ワタシ、死ぬの?

野森ちえこ

ワタシ、死んでる、ノ?

「ワタシ、死ぬの?」


 特別養護老人ホームの入居者であるSさんが入浴のたびにくり返す問い。それは彼女の口グセのようなものだった。


「死にませんよ。暴れないでください。落ちますよ」


 いつものやりとり。寝たまま浴槽にはいれる専用ストレッチャーにSさんを寝かせ、職員ふたりで洗髪と洗身を行う。


「ワタシ、死ぬの?」

「死にませんて。顔洗いますから、目と口をとじてください」


 一度の入浴につき五回から十回はおなじ会話がくり返される。ビブラートのかかった独特の高い声はユーモラスで、本人的には真剣なのかもしれないが、言葉ほどの深刻さは感じられなかった。


 〜〜〜


「ワタシ、死んでル、ノ……?」


 その日はSさんのセリフが微妙にちがっていた。未来形だったものが過去形になっている。


「死んでませんよ。大丈夫、ちゃんと生きてます」

「イキ、テル?」

「生きてる、生きてる」


 死んでたらゾンビだよ。と、職員わたしたちは笑っていたのだけど。

 その日をさかいに、Sさんのセリフがすべて過去形と現在進行形になった。


「ワタシ、死んダ、の?」

「ワタシ、死んでる……ノ?」

「ワタシ、イキ、テル?」


 しかし施設ホームの入居者さんたちがおかしなことを口走るのは日常茶飯事なので、たいして気にかけることがないまま数週間が過ぎ——


「ワタシ、死ぬの?」


 いつのまにかᏚさんのセリフは未来形にもどっていた。


 〜〜〜


 約百名の高齢者が暮らすこの施設ホームにわたしが勤めるようになっておよそ三年になるが、だいたい三、四か月に一度の周期で亡くなる入居者が続出していた。

 季節の変わり目などで体調をくずしてそのまま——ということももちろんあるけれど、誤嚥や転倒などで急にということも多く、その両方がなぜだか周期的に重なるのだ。

 そしておそらく偶然なのだろうけれど、Ꮪさんのセリフが未来形から過去形に変わるタイミングもまた、その周期と重なっていた。


 わたしがそのことに気がついたのは、一年ほどまえから家庭の事情により早番メイン(入浴担当)のシフトに変えてもらっていたからだ。


 10/09 am Sさん(死ぬの?)

 10/12 am Sさん(死ぬの?)

 10/15 17:38 Gさん逝

 10/16 am Sさん(生きてる?)

 10/23 11:14 Nさん逝

 10/23 pm Sさん(死んでる?)

 11/05 23:43 Rさん逝

 11/06 am Sさん(死んだ?)

       ・

       ・

       ・

       ・


 偶然の一致だろうと思いながらも、なんとなく入浴時のSさんが発する第一声を手帳にメモっていたら思った以上にシンクロしていて、さすがにすこし薄気味悪くなってしまった。


 しかし時期が一致しているというだけで、ほかになにか害があるわけでもない。ただ、Sさんのセリフが未来形から過去形に変わるだけだ。気にするだけバカらしいとは思うのだけれど、そう思えば思うほど気になってしまうのだから人のこころとは厄介なものである。


 〜〜〜


「ワタシ、イキて、る?」

「生きてますよ。ほら、暴れないで。ちゃんとつかまっててください」


 人は慣れる生きものだ。他界者続出周期とSさんの奇妙なシンクロに気づいてから約一年。もう『そういうもの』として受けいれている自分がいる。


「アツい、アッツイ、ヤメテ、ワタシイキ、イキテル」


 入居者がおかしなことを口走るのはいつものことだ。もうひとりの職員が「ええ? まだお湯かけてませんよ?」と笑っている。


「イ、ヤぁだ、アッツイいぃ」


 さすがに今朝がた亡くなったCさんが火葬されてるとは思えないから、これは四日まえに亡くなったKさんとシンクロしているのかもしれない。

 なんて、あたりまえのように考えている自分がすこし心配になる。介護なんて、ある種の鈍感さがなければつづけられない仕事ではあるけれど。


「ワタシ、シんでル、ノ……?」

「……Sさんは、生きてますよ」


     (了)


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ワタシ、死ぬの? 野森ちえこ @nono_chie

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