第10話 十
長政が立ち上がって仲里の側に来た。
「仲里、これで疑義が晴れたか」
「はぁ・・」
「うむ、しかし、その疑義は何故起こったのだ」
仲里が青くなった顔を力なく上げて私を見た。
「惣兵衛、ご説明申し上げろ・・」
取り繕っても何も始まらない。ここに至っては、潔く全て正直に話すまでだ。
私は気持ちを切り替えて、殿の前に進み出て、腰を落として頭を下げた。
「目付役高橋惣兵衛にございます。私の家の下女のヨネは、一目その物を見ただけで、一寸の狂いもなくその高さを正確に言い当てることができます。現に、徳利の高さから私の背丈まで当てました。そのヨネが堤の高さが七尺であると言っております故に、この確認を申し出た次第です」
ドッと笑い声が起こった。
やがて、驚きと嘲笑の声に場が包まれた。私に向けられた冷ややかな視線が痛いほど感じられる。永沢と益次郎に至っては腹を抱えている。無理もない。立場が逆なら私もそうなっていただろう。
長政がジッと私の顔を見た。
「そのヨネは、ここに居るのか」
「はい、ここに」
私がヨネを指すと、長政がヨネに眼を向けた。
「ヨネ、苦しゅうない、近う」
私は緊張で凝り固まっているヨネの手を引いて、無理やり殿の前に連れ出した。
長政が珍しい物を見るようにじっくりとヨネを見た。
「ヨネ、余の背丈は、いくらであるか」
場が静まった。
皆がヨネに注目した。それは興味本位の視線ではあるが、同時に、何かが起こるのでは、という期待感も含まれていた。
仲里が立ち上がり、ヨネを注視しながら身構えている。川越もこれは見逃せないとばかりに近づいて来た。
私にも、ここで見事に殿の背丈を言い当てたならば、あるいは、形勢逆転もあるのでは、という期待が生まれていた。ヨネの顔を、ジッと見詰めた。
ヨネが長政をジッと見た。
「・・四尺九寸・・」
静かなどよめきが起こった。
落胆したような、高まった期待が萎んだような響だ。
殿の背丈が五尺一寸であることは公にされており、城の誰もが周知のことである。ヨネが見間違った訳だ。
私は肝腎要の時にしくじった曲芸師のような気分になった。この大仰な場で、しかも緊張の中でもあり、無論、見誤ったヨネは責められない。流石のヨネとて、間違えることはあるという事だ。
とはいえ、期待していただけに、落胆の度合いが大きかった。
仲里は復活したかに見えていたが、再度肩を落として沈んだ。川越は残念そうに首を横に振っている。
一方で、永沢は馬鹿にしたような笑みを浮かべながら仲里や私に視線を向けて、益次郎に何か語りかけている。
その時、静寂を切り裂くような笑い声が起こった。
「ははは、ヨネ、見事だ。ははは」
長政が上を向いて笑っている。
何が起こったのだと、皆が呆気にとられた。
長政が御付きに顔を向けた。
「やはり嘘は良くない。いずれ分かること。余は背丈など気にしていない。もう良い、正直に四尺九寸で良い。ははは」
御付きが頭を下げた。
「ははっ、仰せの通りにいたします。今後は殿の背丈は、正直に・・、いえ、正確に四尺九寸と言うことで」
驚きと戸惑いのざわめきが起こった。殿の背丈は、本当は四尺九寸だったのだ。つまり、ヨネが正しかった。
ヨネが見間違うはずが無い。やはり、堤の高さは七尺に違いない。再び気持ちが高揚して来た。
だが、どうするか。
仲里が再度復活し身構えて、永沢を睨んだ。三浦をはじめ目付役が仲里に呼応するように立ち上がって身構えた。
永沢も身構えて仲里を睨んだ。普請役と益次郎をはじめとする近江屋の連中も永沢の後ろに付いて目付役と対峙する形となった。
両陣営が睨み合う中、長政がゆっくりと歩いて、その間に入った。
「うむ、余の気持ちに配慮してくれたことは嬉しく思う。確かに、五尺と四尺では聞こえが違う。だが、そこにあるのは、そうあって欲しいという思いだけだ。現実がそうなる訳ではない。大事なのは、現実をしっかりと見ることではないか。そうであろう」
長政が満足そうに笑みを浮かべて数回頷き、おもむろにヨネに顔を向けた。
「ところでヨネ、もう一度見て、堤の高さはいくらであるか」
ヨネが堤に目を向けた。
「七尺・・」
長政が頷き、永沢を向いた。
「うむ、そうか。永沢、この違いは何故なのだ。先ほどの計測では間違いなく八尺であったな」
永沢がヨネの方を見て睨みつけた。
「恐れながら、その女は何の根拠もなく、見た目で思ったことを言っているにすぎません。そのようなもの、正確であるはずがありません」
「しかし、余の背丈を見事に言い当てた」
「それは、いい加減な見立てとはいえ、稀に当たることもあるでしょう」
「うむ、偶々と申すか」
「はい」
長政が再びヨネに顔を向けた。
「ならばヨネ、この違い、そなたはどう思うか」
ヨネが永沢の隣に控える普請役が手に持っている紐を指した。
「九尺八寸九分・・」
そうか、計測用の紐の長さだ。
八尺測定用の紐を使う事を前提にしていたが、その確認はしていない。
指された普請役が驚いて手に持った紐をしきりに見ている。
「ええと、いえ違います、これは八尺測定用の紐です。従って十一尺三寸一分です」
永沢が血相をかえた。怒りに満ちた顔でヨネを睨みつけながら近づいて来た。
「ええい、下女の分際で、先ほどから無礼であるぞ。分を弁えろ」
ヨネが驚いて私の後ろに隠れた。
仲里がサッと近づいて来て、永沢の前に立ち塞がった。
「無礼とは何だ。殿の許しを得て問いに答えているだけだ。それに難癖を付ける其方こそ無礼であろう」
川越が慌てて駆け寄って来て二人の間に割って入った。
「お待ちくだされ、紐の長さは直ぐに測れます。確かにこの紐は八尺測定用として用意されたもの。しかし、疑義が生じました故、念のため、今ここで長さを確かめます」
永沢が首を振った。
「そのような事は許さん。もう我慢ならん、検査は終わったのだ。完成検査は終了だ」
「しかし・・」
川越が困った顔で立ちすくんだ。
永沢が視線を川越から仲里に移した。それに応えるかのように仲里が一歩前に出た。これはまずい。私はすかさず川越の前に出て二人の間に入った。
「殿の御前です、お静まり下さい。皆様、落ち着いて下され。平に、平に・・」
永沢と仲里が睨み合ったままの姿勢でいる。川越が数歩下がって腰を低くした。私は長政に向かって膝をついて頭を下げた。
「殿には、誠に見苦しいところをお見せ致しました」
なぜ私が謝らなければいけないのか、やや疑問だが、ここは致し方ない。
長政が永沢と仲里を交互に見て頷いた。
「余は別に苦しゅうないぞ。いや、むしろ嬉しい。皆が己の職責に照らして真摯に議論する様子、誠に頼もしい」
いや、これはどう見ても、真摯に議論などしているようには見えないだろう。実際もそうだが。
「確かに、お互い譲れないところはあるのだろうがのぅ」
それは当たっている。
「それで、これはどうすれば収まるか」
長政が一同を見回した。
永沢が何か言おうとしたが、私が先に口を出した。
「その紐の長さを測れば収まります」
すかさず永沢が私に顔を向けて叫んだ。
「検査は終わったのだ。ならぬ、もう終わらせる。これは普請奉行の命令だ」
私は永沢の方向に体を向けた。
「ならば、殿にお決め頂きましょう。それであれば、異存はありませんな」
座が静まった。永沢が唇をかんだ。
長政がしばらく考えていたが、やがて頷いて私を見た。
「うむ、そうだな、紐の長さを測るのが良かろう。それで皆が納得するだろう。惣兵衛とやら、その紐の長さを測ってみよ」
え、私が測るのは、さすがに如何なものか。
「あ、いや、しかし、私では何ですので、その・・普請役の川越に・・」
川越が驚いて立ち上がり、慌てて普請組の連中を呼び、集まった数名に命じて紐の長さを測らせた。
一行はゆっくりと、丁寧に、しかも二度計った。一行の普請組の皆が頷いた。
「九尺八寸九分でございます」
長政が永沢に顔を向けた。
「永沢、どういうことだ」
既に顔面蒼白になっている永沢が、ワナワナと肩を震わせてしゃがみ込んだ。後ろでは益次郎が頭を抱えて這いつくばっている。
長政が周りを見回した。
「誰か、これを説明せよ」
普請組と近江屋の一行は呆然とお互いに顔を見合わせている。
川越が長政の前に進み出た。
「恐れながらご説明します。これまで、紐の長さを十一尺三寸一分として検査をしておりました。それであれば堤の高さは八尺でございます。しかし、いま紐の長さを測ったところ正確には九尺八寸九分でした。これですと、堤の高さは七尺になります。つまり、七尺が正しいことになります」
長政が頷いてヨネを見た。
「やはり、ヨネの見立てが正しかったのか。見事だ」
ヨネが恥ずかしそうに短く頷いた。
長政が大きく頷いて姿勢を正した。
「どうだ、皆納得したか。これで誰も異を唱えないだろう、良いな」
長政がゆっくりと歩を進めながら一同を見回した。
一番前に陣取った仲里が得意満面の顔で長政を見つめている。その横にはしばらく姿を見なかった三浦が、いつの間にか控えており、胸を張っている。
「堤の高さ、余は七尺でも構わぬ。見よ、見事な堤ではないか。これで民は安心して米が作れる。それが何よりだ。これで我が藩が抱えていた先代からの大きな課題が解決された。多少の高さの違いなどどうでも良い。皆の者、ご苦労であった」
一同が頭を下げるなか長政が御付きを引き連れて去って行った。
空高く鳶が飛んでいる。
これ以降は期待した以上の大騒ぎだった。
筆舌に尽くし難いほどとは正にこういうことだろう。何しろ、普請奉行永沢が翌日切腹した。荒木を殺したのは永沢の手による者であることが判明し、即座に捕らえられた。
近江屋から永沢に多くの賄賂も渡っていた。近江屋には幕府から取り調べが入るとのことだ。幕府が直々に、である。
そして何より、最大の驚きは永沢の後任の普請奉行に三浦が就いたことだ。
いずれにしろ、私にとってはどうでも良い事だった。
騒ぎが一通り納まり、しばらくして、殿よりヨネに褒美が届いた。それは若い娘に似合う華やかな着物だった。
しかし、その着物にヨネはしばらく腕を通さなかった。
更に数日が経った頃、私は殿からの贈り物を着ないとは不敬だ、必ず着なさいと諭した。ヨネは不満そうではあったが、翌日からは着るようになった。
とはいえ、何も毎日着ることはないだろう。
この日も二日酔いの苦痛の中で目が覚めた。水を求めて襖を開けると、やはり今日も着ている。慣れてくれば、それなりに似合っている、かも知れない。
「馬子にも衣装だな」
ヨネが不安そうな目で見た。
「あ、いや、つまり、おヨネには、その綺麗な着物が良く似合うということだ」
ヨネが短く頷いた。
コッコッコッと庭で鳥が鳴いている。
堤の高さ 戸沢 一平 @rkyseiji05261011
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます