EX1話 少しいいですか?
「美味しいですっ」
目の前に並ぶのは色とりどりの夕食。
自然な出汁の効いた味噌汁が冬の寒さに沁み渡る。
普段は外食や惣菜ばかりで、手料理を
ふと顔を上げると待ち受けるのはニコッとした微笑み。
背の低いテーブル台に両肘を立て、
聖女というよりむしろ天使だな。
「
「
「それは、なんというか……。あの、本当、すごく美味しいです。料理、お上手なんですねっ」
「いえ。趣味が興じてのもので、大したことは」
謙遜するといった感じでもなく、本心なんだろう。
と、何を思ったのか今度はじーっと見つめてくる。
「あの、どうかされました?」
「……あの、
「えっ、はい……」
改まって、何だろう。
もしかして恋人関係を解消しようなどと言われる可能性を考慮するも、どうやらそんな感じでもなさそうか。
とりあえず茶碗と箸を手に彼女へ視線を合わせると、正面に座る
「あの、出来れば引かないで欲しいんですけど」そんな前置きを挟むと、彼女は俯き加減に続ける。
「実は私、今まで誰ともお付き合いをしたことがないんです」
「えっ」
リアクションをした瞬間、それが悪手だったのだと理解する。
というのも、「やっぱり、引いちゃいますよね……」と、元々不安げだったその表情が更に深みを帯びてしまったからだ。
俺はとりあえず茶碗と箸を置くと、さっとテーブルを迂回して彼女の側面に回り込み同じように正座の姿勢をとる。
すぐに否定しなければ。そんな意気込みを携えて。
「そうじゃなくてですねっ。そういう意味で驚いたんじゃなくて——」
とはいえ、なんと言えば良いものか。すぐに上手い言葉が出てこない。
一方の
「嬉しかったんですっ」
咄嗟に絞り出した言葉。自分で想像していた
「嬉しかった、ですか?」
その顔の近さに音を立てる心臓。
落ち着こう。少なくとも
「ほら。その、なんというか。つまりですね、そうなると僕が初めて
濁し濁し、はっきりと口に出すことは
伝わってくれと願う中、どうやら
なんなんだこの人は。可愛過ぎるだろう……。
と、少しの間お互い俯き加減に対峙していると、
「私頑張ります。だからっ、教えて欲しいんです。……その、
頬を朱に染めながら潤んだ瞳で見つめられ。俺まで顔が熱くなっているのが分かる。
「すみません。ちょ、ちょっとだけ。落ち着くための時間をください」
本当、さっきから心臓が大忙しで仕方ない。
すーはーとゆっくり深呼吸。少しばかり呼吸を整えることに成功した俺は正座のまま背筋を伸ばし「では」と改め、こほんと口許に握り拳を添える。
すると同じくシュッと背筋を伸ばす
両方の手のひらを顔に添えて冷やすと、俺はもう一度彼女に視線を戻した。
「よく聞いてください」
神妙な面持ちでこくりと頷いた彼女に、俺は慎重に告げる。
「
「え」
「というより、そこまで深く考えずに、自分がしたいように振舞ってくれればいいんです」
「……自分がしたい、ように……ですか?」
驚きをはらむ視線に俺は頷いて応える。
「今日夕食を作ってくれたのと同じです。
諭すような口調で俺は続ける。
「もし、万一ですよ? これはNGだなと思うことがあれば正直に言います。逆に
「……分かりました。でも私、
「そ、そうですか。それは良かったです……」
本当にこの人は……。遠慮がちなのかそうじゃないのかよく分からないところがあるな。
まあ様子を見る限り、理解はしてくれたみたいか。
一旦の危機は凌いだのだろう。安堵の想い、俺は冷めてしまう前にとカーペットに手を付きつつ四つん這いで元居た場所へ戻ろうとしたのだが。
「
呼ばれ慣れぬ名にビクッとして顔を向けると、こちらをじーっと見つめてくる
すると一拍置いてから
「って呼んでも……いいでしょうか?」
と。後から恥ずかしさが込み上げてきたんだろう。今度はシューっと湯気でも吹きそうな勢いで俯き加減、耳まで真っ赤に染めてしまった。
そんな彼女に年甲斐もなく俺もまた顔が焼けるように熱くなり。
さっきの話に「自身の持つ殺傷能力をもっと理解してください」と、そう付け加えておいた方が良かったんだろうか。
俺は四つん這いのままで床と睨めっこをしながら、真面目にそんなことを考えていた。
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