第12話 私は遠賀さんと


「……なんでお前が」


 まさに青天の霹靂。


 宅配業者だと思って出たらまさかの菜摘なつみだなんて。玄関先に目を向けた俺は声を出すのがやっとだ。


 別れて二ヶ月振りのその姿、見間違いようもない。


 同時に脳裏では男と楽し気に歩いていた姿を思い出し。妙な感情が胸を搔き乱すも、かといって悠長にしてはいられない。


 俺は不安げな表情かおを向ける四条よじょうさんと菜摘なつみの間に急ぎ割って入ると、玄関先で菜摘元カノと対峙する。


 まさかこのタイミングで。りにもってが悪過ぎやしないか。


 少しだけ開かれたドアから入り込む冷気がまるで場を冷やすかのような空気感の中、先に口を開いたのは菜摘なつみだった。


「インターフォンも鳴らさずに悪かったわね。偶然、配送業者がいて。それにまさか誰かと一緒だなんて思ってなかったのよ……」


 エントランスのセキュリティを抜けるタイミングが重なったんだろう。

 その口調は自身のの悪さを呪うかのようでいて、だけど自分を正当化するようにも聞こえてしまうのが菜摘こいつらしい。


 そんな中、彼女の手元がきらりと光る。

 手に持つのはどうやら合鍵のようだ。


 視線に気付いた菜摘なつみが「これ」と俺に向け差し出してくる。


「返してなかったのを思い出して。返しに来たの」


 俺が合鍵それを受け取ると、菜摘なつみは廊下に詰まれた段ボール箱を見た。


「荷物、纏めてくれたんだ」


 少しだけ寂し気な物言い。

 なんでお前がそんな顔……。


「鍵、なんでわざわざ。送ってくれば良かったのに」


 もう長い付き合いだ。多分、菜摘なつみは何か俺と話したいことがあって来たんだろう。そうと分かっていながら、自分でも意地の悪い物言いだと思う。


 ただ用件がなんなのかはともかく、少なくともあんな場面を見てしまった俺からすれば、こと恋愛沙汰この件に関して今更話したいことなど何もない。


 これまでも何度か別れては戻りを繰り返してきた俺たち。

 だけどそれはあくまで頭を冷やすためだったり、少し距離をとるための別れであって、少なくとも今回みたいに他の相手を求めてのことじゃなかった。


 だから、今回は今までとは決定的に違う別れで。


 それにタイミングも悪かった。

 未だ不安げな表情を浮かべる四条よじょうさんに一瞬だけ視線を置くと、俺は改めて菜摘なつみと対峙する。

 

「分かるだろう。大切なお客さんなんだ」


 用件が済んだなら早く帰ってくれ。

 暗にそのこと告げると菜摘なつみ四条よじょうさんをちらと見遣り、何かを察したような顔をする。


 その表情にはなぜか悔しさのようなものが浮かんでいる様に映った。


薫人たきとにしては手が早いじゃない。もしかして別れる前からそういう関係だったりしてね」


 お前がそれを言うのかよっ——。

 瞬間的に吹き上がる怒りと同時に、お前と一緒にするな。そんな言葉が口を突いて出かけた。


 だけど抑えろ。少なくとも四条よじょうさんの前で口にする言葉ことじゃない。


「帰れよ」


 出会ってから十年とちょっと。

 努めて冷静に吐き出したその言葉は、多分今までで一番冷えた声だったと思う。


 菜摘なつみも観念したんだろう。軽く溜息をくと諦めたようにきびすを返した。


「……荷物、いつでもうちに送ってくれていいから」


 その話しぶりに俺も理解する。

 つまり、もう付き合ってた男と別れたってことなんだろう。


 でも……。もう終わったことだ。


 今後、菜摘なつみとは恋愛上のそういった関係になることはない。

 そんな確信染みた何かを抱きながら彼女の背中を見送る。

 

 そして菜摘なつみの姿が消える直前、


「撤回してください——」


 突如、背後から呟かれた声。背を向けドアを閉じようとした菜摘なつみは勿論、俺も驚いて振り向く。


 すると四条さん声の主は俺と菜摘なつみの間にすっと割り込むかのように玄関先に立った。


 怒り、だろうか? 四条よじょうさんの表情からはなぜかそんな感情を読み取ることが出来る。


「……別れる前からだなんて、遠賀おがさんがそんなことするはずないじゃないですかっ」


四条よじょうさん?」「ちょ、何よ急に」


 同時に声を挙げる俺と菜摘なつみ。急な展開に思考が追い付いてくれない。


遠賀おがさん、あなたと別れた話をしてくれた時にすごく寂しそうな顔をしてました……」


 話し始めた四条よじょうさんは止まらない。

 菜摘なつみに向け、せきを切ったように言葉を紡いでゆく。


「あなたはきっと遠賀おがさんにとってとても大切な人で。ずっとずっと大切な人で。それなのにそんな言い方、酷すぎますっ。……何年も一緒にいて遠賀おがさんがそんなことをする人じゃないって、知らないはずがないでしょう? あなたが一番知っているはずでしょう?」


四条よじょうさん……」


 目をしばたたかせながら、いったい俺は今日何度彼女に驚かされればいいんだろうかと息を呑む。


 一方、突如守勢に回る羽目となった菜摘なつみもタジタジだ。

 一瞬俺に助けを求めようとするも早々に無理だと理解し、なんとか声を出すのがやっとという様子。


「な、なによ……。というかっ、そもそも急に割り込んで来て分かったふうなこと言って。あなた、薫人たきとのなんなのよ?」


 関係を訊ねられた四条さんは「私は……」と一瞬視線を彷徨わせながら俯く。


「私は……遠賀おがさんと……今は、どんな関係でもありません……でも——」


 ……今は? と、いうかでもって?

 いったい何を言おうっていうんだ。


 そんな、次に彼女が吐き出す言葉が何なのか想像もつかない中、


 まるで何かを決意したように目線を上げた四条よじょうさんは、ぎゅっと両手を握り締めると菜摘なつみに向け、


 そしてきっと俺にも向けて、


 到底信じられるはずの無い言葉を告げたのだった。



「でも、私は……」



「いつかっ……、いつか遠賀おがさんとお付き合いしたいと思ってます!」


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