですか!?」

 二人してしばらくはそんな調子で、ダラダラとゲームに興じた。

「……しかし、やっぱ古いゲームってポリゴン荒いわねぇ」

「ですね。今のゲームに慣れちゃうと、ちょっと」

 白さんとそんな風に愚痴をこぼし合いながら、私たちは気が付けば1時間以上、古いブラウン管の前に座り続けていた。

「ところで……と。これは?」

 途中でふと、彼女が持ってきた荷物の中から目についたものに気づく。

 高級ブランドの衣装ケースに無理やり取り付けられたワインチラー。

 そこに深々と突き刺さった一本のワイン。

 お手製と思しきラベルには「Romanée-conti 1945」と書かれている。

「おっ、中々めざとい。あたしの持ってきた宿代。どーよ、ちょっとは粋でしょう?」

「いや、ちょっと待ってくださいよ……未成年だから飲めないですよ、私は」

「まあまあ、そこはご両親にでも。でもああ、今記念旅行か」

「知ってたんですか」

「まあね。一応私、山王神社の関係者だし」

 白さんは笑い飛ばしながら、ワインボトルを撫で回すようにして見せるが、私のツッコミは止まらない。

「というか……なんでこれを売らないんですか。生活費にできるでしょ、こんな高そうなの」

「ふふん、そりゃそうなんだけどさ。パッとその辺のリカーショップなんかに売り飛ばしちゃうとさぁ、あたしの意地っていうか、誇りっていうか、そういうのがなくなっちゃうきがしちゃって」

 菱黒さんは、少し遠い目をしながら、ワインのラベルを眺めている。

 その様子に、私は思わず肩をすくめた。

「……貧乏なのに、意地貼らなくたっていいじゃないですか」

「まあね。そういうところだけ、大人になっても変わらないのかな、あたしは」

 結局、彼女の意地についての話はそれ以上突っ込むことなく、私たちはまた金属戦士たちの荒唐無稽な戦いに戻ったのだった。

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