麻婆豆腐

白川津 中々

◾️

夕食に麻婆豆腐が出てきた。


「今日は君の好きな物を作りました」


誇らしげにそういう彼女に俺は「ありがとう」と笑顔を向ける。


だが違う。

そうじゃない。

俺は麻婆豆腐なんか好きじゃないし、彼女の前で食べた事もない。なのに何故俺が麻婆豆腐を好きな設定になっているのか。それは今、彼女が読んでいる漫画の推しキャラの好物だからだ。自身の好みのキャラクターを俺に投影しているのである。これは失礼千万な話。個人のアイデンティティを著しく損なう人権問題なわけだが、俺は文句も言わずに、努めて嬉しそうに麻婆豆腐を口に運ぶ。不味くも美味くもないありきたりな味わい。それで笑顔を作るのはストレスだが、あのキャラクターならそうする。彼女の中にあるビジョンを壊すわけにはいかない。


「美味しい」


そう伝えると、彼女は「まだあるからね」と目を細めた。その顔だけが救いだ。


いつか、俺自身を見てほしいものだ。

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