クワハラさん
明日葉六郎
クワハラコウイチ
声が聞こえた。
水色のペンキを塗りたくった空は雲のような綿に埋め尽くされている。貴方は右の掌についているレンズを覗き込めば地面を泳ぐメダカと目があった。子供と同程度の大きさの小魚は、湖面からひょいっと体を乗り出した。水没した線路を走る列車に撥ねられた哀れなメダカは月へと変わり、あたり一面の水面に幾つもの月が反射する。
「私はクワハラコウイチと申します」
「さんずいのある河に原っぱの原でクワハラと読むのです。珍しいでしょう?」
そう語りかけてきた男へと視線を移せば、穴の空いた顔と目があった。スーツを身に纏い、黒いシルクハットを被っているその男には顔がなかった。男の顔に当たる部分はすっぽりと抜け落ちていて、莞爾と微笑む太陽だけが輝いていた。
「お待ちしています。」
その声で目が覚めた。
「おーい、いつまで寝てんの。」
聞き慣れた声で目を覚ます。友人のA子は呆れながらもう放課後だよ。と窓の外を指差した。
指された先を見れば山際に沿った太陽が煌々と輝いている。
「随分とぐっすり寝てたみたいだけど。センセ、怒ってたよ。」
相も変わらず先生を略して言う彼女を見て、ようやく現実に戻ってきた感覚がする。
何か、夢を見ていたような気がする。少し気味が悪くて不思議な夢。それでも、一つだけ覚えていたことがある。
先生の真似をしているA子に夢で聞いた名前を伝えてみれば、彼女は存外驚いた顔をして答える。
「私も、夢で知らない人の名前聞いたことあるよ。」
珍しいこともあるものだ。私も彼女に倣って驚けば、彼女は続けてこう呟いた。
「でも、私の夢に出た人はカワハラシンイチって言ってた気がするな。」
なんだか不思議だね。と言って笑う彼女と話したのはそれが最後だった。
声が聞こえる。
高く聳える砂丘には大きな雪が降り積もっていて、きゅうきゅうと何かが擦れる音が絶えずなっている。
空を飛ぶたくさんの鳥達がキリンに変わって、上から降ってくる。
キコキコと1人でに走る自転車は私を睨みつけたかと思えば、興味を失って去っていった。
赤いクレヨンで描かれた太陽はブルーシートの青空に輝いている。
突然肩を叩かれて後ろを向けば、顔の抜けた男が立っていた。
「私はコウハラケンイチと申します。」
「さんずいのある河に原っぱの原でコウハラと読むのです。珍しいでしょう?」
黒いスーツを身に纏い、黒いシルクハットを被っている顔の抜け落ちた男はこちらをじろりと眺めている。その向こうでギラギラと揺れる太陽とも目が合った。。
「お待ちしています。」
その声で目が覚めた。
A子が行方不明になって3日が経った。警察も重い腰を上げて捜索を始めてくれたが、特に成果はないらしい。
あの夢を見て以来、同じく夢の中で誰かに名前を告げられる夢を見る人が増えている。今日も教室内はその話題で持ちきりだった。
「なぁ、見たんだろ。あの夢。」
クラスの人気者であるBが声をかけてきた。クラス中に訊きまわって正解の名前でも探しているのだろうか。
「コウハラケンイチ」と告げれば、彼は満足したように手帳に書き込んで去っていった。
次の日から、Bは学校に来なくなった。
Bが行方不明になって数日、A子も見つからんないままだ。しかしこの町では、行方不明者は少しずつだが段々と増えていっている。
私はいつも通り寝る準備を済ませて、ベッドから天井を見上げる。
そういえば最後に会った時、彼女は何と言っていたっけ。私の覚えていた名前とは少し違う名前。
似通った名前ばかり、最近よく聞いていた気がする。しまい込んだ記憶を何とか引き出して思い出した。
たしか、カワハラシンイチ―
声が聞こえる。
くしゃくしゃのティッシュで出来た川の濁流でサイが川のぼりをしている。
マネキンばかりの教室では私の顔が張り付けられた藁人形が教鞭を振るっていた。
近くを飛び回る蠅についた握りこぶしほどの目はじろりとこちらを見ている。
青く塗ったアルミホイルで出来た空には三日月型に切り取られた雑誌の切れ端が輝いていた。
私は好奇心で空の端っこをめくりあげて中を覗いた。そこで、居なくなったはずの親友と目が合う。
いや、そこには目と呼べるようなものは存在していなかった。誕生日に渡したはずの髪飾りだけが彼女を彼女たらしめている。そんな彼女のくりぬかれた顔だけがこちらを見つめていた。
倒れ込んだ私の胴体を片手で掴んで、顔のない男は話を始めた。
「私はカワハラシンイチと申します」
「さんずいのある河に原っぱの原でカワハラと読むのです。珍しいでしょう?」
空っぽの顔は貴方の方を眺めている。
「お待ちしています。」
クワハラさん 明日葉六郎 @ooo_yome
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