3.不思議な白猫
さんざん大泣きしたあと、乳母は自力で落ち着きを取り戻し、俺が喋るようになったことを喜んだ。
それはもう、すごい喜びようだったので……俺は「他の人に、喋れるって言わないで」と釘を刺しておいた。
乳母はいちおう、お願いを守ってくれているようだ。俺の子ども部屋は、二週間経っても乳母とメイド以外の訪れがない。前と変わらない静けさだった。
だが、変わったこともある。
秘密にしてもらう代わりに、たくさん勉強したい。と、乳母に持ちかけたのだ。
もちろん、俺としては、勉強なんてクソ喰らえである。でも、ここにはまったく娯楽がない。
記憶を取り戻して数週間。スマホやゲームが恋しくてたまらなかった。
その代替品として、本を所望したのだ。手渡されるのは、すべて乳母が中身を確認したものだが、子ども部屋の退屈な時間を紛らわすには充分だった。
で……本を読みまくっているうちに、思わぬ収穫もあった。
セルノアルド、めっちゃ頭良い。
前世は勉強と聞いただけで寒気がしたし、苦手教科がたくさんあった。英語の授業なんか、寝る時間と同義だった。
それが、だ。初めは幼児向けの内容を読むのにもひと苦労してたが――日本語とは違う言語だからだ――だんだんと理解が進み、いつしか
なんというか、知識をぐんぐん吸収していく面白さがある。試しに、別の言語の本などもねだって読んでみたところ、三日もすればだいたいの意味が分かるようになっていた。
やべえ。俺、天才かも。
勉強が楽しい! ってヤツらは、前世にもいた。前世の俺は、そんなヤツらの気持ちなんか一ミリも理解できなかったが、今ならちょっと分かるかもしれない。
国語、算数、科学、歴史。学べば学ぶほど、あらゆる知識が繋がって蓄積される感じが楽しい。
乳母は、俺が一転して自発的な行動を取るようになったことも、すごく喜んでいた。
本の読み過ぎで目が悪くならないように、とは言っていたが、育ての子が賢くなるのは大歓迎なのだろう。
子どもに見せられない過激な内容以外は、乳母の私物として購入して、俺に読ませてくれるのだ。
(ここが不可解なんだよな。公爵とか、公爵夫人に話を通してる気配がない。言っても無視されるとかか?)
普通、乳母は、上流階級の子を多忙な両親の代わりに面倒を見るだけの人間だ。そりゃあ情が湧くこともあるだろうが、雇用された者である事実に変わりはない。
俺が喋ったのを、たぶん誰にも伝えていないのは、プロフェッショナルの「乳母」としては失格だ。彼女には、俺がどのように育っているかを伝える義務があるはず。
この人がここまで俺に肩入れするには、愛情以外に、何か理由があるのだろうか? 「セルノアルド」の記憶を探ってみても、決定的なものは何も見つからない。
……俺が記憶を思い出してから一回も会ってない公爵夫妻に、反発を抱いているから……とか。
うーん。憶測に過ぎない。情報が足りな過ぎる。
子どもの姿のままで、どうやって早急に、公爵家の情報を得るか。
これが、目下の課題だった。
-------
サイドテーブルに乗った金の燭台に目をやって、「もう寝なきゃな」と思う。
ベッドに寝っ転がって読んでいた本を閉じ、ずいぶんと短くなった蝋燭を吹き消す。一瞬で、部屋が暗闇に包まれた。
寝る前に本を読む許可は、すでに取ってある。「新品の蝋燭が半分溶けるまでなら良いですよ」だそうだ。
本を枕元に置いて身を乗り出し、ベッドの下を覗き込む。ちょうど絨毯が途切れているところをめくり、下からメモを引っ張り出した。
初日に、煤まみれの木端で書いた日本語のメモだ。メイドはここまで掃除しないだろうと踏んで、隠してある。
原作漫画第一巻までの知識と、姉貴が俺に語りまくってたときのうろ覚えの記憶。寝る前に読み返して、なにか発見がないか探るのが、転生後の俺の日課になっていた。
(……?)
外が騒がしい気がする。
もう夜だぞ、と思いながら窓に駆け寄ると、屋敷の表に、大量の馬車が停まっているのが目に入った。
こっそりと窓を開けて、身を乗り出す。
馬車は、表門からの道を埋め尽くす勢いで並んでいた。どれもこれも、贅を凝らした豪華な馬車だ。
降りてくる人々は、男も女もここぞとばかりに着飾っていた。みんな、楽しげに談笑しながら玄関へと吸い込まれていく。
今夜、ここの屋敷で、舞踏会や夜会があるのだろう。もちろん俺は呼ばれていないが、嫡男の兄は出席しているのかもしれない。
特段、羨ましいとは思わなかった。あんなところに出ても、気苦労が増えるだけだと思うからだ。
はー、寝よ寝よ。良い子は寝る時間。
健康な生活を送ってないと、乳母に怒られるからな。
賑やかな談笑の声を聞くのも飽きて、窓を閉める。メモを元通りに隠してから、ベッドの中に潜り込んだ。
転生直後は興奮して眠れなかったが、もう慣れたものである。俺は、早々と目を閉じて眠りについた。
――はずだったのだが。
深く沈んでいた意識が、急激に浮上する。妙な息苦しさがあった。
俺は恐る恐る、片目だけ開いて胸の辺りを見た。
猫がいた。
「ッ!!?」
叫ばなかったことを褒めてほしい。寝る前までは影も形もなかった白い猫が、仰向けに寝てる俺の胸の上に乗っかって、赤い瞳でこちらを見下ろしていた。
なんで? どっから入ってきた?
首だけで窓のほうを見たが、開いている気配はない。反対を向いて、扉のほうも確認したけど、結果は同じだった。
猫は、動揺してる俺のことを、身じろぎもせずに見ている。
いい加減重すぎるので、恐る恐る声を掛けてみた。
「……ちょっと、降りてほしい。なんか用事があるんだろ?」
「……」
「話を聞くくらいはするからさ」
人の言葉が分かるのか、猫は俺の上から降り、器用にベッドの端を歩いて、俺の顔の横に座り直した。
やはり、じっと見られている。俺は身体を起こすと、猫に向き直った。
「お前さ、もしかしてこの前見かけた、アルビノの猫?」
「……んに」
「それ肯定? 否定? 分かんねえんだけど」
とはいえ、アルビノなんて滅多に発生するもんじゃないし、たぶん同個体だろう。
どこから入ってきたか、を聞いてみたが、今度は無言だった。まあ、仮に答えられても、猫語が分かんない限りはな。難しいよな。
猫は相変わらず、俺の顔をじっと見上げていた。
「……なんか俺に、やってほしいことがあるの?」
「にゃ」
「あ、当たりか……どうすればいい?」
すると、猫はベッドから飛び降りて、扉のほうに向かった。長い胴体を伸ばして後ろ脚で立ち上がり、ドアノブを片手でちょいちょい叩く。
開けろってことか?
後を追ってベッドを降りて、開けてやる。白い身体がスルッと廊下に出たが、俺が外に出ないでいると、咎めるように鳴きはじめた。
「付いてこいってことか?」
「みゃー」
勝手に部屋を抜け出して、使用人に見つかりでもしたら連れ戻されるに決まってる。
だが、猫はそんなことをお構いなしに、さっと駆けて行って、ある程度行ったところで止まってこっちを窺う。
本当に、付いてきてほしいらしい。
うーん。
……見つかって怒られたとしても、なんか情報取ってこれればプラマイゼロだな! よし!
俺は覚悟を決めて廊下へ飛び出した。
悪あがきとして、子ども部屋の扉は閉めておく。なにも、開けっぱなしにして異変を知らせる必要はない。
白猫の後ろにつくと、彼(もしくは彼女)は、再び歩き出した。俺の歩幅に合わせたスピードで歩いてくれるので、息切れもしない。
(……広間でパーティしてるんなら、使用人用の廊下、誰かしら通ってもおかしくねえけど……)
数分歩いても、恐ろしいほど誰ともすれ違わない。
数えきれないほど扉の前を通り、なんなら厨房の近くにも行ったのに、全員がちょうど出払ってるみたいで、誰とも出くわさなかった。
なんか、仕組まれてるのか……?
猫は、当たり前のように、誰もいない通路を足取り軽く進む。いくつか階段も降りた。だんだんと周囲の内装が豪華になってきて、人々のざわめきもより一層近くなる。
どこへ連れていく気だろう。ちょっと聞いてみようと声を上げかけた、そのときだった。
「うわ、……なんだ? 猫?」
凝った装飾の施された階段を駆け下り、柔らかい絨毯の敷かれた階下へ足をつける。
俺より少し先を行っている猫は、廊下の曲がり角まで一気に走っていって、向こうから来た「誰か」の足元で止まった。
その姿に、俺の足も、自然と止まる。
「こんなところに、どうして猫が? おまえ、迷い込んだのか?」
「……」
急に現れた不審な白猫にも、眉をひそめることなく対応している少年。
見覚えがある。めちゃくちゃある。なんなら、成長したアイツを大ゴマで見せつけられた記憶がある。
エクリファール・レイングレイ。
この漫画世界の、未来の黒幕。
貴族子息らしい立派な服を着た彼が、猫からちょっと目線をずらして、俺のことを見た。
今から逃げることは、できそうになかった。
邪神系チート悪役令息兄弟、弟のほう。 青波希京 @aonami-k1ky8
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。邪神系チート悪役令息兄弟、弟のほう。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます