EX2話 いらっしゃいませ


 早いもので四条よじょうさんとまさかの交際をする事になってから、はや一週間が過ぎた週末の土曜。


——「朝食は食べずに来てくださいね」


 そう言って珍しく悪戯いたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべる彼女から、事前にネットで検索をしないようにと念押しの上で渡されたのはこれまた今どき珍しい手書きの地図。

 

 とはいえ、流石にそこは企画課といったところ。敢えてラフスケッチ風に描かれた地図それはまるで自分が宝探しをしているかのような気分にでもさせてくれる。


「この辺りのはずなんだけどな」


 一枚のペラ紙が頼り。まだ開店前の店が立ち並ぶも俄然クリスマスムードに包まれる駅前の商店街を抜けると、俺は二本ほど裏の路地に入り立ち止まる。

 

 目の前にしっとりと佇むのは昔ながらの「純喫茶」をリノベーションした感じの落ち着いたカフェテリアだ。アンティーク装飾の施された外壁に並ぶ窓からは程良く薄暗い店内が顔を覗かせている。


「へぇ。こんな店があるなんて」


 引っ越してからこの半年。商店街アーケードを歩くことはあれど、通り抜けたのはこれが初めてのことだ。


 ちなみに四条よじょうさんからは「9時以降に」と仰せつかっており、一応現在の時刻は9時を少し廻ったところなのだが。と、目の前。重みを感じさせる木製のドアがギィィと開き、そこからヒョコっと小さな顔を覗かせたのは四条よじょうさんだ。


 目が合うや「あ、薫人たきとさんっ!」と、嬉しそうに表情かおを綻ばせる彼女はなぜかエプロン姿。


「寒かったでしょう? どうぞ中に」


 振り向くと四条よじょうさんは珍しいパンツスタイル。

 ただ、ピタリと張り付くようなスキニーのデニムパンツがこれでもかとばかり、彼女の美しい腰回りからお尻あたりにかけての清楚なのになぜか淫靡さも兼ね備えたラインを強調し目に毒だ。


 まあそれは兎角とかく、店内へ。


 カランコロンと心地良い鈴の音を耳許みみもとで感じながら落ち着いたBGMの流れる店内に足を踏み入れると、「いらっしゃいませ」と渋みの効いた、だけど温かみのある声が出迎えてくれた。


 声の主は濃紺のワイシャツとブラウンの腰掛けエプロンに身を纏った、感じからしておそらく店主だろう。


 どうやら客席テーブルを清拭していたところらしく、中腰でこちらを見つめる俳優と言われても信じてしまいそうなほど整った容姿の男性はなぜか安堵のような表情を浮かべている。


「お待ちしてました」


 ニコッと表情を崩し、今度は「へぇ」と顎髭をなぞる仕草を見せる。


「マスターその手、今テーブルクロスを触ってなかった?」


「えっ⁉」


 四条よじょうさんに指摘されるや、はて?と自分の手のひらを見つめ直し「うぉ、ほんとだっ!」と急ぎカウンターに向かいおしぼりで顎髭をガシガシと拭き直す。

 

 いい意味で容姿とキャラが一致しない人だな。


 そんな彼に生温かい目を向けながら、ふと笑った顔が誰かに似ている気がした。


薫人たきとさん、どうぞこちらへ」

 

 いまだ呼ばれ慣れぬその名に少しばかりドギマギとしつつ、案内されるまま奥まったテーブル席に腰を下ろす。次いで対面にちょこんと腰掛けた彼女は「いいお店でしょう?」と誇らしげな表情かおを向けてくる。


「なるほど、ここが四条よじょうさんの言ってたなんですね」


 静かな雰囲気だし、たしかにここなら作業に持って来いと言えそうだ。


 と、なぜか不服そうな目を向けられていることに気付き。目をしばたたかせていると四条よじょうさんはその柔らかそうな唇をツンと尖らせた。


薫人たきとさん。またいま私のことを四条よじょうさんって呼びましたよ?」


「あ……」


 視線を宙に彷徨わせながら苦笑い。


 と、いうのも俺のことを薫人さんと名前で呼ぶようになってから数日後、彼女も自分を名前で呼んで欲しいと言ってきて。一方の俺は職場でも間違えそうだからと一旦拒否をしてはいたものの、遂に昨晩押し切られる形となってしまったのだ。


「すみません愛優莉まうりさん、まだ上手く頭が切り替えられてなくて。気を付けます」


 言い直すと彼女は心からといった感じに頬を崩して見せる。本当、この笑顔を見るだけで驚くほど胸の奥が満たされてしまうのだから不思議というか恐ろしいというか。


 それはそうと、


「そういえば。エプロンをしてるその姿ってことは……つまり」


「その通り。彼女はうちの従業員なんです」


 疑問に答えてくれたのは愛優莉まうりさんではなく、俺に柔らかな表情を向けるとマスターは水の入ったグラスをコトとテーブルに置いてくれる。


「と、言っても久瑠くるちゃんの来れない時だけなんですけど。ご来店は初めてですよね? うちの愛優莉まうりがいつもお世話になってます」


 丁寧に腰を折られ、まさかただの従業員をなどと形容するはずもない。すると早々、愛優莉まうりさんがこそっと「従兄いとこなんです」とネタばらしをしてくれた。


「でも本当、早めに来てくださって助かりました。実は愛優まうちゃん、貴方が来ないかと何度も何度も入り口の扉を開けて外を見るもんだから、そのたびに寒くて寒くて」


 両腕を巻き付け、身震いする仕草を見せるマスター。

 一方、ネタ晴らしをされた側の愛優莉まうりさんは所在無げ、恥ずかしそうに「うぅ」と頬を染めた。


「そ、それはそうと。何を飲まれます? 今日は特別になんとマスターがご馳走してくれるそうですので。ねっ、マスタァ?」


 一枚のメニューを俺に差し向けながら、愛優莉まうりさんはまるで仕返しとばかりマスターにニコッと笑顔を向ける。


「そんな可愛らしくねだられてもなぁ。まだ開店早々とはいえ、見ての通りお客さんが一人もいないんだけど……。愛優まうちゃんって鬼なの?」


 マスターが苦い顔を向けると愛優莉まうりさんは「ふふっ」と嬉しそうに頬を崩した。

 

 へぇ、こんな無邪気な顔もするんだな。

 彼女の新たな一面を見れたことになんだか少し得をしたような気分にもなる。


「と、いうことで。……えと」


「あ、遠賀おがといいます」


「ありがとうございます。では遠賀おがさん。今日は僕がご馳走をしますので、何なりとご注文ください」


「いえ、でもそういうわけには」


「大丈夫、気にしなくていいですよ。まず味を知ってもらって貴方をリピーターにしてやろうって魂胆ですから」


 追いかけにっこりと微笑まれ、そんな風に言われたら断れない。


「分かりました。ではホットコーヒーをお願い出来ますか?」


「かしこまりました」


 と、入り口からカランコロンと扉の開く音が聞こえてくる。

 どうやら来客のようだ。


「じゃあ薫人たきとさん、また後で」


 胸の前、手をひらひらさせると愛優莉まうりさんは「いらっしゃいませ」と軽やかに接客へと向かっていった。


 そんな彼女を微笑ましく眺めていると、今度はマスターがこそっと耳打ちしてくる。


「あの愛優まうちゃんを初めて射止めた方にお会い出来て光栄です」


 言うや、にこっと笑顔を添えて一礼。さっさとカウンターに戻ってしまうマスター。


 一方の俺はひとり、望外に落ち着けそうな場所を知ることの出来た喜びと同時に、どうやらマスターには愛優莉まうりさんとの関係を知られてしまっているというその気恥ずかしさの狭間……。


 まったく居心地が良いんだか悪いんだか。


 俺はただただ苦笑いを浮かべながら、鞄から取り出したノートPCを立ち上げた。


 

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