EX3話 帰り道に満たされて


「(もうこんな時間か……)」


 ノートPCのモニター右下に表示される数字は17と25。

 どうやらもうこの身体には既に本業の定時が刻まれてしまっているらしい。


 顔を上げ背筋を伸ばしつつ首を回し、コキコキといつもの快音に身を委ね店窓に目をるともう外はすっかり薄暗くなっていた。


 今度は店内に目を移してみる。

 どうやら繁忙時を過ぎたらしい。客足も少し落ちついたようだ。

 

 それにしても、マスターはいつもガラガラだと言っていたがまるでそんなことはない。日中の店内は落ち着いた雰囲気を保ちつつも十分な客で賑わいを見せていた。

 そんな中、一日ひとり奥まった特等席を占領していた自分に改めて罪悪感を感じた矢先、マスターが水の入るコップをトレーに乗せやって来る姿が見えた。


「お疲れ様です。ひと息付けそうですか?」


 テーブルにコトとコップを置きながら、ふっと浮かべたその柔らかな笑みはまるで俺の罪悪感を打ち消すかのようで。やはりこの人は優愛莉まうりさんと血縁関係にあるのだと、そう思わずにはいられない。


 と、レジで会計処理を済ませた優愛莉まうりさんもトレーを片手に笑顔で俺たちの元へとやってくる。その表情はなんの話をしてるの? といった感じだ。


「すみません。結局一日中自分の家みたいに使わせていただいて。でも、おかげで作業がはかどりました」


 テーブルの脇を囲む美男美女二人に向け俺は申し訳ないながらひとり腰掛けたままこうべを垂れる。


 するとマスターが柔らかに頬を崩した。


「なにを仰いますやら。自分の家みたいに思ってもらえるなんて最高の褒め言葉。むしろ僕はいま過去一番の上得意様に出逢えたようで、イエイッな気分ですよ。家なだけにね」


 暖かな店内を瞬間冷却の如し。

 癖なのか顎髭に手をやりひとり満足げな顔を浮かべる店主の脇で「マ、マスター……?」と身内の事故現場を目撃し、はわわ慌てふためく愛優莉まうりさんがなにせ可愛い。


 まあ面白かったかどうかはともかく……。

 本当、要らない時には一切声をかけてこないのに欲しい時にはしっかり声をかけてくれて。もちろん職業柄というのもあるだろうが、マスターこの人のそういう察知能力的なものはすごいの一言に尽きる。


 許されのるなら本気でお得意様になりたいところだな。

 そんなことを考えていると「よし、時間だね」とマスター。


愛優まうちゃん、そろそろあがりなよ」


「はぁい。じゃあ私、薫人たきとさんが終わるまで待ってますね」


 にこっと笑顔を向けられ、俺は首を横に振る。


「いえ、僕もちょうどキリのいいところだったので。良かったら一緒に帰りましょう」


「え、でも……」


 本当? 気を遣ってやしないかと心配そうに覗き込んでくる愛優莉まうりさんに俺は自分なり精一杯の笑顔で応えた。




 裏口から出て来た愛優莉まうりさんと外で合流すると俺たちはふたり肩を並べ、アーケードに向かって歩き始める。


「それにしても。薫人たきとさん、すごい集中力でしたね」


「そう見えたかも知れませんが、意外とそんなことないですよ? 煮詰まった時とか、結構ぼーっとしてたりするので」


 実はそんな時、笑顔で接客に励む愛優莉まうりさんを見て癒されてました、なんて言ったら引かれてしまうんだろうか。


「全然そんな風には見えませんでした。実は私、頑張ってる薫人たきとさんをチラチラと見てはそのたびに元気をもらってたので」


「えっ。そうだったんですか?」 


 屈託の無い笑顔で俺の言えなかったことをさらり言ってのけられ、悔しいようなむず痒いような。


「ちなみに今日はどんなお仕事をされてたんですか?」


 言うや「もちろん守秘義務もあるでしょうし言える範囲でという意味ですのでっっ」と、あたふた手をばたつかせる愛優莉まうりさんに、どう説明したものかと俺は首を捻る。


「今受けてる仕事は2Dデザインを3Dモデリングに変換する仕事もので。あるある話なんですが、いざ想定される内部の部品や基板を実際にデータ上で配置してみるとデザインの外形ラインやサイズがかなり変わったりするんですよね。そうなるとデザイナーがどういった面に重きを置いてるのか考える必要があって——ってすみません! 僕、今つまんない話してますよね……」


 さっきの反対、慌てながら苦笑いを浮かべる俺に愛優莉まうりさんは優しい笑顔、ふるふると首を横に振る。


「そんなことありません。ずっと聞いてたいです」


 混じりけのないその微笑みにじんわりと心の内が満たされるようで。

 自分から数ヶ月の時限措置を取っておきながら、早くも彼女の笑顔なしの生活が物足りなくなりそうで恐い…‥。



 その後、少し歩きたいと言った愛優莉まうりさんに同意しクリスマス仕様のアーケードを歩き始める。

 

「もうすぐクリスマスですね」


「そうですね。あともう2週間と少しでしょうか。今年はたしか平日でしたよね?」


 時間帯のせいだろうか、それともそんな話題に触れたせいか、心なしカップル比率の高い気がしないでもない。そんななか、愛優莉まうりさんが俺の手元辺りへちらちら視線を落としていることに気付く。


 多くの人で賑わう商店街アーケード。風が遮断されているお陰で幾分寒さを和らげてくれてはいるが、それでも十分に寒い。


 と、愛優莉まうりさんの肩が俺の肩に触れ。次の瞬間、小指の外側辺りが軽く触れ合った。隣りに目を移すと愛優莉まうりさんは俯き加減で。もしかして手をつなぎたいんだろうかと。ふとそんなことを思った。


 でも、もしそうじゃなかったら。


 俺は視線を前に遣ると、探り探りといった感じ、軽く小指の第一関節を絡めてみる。すると愛優莉まうりさんの肩がピクっと少しだけ跳ねた。


 次いで指先から感じるのはひやりと冷たい感触。そうかと思えば愛優莉まうりさんが薬指を絡めてきて、今度は俺が中指を絡めて。お互い探り合うように、確かめ合うように。


 少しずつ繋がってゆく指先に意識が集中する中、まるで寒さが吹き飛び周囲のBGMさえ消えてしまったかのようで。


 最後はしっかりと手を握り合う俺と愛優莉まうりさん。


「あの、薫人たきとさん……」


「は、はい」


 もしかして嫌だったろうか? 

 声を掛けられ目をしばたたかせるも、すぐに取り越し苦労だったと分かる。


 目が合うや愛優莉まうりさんは頬を染めながらさっと視線を下に向け、だけど手をぎゅっと握ってきて。


「来週。もしお時間があるなら……デートしませんか?」


 そう言うと自信無さげ、またちろっとだけ視線を寄越してくる。


 その瞬間、溢れ出すのはよく分からない感情。ただただ何か胸の奥に熱いものがこみあげてくるような感覚を覚えながら、気付いたら俺は言葉を発していた。


「行きましょうっ。デート」


 自分でも驚くような弾んだ声。すると、「はいっ」とまるで華が咲いたように嬉しそうな顔を向けてくる愛優莉まうりさんに今度は俺が恥ずかしくなって俯いてしまう始末。


 これじゃあまるで付き合いたての高校生のカップルだ。


 でも、だからこそ心地が良いというか……。



 本格的な冬を前に触れ合う指先から体温を分け合いながら、


 この人の手は……離したくないなって。


 俺は胸の奥側から広がってゆくような暖かな感覚に身を委ねながら、そんなことを思っていた。


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明日もまた君に会えるのが嬉しい 若菜未来 @wakanamirai

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