第13話 エピローグ


 玄関先、菜摘なつみが去った後のリビングで。

 とっくに冷めてしまった紅茶を入れ直すと、背の低いテーブルの脇で正座する四条よじょう《よじょう》さんの前に湯気の立つカップをコトと置く。


「今日、僕は四条よじょうさんに驚かされてばかりです」


「……すみません」


 クッションの上、俯き加減にしゅんとする四条よじょうさんに軽く溜息をく。

 まるで生徒が先生にさとされている一幕だ。


「怒ってるわけじゃありませんよ」


 極力平静を装いながら告げると、四条よじょうさんはすっとその小さな顔を上げた。怒らないの? そんな表情だ。


 もちろん怒ってなどいない。


 それどころか——


「正直、あんなふうに言ってもらえて。救われました」


 俺がそんなことをするはずがないと、菜摘なつみに必死で訴えかけてくれた四条よじょうさんにまるで自身の気持ちを代弁してもらえたような気がして。


 本当に嬉しかった。


 ただ四条よじょうさんからすれば何を会社の同僚が出過ぎた真似を、といったところなんだろう。


「でも、どうして急にあんなことを?」


「……我慢出来なかったんです。自分の大切な人を馬鹿にされたような気がして、悔しいじゃないですか」


 俺を尊敬していると言ってくれた彼女の真剣な声が、菜摘なつみにはっきりと言い放ってくれた彼女の一言一句が脳裏の裏で鮮明に蘇る。


 そんな中、訪れる数拍の静寂。


 多分、今お互いに告白のシーン同じことを思いだしてるんだろう。



「あの、遠賀おがさんっ」「四条よじょうさん、さっきのあれ」


 声が重なり、追いかけ目が合う。

 一瞬視線を外すも先に続けたのは四条よじょうさんの方だ。


「さっき、私があの場で言ったこと。嘘じゃありませんから……」


「……四条よじょうさん」


「私、遠賀おがさんといると、遠賀おがさんのことを考えると……ドキドキしちゃうんです……。自分でも分からないくらい、本当に……」


 次いで四条よじょうさんが窺うような、だけど訴えかけるような眼を向けてくる。 


 そんな彼女の意志を受けて、でも俺は……。


「僕は四条よじょうさんより6も上なんです。それにもうすぐ30で」


「そんなの。誰だって歳は取ります。それに年齢なんて関係ありません。なにより遠賀おがさんはすごく素敵ですからっ」


 真剣なその眼差し。自分の中で湧き上がる感情は多分、迷いだ。


「本気、なんですか?」


 俺は確かめるように彼女に問いかける。

 すると四条よじょうさんは一歩も譲らないとばかり、こくりと頷く。


 あとは俺の返答次第、そんな状況の中で。


 勢いは大切だ。でも流されるのは違う。


 もしかすると今彼女は俺に同情しているだけかもしれないし。それに今後もし別れたとして、嫌でも仕事場で顔を合わさざるを得ないわけで。


 気軽に付き合ってみようとは言えない。

 ただ、四条さんと一緒にいられたなら幸せだろうと、そう思ってる自分がいるのも否定できないどころか——。


四条よじょうさん。だったらこうしませんか?」

 


▽▲



「えっ!!? それほんとなの??!」


 週明け、始業前のデザイン開発室にあきさんの声がこだまする。

 自分でも嘘のような話なのだ。彼が驚くのも無理はない。


 ただ、今となっては危険因子と化したこの人にだけは話しておかないと後々面倒なことになるだろうと思い、正直に話すことにしたのだが。


「ちょっとあきさん。声が大きいですって」


「ごめんごめん。でも悪いけど、そりゃ驚くってもんでしょうよ? まさか『なっちゃんとどうだった?』って話を振ったら『聖女様と付き合いました』なんて返し、誰が想像するわけ?」


「まあ……、そうでしょうね」


 よほど収まらないんだろう。

 「へー」とか「はー」とか呟きながら何やらひとり納得し何度も頷くあきさんだったが、今度は呆れたような目を向けてくる。


「でもなによ、その期間限定って?」


 そう。あの夜、四条よじょうさんとの交際を決断する際、俺は一旦三ヶ月の時限措置を条件とさせてもらったのだ。

 もちろん四条よじょうさんは嫌がったが、結局俺が押し通した。


「何に気を遣ったのか知らないけど大人ってのはねぇ、別れた後も表面上だけはきっちりと割り切れるもんなの。しかも三ヶ月ってあんた、試用期間じゃないんだから」


 あきさんの言わんとすることはよく分かる。

 でも俺はともかく純粋で真面目な四条よじょうさんのことだ。もしも想像と違ったなどと自分が翻意してしまった時に自身を責めることで甚大なダメージを負いかねない。


 だからやっぱりこれで良かったのだと今でもそう強く思う。


 そんな感じ、依然として驚きの覚めやらぬあきさんを横目に3Dプリンターの清掃に勤しんでいると、入り口の前、ガラスドア越しにこちらを覗く人影が見えた。


 同時に気付いたあきさんがにやにやしながら入り口に向けツルツルの顎をクイとやる。


 一方の俺は軽く溜息をきつつ。


 始業前。おそらく業務上の用件はないはず。

 設けた三ヶ月ルール然り、不用意に接触すると他の社員から余計な詮索を受けかねないんだけどな。


 とはいえ、まだ付き合いたて早々の大切な彼女なのだ。

 無下むげに出来るはずなどもない。


 俺はドアを開けるとさっと廊下に目を配る。

 こういう時、すみの部屋というのはメリットだ。中央のエレベーター付近では多くの社員が行き交っているものの、幸いこちらは比較的過疎地。

 部屋の入り口付近で話している分には誰からも怪しまれないだろう。


 じっと見つめてくる彼女に用件はなんですか? と、そんな目を向ける。

 すると嬉しそうにニコッと微笑み「会いに来ちゃいました」と四条よじょうさん。


「会いに来ちゃいましたって……。帰ったらまた会えるじゃないですか」


「分かってます……。でも、ひと目だけでも遠賀おがさんに会いたかったんです」


 頬を染めながら存在感抜群の大きな目でちろっと上目遣いをされ、バクっと跳ねる心臓。まるで胸の奥の方を何かに掴まれたような破壊力だ。


 若くして心筋梗塞になる人もいるというが、こういった事例だってあるんじゃないだろうか。


 と、胸を押さえる俺に不思議そうな眼を向ける四条よじょうさんだったが。納得したのか満足したのか丁寧に腰を折ると、もう一度愛くるしい笑み向けてくる。


「忙しいところすみませんでした。おかげさまで今日も頑張れそうです」


 こと職場においては誰に対しても恋愛感情を押し殺してきたつもりだが、自分の彼女だと思うだけでこうもとんでもなく可愛く思えてフィルターが無力化されてしまうのだから恐くなる。


「もちろん僕も同じです。でも今日はもう仕事の用以外ではここに来ないようお願いしますね?」


「……分かりました。あっ、お話してた通り今晩は私が夕食を作りますね。頑張りますので、楽しみにしていてください」


「分かりました。また仕事が終わったら連絡します」


 お互いにニコッと微笑み合って。


 嬉しそうな表情かおで俺に向け一礼をするとサラサラと髪を揺らし駆けてゆく彼女の背を眺めながら俺は思う。


 多分こんなのが続いたら、


 色んな意味でもたないだろうなと。







(1章了)


********************


初めましての方は初めまして。若菜未来と申します。


キリのいいところであとがきを。

というところで突然現れてしまいすみません。


エピローグまでお付き合いいただきましてありがとうございます。

ここまでの3週間近く、ほぼ毎日投稿を頑張れたのは沢山の応援をいただけたからに他なりません。本当にありがとうございました。


実はこの物語、元々は3万字弱の短編として考えていた一つの作品です。

そういった面から「留まることなく完結まで」という流れになっており、一方でタイトルや副題からかんがみると「長いプロローグ」に当たるのかなと。


ですので、いま「続きが楽しみだ」と、そう思っていただけているのならすごく嬉しいことです。


このタイミングでの評価がどうなるか、というところではありますがもう少し続けるつもりです。


以降は短話、若しくは数話で1エピソードの形を取るつもりでして。

先々を気にすることなく各エピソードを楽しんでいただければいいなと思っています。


長くなりましたので逃げるようにこの辺で。


また近々、いずれかの作品でお会い出来ることを楽しみにしています。


若菜 未来

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