死に神の教習所
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死に神の教習所
アジャラカモクレン・キュウライス・テケレツのパァ。
うつつの人々が寝静まった頃、死神の教習はなんとも奇妙なチャイムから始まる。
夢番地は六六六の五六三五六三。ぬかるみ線の丑寅(うしとら)口(ぐち)を出てすぐの所に教習所はあった。
見習い死神が三人と、その教官である狂(きょう)缶(かん)がいた。狂缶という名前で合っている。
生徒はというと、地獄(じごく)餓鬼(がき)くんと鬼(おに)修羅(しゅら)くん、それに羅刹(らせつ)ちゃんという面々だった。
地獄餓鬼くんはテストの評価だけでいうと首席なのだが、態度に難があった。
鬼修羅くんはとにかく勤勉で、そのあまり世間知らずなところがあった。
羅刹ちゃんはズボラで勉強も苦手。性格だけは良いとよく慰められていた。
今日は生徒たちが適正テストを終えて、その結果で死神の実習先を狂缶から配属される重要な日であった。いつも遅刻する地獄餓鬼くんも今日は五分前に席へついていた。
鬼修羅くんは事前に配られていた『死のしおり』というマニュアル本を黙読している。羅刹ちゃんは落ち着かない様子で何度も座り方を直していた。しばらくして狂缶が来た。
ガラガラガラ、とドアが開いて、狂缶がいつもの机へファイルを置いた。生徒たちは簡単な会釈をしたが、時間的な挨拶はしなかった。死神が住む夢の世界に朝も夜も無いからである。
「今日はいよいよ皆さんの実習先が決まります。どうですか、心持ちというのは」
開口(かいこう)一番(いちばん)に狂缶はそう聞いた。
「さっさと教えろよ」
地獄餓鬼くんがじれったく言った。
「特に。結果がどうあれ習った通りにやるだけです」
鬼修羅くんが当然の様に言った。
「私ってそもそもテスト受かったんですか……あれで?」
羅刹ちゃんが卑下(ひげ)して言った。
「皆さん、もう少し喜びを露(あら)わにしても良いのでは? おさえこみは死の隣人ですよ」
「死のリンジン? そりゃそうだろ。俺たち死神だぜ」
この口上は狂缶の口癖だった。
それからは、駅前のキッチンカーで人魂の串焼きをたらふく食べただとか、しゃれこうべを六つ繋げて遊ぶパズルゲームに夢中だとか、火車のタクシーで郊外まで遊びに行ったらシートが熱すぎて尻の裏がやけどしただとか、そんな他愛もない狂缶の世間話が始まった。
あんまり長引くので、とうとう痺れを切らした鬼修羅くんが指摘した。
「狂缶。そろそろお経が一周するくらい話されていますよ」
「ああ、失礼しました。超過は死の隣人ですね」
気を取り直した狂缶は資料が入ったファイルを捲りだした。
羅刹ちゃんは心のなかで人魂の串焼きの美味しさに共鳴していた。
*
死神の教習所は四から九分おきに外を通過する、ぬかるみ線の運動エネルギーで教習所全体が怪しく揺れる。あんまりにも揺れるものだから辺りの地盤はグズグズで、その故ぬかるみと言う名前が街に定着したと主張する化け狸が支持を得るくらいだが、その理屈だと電車が通る以前からぬかるみ饅頭(まんじゅう)が販売されている事実と辻褄(つじつま)が合わなくなってしまうので、やっぱり結構な古くからこの辺の地盤はグズグズだったであろうと唱える妖(よう)狐(こ)もおり、果たして電車が先か饅頭が先かという水掛け論で、今日も夢の世界の住人たちは無限の暇を潰している。
そして狂缶もこの議論に興味を持っていたが、生徒らの前で話題にする程の事でもなかった。
「では初めに、『死のしおり』を音読しましょう。地獄餓鬼くんから順番に、一文ずつ」
「『死神は生きとし生ける全ての魂の今際(いまわ)に付き添う。』……あーここまで?」
地獄餓鬼くんが気だるげに言ってから、「はい。では鬼修羅くん」狂缶が呼びかけた。
「『赤子から年老いた人間、犬猫にトンビやカラス、二億三億を産むマンボウの卵にまで。』」
鬼修羅くんの流暢(りゅうちょう)な読み上げを狂缶が褒めると、最後に羅刹ちゃんの番になった。
「『そういう仕事だからだ。』え、あ、もう終わっちゃったんですけど……」
「いえ、問題ないですよ。一文読みなので」羅刹ちゃんはバツが悪そうに下を向いてしまった。
「そういう読み方だからだ」地獄餓鬼くんが茶化したが、羅刹ちゃんは知らぬ顔をした。
「さて、形式的な音読はここまでで。今から一問一答をします。まずは鬼修羅くん。私たちが顧客(こきゃく)に介入する際の周囲環境は、どんなシチュエーションが望ましいでしょうか?」
狂缶はファイルを閉じて生徒たちの方を向いた。鬼修羅くんは迷わず答えた。
「顧客が眠っている時です。あと可能ならレム睡眠が望ましい」
素晴らしい、と狂缶が一言。
これについて完全に忘れていたことを羅刹ちゃんは思い出した。
鬼修羅くんは仏頂面(ぶっちょうづら)ながら、まんざらでもなさそうに背筋をピンと伸ばした。
「じゃあ地獄餓鬼くん。なぜ、顧客が眠っていることが必要なのでしょうか?」
地獄餓鬼くんは面倒くせぇとでも言いたげに大きなアクビをして、無気力に言った。
「実体を持たねえからだろ。あれだよ、魂だけだから。俺らが」
羅刹ちゃんはこの質問も自分の番でなくて良かったと静かに胸を撫でおろした。
またもや素晴らしいと狂缶が述べた後に、やる気があれば尚(なお)素晴らしいですと付け加えた。
「二人が回答したということは、必然的に次は羅刹ちゃんですね。では問いましょう」
この時、羅刹ちゃんは内臓が裏返しになっていく様な緊張感を覚えていた。
「私たち、死神にとって最大の役目とはなんでしょうか?」
羅刹ちゃんは昨日、『死のしおり』の四十四周目を読む前に人魂の串焼きを食べてから早々に休んでしまったことを後悔した。四十三べんも読んだはずなのに、狂缶が示した問いの答えに当たるべき最もらしい文句が思い浮かばなかったからだ。そうやって焦燥(しょうそう)を極めている内に、彼女が他の二人の神妙(しんみょう)な面(つら)持ちに気付くことはなかった。狂缶は急かさず静かに佇んでいた。
「あえぇ。ええっと……おかしいな、何回も確かめたのに……」
「羅刹ちゃん、あなたの言葉で良いですよ」
「え?」
狂缶の言ったことが余りにも不思議だったもので、羅刹ちゃんはオウム返しになった。
「わ、私の言葉で……良い?」
「はい。私たちの最大の役目はなんでしょうか? あなたの言葉でお願いします」
狂缶は非常に穏やかな声で聞いた。だからみんな待っていられた。
一問一答で自由回答とは言葉が矛盾(むじゅん)していないか、と鬼修羅くんは疑問に思っていた。
地獄餓鬼くんは俺ならこう返す、これが無難(ぶなん)な答えだろうと幾(いく)つか思案していた。
羅刹ちゃんは大脳(だいのう)新皮質(しんひしつ)の枝の様なシナプス構造を全身に張り巡(めぐ)らせた。死神にはあるはずのない血管や脊髄(せきずい)の中にまでそれはきめ細かく枝分かれし、もはや自分自身が世界樹(せかいじゅ)になったかのような飛躍(ひやく)を覚え、彼女の内なる宇宙が生まれ、育ち、朽ちて、一巡(いちじゅん)した果て先で僅(わず)かに見えたものは、ひとりの矮小(わいしょう)な人間の赤子が産声(うぶごえ)をあげて泣いている光景だった。
「さみしい……からです」
「ほう。さみしい? なぜでしょうか」
狂缶は聞いた。
「私たちが死んだ魂を放置していたら……魂だけが現世に取り残されて、永遠と彷徨(さまよ)い続けることになります……現世に魂は写らないから、ずっと独(ひと)りで誰とも話さず歩き続けるようなことになります……でもそれだと多分、さみしい。だから私たちが……死神が必要なのではないでしょうか。だから魂を夢の世界へ案内する仕事……そんな、そんな気がしました」
「……とても、とてもよくわかりました」
狂缶は今日一番の優しい声でそう言った。子が描いた絵を褒める肉親(にくしん)のような声だった。
「随分と話が遠回りしましたが、適正テストの結果を今この瞬間に決定致しました」
辺りの様子がピりついていた。鎌(かま)鼬(いたち)もいないのに表皮(ひょうひ)が切れるような空気の流れだった。
「初めに地獄餓鬼くん」
「……おう」
「あなたの死神担当はニワトリです」
「はぁ⁉」
明らかに不満げな反応をみせた地獄餓鬼くんを尻目に、狂缶は淡々(たんたん)と続けた。
「次に鬼修羅くん」
「はい」
「あなたの死神担当はマンボウです」
「……わかりました」
珍しく声を曇らせた鬼修羅くんだったが、真面目さで一切口答えをしなかった。
「そして羅刹ちゃん」
「はい、はい! なんでしょう!」
羅刹ちゃんは気丈に振舞っていたが、実の所は全ての胃液が硫酸に変わったくらい緊張していた。仕事が殆(ほとん)どないという理由で死神業界のなかでも不名誉(ふめいよ)扱いされている、絶滅危惧種のヤンバルクイナやハシビロコウの担当にふられると勘ぐっていたからだ。
「あなたの死神担当は人間です」
狂缶は言った。
「はい! は、は、ハシビロコウで……」
羅刹ちゃんは何故か頭を下げた。
「いいえ。人間です」
「ヤンバルクイナでも……」
「羅刹ちゃん。あなたの死神担当は、人間です」
教習所の建物全体が揺れていた。ちょうどぬかるみ線が通って行ったらしい。
ガタン……ガタンガタン……ガタンガタン……ガタン……
鬼修羅くんは早速『死のしおり』のマンボウのページを熟読していた。
地獄餓鬼くんは興奮した猫のように目をまん丸にして、羅刹ちゃんを睨みつけていた。
「これで晴れて全員の役職が決まりましたね、おめでとうございます。後でそれぞれに必要な契約書などを渡しますから、まだ帰らずに残っていてください。ひとまず、本日をもって全ての教習は修了です。締りに挨拶を。アジャラカモクレン・キュウライス・テケレツのパァ」
*
羅刹ちゃんの初仕事の相手は、三船(みふね)久(く)連子(れこ)という人間の年齢で九十二歳、死神換算で六万千二百七十二歳の老婆であった。
死神の仕事は眠りについた顧客の枕元にて行われる。レム睡眠であると大変よろしい。
死神の業務は一人の人間に対し、必ずひとりの死神で行わなければならない。魂だけの存在である死神が同一人物の夢にふたり以上入り込むと、魂のジレンマが生じて死神の片方にもう片方が混ざり合ってしまうからである。そうなると気(き)魂(こん)重複(ちょうふく)症(しょう)になるのでいけない。
そういうことだから羅刹ちゃんも初日からひとりでの業務だった。
彼女はまさか人間を相手にする仕事へ就く日が来るとは予想だにしていなかったので、まず一朝一夕では獲得できない教養や品性は捨てたものとして、ワンプッシュで身に着けられて、眠りにも心地良さげな小豆(あずき)婆(ばばあ)監修の小豆スプレーを六回ほど浴びてから家を飛び出した。
死神の仕事は夢番地で四四四の九九九六六六の位置にある地獄門から出向することになる。
最寄りは百足(むかで)腹(ばら)駅で、ぬかるみ線で乗り換えなしの十三本と少し遠い。地獄門についてからは火車のロープウェイでそれぞれの顧客が住まう現世の座標へと向かう。
羅刹ちゃんは万が一にも最初の仕事で遅刻しないように、現世でいう亥の刻には百足腹駅へ着いていた。死神の仕事はいわゆる丑三つ時の三十分前までに駅へ到着していれば間に合うと言われているので、三時間ほど早かった。
その間彼女はホームのベンチで狸の置物のように待機していたのだが、こんなに長く座っていると寝入ってしまうんじゃないかと心配していた。それでずっと気を張っていたので、眼圧が高まり、眠るどころか両目が痛くなって、駅を利用する河童(かっぱ)が皿を洗うためにトイレへ設置された上向きの蛇口の水で顔を洗うはめになった。
それから羅刹ちゃんは時間通りに火車のロープウェイで現世の仕事場へと向かった。
狂缶の話を顧みて購入した、座席に敷くための断熱クッションを持ってきていた。
*
「あずきのにおいがするね」
羅刹ちゃんが『死のしおり』に書いてある通りに、寝ている顧客の枕元から夢へと交信した途端、三船久連子はそう呟いた。
木から葉が一枚ずつ抜け落ちていくような、密かに確かな声色であった。
「ああっと初めまして……三船久連子さんであってますか……」
羅刹ちゃんは既に動揺していた。『死のしおり』には、基本こちらから声をかけるまで顧客は起きないものだと書いてあったからだ。
「あたしのことかい? そうだよ三船久連子という名前だよ。久遠のくに連絡のれん、子供のこ」
「おっお答えありがとうございます……久連子さんにお伝えすることがあってですね……」
「夕刊ならもうとらないよ、さぷりの押し売りもいりません」
「その……営業とかではないんですけど……でも仕事ではあるんですけど……」
羅刹ちゃんは暗記していた数字を跡形もなく忘れてしまったので、慌てて営業鞄(かばん)から電卓を取り出し、震える人差し指で勘定し始めた。
「えっと……きゅうじゅうに……に……かける……」
「あたしは死ぬのかね」
三船久連子は静かに尋ねた。
羅刹ちゃんの指先が止まった。
*
「なんで俺がニワトリであいつが人間なんだよ」
死神の教習所で地獄餓鬼くんは狂缶に鬼気迫った。
「おやわかりませんか」
「わからねえな」
「そうですか……早計は死の隣人ですね」
地獄餓鬼くんは今にも飛びかかりそうな顔になったが、狂缶は臆せず言い放った。
「あなたをニワトリ担当にしたのは、三人のなかであなたが一番怒りを知っているからです。ニワトリは現世で最も食べられている動物なんです。それゆえ、怒りの捌け口にされる死神も少なくない。あなたはそれと戦える人材だと判断しました。他の二人には任せられません」
地獄餓鬼くんは冷や水をかけられたような顔になった。教官は続けざまに話した。
「鬼修羅くんにマンボウを任せたのは単純に仕事量が多いからです。マンボウは一度に三億の卵を産みます、それだけ死神の業務も膨大になります。でも真面目な彼はやるはずでしょう」
「……じゃあ、なんであいつが人間なんだよ?」
地獄餓鬼くんはもうやけになっていた。
狂缶は目を線にして微笑んでいた。
「羅刹ちゃんが最も弱くて優しいからです。だから彼女は大丈夫なんです」
*
羅刹ちゃんは酷い顔になってしまった。
三船久連子は淡々と指摘した。
「九十二、あたしの歳だ。あんたがいまそれに打ち込んだ。よく見ればここは家じゃあないな。こんな広くて暗いところは近所にないよ。あんたの顔も知らないね、あたしはボケてないんだ。だったらなんだ、あんた死の遣いかなんかだい?」
羅刹ちゃんはもうどうすれば良いのか分からなくなったので正直に話すことにした。
「……実は私は死神で、三船さんのお迎えに来ました。計算していたのは、三船さんが死後に受け取れる給付金の額です……向こうの世界で使えます……」
三船久子は誇らしげに笑っていた。
「あたしは死ねるのかね、嬉しいものだね」
「え、どうしてですか?」
羅刹ちゃんは返って冷静に聞いてしまった。
「だって旦那より早く逝くって、そしたら、これから毎日あいつはあたしを忘れないだろう?」
「そういうものですか……」
「そんなもんだよ」
羅刹ちゃんは電卓を鞄のなかに戻した。
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