家庭科室で菜絵たちが各々作業を進めていると、軽い音がして扉が開いた。

「柚希先輩!」

 真っ先に声を上げた道佳が柚希に駆け寄った。

「やっとお時間できたんですね! 会いたかったです、さあさあ!」

 柚希の手を取ってさらりと家庭科室に引き込む。菜絵はむっとしそうになった頬を両手で叩き、立ち上がる。

 広則がノートやら布やらあれこれと持って、菜絵よりも先に柚希の元に駆けつける。

「柚希先輩、文化祭で展示されていたシャツワンピースのことでいくつかお聞きしたいのですが!」

 再びむっとしそうになった菜絵は、でもやっぱり退部を引き止めて正解だったと思った。柚希を先輩として慕っているのは菜絵だけではない。

 柚希がくる前に菜絵は、後輩たちに心配かけたことへの謝意とまたそのうち柚希が来てくれることを伝えていた。

「よかったですねえ」と声を揃えた広則と道佳は、孫を見守る老人のように温かい目をしていた。

 

 冬が来るまで柚希は少しだけ部活に参加した。年が明けるとさすがに来なかったが、家庭科室は相変わらず三人以上いるかのような賑わいだった。

「ついに私も先輩になってしまうというのか!」

「ついに受験生になってしまうのかあ」

 道佳につられて菜絵も四月に思いを馳せる。

「時間のあるときは来てくださいね」

 アイロンの順番待ちをしている広則がしんみり微笑んだ。

「かわいい後輩たちに癒されにいくよ」

 菜絵はにっこりと笑った。

 

 凍てつくような寒さが和らぎ、ようやく春の兆しが見えるようになった頃には卒業式も終わっていた。

 春休みの活動日に菜絵たちは三年生を送る会と称した和菓子パーティーをひらいた。

「公式に制服を着用するのは今日が最後ですね!」

 道佳の言葉に広則は怪訝な顔をする。

「非公式に着用することがあるかな」

「それがあるらしいのだよ広則くん」

 話しながら道佳も広則も手際よくお茶を入れたり、紙皿にお菓子を出したりしている。電気ケトルは顧問の先生が持ってきた。柚希の卒業を祝うと先生は遠慮して職員室に戻っていった。その時は道佳が先生用のイチゴ大福を持たせ、さらに細々とした菓子類をポケットにねじ込んでいた。

「柚希先輩は黒餡と白餡のどちらにしますか」

「黒餡がいいな」

 イチゴ大福と緑茶が行き渡ると、菜絵たちは緑茶で乾杯をした。

「卒業おめでとうございます」

「ありがとう」

「アチチ」

 道佳の声を聞いたときには広則が冷たい水を差し出していた。

「気を付けて飲もうね」

 柚希はくすりと笑いながらお茶をすする。

「広則くんがいれば安心だね」

「いや不安です」

「私がまだいるんだから安心してよ」

「はい、菜絵ちゃん」

 菜絵は包装を剝がしてもらったイチゴ大福を柚希に渡された。

「ありがとうございます、助かります」

 広則は悩まし気に首を傾げながら道佳のイチゴ大福の包装を剝いていた。

 家庭科室は四人だけとは思えないほどにぎやかで、菜絵はこの瞬間を忘れまいと目に、耳に焼き付けた。

 やがて傾き始めた日光が家庭科室を金色に染め上げるまで、笑い声は絶えなかった。

 片付けまで終えて、職員室前で先生と共に帰りの挨拶を終えたとき、菜絵は「あ、忘れ物した」と白々しく声を上げた。先生から再び家庭科室の鍵を借りた菜絵は、道佳と広則を見る。

「じゃあ僕たちはお先に解散ですね」

「またお会いしましょう、グッドラック!」

 道佳が親指を突き出した拳のまま挨拶を求めてくる。四人が拳を交わし終えると、道佳と広則は帰っていった。

 家庭科室に戻りながら柚希が申し訳なさそうにつぶやく。

「最後に二人だけで家庭科室に行きたいなんて、道佳ちゃんと広則くんにはわがまま言っちゃったな」

「今更ですよ」

 うっと胸を押える柚希を笑いながら、菜絵は家庭科室の扉を開けた。

 二人きりの家庭科室は優しい春の残光で満ちている。

 柚希が持っていた紙袋を菜絵に差し出した。

「ちょっと早いけど、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」

 菜絵は大事に受け取って、柚希の顔を確認してから紙袋の中身を取り出す。

 山吹色の生地が色鮮やかに菜絵の目に飛び込んだ。「わあ」と思わず喜びの声をこぼした菜絵は、広げてじっくり見た。淡くカラフルなボタンが並んだバンドカラーのシャツワンピース。ボタン穴は明るい黄緑色の糸で丁寧にかがられている。菜絵はワンピースを抱きしめた。

「気に入ってもらえたようでよかった」

「ひとつひとつ、ぜんぶ柚希先輩の手で作られたワンピースですよ。特別です」

 柚希は眩しいものでも見るように目を細めてゆっくり瞬きすると、菜絵を真っ直ぐに見た。

「菜絵ちゃん、初めて会った時からずっと好きだよ」

 真剣な眼差しを受けた菜絵は、こういう澄んだ目も前から好きだったと思った。

「じゃあ、今度は恋人として会いましょうね」

 柚希の頬は分かりやすく赤くなった。

「早くこの山吹色のワンピースを着て、一緒にお出かけしたいです」

「春のあいだにお出かけしようね」

 ワンピースを大事にしまった菜絵は翳りのない瞳に見つめられていた。菜絵はそっと、花を触るかのように柚希の手を取る。つないだまま優しく引いて、二人きりの家庭科室を静かに出た。


(了)

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