EX1話 少しいいですか?


「美味しいですっ」


 目の前に並ぶのは色とりどりの夕食。

 自然な出汁の効いた味噌汁が冬の寒さに沁み渡る。


 普段は外食や惣菜ばかりで、手料理をしょくすのなんていつ振りだろうか。

 

 ふと顔を上げると待ち受けるのはニコッとした微笑み。

 背の低いテーブル台に両肘を立て、四条よじょうさんがその小さな顔を手のひらに乗せながら愛くるしい眼差まなざしを向けてくる。


 聖女というよりむしろ天使だな。


四条よじょうさんは食べないんですか?」


遠賀おがさんが美味しそうに食べてくれるのが嬉しくって。食べるよりも見てたいんです」


「それは、なんというか……。あの、本当、すごく美味しいです。料理、お上手なんですねっ」


「いえ。趣味が興じてのもので、大したことは」


 謙遜するといった感じでもなく、本心なんだろう。四条よじょうさんは柔らかな微笑みのままふるふると顔を横に振った。


 と、何を思ったのか今度はじーっと見つめてくる。


「あの、どうかされました?」


「……あの、遠賀おがさん。少しいいですか?」


「えっ、はい……」


 改まって、何だろう。

 もしかして恋人関係を解消しようなどと言われる可能性を考慮するも、どうやらそんな感じでもなさそうか。


 とりあえず茶碗と箸を手に彼女へ視線を合わせると、正面に座る四条よじょうさんは少し不安げな表情を見せた。


 「あの、出来れば引かないで欲しいんですけど」そんな前置きを挟むと、彼女は俯き加減に続ける。


「実は私、今まで誰ともお付き合いをしたことがないんです」


「えっ」


 リアクションをした瞬間、それが悪手だったのだと理解する。

 というのも、「やっぱり、引いちゃいますよね……」と、元々不安げだったその表情が更に深みを帯びてしまったからだ。


 俺はとりあえず茶碗と箸を置くと、さっとテーブルを迂回して彼女の側面に回り込み同じように正座の姿勢をとる。

 すぐに否定しなければ。そんな意気込みを携えて。


「そうじゃなくてですねっ。そういう意味で驚いたんじゃなくて——」


 とはいえ、なんと言えば良いものか。すぐに上手い言葉が出てこない。

 一方の四条よじょうさんはまるで捨てられる子犬状態。「うぅ」とすがるような目を向けられ、そんな表情かおですら可愛い彼女に胸を締め付けられつつも、慎重に言葉を選ばなければデスゾーン突入の予感。


「嬉しかったんですっ」


 咄嗟に絞り出した言葉。自分で想像していた言葉ものとは少し違ってはいたものの意外にしっくりと来た。


「嬉しかった、ですか?」


 四条よじょうさんはテーブルから肘を離すと俺の正面に向き直り、まるで一縷の希望にすがるかのように正座のままずずいと身を乗り出してくる。


 その顔の近さに音を立てる心臓。

 落ち着こう。少なくとも四条よじょうさんを傷つけるようなことだけはないように。そう自分に言い聞かせるながらこくりと頷いて応える。


「ほら。その、なんというか。つまりですね、そうなると僕が初めて四条よじょうさんのそういった一面を見れるといいますか」


 濁し濁し、はっきりと口に出すことははばかられるものの、恋人同士だからこそする事だってあるだろう。

 

 伝わってくれと願う中、どうやら四条よじょうさんも理解してくれたらしい。その白い肌を耳まで真っ赤に染め上げる。


 なんなんだこの人は。可愛過ぎるだろう……。


 と、少しの間お互い俯き加減に対峙していると、四条よじょうさんが何かを決意したように「あのっ」と顔を上げた。


「私頑張ります。だからっ、教えて欲しいんです。……その、遠賀おがさんの恋人として私がするべき、こと……」


 頬を朱に染めながら潤んだ瞳で見つめられ。俺まで顔が熱くなっているのが分かる。

  

「すみません。ちょ、ちょっとだけ。落ち着くための時間をください」


 本当、さっきから心臓が大忙しで仕方ない。


 すーはーとゆっくり深呼吸。少しばかり呼吸を整えることに成功した俺は正座のまま背筋を伸ばし「では」と改め、こほんと口許に握り拳を添える。


 すると同じくシュッと背筋を伸ばす四条よじょうさんだったが、身体に張り付くようなニットシャツのため胸元の大きな盛り上がりがより強調されてしまい……、その誘惑の破壊力たるや。俺は目がかぬようこらえるのに必死だ。


 四条よじょうさんが真面目に聞こうとしてくれてるっていうのに、6も上の俺がこんなでどうする。

 両方の手のひらを顔に添えて冷やすと、俺はもう一度彼女に視線を戻した。


「よく聞いてください」


 神妙な面持ちでこくりと頷いた彼女に、俺は慎重に告げる。


四条よじょうさんは、そのままでいてください」


「え」


「というより、そこまで深く考えずに、自分がしたいように振舞ってくれればいいんです」


「……自分がしたい、ように……ですか?」


 驚きをはらむ視線に俺は頷いて応える。


「今日夕食を作ってくれたのと同じです。四条よじょうさんがしたいと思ったことをしたいと思うタイミングですればいい。逆にしたくなければしっかり断ってください」


 諭すような口調で俺は続ける。


「もし、万一ですよ? これはNGだなと思うことがあれば正直に言います。逆に四条よじょうさんも僕のこういうところが嫌だとかあれば気になさらず言ってください」


「……分かりました。でも私、遠賀おがさんの嫌なところなんて一つもありません」


「そ、そうですか。それは良かったです……」


 本当にこの人は……。遠慮がちなのかそうじゃないのかよく分からないところがあるな。


 まあ様子を見る限り、理解はしてくれたみたいか。


 一旦の危機は凌いだのだろう。安堵の想い、俺は冷めてしまう前にとカーペットに手を付きつつ四つん這いで元居た場所へ戻ろうとしたのだが。


薫人たきとさんっ」


 呼ばれ慣れぬ名にビクッとして顔を向けると、こちらをじーっと見つめてくる四条よじょうさんの大きな目とぶつかった。


 すると一拍置いてから四条よじょうさんは


「って呼んでも……いいでしょうか?」


 と。後から恥ずかしさが込み上げてきたんだろう。今度はシューっと湯気でも吹きそうな勢いで俯き加減、耳まで真っ赤に染めてしまった。


 そんな彼女に年甲斐もなく俺もまた顔が焼けるように熱くなり。


 さっきの話に「自身の持つ殺傷能力をもっと理解してください」と、そう付け加えておいた方が良かったんだろうか。


 俺は四つん這いのままで床と睨めっこをしながら、真面目にそんなことを考えていた。


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