鈴木 正秋

 

 鰻の白身を包み込むように、焦げ茶色の濃厚なタレが煌びやかに光っている。真下にある白米の湯気に乗せられ、すぅと香ばしい匂いが私の鼻下をなぞった。顎をあげながら、俺は体内に取り込んでいく。これだけで満足して、退店してしまいそう。

 

 だが、私は年に数回だけの自分へのご褒美を与えにきたのだ。当然だけど、そんなことはしない。両手を合わせて、鰻重の箱の前に置かれている黒の六角箸を手に取った。そして、早速焦げ茶色に輝く身をほぐし、白米と一緒に箸で持ち上げた。


 一対三。


 これが私にとっての鰻と白米の黄金比だ。

 そして、熱が逃げ切らない内に口へと運ぶ。舌に乗せると、ほろりと身が溶けて、じんわりと熱と旨味が口の中で広がっていく。

 

 ああ。幸福だぁ。

 

 このお店が研究し続けてきた蒲焼のたれ。鰻と白米の旨味を最大限引き出してくれている。そんな鰻重を自分なりの黄金比で食す。

 その上、年に数回しかしない贅沢と朝食を取らずに来たというスパイスが重なり、幸福感が二倍、三倍と増幅する。

 この瞬間のために生きている。私は絶対にそう言い切れる。


 ただ私が来店する前からいる別のお客さんが目に付いて仕方がない。


 カラン。

 今も人目を気にしながら、各座席に置かれているウォーターピッチャーの水を持参した大きな水筒の中に入れている。

持っている水筒は二リットルくらいのもので、かなり大きい。

 小賢しいことにテーブルで隠しながら、移し替えているが、バレていないとでも思っているのだ。テーブルの上には赤と黒の鰻重の空の容器が置かれている。

 

 私を含めその人以外のお客さんはもちろん、店員さんだって気が付いている。だけど、本人だけがバレていることに気が付かないまま、給水を続けている。


 なんてみっともない真似をするのだろう。


 この人の金銭状況については全くわからないが、水筒を持参して水を入れているということは、今回の鰻重は贅沢したということ。

 そんな贅沢を楽しむ時間だというのに、仕事の電話が入ったような感覚が残ってしまわないだろうか。今だって、水筒に水を入れていたことを店員さんに注意されてしまっている。


他人のことだから、別にどうでも良いけど。


 私は自分の鰻重の容器へと視線を戻し、また自分なりの黄金比で鰻と白米で口に運ぼうとした時、テーブルの上に置いてあった私のスマホが小さく震えたため、箸を持つ手を止めてしまった。画面には現在の時刻と職場の上司の名前が映し出されている。


 もう昼休憩の時間すぎていたのか。


 そう思ったけど、私は構わず口の中に鰻と白米を入れた。

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鈴木 正秋 @_masaaki_

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