第5話
王都ブルワ。エステルスンド王国の国王の居城であるブルワ城から名づけられたこの都市は、10万人の人口を抱える大都市。周辺の国の都市と比べてとても多い。これほどまでに大都市に成長できたのは、ブルワのある地域と人々の繋がりによって成り立っている。
ブルワ周辺は海に接しており、大小多くの島々によって入り組んだ地形となっており、俗に言うフィヨルドである。その特異的な地形によって昔から港として使われてきた。
転機が訪れたのが60年前に遡る。エステルスンドの北の地で多くの鉱物資源が採掘されるのようになった。特に鉄鋼は防具や武器、日用品に至るまで多くの物に使われて、需要が高かった。それでいてエステルスンドの鉄鋼は品質が良いと評価が高かった。掘り起こされた鉱石を旧大陸に運ぶ為、中継地点としてブルワが注目される。それと同時期にブルワが面している海である{東海}に面していると都市の商人達によって結ばれた商業都市連合、代表の商人の名を取り{ローベン同盟}と言われている。ブルワも今以上に貿易量を増やしたいと画策しており、ローベン同盟もブルワ延いてはエステルスンド全体との貿易を望んでいた。両者の意見は一致し、晴れてブルワはローベン同盟の仲間になる事が出来た。
これまで以上の貿易により、人やお金の流れが活発になり、ブルワは急速に発展を遂げる事になる。貿易で得た資金はその大部分は国に納められ、一時期はエステルスンドの国庫の約40%を賄っていた。稼いだお金で、鉱山開発、貿易港の拡大、そして王都ブルワの防衛強化に使われている。
エルフリーデ達がブルワ郊外の野営地に居た。日は早くも沈み、夜が訪れようとしている。今は11月。エステルスンドの日照時間は旧大陸よりも短い。その為、夕方の時間は夜も同然。凍えるような寒さも合わさって、旧大陸の人間からは{白の地獄}と形容されている。
野営地では兵士達が薪を集めて焚き木を起こしている。この大地では焚き木の火など、戦場で消える命の如く、儚く小さな存在でしかない。
それでも兵士達はこの火にすがり、今日を生きるために暖を取っている。
彼らとは対照的に、エルフリーデ達はテントにも入らず、それでいて焚き木に居るわけでもない。彼女らは大きな通路に居た。馬車が通れる幅がある。そこで三人は立っている。何かを待っているようだ。
あまりの寒さに根を上げる者が一人。
「寒いですな…アイゼンシュタイン様達は大丈夫ですか…?」
アンゲラーが身を震わせて問う。正装の上からコートや防寒着を着こんでいるようだが、白の地獄に負けそうになっている。風が吹き、さらに身を震わせて縮こまる。人間にとって苛酷な環境だ。
「大丈夫だよ。それにしてもアンゲラー、寒そうだな」
身など震わせず堂々とした態度を取っておる彼女の見た目は、紫の正装の上にコートを身を包んでいる。時に帽子の羽飾りが飛んでいないか確認のため帽子を取ったりしている。
彼女の茶色い髪が風でなびく。肩まで伸びた美しい髪は、毎日手入れを欠かさないのかシルクのようなツヤを放ち、金属のように頑丈に思えた。
「寒さには慣れていると思ったが、まさかこれほどとは。風が冷たいよ…」
彼の出身はガリシア王国の地方の貴族の出。ガリシアの地方もかなり寒い方だが、エステルスンドよりも南に位置し、少しは暖かいと思われが、それでも寒い。この二つの寒さに違いがあるといえば、それは標高2000m級の山々から来る風。これが体感温度を下げている。
「アンゲラーくん。貴族の出身なのだから、もう少し背筋を伸ばしたまえ。これから皇太子に会うのだぞ。それでは兵卒と変わりないではないか」
謁見の前に忠告をするグルーゲルも二人と変わらない服装をしている。初老に見えるが、ガタイも良く背筋を伸ばしてエルフリーデの後方の位置で待機している。執事としての使命を守っている。
初代当主からアイゼンシュタイン家に仕え、もう100年以上になる。そう、彼もまた吸血鬼なのである。
吸血鬼である二人は寒さを意にも介さない。彼女らは寒さに耐性があると言うより
、彼女らの体温が人間のものよりかなり冷たい。体温は一桁とも言われている。その為、あまり外気温の変化を感じないようだ。
「す、すまない、グルーゲル殿。貴族として、正しい振る舞いをしなくてならないのは分かっている。しかし、寒いんだ。城に着くまではしなくて良いかな…?」
「はぁ。まあ良いだろう。そんなに寒いのか?」
人間と吸血鬼の感覚の違い。人と同じ姿をしていても、中身は別物。彼らは人間の血を啜り、力を得る。人間は吸血鬼にとって食料であり欲求を発散する物でしかない。本来は恐れられ、近づきがたい雰囲気を漂わせている存在なのだ。
しかし、アンゲラーにとって彼らは、雇い主と言う側面を持ち、愛人関係と言う側面も持つ。同じ言語を話し、人間と同じような感情を持っている。だから、彼にとって吸血鬼は恐れる怪物ではなく、対等な人のような何か。
だが、こういった感覚の違いに遭遇すると人間では無いとつくづく実感する。
この場面がまさにそうだ。
「ああ、寒いとも!なんでまだ馬車が来ないんだ…」
彼らは馬車を待っている。それに乗ってブルワ城に向かう手筈となっている。ところが時間を過ぎても馬車は来ない。馬車自体は野営地でいくらでも見る事はできる、補給品や人の運搬に充てられているのだ。その馬車は作りが粗雑で動ければいいという物ばかり。だが、待っている馬車はそれとは違う。王御用達の質の良い高級な物、遠くからでも分かるほど立派な存在だ。
「すまないが、すぐのそこの焚き木に当たってきていいか?」
いよいよ寒さに耐えれず、火に向っていきたいようだ。アンゲラーは親指で近くで焚いている焚き木を指す。そこは兵卒がたむろしているのではなく、下士官や将校が独占している。将校は貴族など身分が高い者がなる。彼が混ざっても違和感は無い。
「はぁ。構わんが、遅れても知らないぞアンゲラー君」
少し呆れたようにグルーゲルが言う。彼に言わせれば将校や貴族たるもの、兵士の前、農民の前では堂々として、それでいて威厳が無くてはならない。少しでも情けない態度を取れば、ナメられてしまう。だからこそ、アンゲラーの行動は貴族らしくないと感じてしまう。彼も感じとったのか。
「ええ、大丈夫ですよ!すぐそこですから。では行きますね」
そそくさとグルーゲルから離れる。恐らく小言を言ってくそうだから、そんな事は聞く気は無かった。
「全く、あれで貴族の出なのか?とても信じられん。貴族と言うのは…」
アンゲラーの思っていた通り、小言が始まった。それを聞く相手は彼では無く、エルフリーデだ。
「良いじゃない、好きにさせても。馬車はまだなんだし」
彼女は何とかグルーゲルをなだめようとする。それ以上は言わなかったが、彼女。
「失礼ですがエルフリーデ様。あのような者を側に置いとくには、私は最初から反対でしたのです。このままではエルフリーデ様が腐ってしまいます!」
当の本人が居ない事を良い事にアンゲラーに対しての不満を言う。人間でなくともエステルスンドとエルフリーデ達の言葉が分かる吸血鬼は大勢いる。そのような者を雇えばよかったが彼女の独断で彼を採用した。
「その話は決着してるでしょ?それにお父様も許してくれたんだし。貴方の頑固ね」
「当然です。貴方のお目付け役として、立派に育つように貴方のお父上に約束したのですから」
グルーゲルは初代当主の使用人を管轄する責任者でありながら、親友であった。当主が突然、旅に出ると言って、息子であるゲオルグを跡継ぎにしたっきり一度も帰ってはいない。その日から数十年が経っている。旅立つ直前、グルーゲルに言った。「私の代わりに、息子と孫を…頼んだぞ。」と。
当主とグルーゲルは共に育てられ、共に戦いに明け暮れた。彼の頼みとあれば、どの契約よりの優先される項目となっている。グルーゲルにとってそれは契約と等しい価値があるのだ。だからこそ、息子が二代目当主になってからも見守り、彼の指示に従い、今は孫…エルフリーデを見守っている。
グルーゲルは子孫を作っていない。その為、ゲオルグを自分の息子のように慕っている。その孫であるエルフリーデもそのように見ている時もある。決して子孫が欲しくなかったのではない。欲しくなければ仕事以上に慕いはしない。ある理由があるのだ。
エルフリーデを見るたびに、あの日の事を思い出いしている。だが、悲しみはしない。今は彼女の成長を見守るのが自身の半生をかけるに値する事と信じて疑わないのだ。
その為、こんな人間風情に、エルフリーデを曲がらせやしないと心に決めている。
それを知らない彼女はずっとお転婆。危険に飛び込み、自身の命を顧みない戦闘の仕方。破天荒な交友関係。不安要素がいっぱいでとても目を離せないでいる。
「仕事熱心ね。でもそう言う所、私は大好きよ!」
心に一転の汚れの無いからこそ見せる事が出来るこの笑顔。グルーゲルはその笑顔を見るのが好きである。
「ふふ。ありがたき幸せです」
いつもは堅物な顔をするが、この時だけは少し頬を緩める。彼女にそれが悟られぬように頭を傾けて、前から見えないようにする。
数分後。遠くから木の車輪がただ踏み固めた道を走る音が聞こえる。彼女らには音のだけで、普通の馬車とは違う事が分かる。やがて馬車の姿が露わになる。闇夜を切りさくように現れた馬車は、普通の物とは違い、作りが丁寧であり、所々に装飾が施られている。農民が見ても中に乗っているのはとても身分が高い人物が乗っていると分かるだろう。
馬車はエルフリーデ達の前に止まり、御者が四頭の馬を落ち着かせる。扉が開き、中からホルシュタインが顔を出す。
「やあ、アイゼンシュタイン殿。待たせて申し訳ない。外は寒いでしょう。さあ中へどうぞ」
待たせた事に焦っていたのか、少量の冷や汗を搔いており、ハンカチを左手で持ち拭っている。残った右手は扉を開くのと、彼女に手を差し伸べている。
「随分遅かったわね。どうしたのです?」
エルフリーデは文句や皮肉をいう訳では無く、素直に彼に聞く事にした。
「それは行く途中で話しましょう」
「そうね。そうする事にしましょう」
彼女はホルシュタインの手を取る。馬車の中に入りながら、近くで焚き木に当たっているアンゲラーを呼ぶ。そのまま中に入ってゆく。
「アンゲラー!馬車が着いたよー」
あっ、と。将校たちと談笑をしていた彼は呼ばれた事に気づく。
「でも諸君!話の続きはまた今度だ!」
待ってくれよと、話の続きの所望する声がする。
「大丈夫さ!また話しに来るから待ってな!」
「アンゲラーさん待ってますよ。毒蛙を食った男がどうなったか気になって夜も寝れねぇよ!」
続きを気になる将校たちを尻目に馬車に駆け込む。
その間にグルーゲルまでもが馬車に入っていた。彼は見た目は初老であるが、体が身軽ですぐに入っていった。
アンゲラーが馬車に近づき中に入ろうとした時、ホルシュタインが問うてくる。
「アンゲラーと言ったか。貴方はどうして将校と一緒に居たようだが、何を話されていたのです」
彼の手を掴み中に入り、椅子に座りながら。
「え!?何って退屈だから俺の面白話を聞かせていたんですよ!」
ふうと、椅子にもたれ掛かり、身を委ねる。
御者が客が入ったことを確認すると手綱を動かし命令をだす。馬たちは命令を読み取り、足を動かし馬車を引っ張る。向かうはブルワ城。
「面白い話とは何です?」
彼の話に少し興味が出たのか、聞いてみる事にする。
「毒蛙を食べた男の話ですよ!面白いですよ!最後が傑作です!」
「ほう」と、もっと興味が出る。
その時。グルーゲルが咳ばらいをする。話が逸れそうだったのを修正しようとする。
「ホルシュタイン様。今はそのような話をする場合ではないでしょう?」
「ああ、そうだった。遅れた理由を言うのだったな」
気になるから、また後でアンゲラーに聞こうと心で思い。話を始める。
「遅れたのはな。簡単に言えば馬車を修理していたのだ」
「修理?どこか壊れていたの?」
エルフリーデが疑問をぶつける。他二人は静かに聞いている。
「車輪が外れていたのですよ。左の片輪だけがね」
「左だけですか。それは不可解ですね」
疑問に思った。簡単に外れるのか、それも片方だけがと。王族が乗る物なのだ。普通の物より頑丈に作っているはず。整備も入念に行なっていると、彼女は考える。
「我輩もそう思ったのです。整備の人間に話を聞いてみたら、どうやら部品が誰かの手によって外されていたのです」
「事故では無く、故意にと言う事ですね」
「そうだ…」
「つまりこのブルワの街の敵の協力者が居ると言う事ですね」
少しの間、馬車の軋む音だけが辺りを支配する。そして。
「疑いたくは無いが、その通りだ」
「ですが疑問ですね。なぜ馬車の車輪などを外したのでしょう?このような事が出来る相手です。小細工を弄しなくとも、直接的な行動に出ればよいのに」
「直接的と言うのは…?」
ホルシュタインは、この先を聞きたくなかった。自身の考えが当たってほしくなかったのだ。
彼女は自分の首にまで右手を上げ、首を切る仕草をする。つまり命を奪うと言う事。それを見て彼は頭を抱える。もし、それが本当なら城に裏切り者が居ると言う事になる。それもすぐ近くに。ホルシュタイン延いてはヨハンネスにまで暗殺者の手が伸びていると言う事。恐ろしい考えに頭を抱える。
「ああ、どうしたものか…」
抱える彼に一筋の光が差す。
「落ち着いてくださいホルシュタイン卿。もしそれが可能なら当にやっているでしょう。まだやっていない事はヨハンネス皇太子や貴方の命にさほど興味がないのでしょう」
「興味がない?じゃあ今回の事はどういう意図で行ったのだ?」
「ホルシュタイン卿はどう思います?」
う~んと、唸りを上げて考え込む。ある一つの答えを導き出す。
「命じゃなければ、君をヨハンネス様に会わせたくないとかか?」
「そう考えるのが妥当でしょう」
「なら相手はまだ何かやって来ると?」
「そうでしょうな」
また考え込む。腕を組み、う~んと唸る。
馬車は城壁の門を通り、街の中に入っている。街には明かりが灯り、活気があるのが見てわかる程に。
街の通りを進んでいると前では数人の人混みが出来ていた。御者が馬車を止める。止めた衝撃が中にまで響いた。
「ん?どうしたんだ?」
考え込んで居たホルシュタインが声を上げる。
「御者。どうしたんだ?」
中から外に声をかける。
「馬車が横転してますね」
人混みの正体は。交差点で荷馬車の車輪が外れて、荷を道にぶちまけて、御者や通行人が馬車を動かそうとしている。見るからに通る事が出来ない。馬車の構造上後退は出来ない。この事故現場が片付くまで動くことは出来ない。
「動いたな…」
エルフリーデが呟く。
吸血鬼傭兵物語 北方戦域編 ハークネス @harkness
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。吸血鬼傭兵物語 北方戦域編の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます