サーモンフライ

島本 葉

サーモンフライサンド

 賃貸の契約を終えて外へ出ると、太陽がほぼ真上からキツめの日差しを投げかけていた。愼也しんやは手でひさしを作るようにして目を細める。乱雑に放り込んでいたキャップを伸ばしながら被って顔をあげると、目の前には広がるのは見慣れぬ町並みだった。


 ――来月から広島に行ってもらえるかな。


 急に呼び出された会議室で部長に言われたのはどれくらい前だったか。そこからの日々はあっという間に過ぎ去っていき、転勤の日は間近に迫っていた。今日はなんとか家を決めておかなければと、これから住むことになる町にやってきているのだった。


 夜行バスで東京から十二時間ほど揺られた身体の節々がまだ凝り固まったようで鈍く痛む。独身で寮暮らしだったし、勤続年数も中堅くらい。傍から見ればちょうどいい人選だったのだろうけれど、異動を言い渡された当人としてはたまったものではなかった。仕事の引き継ぎに寮の片付け、引っ越しの準備、家探しと愼也は怒涛のような日々を思い返しかけて、無駄な思考だと隅に押し込む。


 腹減ったなあと駅の方へと歩くと商店街があった。少し古びたアーケード商店街で小さな商店がいくつか並んでいる。東京で一人暮らしだとコンビニのお世話になることが殆どだったが、これからはこういう店にもお世話になるんだろうか。コンビニ、めっちゃ少ないし。


 そんな風に見回すと、長く営業を続けていますよと言った風情の肉屋や八百屋、魚屋などの小さな店舗。それに東京では名前も聞かない小さなスーパーマーケット。喫茶店、パチンコホールなど。なんだか雑多だけれど生活感があふれる町並み。どこか知らない駅に間違えて降りてしまったような、そんなよそよそしい気持ちがするのだった。


んさい、んさい」


 声の方を見ると、魚屋の体格の良い店主が通りを行く人たちに誰というわけでは無く声をかけていた。店先の平台の上には、発泡スチロールに氷を敷いて並べられた魚たち。どれがなんという魚なんだろうか。段ボールの切れ端に「真アジ一匹二百円」と書かれてあるが、それが安いのか高いのか、普段は切り身すら手に取らない愼也には判断がつかない。


 その時、愼也は魚屋の店先から揚げ物の匂いを嗅ぎ取った。よく見てみると店の奥にフライヤーがあって、サーモンやアジのフライが並べられている。きつね色の衣をまとった、これまでに見たことのない大きさだった。


 きゅっ、と胃が訴えを起こした。そう言えば腹が減っていたな。


 ふと思いついて愼也は魚屋を一度素通りすると、スーパーでロールパンを購入した。これに挟んで食えばうまいんじゃないだろうか。一度そのように考えると、なんという見事なひらめきだろうと自分を褒めてやりたい気持ちが頭の中を満たす。


 早速、魚屋に戻って店主に声をかける。


「サーモンフライを一つもらえますか」


 はいよと返事をしてフライを準備しようとする店主に、愼也は更に続けた。


「これに挟みたいので適当に切り分けてもらうことはできますか?」


 愼也がロールパンの袋をかかげる。五つほど小さなパンが入ったもので、このお店の大ぶりのサーモンフライを挟むには少し頼りない。


「おう、ええよ。ほんなら、にいちゃん、ケチャップあったほうがええじゃろう?」


 店主はにこやかに笑うと、傍らにいた女性に「おい、おかあちゃん」とケチャップを持ってこさせる。戻ってきた奥さんはケチャップだけではなく、レタスも数枚お皿に載せて持ってきてくれた。


 ザクザクと小気味よい音を立てて切り分けられたサーモンフライ。言われるままにパンを渡すと、あっという間に小さなサーモンフライサンドが五つ出来上がっていた。


 食べるように促されて、お礼もそこそこに一口頬張る。肉厚のサーモンのふわりとした身と、少し脂っこい衣。それにレタスとケチャップが素晴らしい仕事を添えている。小さなパンなので、愼也は三口くらいであっという間に一つを食べきった。親指についたケチャップをぺろりと舐め取る。


「うまい」


 自然に出た言葉に、魚屋の店主と奥さんはふわっと目尻を下げ、キュッと皺を寄せて笑った。その表情とサーモンフライサンドの味わいに、愼也も目元を緩めた。


「にいちゃん、このへんの人なん?」

「いや、来週から近くに越してきます」

「ほうじゃほうじゃ。よろしゅうのう」


 二つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら、愼也はこの町での生活に思いを巡らせるのだった。



 完

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サーモンフライ 島本 葉 @shimapon

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