さち子の話

@8163

第1話

 さち子の顔を久し振りに見た。中学以来だ。別に何の関係もない。話した事も無いかも知れない。そら、挨拶くらいはしたかも知れないが、それは同級生だからで、それ以上ではない。だが、印象は鮮やかで強烈だ。部活でソフトボールのキャッチャーをしていて、防具を着けてホームに立ち、左手にミット、右手にマスクを持って両手を上げ、外野に向かって叫んでいる姿を覚えている。それがコロコロとしていて、思わず笑みが洩れるほど可愛いのだ。栄養満点な仔犬のようだったが、二十歳を過ぎても印象は変わらない。相変わらず全身が丸い印象で仔犬が動き回るようで、見ている皆も幸せになれる。

 そんな事は誰にも喋ってはいない。好きな女の子は別にいて、その子への思いとか胸のトキメキとは比べようもなく、恋と呼べるような感情ではない、と、考えていた。

 可愛いと言われれば意識して、戸惑いとか自惚れが自ずと出てしまい、ぎこちなくなったり、演技して、それが鼻についたりして面白くないのだが、多分さち子は誰にも゙可愛い゙などとは言われてはいないのだろう、自分もまた、思ってはいないのかも知れないが、でも、そんな考えは失恋を経験する前までの話で、恋の駆け引きは甘い考えを改めさせる。今では必ず自惚れや演技は、無いと言っても無意識ではなく、無意識のように扱っているのだと知っている。けれども、それは異性が混じっている場合だけで、同性だけなら意識しなくても済んでしまう事なのかも知れない。男同士でも、そうだが、さち子もソフトボールのチーム、特にピッチャーの神谷と何時も一緒で、殆んどの時間は、その他の時間もチームメート、つまり同性と過ごしており、意識する異性もいなかったのではないかと類推するが、そんなものはアテにはならないとは理解はしている。そんな事より、体のデカいピッチャー神谷との関係を色々と想像した。

 ピッチャーとキャッチャーだから、心理的には持ちつ持たれつな関係な筈で、そこから同性愛のような心理状態を想像した。男でも、余り仲が良いどホモ゙かと揶揄されるが、女同士で手などを繋いでいるのを見ると、幼稚園児や小学生なら気にも止めないが、中学生となると微妙だ。男でも性に目覚める頃で、成長の早い女子なら尚更だ。

 まだ中学生ながら、女子の精神がオマセなのを知っていた。姉が三人もいて、その下の姉二人の勉強嫌いが、読書をしているのが不審で、その本を部屋に忍び込んで持ち出して来て調べて読んでみたら、とんでもなくエッチな描写の小説だった。

 ジュニア小説なら、クラスの中でも回し読みされていて、カバンからカバンへと、隠すように渡されているのを目撃した事があり、まあ、さち子がそのグループに属しているのかどうかは分からないが、全く知らないと言う事は無いだろう。存在を知らぬ筈はない、と言うより、読んだ事くらいあるだろう。もう、恋愛のシミュレーションをしている訳で、アニメのフィギュアで遊んでいる男子では相手にならない。そして、そんな女の子は上級生の男子を対象にしていたのだと、後々に知った。具体的には、高校生になって郵便配達のアルバイトをした時に、同級生の女の子のラブレターを先輩の家に配達した事があり、そんな関係に全く気づかなかった自分の迂闊さに呆れると共に、同い年の自分を相手にしない女子の心理状態は、訳の解らぬブラックボックスなのかと嘆息した。


 父親が脳血栓で入院し、その病室でさち子に再会したのだ。

 私は、父親が五十に近い年で生まれた子なので、二十歳を過ぎていたから、父親は、もう老人で、脳血栓でも不思議じゃない。むしろ脳溢血じゃなくて幸運な位だ。薬とかカテーテルの手術で済むからだ。

 さち子は看護師になっていた。だから仕事だ。見知った女の子が父親の世話をしている。妙な気分だ。これが、好きな女の子が別の男の世話をしているのなら゙嫉妬゙を感じて焦るのかも知れないが、久しぶり、五年か六年か経て、全く思い出しもしなかったさち子がいきなり現れ、甲斐甲斐しく父親の世話を焼いている。寝間着の浴衣の袖を抜いて脱がせ、横を向かせて身体を濡れタオルで拭いていた。

 集中治療室で透明な酸素マスクをして、頭の上には点滴の袋、その脇には点滅するランブや緑色のデジタル数字か表示された機械が並んで、もう死ぬのかと漠然と考えていたのだが、倒れた時にも意識はあったので、それは違うだろうと思ったが、最悪な場合を想定して心の準備はしておかなくてはならない。オロオロしてはみっともない。と言っても、疾うに親父とは勝負がついていて、息子と父親、男としての勝負は力くらべ、小学生までは負けていたが、高校ではもう勝負にならず、人間的にも我が父親ながら、何の仕事も成し遂げてはおらず、女三人、男一人を育て上げた事など大した事じゃ無いとの認識しかなかった。

 だが、成長して身体は父親よりも大きくなり、顔も母親に似ていると言われていい気になっていたのだが、他人の親子を観察すれば判る通り、後ろ姿とか横顔とか、チョットした素振りが驚くほど似ていて、それを他人に指摘され、初めて、そんなものかと、納得は出来ないまま認めるしかないが、どうやら、さち子がその感に囚われたらしい。あの、萎びた親父の体を拭いて俺を連想したのだろうか?

 父親にはさち子が中学の同級生だとは言ってない。さち子も、そんな余分な事は言わないだろう。父親から゙同級生なのか?゙との質問は無い。だから、さち子も親父に何の情報も与えていないのが判った。また、お互い、相手を認めてはいるが、会話はしていない。過去に会話をした覚えが無いから喋る事が思い浮かばないのだ。

 だが、此方は最初にさち子だと判って吃驚して顔を見詰めたのだが、さち子は、驚いたようだが取り乱す様子は無かった。ひょっとしたら名字から何らかの関係を推理していたのかも知れない。だとすると中学時代、こっちが可愛いと感じていたのを解っていたのかも知れないし、そうなると、吃驚したままの此方の顔を一度みて眼を反らし、ルーティーンの作業に戻ったのは、あの頃と同じと言う事か。つまり、此方の感情の動揺には気づいてはいるが、無関心だと。否、無関心を装っている。そう考えた。

 病院はよく映画やテレビドラマの舞台にされる。ホテルと共に、所謂ホテル形式の演劇のジャンルのひとつだ。様々な人が集い、様々な事件が起こる。しかも命に関わるような事もしょっちゅうだ。普段、生活していて、死とか意識不明とか半身不随とかに遭遇はしない。ドラマなら大概は助かってハッピーエンドなんだが、現実は違う。いつの間にかベッドが空になり、入り口の名札が消える。誰も何も言わないし訊かない。さち子も、そんな毎日を過ごしているのだろうか。

 此方を認め、驚いている俺の顔を見て、別の世界に生きていると認識して、諦めて眼を反らして自分の仕事に戻る。そんな風に感じたのだが、テレビドラマなら、胸の高鳴りを抑えて、そのドキドキを覚られないようにと、必死になる演技が必要なのだろうが、そうならないのは予め名字から予想していたからだと考えたのだが、そうではなく、過酷な毎日がさち子に、そんな゙お伽噺゙を語るのを止めさせたのかも知れない。

 悲しい事だが、意地悪な看護師の噂は良く聞く。冷たく底意地の悪い、どこそこの病院の看護師に当たって困った、などと噂を広める輩がいるのだ。大抵は年老いた親の面倒を看きれずに病院に頼り、その責任を看護師に帰せようとするのか、聴くに堪えない事までも話して臆面もない。だが、その話も良く出来ていて人を納得させる論理がある。曰く、優しくて人の良い看護師は苛められて辞めるか、見初められて早々に寿退社し、残っているのは意地悪しかいないのだと……。


 看護師になった女子は同級生にもう一人いる筈だ。此方は担任教師の母親が看護師だったので、その伝で学校も病院も紹介されていた。進路指導で親身になって世話を焼かれる姿を見ている。一方、さち子の方は噂にも聞いたことが無かった。だから驚いたのだ。その子のように中学から看護学校へ進んだのでは無いだろうから、身内に医療関係者がいたとか、憧れがあったのではなく、職業としての選択なんだろうか? それとも、身内の誰かに病人が出て、その看護からとかの話なのだろうか。動機を知りたいものだが、こうやって色々と想像するのも悪くない。真実は存外あっけなくて、ガッカリするのが定番だ。そんな野暮は止めて置こう。根掘りはほり訊いて深入りすれば、さち子もやりにくく為るかも知れない。


 病院はここら辺りの基幹病院で、元は街なかにあったのだが、郊外に新しく新設され、田園のただ中にコンクリートとガラスのビルとなって聳え立っている。敷地内にはリハビリセンターと看護学校も併設され、大学病院を除けば規模、設備ともに一流だ。

 街なかにあった古い病院ならば一度、肺炎になって入院した事があり、馴染みなんだが、新しい病院はスケールも設備も桁違いだ。エレベーターで六階へ行くのだが、床の感触からして違う。厚いのだ。壁も窓も、いや、病室の窓はもう開かない。全室冷暖房、父親の部屋は個室だ。入院した昔の病院は6人部屋。隔世の感がある。それでも法律上の問題なのか、ベッド数は変わらないと言う。

 病院には昔も売店はあったが、面積は駅のホームの売り場くらいしかなかったのに、今はちょっとしたコンビニ、何でも揃っている。勿論、コピー機やATMもある。物珍らしさからウロウロと店内を歩いていたら、廊下の長椅子に、これもまた中学の同級生の丸山を見つけた。卒業以来の邂逅だった。人の良い奴で、そう言えば丸山もその名の通り、顔も体も丸い。相変わらずの坊主頭で、昔はアンパンマンのように頬っぺが赤かったのだが、流石に今は仕事の所為か日焼けしている。だが、それだけでは無いのかも知れない。横に一人座っていて、廊下の奥から走って来たのが二人、野球のユニフォーム姿の子供が纒わりついていた。今も団地の子供達を集めて野球をしているのだろうか?

 「まだやっているの?」子供らに野球を教えているのかと尋ねたのだ。

 突然の言葉に見上げた顔が、破顔一笑、みるみる内に白い歯を見せた。

 「久しぶりィ……」照れているような笑顔だ。あいつの怒った顔を見たことがない。そして、普通は中学生になると、もう小学生とは遊ばなくなるのだが、上手いこと皆をまとめて遊びながら野球をする。遊びの延長だから叱ったり細かく教えたりはしない。だから加入してくる子供はいても辞めて行く子はいない。ところが、丸山自身は野球部ではないのだから不思議だった。

 中学に入学して、初めは入部したらしいが直ぐに辞めてしまった。訳を訊いたら、好きな野球を嫌いになりそうだから、と、言った。厳しい練習が合わなかったのかも知れない。それに、体の大きな奴らが幅を利かせていて、丸くて小さくては勝負にならないと思ったかも知れない。

 確かに、体力、能力ともに劣っていた。知り合った切っ掛けが街なかの空き地で、どうした事か誰が持ってきたのか、矢を投げて、どんだけ遠くへ飛ばせるか競っていて、此方は田舎の農家の息子、肩の強さには自信があって、身体も大きくはないのに、運動は得意で、走っても投げても敗ける気はしない。けれども、石投げは広い川原で川の向こう側へ向けて、平たい石で水面を跳ばせて回数を競うのは池で、いづれも民家など無い天然、自然の空間だ。それが、金属の矢じりは付いていないとは言え、飛ばし過ぎると空き地を飛び越えて家に当たるかも知れない環境だ。そう危惧して躊躇っていると「思いっきり投げて見ろよ」と、囃し立てる奴がいて、それならと投げたのだが、さすがに助走はつけなかったのに、矢はぐんぐんと伸びて空き地を囲む道路を飛び越え、向かいの家の窓を目掛けて落ちて行った。

 ゙やっちまっだそう思って頭を抱えたのだが、周りの皆は、あまりに高く遠くへ飛んだので口をあんぐり、驚いて声も出なかった。

 少しして、思いっきり投げろと言った奴が、オレ知らねえと言い、その他も同調する雰囲気だったのだが、丸山が「オレが謝って来てやる」と言い終えると、勢い良く走り出したので、連られるように皆も後を追った。

 空き地から道路へ出て、ゆっくりと家に近づくと、窓に垂れ下がっている簾に矢が突き刺さっていた。矢の先が窓のガラスを突き破り、割れているのかと、恐る恐る簾と窓の間を覗き込むと、矢の先はガラスの手前で止まっていて無事だった。斜めに、山なりに落ちてきていて、その分深く刺さっても窓には達しなかったみたいだ。一同ホッと胸を撫で下ろし、ため息をついた。

 「何て肩をしてるんだ!」丸山が呟いた。

 「やり投げでもしてるのか?」そう言って振り向いて、矢を抜いた。

 陸上部ではないし、勿論やり投げなどしたことは無い。いや、そもそも小学生にやり投げの競技は無いだろう。中学でもだ。

 それから丸山と遊ぶようになった。学校帰りや休日に約束をして団地の公園へ行くと、子供らはもう集まっていて、大概はキャッチボールもそこそこに、直ぐにゲームだ。軟球なので小さい子どもでも平気だし、人数が増えても、外野に五人・六人なんて事も平気で、まだ低学年の子供も混ぜて遊ばせるのだ。

 ソフトボールなら遊びで経験があったが、硬式はもちろん、軟式でも野球は未経験だ。だが、キャッチボールはソフトの玉では大きくて握れないので、大概は軟式球でしていたので、手に馴染んではいて、違和感は無かった。そのボールが足下にコロコロと転がって来て、グラブを嵌めた左手と素手の右手を広げで取って投げてくれ゙と、ユニフォーム姿の子供が合図を送って来た。

 球を拾いあげ、投げ返そうと構えたが、そのまま返球したのでは面白くないので、少し考え、左手で空を指し、真上に投げた。外野フライの練習にもなるだろうと思ったのだ。

 球は新品だったのだろうか、窪みや模様がゴツゴツとして、縫い目を模したギザギザが中指と人差し指の腹に掛かって滑らなかった。思った以上にスピンが掛かり、高く上がった。

 青い空に白球が昇って行き、スピンで戻って来るだろうが、その計算に抜かりはない。球の回転でのループを計って前方に投げているのだ。球は青い空に吸い込まれるように見えなくなって消えた。青空に紛れたのだ。

 球が消えてしまったので、子供はグローブを構えたまま空を見上げてウロウロとしている。それを確認して振り向いて丸山と、話の続きをし出したのだが、子供の声でまたまた振り向いた。

 落ちてきた軟式ボールは大きく地面に弾んで、子供らはそのボールも掴む事が出来ず、だんだんと弾む高さは縮んで、投げた此方に向かって来ている。前方の上空に向かって投げたのだが、球は回転でループして戻り、地面に落ちると今度は、まだ回転が残っているのか、手前に、戻るように跳ねるのだ。

 「もう一回、投げて」と、空を指差している。

 真っ青な広い空に白いゴムボールは、あまりにも小さく、高く上がると吸い込まれるように見えなくなり、弾道を想定して目で追うのだが、指に掛かったボールの回転は投げる度に微妙に異なり、それに上空には風もあるのか、大きく戻ったりする。それに落ちてくるボールのスピードは意外に速い。

 だいたいはボールの消えた辺りを落下点に想定していて、そこに焦点を合わせているので、少しでも外れると、気づいた時にはもうボールは落ちてきていて、とても間に合わない。それにグローブを頭の上に構えて待っているので、体の重心が上にあがってしまって、上体を曲げて取ろうとするので足が付いて行かず、見ていると手を伸ばしてフラフラと踊っているようで、思わずニンマリと笑ってしまう。二人も三人も両手を上げてフラフラと踊っているのだ。そうして、ボールをキャッチする事は出来ずに失敗するのだが、キヤッキャッと騒いで喜んでいる。青い空に消えるほど高く上がるボールは初めての経験で、きっと面白いに違いない。   

 「ポケットキャッチを教えたら?」と、丸山に言うと、同じ事を考えていてのか、丸山は直ぐに子供らの方へ行き、グラブを腰の辺りでひっくり返して手のひらを上にしてボールをキャッチする方法を教えた。ポケットキャッチだ。後ろでも横でも、体の向きさえ変えれば正面で捕球できる。プロ野球ならキャッチャーが真上に上がったフライを取る時にする技だ。

 すると、次に投げあげた時には早くもマスターしてキャッチする子が現れ、その子だけでなく、皆が喜んで跳び跳ねた。


 そんな思い出があるのだ。だから、人を驚かしたり、そうやって注目させた後、教えたりして、出来ない事を出来るようになる喜びは知っているが、もう自分で電気工事の仕事をしている丸山が、飽きもせず、未だに続けているなんて、驚き以外の何物でもない。       「さち子が看護師になってるぞ」

 「知ってた?」訊いてみた。

 丸山とさち子、二人は同じ小学校で住所も近い。知らぬ筈がない。さち子が看護師を目指した動機とか知っているかも知れないし、家庭の事情とか、ひょっとして結婚している、なんて事もあるのかも知れない。より詳しく解れば今後の対処の仕方の方針が決められる。

 「会ったの?」

 「病室で……」

 父親が倒れて入院した事を告げ、そこで担当になって世話をされたと説明した。だが、丸山も、さち子が看護師になったのは知っていたが、志望動機とかの詳しいことは知らないようだ。

 丸山の方は子供が足を挫いて、念のためにレントゲンを撮りに来たらしいが、骨は折れてはいなかった。靭帯が伸びていてビッコは引いているが歩く事はでき、急ぐと片足でケンケンして跳び、屈託がない。

 子供達は売店に行き、長椅子の空いた席に丸山と並んで腰を下ろした。

 深く座り、開いた膝に肘をつけ、前屈みになってから首を回して下から見上げるように丸山の方を向いた。

 丸山は背凭れに体をあずけたまま柔らかく座っていて、ニコニコと笑って此方を見ていた。

 二人とも自然と笑いが込み上げてきて、頬が吊り上がってくる。嬉しいようだ。

 あれ以来なのに、意識は当時に戻って今の環境の不安や心配、野望とか欲も存在せず、しかも信頼は揺るぎない。そんな奴なんだ。だから笑えてくる。

 つるんで悪さをするとか何かを競い合うとか、暇な時に連絡を取り合うとかの仲ではないが、こうして久し振りに会っても解りあえて余分な気遣いも不要だ。

 二人で飲んだ事もなかったし食事したことも、喫茶店に行った事すらもない。さらに、教室で話し合った記憶も無いのだ。学校では各々、別のグループに属していて、何かを一緒にするとかの場合、仲間に誘うとかの考えも思い浮かぶ事なく過ごしていた。

 どちらかと言えば丸山は内向的。でしゃばって引っ張るタイプではないが、質問をすれば自分の考えは持っていて、必ず答えてくれる。

 私の方は次々に友達を変え、あっちこっち渡り歩いている風で、優等生から不良っぽい奴まで満遍なく付き合っていて、信用はされていないのは分かっていたが、次々に付き合う相手を変えるのは、飽き性なのかも知れなかった。それでも不良は不良で、優等生は優等生で、それぞれの面白さがあって優劣なんて存在しない。どちらも陰でこそこそと悪さをして、優等生は成績こそ良いが、人間として優秀だとも言えないし、不良でも発想が豊かで魅力的な奴もいた。どちらも、つまりは仮面を被っていて、優等生の仮面は本当の仮面。不良の仮面は、仮面ではない。そんな仮面を被る必要がないからだ。でも、ワルの仮面を二重・三重に被っていて、より複雑だ。大概は家庭に問題がありそうで、深くは探れない。何となく周りの奴から仄聞するだけだ。それでも日本人ならば離婚してシングルマザーとかの問題だけなのだが、在日となると、それに加えて国籍の問題とかの理解不能な問題があり、暗い目の奥に秘められた思いに、掛ける言葉もない。

 ただ、それとなくは知っていたが、詳しくは解らない。どうやら日本人では無いらしいと分かっても、そんな事を気にしていては一緒には遊べない。此方に違和感はないのだが、彼らには激しい蟠りがあるらしく、後々、その複雑さを知ることになる。それに同情はするが味方には成れない。被害者だと言うが、少なくとも戦後うまれの我々は加害者ではない。

 いや、丸山のことではなく、他の同窓生の話で、2・3人いたみたいだ。全て男で女の子の名前は上がらなかった。その悩みの深さは同級生一人が自殺したと聞くまでは、その深刻さを理解する事は出来ず、また、聞いても複雑な家庭環境を紐解くなんて無理だ。裏には彼らだけのコミュニティがあるらしく、それを覗き見るのすら不可能だった。


 「青木が死んだらしいけど何か知ってる?」

 同級生の大人しかった青木が亡くなったと聞いた。高校を卒業して程なくだ。自殺したらしいと言う話だが本当だろうか? 噂は色々とあるが、どれもこれも本当かどうかは分からない。在日で母子家庭。トルストイの言う、様々な不幸のうちの一つには違いないだろうが、二十歳前に死んでしまうとは、幾らなんでも早すぎる。

 そりゃあ思春期なんだから死にたい時もあるさ。死を否定はしないが肯定も出来ない。自分を追い詰め、鬱病になって死んだに違いないが、その死に方で何か解るかも知れないし、メッセージを読み取れるかも知れないと考えた。丸山は訥々と語り出した。

 縊死らしい。早朝、家を出て神社に向かい、鎮守の森の欅の木に紐をかけて首を吊ったらしい。

 母親と二人暮らし。もしも家で死んだのなら、母親に発見されるのだろう。それは全てを親の所為にし、母親を悪者にして責任を押し付ける行為だと思われるかも知れない。母ひとり子ひとり、当然、マザコンだろう。その母を残して行くんだから辛い選択だったろうに。その上、その死の原因までも母親に帰するような真似はしたくはなかったろう。それに、広くはない家で気配を消すのは容易ではない。気づかれたらどうしようもない。

 早朝、梅雨の季節。少し霧が出てたらしく、神社の石の鳥居も霞んで居ただろう。だが、鳥居はくぐってない。その左、大きな日露戦争の忠魂碑に至る階段を上って裏に回れば、鎮守の森の木々の間の道に出る。社殿の裏の、正面からはこんもりと見える緑濃い辺りだ。

 境内には市の天然記念物に指定されるような大きな欅の木もあったが、幹が太く下の枝も抱えるほどで、本格的なロープがなけりゃ首吊りなんて出来ゃしない。それに境内では朝の散歩の人が来ないとも限らない。霧で霞んではいても参道を歩けば気づくのは間違いない。もしも未遂のままで止められたのなら、この上なく惨めだ。それだけは避けたい。

 社殿の裏の鎮守の森は自然林に近い。だが、木が密集しているので生存競争が激しいのか、年数を経てもそんなには大きく成れない。欅もあるが、太くはなく、下の枝でも直径は20センチ位で、高さも背よりも少し高い2メートルほど。足場にしたのは木馬、お祭りに立てる幟の柱に噛ませる台。社殿の横にある細長い倉庫に仕舞ってある物だが、そこは子供の頃の遊び場。知らぬ事など無い。鍵など掛かってはいないのだ。

 紐は母親の着物か何かの紐なのか何なのか、赤と緑の花柄のような鮮やかな色の絹だったらしく、枝に掛けて結び、それを一捻りして首を通し、台にしていた木馬を蹴ったらしい。

 ずいぶんと静かな、音も、霧で色もなく視界も定かでない、しめやかな中での死だったみたいだ。大人しく目立たなかったアイツらしい。

 首吊りは死に至る時間が長引き、苦しむのじゃないかとの懸念があると思うのだが、どうやらそれは間違いで、電気ショックや毒殺よりも苦痛は少ないとの本の記述もある。ただ、いかにも見映えが悪い。霧の朝、木立の中でそんな物がぶら下がっていたのなら、見つけた人はさぞ驚いた事だろう。だから、母親に、そんな役割を負わせなかったのは賢明な判断だったのだ。

 話し終わると丸山は顔を上げ、視線を中空に泳がせた。

 悩みがあるのなら、丸山ならば親身になって聞いてくれた筈だが、青山としては埒外の選択なのかも知れない。在日と言う存在が青山の思考を、もう一つ輪を掛けて複雑にして頭を縛り、のしかかって締め付けたに違いない。結局、日本人なんかに解るものかと、話す前に諦められたのさ。その事は丸山も承知しているに違いない。そして、それ以上は踏み込めない。死んだと聞いて、一瞬は悔恨が丸山の頭を過ったのかも知れないが、どうしようもない事なので諦め、眺めているしかない。嘆息するのが正しい行為だ。

 青山の死は、噂で聞いた時には顔が浮かんで来て、それから雰囲気を思い出しただけだったが、詳しく知ると別の感慨が湧いて来る。

 何の悩みなのかは知る由もないが、静かな死は世の中への反抗とか制度への反発、暴力、自暴自棄とは無縁なのだと思う。己の存在を問い、生きていたいのかどうなのか、何がしたいのか、したくないのか。勿論、結論なんかは出ない設問なので、考えても悩んでも沼に嵌まるばかりで、抜け道なんかは無いのだ。そんな想像をしている。それに加えて国籍やら何やらの問題があったのかも知れず、これが30才を過ぎていたのなら世の中、殆どは金の問題なので金の悩みで死んだのだろうと結論するのだが、純粋に形而上の問題で死んだと思いたい自分がいる。

 同級生だから死を尊いものとして持ち上げ拝んで祭り上げたいのかも知れないが、断片的に思い出す表情は、中学生なのに憂いを含んだものなので、どうしても深く内省的な思考なのではないかと想像してしまう。

 我田引水、青山を己の土俵に引っ張り込んで分析しようとしているのかも知れないが、例え借金苦で死ななければならないとしても、何故生きているのかとか、何故死ななければならないのかとかは考えるだろう。それとも、そんな事など考えなくても死んで行けるのだろうか。

 昔ならば時世の句とか詠んで、少しは事情も知れようが、もうそんな習慣は無い。時代が時代なんだから、ビデオメッセージか何かで残しても良いのかも知れないし、生前葬とかの選択肢もある。死を茶化すなと言われそうだが、何処かの国では自爆テロをこれからやろうとしているメンバーがビデオを残している。あれでもし腹に巻いた爆弾が不発だったら、特攻隊が生きて帰って来たのと一緒で、ゾンビ扱いになるのだろうか……。

 とにかく、残された者は辛い。我々ではない。母親の事だ。丸山に訊いたら住んでいた家はもう跡形もなく消え、母親の行き先は分からないと言い、跡地にはマンションが建っている。私鉄の駅の裏、ごちゃごちゃだった所が今はもう変貌して、洒落た感じになっている。けれども、地上げとかの噂は聞いてないが、トラブルの可能性が無いとは言えない。こんな事を言うのも、鬱で考え込んで悩み、霧の中で縊死するなんて、幾ら形而上とか言って誤魔化しても本当にそうなのかどうか分からないし、地上げ屋のヤクザに脅され追い詰められて死んだのなら、それはそれで、そこにスパッと線を引いて後を引かない。お母さんも自分を責める事なく、その地上げ屋を恨めば済む。そう考えたのだが、丸山に言っても首を縦には振らなかった。


 ため息ではないだろうが、二人とも息を吐き、丸山は背凭れに背中を着けたまま、顎を上げて天井を見詰め、私は項垂れて床を見ていた。

 膝に両肘は着けたまま、前屈みになっていたのだが、気配がして首を回すと、廊下の先から若い女の看護師が3人、並んで歩いて来るのが見えた。薄いピンクの制服は辺りに映え、華やいで楽しそうだ。

 ところが、真ん中はどうやらさち子みたいだ。

 直ぐにさち子も此方に気づいたらしく、両側から話し掛けられるので右左に顔を交互に振りながらも、目線を此方に向けたままで喋っている。

 近づいて来たので、屈んでいると通行の邪魔。顔は3人に向けたまま、横隊で通れるように上体を持ち上げ、背筋を伸ばした。

 それに呼応するように、さち子が左手を軽く持ち上げ、折り曲げていた指を開いて掌を広げ、挨拶でもするように小さく動かした。でも、その間も同僚とのお喋りは止まらない。

 此方の二人を無視する訳ではないが、止まって挨拶する様子もない。自然な振る舞いのようだが、そうではない。意識はしているが、それを悟られたくはないのかも知れない。

 ゙シャイなのか?゙それとも親父の看護をしているので、色々と病状について聞かれるのを避けているのか?

 横を通り過ぎても会話は止む事なく続いている。そして通り過ぎたら手前の女の子の小さな、ひそひその声が漏れ聞こえた。

 『知り合い?』こちら側に掌を立てて、防音壁のようにしていたのだが、声は後ろに漏れていて、まるで尾を引く飛行機雲のようにになったに違いない。

 『中学の同級生』答えるさち子の声も聞こえた。

 3人はそのまま遠ざかってロビーの方へ消え、遠くの廊下の床が、夏のアスファルトのように逃げ水のように光っていて、まるで、さち子の姿が幻であったかのような覚えだった。

 帽子もそうだが履き物も制服と同じピンク色で、靴ではなく爪先と踵の生地の無い、サンダルと言った方が良いような物で、しかし厚底なので皮やスポンジの物とは違い、靴の方が近いのかとも思う。

 そんな履物に拘るのは、穴の空いた靴下の先から覗いた足の指のような爪先と、歩く度にまねいて見える踵の裏の少し赤くなって、剥き出しになっている肉の赤身のような色。皮膚が薄く透明に近く、鮮紅色の血管が透けて見えるのか、土踏まずの辺りが、唇とか目の下の淚堂を剥いた時に覗く、普段は隠されているが、生々しくも痛々しく、それでいて強靭で生きている生命そのものの姿を彷彿させる皮膚。

 そんなのは若い女か子供。それも全員と言う訳には行かず、色白で活発、興奮すると顔が赤くなるような性格の、さち子のような女にしかみられない。

 つまり、ピンクの履物から、しかもその隙間から見える素足の、そのまた部分から想像した女の肉体の色っぽさについて感心してしまっているのだ。

 そんな事があるのかと思うかも知れないが、チラリズムと言おうか、たわいもない男の空想なんて、女に取っては鼻先で笑う物だろうが、隣で同じように視ていた丸山が、いつまで経っても遠くを見詰めているので、ひょっとしてさち子を想っていたのか? と、思い至った。そして、此方が見ているのにも気付かずに尚もさち子の消えた面影を探しているような雰囲気が、きっと好きなのに違いないと確信させた。

 そうなのだ。だからさち子の話はしたくないような、少し嫌な感じを漂わせて、尚も詳しい情報を与えたく無くて、ぶっきらぼうに言葉を選んだのだ。それが解ったのなら丸山も恋をするのかと、安心するような可笑しみを感じた。


 他家に嫁いでも娘は娘。近くに嫁いだ真ん中の姉が入院中の親父の着替えを運んでくれるのだが、時には用事で行けなくなり、そんな時には、しょうがない、代わりに病院へ行く事になる。

 男親は娘には気を許しても、息子が訪れても嬉しそうな顔をしない。ましてや下の世話とかは絶対に拒否だ。まあ、此方も拒否だが、緊急事態ならどうなるか分からないので、親父も緊張するのかも知れない。それならばと、ボケを咬ませてカリフォルニア・オレンジを薄茶色の紙袋に七・八個入れて持って行ったら、案の定、不評で、食えない物を持って来たと、姉にこぼしたらしい。

 半身不随で、真っ白なシーツに横たわる老人と、生命力に溢れた橙色。そのコントラストは面白く、姉に頼めば皮は剥いてくれるだろうし、食べれば命に溢れた橙色を体内に取り込めるのだ。

 勝手な想像で組み立てたストーリーは、気弱になっている親父には理解もされず、アホな息子だと思われただろうが、別に気にしてはいない、が、じかに嫌味を言われるようなら、一日中、看病して、下の世話をして、オムツを当てで良く出来ましだと、赤ん坊あつかいをしてやろうと考えていた。

 それまでは駄洒落オヤジだったのだ。それも「隣の家に囲いが出来た。へえー」クラスの洒落では、笑えもしない。迷惑でしかない。

 たが、もう駄目だ。若い女の看護師さんでも、ひとつの洒落も噛ませない。顔も半分は麻痺があり、唇がそちらだけ垂れて、唾液が絶え間なく流れて常に拭わないと、犬が食事を゙待でをされた時のようにヨダレが溢れるのだ。

 その有り様をじっと眺めていると悔しいのか、途端に不機嫌になり、口を利かなくなる。普通ならそこで終わりなんだが、不肖の息子。それで済ます事はない。追い討ちを掛けて怒らせるのだ。

 大人しくなって聖人君子のようになり、生きたいとも死にたいとも思わず、為すがまま、されるがまま、我も張らず我が儘も言わずに成ってしまっては面白くもないし、気に入らない。頭から湯気を出すほど怒り、息子だろうが何だろうが、張り倒すほどに激昂したのなら、もう一度動けて喋れる体に戻ろうとの意欲が湧こうと言うものだ。

 そんな考えが纏まり、どうやって怒らせてやろうかなんて思いながらエレベーターに乗り、降りて病室に入ったのだが、事態は思わぬ方向へ飛んでいた。

 脳血栓と言うのは、つまりは、脳の血管が詰まって血流が止まり、赤血球で酸素を運べずに、放って置けば脳細胞が死んでしまうと言うことだ。これが心臓で詰まれば心筋梗塞。名前は違うが原因は同じで、結果はどちらも死だ。だから、脳の血管は薬で治療したが、今度は心臓の血管を調べる為にカテーテルを入れて調べようと、太股の付け根の太い血管から入れるらしく、付近に生えている毛を全て剃るらしい。剃毛だ。

 うら若い女性の剃毛ならば色気も十分、お金を出してでも見たい所だが、老人の萎びた体の剃毛では金を貰ってもお断りだ。だが、運悪く、そんな場面に出くわした。

 いつものように寝ている親父の頭の方から顔を出したら、手術の時の外科医のような青いゴム手袋をしたさち子が、安全カミソリを右手に持って、まさに剃毛のさなかだった。

 それが、ぞんざいな扱いではないのだ。一生懸命、近視でもないだろうに、顔を近づけてカミソリで同じ所を何度も剃っている。剃り残しは許されない。そんなマニュアルでもあるのだろうか? 執拗で過剰な丁寧さのような気がする。それとも、さち子の苦手な作業なんだろうか。

 そんなもの、チヤッチヤット済ませて一丁あがりでは行けないのか? 髭剃りと変わらない気がして、安全カミソリなら怪我の心配はしなくて良いし、丁寧さの意味が分からない。

 立って上から少し呆れたような顔をして眺めていたのだが、さち子は尚も屈み込んで顔を近づけて作業を続けていて、気づいては居ない。

 親父は此方を見たが、まな板の上の鯉なのでどうしようもなく、肩を竦めてから天井を見上げた。

 下半身が剥き出しで、みっともなくて恥ずかしい有り様なんだが、不肖の息子なんだろうから、息子に遠慮なんかは無いだろう。恥ずかしさを感じるならば若い女性のさち子でなければならない。ただ、此方としても親父の心理なんぞに興味はない。席を外して部屋の外に出て、観察するような振る舞いは止めるべきなのだろうが、さち子が懸命に作業をしている姿から目を離せずにいて、直ぐに部屋を出れば良かったのに、もう、そのタイミングを逃していて、今出るとおかしな雰囲気になるだろう。剃毛が医療行為ではないと此方が認識したような、妙な気遣いが生じる。さち子の気の持ちようによっては、エロチックな雰囲気にならぬとも限らない。別に期待する訳ではないが、そうなれば、さち子も普通の若い女性として再認識できるのかも知れない。

 さち子の羞恥で頬を赤らめた顔が見たかったのだ。いや、少し違う。私に見られてそうなるさち子を見たいのだ。仕事なので恥も嫌悪も無いのは当たり前なのだが、気になる男にそれを見られたのなら、急にぐるりと視点が入れ替わり、相手から見た己の姿に気付き、恥ずかしさを思い出して気が動転し、抑えても沸き上がる動揺に翻弄されてしまう姿が見たいのだ。

 そんな期待なんて瞬時に打ち砕かれたのだが、さち子も此方に気づいて顔を上げたが、別に動揺などなく、見上げて眉を上げたまま瞳を横に動かせて親父の方を見て、見られた親父は顔を此方に向けた。こんな姿を息子に見られても平気なのかと問うたのかも知れないが、親父は何の意味か理解出来ずに此方に訊いた。そうは思ったが、確かな答えは知らず、親父を見返す事にはならず、もう一度さち子の表情を探って白眼がちの顔を見直した。

 すると、また、さち子は親父を見詰め、息子を追い出さなくても良いのか? と、言いたかったのかどうか分からないが、親父もまた此方に視線を向けた。

 ところが、親父の目ば部屋を出て行げとは言ってはなく、どうやら剃毛をされて、それなりの刺激があるのにも拘わらず、男としての機能はサッパリな事にガッカリの模様で、それを同じ男としての息子に同情と励ましを求めて居たのかも知れないが、此方は、その、だらりとした状態の一物を見ても、何の感慨も湧いては来ず、親父を見返す事もなく、もう一度さち子の様子を伺った。

 噂では、剃毛などの作業は新人にやらせるらしく、所謂、ショック療法なのかも知れない。最初に男性器などに慣れさせて仕事に集中させようとしていると、考えるのだが、老人の一物なんて汚い物体でしか無いだろう。

 さち子は邪魔になったのか、一物を青いゴム手袋の親指と人差し指で摘まむと少し移動させ、空いたその場所の毛を剃った。

 青い色は食欲を減退させると言うが、間違いなく性欲も減退させるのだろう。あれだけ露出したのなら恥ずかしく、小さいの大きいのと悩ませておいて、そちらの機能が失われたら、タダの排泄器官と成り果てて、だらりとぶら下がっているだけだ。その姿は後退色の青い色のゴム手袋にさえ負けて引っ込んで映り、萎んだ風船のようになっている。

 でも、この、さち子、親父、私の、視線の三角形のやり取りのリレーは面白く記憶され、お互い、対面する事はなく、それぞれが横を向いて探り合っているようで、そうではなく、相手をけしかけてもう一人に何かをさせようとするような、複雑な関連を想起させる。いったい何をさせようとしたのか。私はさち子に乙女の羞じらいを期待して、さち子はもうそんな夢物語は期待してなくて、親父は長くない命を自覚しているのか居ないのか、若い女に剃毛されるのは、気恥ずかしいのだろう。顔は皺くちゃでも一番の瑞々しさを湛えて居たのかも知れないが、顔も身体もアレも、干物のようになっていて、そのアンバランスが少し悲しくて、笑うに笑えず、笑えば、それはそのまま三角形に巡ってぐるぐると回り続けるに違いない。

 さち子にさようなら

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さち子の話 @8163

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