第5章 9
十月下旬。
休み時間、青ざめた凌空が教室に入ってきた。
無言で悠希を廊下へ引っ張り出す。人目を忍んで見せられた画面には、ニュースの速報が映っていた。
『町内の池から遺体発見』
悠希の心臓は早鐘を打った。
とうとう見つかった。花火の日から、およそ五週間が経っていた。
林の管理人が、定期清掃をしていた途中で破れたフェンスに気づいたらしい。そのすぐ下方に、赤い車が沈んでいた。
翌日、家に警察が尋ねてきた。父の歯科の診察履歴やX線検査の資料を持ち帰り、再び数日後、今度はスーツ姿の刑事が二人、捜査員を引き連れてやってきた。
「発見された遺体が、永井繁次さんのものと判明しました」
リーダーのような白髪の男性は名刺を手渡して言った。
「他殺の可能性が極めて高く、今後は捜査一課が引き継ぎます。ご家族の方には何度も事情を聞かせていただくことになりますが、よろしくお願いします」
その言葉の通り、聴き取りはそれから頻繁に行われることになった。初回は警察署の取調室に呼ばれたが、絵名がまだ幼いこともあり、その後は自宅への訪問が増えた。
遺体の腐敗はかなり進んでいたようだ。身元確認に呼ばれた母は、帰宅して二日間は、ろくに食べ物を口にできないでいた。
「窒息死なんだって。まともに見られなかった」
蒼白な顔で唇を震わせた。頭の骨まで露出していたそうだから無理もない。
「ねぇ、十一日、ほんとにお父さん帰ってなかった? どこに行って殺されたんだろう」
母は繰り返し尋ねた。押し潰されそうな心を隠して、悠希はしらを切り通した。
父が失踪した九月十一日の事について、改めて詳細に問われた悠希は、凌空と示し合わせた通りに答えた。
実行委員会のメンバーと花火をする約束があった。じゃんけんで負けてアイスを買いに行く事になったが、財布を忘れたことに気づいて取りに戻った。
「……でも、本当は家には戻らなくて、友達の家に行ったんです」
……そのまま十時ごろまで遊んでいた。帰ってくると母がリビングで倒れており、ベッドまで運んだ。その時既に車はなく、父もいないようだった……何千回も、凌空と確かめ合った嘘を貫く。
ぼろを出さないように細心の注意を払って、自然な間をあけながら返事をする。とてつもなく神経がすり減る作業だった。
「どうして家に帰らずに、友達の家に行ったの」
悠希は少し言い淀んだ。
「一緒にいたいって言われて」
刑事は手帳に書き込んだ後、再び尋ねた。
「その友達の名前は?」
その後、家族関係についても詳しく尋ねられた。
「お母さんは、日頃からお父さんの暴力を受けていたの?」
悠希は少し考えた。
「機嫌が悪くなると、すぐに手が出る人でした」
「手を挙げるのは、お母さんに対してだけ?」
口ごもった。年配の刑事はその隙を見逃さなかった。
「悠希くんも受けてた?」
顔を覗き込まれ、悠希は小さく頷いた。
「十一日にお母さんが倒れてたのは、お父さんの暴力が原因だと思う?」
「母がそう言っていました」
「前にも同じようなことがあった?」
首を捻った。
「気絶させられるほどの暴力は、あの日が初めてだったと思います」
「お母さん意識が無かったのに、どうして救急車を呼ばなかったの」
「母が嫌がると思って。家庭内暴力のことは、外には漏らさないようにしていました」
「悠希くん一人でお母さんをベッドまで移動させたの?」
「はい」
「その間、お母さんは一度も目覚めなかった?」
「ぐったりしていました……薬を飲まされたみたいに」
刑事は少し手を止めた。
「ご家族で誰か、普段から睡眠薬を飲んでいる人は?」
暫く考える素振りをする。
「多分、いないと思います」
絵名の様子も聞かれた。
「帰宅した時、妹さんはどんな様子だった?」
「部屋の隅っこで眠っていました。はじめ母と同じように気絶してるのかな、と思ったけど、怪我はしていなくて、寝息も穏やかだったので」
抱っこして母の隣に移動させた。悠希はそう嘘をついた。
ほんの一時間の聴き取りが、一日がかりの模試以上に疲弊した。
絵名は見事なほどに人見知りを発揮した。若い女性刑事がおもちゃを使って機嫌を取り、その心を解こうと試みた。しかし数日間かけても話を聞き出すことは愚か、母や兄から離れさせようとするだけでも、激しく拒絶する様子は変わらなかった。
警察ははじめに女性関係を疑ったようだ。父の愛人について、悠希も繰り返し尋ねられた。しかし名前や所在を訊かれても、母から聞かされた愚痴以上の情報は、悠希の手元には揃っていなかった。
「そういう相手が何人かいることはなんとなく、母から聞いてました。だからあの日も、誰かのマンションかホテルにでも行ってるんだろうなって思っていたんです」
最も頻繁に聴き取り受けたのは母だった。日を追うごとに、見た目に出るほどげっそりとやつれていった。
「正直に答えてるのに。なんでこんなに疑われなきゃいけないの」
毎晩、塾から帰った悠希に、母は参りきった様子で嘆いた。
十一日の夜、帰宅した夫に殴られ、途中で気を失った。目が覚めるとベッドの上だった。間の記憶がない。
どこにも嘘など無かったが、警察は母のこの証言を不審がっていた。
愛人のつかさくんにまで聴き取りが及んだようで、それも追い討ちになって、日増しに精神は不安定になっていった。
「はる、ほんとに十時に帰ってきたの? 怪しい人とかも見てないの? どうしてお母さん目覚めなかったの」
「僕だって分かんないよ」
悠希は目を逸らしたまま答えた。
一番の証拠になり得た父のスマートフォンは、どこにも見つからないという。在処を知っているのは凌空と悠希だけだった。
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