ランダムアクセス・メモリーズ
マヌケ勇者
本文
「ランダムアクセス・メモリーズ」
「賢治くん。このイヤリング、ベッドのとこに落ちてたんだけど……」
こんな時でも、悲しそうでも、笑顔でハルは言った。
「これ、他の人のだよね」
その笑顔がハルらしいんだ。でも、
「お前のだよ、それ」
つい一昨日、彼女が買ったばかりで無くしたとなげいていた物だ。
「えっ――?」
ハルが驚いて目をぱちくりさせる。
「あっ、そうだった、そうだった! 私何言ってんだろ」
変わらず彼女は笑顔をしているが、これは深刻な問題に違いなかった。
ここのところハルの様子がおかしい。
数日前の事が思い出せないのだ。
昨日の夜にも、昼のランチの内容を思い出せなくなっていた。
彼女との出会い。ハルは人間を超えて、物にまで愛情深い女性だ。
彼女は街の片隅のパソコンショップ「リザレクション」で店員をしている。
ある日俺は、画面が映らなくなったのでパソコンの本体を持ち込んだ。
ハルと親しくなって教わるまでは、俺はパソコンどころか機械全般に詳しくなかった。
「動かなくなってしまって、買い替えるべきですか?」
俺は販売員なら舌なめずりしそうな、無知な言葉を仕事中のハルに投げかけた。
ところが彼女の反応は違った。
「この子、きっと直りますよ。直してみせます!」
そう言ってカウンターの奥に運び込んだ。
俺はその手前から見える彼女の作業を見ていた。
てきぱきと俺のパソコンをパーツにばらして一斉にテスト起動する。
五分もしないうちに彼女は原因を特定した。
「グラフィックボードですね。熱でメイン部品が部分的にくっついていません」
俺にも少しはわかるように言ってくれた。
「うちにはなんと、専用のリワーク機があるので修理可能なんです!」
こっちはよくわからなかったが、彼女の目はキラキラしていた。
店員姿のハルが、修理済みの俺のパソコンを簡易に梱包してカウンターへ運んできた。
「ああ、これでガーちゃんも一安心だな」
俺は恥ずかしいことに口に出してしまった。
「ガーちゃん? この子の名前ですか?」
モデル:ガリア。それが正式名だ。
俺には片森という変な親友がいる。
そいつにガーちゃんを買う相談をしたときに「物には名前が必要だ。名前によって記憶され魂が宿る」とか言って名付けさせたのだ。
「なんか雑な名前じゃないか?」とは言われたが。
そんないきさつを言い訳っぽく彼女に話した。
「いいじゃないですか、ガーちゃん。ご主人に大事にしてもらいなよ」
パソコンに向かって彼女は言ったのだった。
それから少しして、俺たちの会社がちょっと大きくなってパソコンの一括レンタルをすることになった。
実は社長をしている、親友の片森に発注先を相談された。
最も、信頼こそしていても機械音痴だった俺に片森は回答を期待していなかったようなのだが――俺はリザレクションの店を推した。そしてハルの事を。
「で、話からするとお前その娘にまた会いたいんだな。いいよ。そこにしよう」
片森は半ばニヤつきながら決定した。
それから彼女との長い思い出の物語が始まるのだが、なにぶん不器用な俺だ。
片森に助けられ、あろうことかハルにも何度もフォローされリードされ。
恥ずかしくてそう何度も思い出せないが――かけがえのない時間だった。
そんな、俺とハルの記憶――彼女の絶えない笑顔。
「一緒に脳神経科と精神科に検査を受けに行こう」
俺はそう勧めた。
だがハルは「大丈夫。仕事終わってから一人で行ってくるよ」と言う。
そして、しばらくしてたずねると、
「あっ、そうだった。検査したけと特に異常無いって」と答えるのだった。
ハルは――俺のハルは本当に大丈夫なのか?
物を忘れていくのと並行して、ハルと会える回数が減っていっている。
ただ忙しいだけかもしれない。それでも俺は一層の不安に駆られた。
俺の誕生日。ハルは久々に会ってくれた。
だが今日の彼女は笑っていても静かだった。
「ごめん、賢治くん。誕生日プレゼント、私忘れちゃった……」
ぎこちなくハルはそう言った。それが嘘であることが俺にはわかった。
「プレゼントは無くてもいいんだ。それよりも俺は渡すものがある」
彼女はきょとんとしている。
俺は真っ赤な顔で勇気をふりしぼった。
小さな手のひら大の箱を取り出す。開いた中身はリングだった。
「俺は、ハルと婚約したい」
力を込めてそう言った。このまま、彼女が俺の前から消え去って行ってしまいそうだったから。
「たとえ忘れられたって、何度でも伝える」
彼女への思いは変わらない。
「ハル、お願いだ。受け取ってくれ!」
ハルはただ笑っていた。そして、俺の手に自分のきゃしゃな手を被せた。
「賢治さん。その前に話さないといけない事があります」
彼女はいつもと違う口調と、真剣な表情でそう言った。
俺の部屋まで戻ると、ハルは上半身をはだけた。
そしてソファに座ると、鞄からヘラのような物を取り出した。
先は薄く金属板が鍵のような形をしている。
彼女はそれを下向きに握り――自分の首元にざくっと突き刺した。
自殺なのか!? そう思ってあぜんとしていると、小さな機械音がした。
ハルの腹が――花か栗の殻が開くかのように、ぱっくり割れ開いた。
中にはぎっしりと、配線や機械が詰まっている。
「そう、こういう事なんだ」
ハルはなんと、秘密裏に製造されたアンドロイドだったのだ。
「これでも私、一人で何十年も動いてたんだよ。だけどさすがにダメだね。メモリが劣化してきちゃって」
「その不具合で、私はもう数日前の事が覚えられませーん!」
あえてだろうか、いつもの笑顔でハルは言った。
「いつもみたいにパーツを修理や交換することは、できないのか?」
「私は一人じゃ自分にそういう作業ができない仕様なんだよ。それに、私の部品は相当特殊な規格でね、かなり古くもなっているから日本中探しても無い可能性が高いんだよね」
俺はその言葉に呑まれたく無かった。
ネットのそこらじゅうに質問を掲載して、企業に連絡をとりまくって。
礼金をばらまきながらジャンク屋を回った。
できることの全てをやった。ハルにまた心から笑ってもらえるように。
半年ほどしてから、俺はついに情報を得た。
タイの粗大ごみであふれかえった地に、それは眠っていた。
MSX1979-1 ハルのパーツの下位互換品だ。
少し性能は劣るが、部品は全くの正常に動作した。
「ハル、晩メシ何にしようか?」
「…………。あ、そうですね。お肉食べに行きましょう、お肉!」
しばしば、ハルは返事までに間が空くようになった。
やはりパーツの性能は少し足りていなかったのだろうか。
ハル、俺は君にいつまでも笑っていて欲しいのに。
――実を言うと私は、自分の新しいコピーを製作することもできた。
一方でただ孤独に、長い年月を生きることに疲れつつあった。
今、私HAL-78は独りではなくなった。
お互いいつまで正常でいられるかは分からない。
不思議な計算式の上で、私はゆっくりと、彼と一緒に壊れていきたかった。
ランダムアクセス・メモリーズ マヌケ勇者 @manukeyusha
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