第3話 和菓子も、恋も
さくらと別れたあと、なんだか落ち着かなくて書店に立ち寄った。
ドイツの事を知ろうと思って、ガイドブックのコーナーに向かうと、そこで和己に会った。
「お?恭平、初恋の子にあったんだって?」
和己は俺の顔を見るなりニヤッと笑う。和己のヤツ…大福ちゃんに聞いたのか。
さくらは今の和己を見ても気付かないだろうな。和己はあの当時荒れていて、明るめの髪に6個のピアス、もともとスポーツも出来て年齢の割に背も高かったから、その身体能力を活かして(?)ケンカばかりしていた。
今のこの、一見クールな好青年とは全然違う。
「あー…、まあな。」
今までは俺が和己と大福ちゃんの事をからかってたけど、今度は逆の立場かよ。
「よく会えたよなー。それで…お見合いってどうなったんだ?」
これも大福ちゃんか。
「明日。相手はホテルの御曹司だってさ。」
動揺を隠すように、いつものようにちょっとチャラけて言ったつもりだけど、大丈夫だったかな?
俺がホテルの名前を出すと、当然和己もそのホテルを知っていた。だけど、ちょっと不思議な反応をする。
「あー、あのホテルね。…うーん。恭平、お前はそれで良いのか?」
………。
「さくらがそれで良いなら。…もう、明日だしな。」
俺がそう言うと、和己がなぜか笑い出す。
「ははっ、恭平。お前はその彼女の事を話す時は素になるんだな。いつものチャラけたキャラでいられないんだ。彼女は本当にそれで良いのか?お見合いをするのは彼女の意志なのか、確認はしたのか?…俺はさ、恭平が自分の気持ちを伝える権利は、あると思うぞ。」
俺が気持ちを伝える権利?
「まあ、今度は後悔するなよ。…俺にもちょっと考えがあるし。」
そう言うと、和己は行ってしまった。
その日の夜、俺は久々に和菓子作りの練習をしていた。
練習用の素材を使って、母に言われたことを思い出しながら練り切りの形をひたすら練習する。
相変わらず、全然うまく出来ないけど、それでもこうしていると落ち着くから。
何度も何度も繰り返しながら、昼間の事を思い出す。
さくらが泣いているように見えたのは気のせいだったのかな?最後に、さくらは何も言わなかったけど、何か言いたそうではあった。
柳や和己が言っていたことの意味は…、本当は俺だって分かってる。
さくらと会えなくなってから、俺は自分から人と深く関わることを無意識に避けるようになっていた。今まで以上に明るく振舞い、その表面的な明るさで自分の心を隠すようになった。
もちろん、周りにいる人たちに興味が無いわけではないし、どうでも良いと思っているわけでもない。俺の都合など構わずに踏み込んできてくれるヤツもいるし、それはそれで俺も受け入れて仲良くなることもある。だけど、自分からは踏み込まない。
同時に、バスケだけは誰にも負けたくなかった。どれだけ練習しても、上手くなっても、いつも足りないと感じていた。それは、俺が弱かったせいでさくらを傷つけてしまったことを許せなかったから。
弱い自分と関わると、また誰かを傷つけてしまうかもれしないから。それが怖かった。
それでも、大福ちゃんの事が気になったのは、たぶんあの純粋な無邪気さがさくらに似ていたからだ。
ただ、大福ちゃんとさくらで決定的に違うのは、大福ちゃんのほっぺたには触れるのに、さくらには気軽に触れるなんてできないこと。
さくらの前で素になるのも当然で、俺はさくらと深く心を通わせたいと望んでいるんだ。
くそっ!和己のヤツ…。
また、さくらの事が好きだって、気づいちゃったじゃないか。
好きだと気づいた、そのあとで、明日さくらはお見合いをする。最高の条件の相手と。
俺にそれを止める権利はあるのか…?
その時、階段を下る音が聞こえてきた。
「恭平…?」
姿を現したのは、姉の美月だ。
「練習していたの?…相変わらずね。」
俺の不格好な練り切りを見て、美月が淡々と言う。ふと、俺はずっと疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「姉ちゃん、あのさ。前に姉ちゃんから、俺は慎重すぎて和菓子をダメにするって言われただろ?あれって、どういう意味なんだ?」
俺が聞くと、美月はスッと俺の隣に来て、練習用の素材でキレイな手毬を作って見せた。それはとても鮮やかな手付きで、三角ベラが正確に作っていく線は、迷いが無く、美しかった。
「恭平には思い切りが無いの。」
思い切りが…無い?
「慎重に、丁寧に、間違えないようにしようとするから、逆に線に迷いが出る。時間をかけ過ぎれば素材の温度も上がって、その素材をダメにする。恭平は余計なことを考え過ぎなの。それは決して悪い事ではないけど、時には自分の思う線を自信を持って入れることが必要。」
そうか。…何となく分かった。
和菓子もさくらも。相手にとって必要なことを考えすぎるから、余計に上手くいかないってこと?
和菓子は俺の迷いでダメになり、さくらとのことは俺の自信の無さから何もできずに終わろうとしている。
相手の事を考えているようで、そこには自分の意志が存在しない。
俺が引きたい線はどんな線なんだろう。俺は俺が望む線を、自分で見つけていくんだ。
次の日、俺は朝からさくらの宿泊しているホテルに来ていた。
さくらはおじいさんと別々の部屋を使っていると言っていたから、お見合いが始まる前にさくらと話ができればまだ間に合うかもしれない。
そう思い、早速フロントでさくらの名前を伝えて連絡してもらったが、不在とのことだった。
…どうする?
お見合いが始まってしまったら、そこに乗り込んでいくことはさすがにできない。 それは、さくらのおじいさんを驚かせることになるし、相手の方にも失礼だ。
お見合いはお昼からだと言っていたから、それまでに見つけないと!
不在ってことは、朝食の為にレストランに行っているとか?それとも近くのコンビニ辺りかな?俺は思いつくところを次々と回ってみる。
ホテル内や周辺を探してみたけど、さくらの姿は無い。あとは…。
もしかして、公園⁉俺は慌てて公園に向かって走り出した。なんで最初に気がつかなかったんだ!
公園に入ると、遠くからピアノの音が聞こえてくる。いた!きっとさくらだ。
そのまま真っすぐにクラブハウスに向かうと、さくらが一人でピアノを弾いていた。
「さくらっ!」
クラブハウスに勢いよく飛び込んで、思わず叫んだ俺の声に、驚いたさくらが立ち上がって振り返る。
「キョーヘー??」
何が起こったのか分からない様子のさくらの近くまで行くと、俺は一旦呼吸を整えて、しっかりとさくらに向き合う。
「さくら、お見合いに行かないで。」
さくらの表情が複雑になり、不安そうにも嬉しそうな顔にも見える。嬉しそうに見えるのは、俺がそう見たいからか?
「キョーヘー…?どうしたの?」
何かを確かめるようなさくらの声。
「さくらの事が好きなんだ。だから、行ってほしくない。」
俺の言葉で起爆したように、さくらの瞳からぽろぽろと大粒の涙が溢れて、何か言いたそうにこちらを見る。
この涙はどんな意味だろう?俺はじっとさくらの言葉を待つ。
自分が本当に望むものを欲しいと言うのは初めてだから、答えを待つのがこんなにも長いとは思わなかった。
胸の中に渦が巻いて、重いような軽いような、熱いような冷たいような、期待しているような怖いような。
とにかく変な感じだ。ドキドキしながらさくらを見守ると、さくらがやっと口を開く。
「キョーヘー!私も好き…。もっと早く止めてよー!」
口を開いたと思ったら、今度は大泣きだ。さくらの素直な気持ちが伝わってきて、俺の中に幸福感が広がっていく。
「間に合って、良かった。」
そんなさくらを、俺はとても自然に抱きしめていた。
腕の中にさくらがいる。なんだかまだ信じられなくて、グッと力を入れて更に自分に強く引き寄せた。
「おーそーいーよー!!!」
さくらの腕が俺の背中にまわり、しっかりとしがみついてくる。
さくらは口では怒っているけど、本当にお互いに好きだって、この温度が教えてくれていた。
大泣きするさくらをなだめて落ち着かせると、温かいコーヒーを買ってきてさくらに渡す。
「さくら、本当にお見合いして、相手が気に入れば結婚するつもりだったの?」
俺が聞くと、なぜかさくらはいたずらがバレた子どものように、恥ずかしそうに下を向く。
「だって、…もう一度バスケがしたかったから。」
バスケ??何で、お見合いでバスケ?
「だって、本当にキョーヘーと会えると思ってなかったから…。前も言った通り、今回キョーヘーに会えなかったら、キョーヘーの事を今度こそ諦めるつもりだった。あのね、お見合いを受けたのはね…。もう一度バスケがしたかったから、父にバスケがしたいと交渉したの。私はプロのピアニストになる気は無いし、第一線で活躍するような音楽家にならなくても音楽の世界とは関わっていける。だからバスケをさせてほしいって。そうしたら、父の出した条件がお見合いだった。せめて家柄の釣り合う相手との結婚で、体面を保って欲しいと。バスケはもちろん大好きだけど、それ以上に、キョーヘーとの唯一の繋がりだからどうしてもやめたくなかった。もう2度とキョーヘーに会えなくても、バスケを続けていればキョーヘーとの繋がりを感じていられると思ったから。」
お見合いは、俺との思い出の為?そんなのって…。
「さくら…、もっと早くに見つけてあげられなくてごめん。そうしたらお見合いなんて決めさせなかったのに。1人で悩ませることもしなかったよ。」
もう絶対に離しちゃダメだ。今度は俺がちゃんとしないと。
さくらの事をしっかりと抱き寄せて、俺は考える。
「でも、今日はどうしようか…。まずは、さくらのおじいさんに俺から説明して、お見合いの相手の方にも謝罪して…。それは早い方がいいよな。それから、今後はどうしようか。俺は、もうさくらと離れたくない。だけど結婚っていっても、俺は来月からやっと大学生って身分だし、ホテルの御曹司でもない。どうしたらさくらのご家族に認めてもらえるかな…?」
ぐるぐると1人で考え込んでいる俺を見て、腕の中のさくらがポカンとしている。
「あっ、ごめん。1人で先走っちゃって。」
俺が慌てて謝ると、さくらが赤くなる。
「私も…、ずっとキョーヘーと一緒にいたい。」
…あれ?俺、いつの間にかナチュラルにプロポーズしてたかも。
好きと気づいた、そのあとは、どんどん新しい線を作り出していく。
早速、まずはさくらのおじいさんに会いにホテルに戻ることにした。
俺たちがホテルのエントランスを抜けると、なぜかロビーに和己と柳と佐々野がいた。3人が俺たちを見つけて、こっちに向かってくる。
「お前ら、ここで何を?」
俺が聞くと、3人は満足そうに笑う。
「お前なら必ず来ると思ってたよ。来なきゃ引きずってでも連れてくるつもりだったけどな!」
これは佐々野。
「やっと自分の心に正直になったか。」
これは柳。
「自分の権利は使ったのか?…ああ、今度は離すなよ。」
俺たちが手を繋いでいるのを確認して、和己が納得したように言う。
「これから彼女のご家族に会いに行くんだろ?お見合いまで時間が無いぞ!とりあえず行ってこい!」
どういうことだ?
全く理解が追いついて無いんだけど、佐々野に急かされた俺たちは、ひとまずさくらのおじいさんの部屋に向かった。
さくらがノックをして声を掛けると、部屋のドアが開いた。中から出てきたのは穏やかそうで上品な白髪の男性で、姿勢の良い優雅な物腰は、まさに紳士という言葉がピッタリだった。
さくらのおじいさんは、俺の顔を見て少し驚く。
さくらがドイツ語で何か言うと、おじいさんは頷いて、俺たちを部屋の中に案内してくれた。
1人で泊まるにはとても広い部屋で、眺めのいい大きな窓と、ゆったりとしたソファセットのあるリビング、それとは別にベッドルームがある。私物はきちんと整っていて、さっきまで読んでいたと思われる本がテーブルに一冊置いてあるだけだった。
ソファに促されて座ると、おじいさんが口を開く。
「私はさくらの祖父のヨハン。話しというのは何かな?」
ゆったりとした口調で、ヨハンさんが語りかける。彼もまた日本語が流暢だ。
「今井恭平と申します。初対面で突然こんなことを言うのは、ぶしつけと思われるかもしれませんが、私はさくらさんの事が好きです。だから、今日のお見合いの話を聞いて、止めに来ました。」
俺は当然に怒られるものと思っていたけど、ヨハンさんは落ち着いた様子で今度はさくらに話しかける。
「さくらはどう考えてる?」
さくらが少し緊張して答える。
「私もキョーヘーが好き。私は彼を探しに日本に来たの。」
ヨハンさんは軽く息をつくと、顎に手をやり、目を閉じて少し考える。
「あの、俺はさくらさんと釣り合うような家柄でもないですし、まだ何も誇れるものはありません。だけど、さくらさんの事は諦めません。どうか私にもチャンスをください。」
俺は立ち上がってしっかりと頭を下げた。今の俺にできることは、まだこれしかない。だからチャンスが欲しい。
「お願いします!」
さくらも一緒に頭を下げる。隣にいるさくらの体が、小刻みに震えているのが分かる。
「ふむ…、どうしたものか。2人とも頭を上げなさい。」
ヨハンさんが俺たちの肩に手を置いて、座るように促す。
「不思議な偶然だな。実は、向こうの父上から連絡をもらって、お見合いの話は無くなったんだ。息子さんがドイツには来られないと言ってな。」
お見合いが無くなった?
ああ…、さくらは一人娘だから、結婚したらドイツに婿入りすることになるのか?お相手の方は、それが出来ないという事なのかな?
「だけど、せっかくだから予定通り一緒に食事をしようということになったんだ。向こうのご両親とは長い付き合いだからね。」
さくらが拍子抜けした顔をしている。
「そう…なの?」
とりあえず、お見合いの話はクリアした…のか?
「ところで、恭平君。私は君ともう少し話がしたいし、一緒に来ないかな?さくらとこの先一緒にいるつもりなら、彼らともこれから付き合っていくことになる。先方から断ってきたとはいえ、お見合いする予定だったさくらに想い人がいたとあっては、こちらもきちんと説明する必要があるだろう。どうかな?君から説明してみるかい?」
これは試されてる?でも、俺の事を知ってもらえるチャンスだ。
「是非、ご一緒させてください。私からきちんとご説明します。」
俺が真っすぐにそう答えると、さくらのおじいさんは表情を変えずに頷いた。
あとでレストランに向かう事を告げて、俺たちは一度部屋を出た。
まずは第一関門クリアだな。
「キョーヘー、良かった!ありがとう!」
さくらははしゃいでいるけど、まだこれからだ。
というか、俺が急にその食事会に現れたら相手のご家族は驚くだろうな。食事会を楽しみにしているだろうし、俺が空気を悪くするわけにはいかない。その為に俺が出来ることは…?今の自分に出来ることを考えるんだ!
…というか、待って!こんな高級ホテルのレストランじゃ、ドレスコードとかあるんじゃないか⁉
「さくら!俺、ちょっと着替えてくる!またあとで会おう!」
そう言うと、俺は急いでエレベーターに向かった。
TPOに合わせた服装も相手に対する礼儀だ。…とは言え、何を着たらいいんだ?スーツ?ジャケパン?そんなの家にあるのか?
店が開いていれば、一式買いに行っても間に合うか?よし…!
やっとエレベーターが一階に到着し、急いでロビーに出ると、またあの3人組に捕まった。
「どうだった?」
「ひとまず、さくらのおじいさんにはご挨拶をしてきた。次はお見合い相手と話す機会をもらったよ。」
和己の問いに、急いでいた俺は端的に答えた。和己は俺の答えが分かっていたかのようにニヤッと笑う。
「よし!じゃあ、次はドレスコードだろ?こっちに来いよ。」
そういう和己に連れていかれたのは、ホテルの一室だった。
そこで待っていたのは、…中山だ。なんで?
「おっ!恭平!服装の事なら俺に任せろ。」
驚く俺の服を、4人掛かりで脱がせていく。
「急げ!時間が無いぞ!」
呆気に取られている俺に、中山がジャケットやパンツを当てて合わせながら、次々に着てみろという。そして、俺が着替えては脱いでいく服を、和己と佐々野が片付けていく。何度か着替えると、やっと中山が納得する組合せになったようだ。
よく磨かれた靴が並び、それを手に取りながら中山が言う。
「このホテルさ、俺の祖父が運営しているグループのホテルなんだ。」
ということは、中山が御曹司⁉
「えっ?じゃあ、お前がお見合いの…?ワケないよな?」
中山には、俺も知っている彼女がいる。
「違う違う。俺の兄貴だよ。俺が彼女と婚約したから、自分も見つけるんだって張り切ってさ。そうしたら、たまたま両親の知り合いのお嬢さんが兄貴と同い年っていうことで、じゃあ、お見合いでも…って流れになったみたいで。」
結婚相手を探していた中山のお兄さんと、父親との交渉で結婚を条件に出されていたさくらで、タイミングが重なったってことか。
「でも、中山のお兄さんはお見合いを断ったって…、良いのか?」
お兄さんの方は本当に結婚相手を探していたわけだし。
「昨日、和己から連絡があってさ、兄貴と話したんだ。そうしたら兄貴は、『俺のぼんやりした彼女探しより、“初恋”の方が大事だろ?』って。そもそも、こんなに早くお見合いの話が出るとも思ってなかったみたいだし、…第一、兄貴はドイツ語が話せないんだ。」
そういって、中山はおかしそうに笑った。
和己の言ってた、心当たりっていうのがこれか。2人の仕事の早さに、俺は素直に感謝した。
俺は、着替えをしながら、みんなに今までの経緯を伝えた。
「バスケをするために政略結婚か…。名家に生まれるっていうのは大変だな。」
柳が感心したように言う。
「彼女がきっかけで恭平がバスケを始めたんだから、俺は感謝してるよ。恭平のおかげで、俺もバスケに熱くなれたしな!」
佐々野は背が高いからという理由だけでバスケ部に入ったが、俺と張り合っているうちに俺以上にバスケにのめり込んだ。
「こんな話を聞かせたら、また奈々子が喜ぶよ。」
和己がからかうように笑う。確かに大福ちゃんなら泣いて感動しそうだ。
着替えが終わると、今度はヘアセット。
柳が何種類かの整髪料と、ドライヤーを用意して待っていた。シェーバーで眉を整え、キレイに髪をセットする。柳は弟が4人いて、忙しい両親の代わりに弟たちの面倒をみていたから、実はこういうのが得意なんだ。
鏡を見ると、別人のような自分がいた。ダークネイビーの仕立ての良いジャケットに、同系色のストライプシャツ。シルエットのキレイなスラックスと、靴は本革のビットローファー。こういうきれいな格好は七五三以来だな。
「おおー!恭平、良いぞー!」
「こういうきちんとした服装も似合ってるよ。」
「バスケで鍛えた筋肉が映えるな。」
「やっぱり、お前は俺と顔の方向性が一緒だから、こういう上品なのが合うんだよ!」
なんか、こういうのは慣れてないから照れるな…。だけど、すごく自信はついた。
「みんな、……ありがとう。」
俺がそう言うと、4人は満足そうに笑った。
部屋からさくらの部屋に電話をして、大階段の前で待ち合わせることになった。
広いエントランスから豪華な大階段を上ると、目の前にはガラスで仕切られた空間に日本庭園が広がっていて、その奥がレストランだ。
先に着いた俺が待っていると、さくらがこちらに向かってくるのが見えた。
落ち着いたスモーキーピンクのワンピースに、シルバーのクラッチバック、足元はもちろんバッシュではなく、ワンポイントのついたパンプス。いつもより少ししっかりメイクをして、髪はふんわりと後ろでまとめている。
ワンピースは見慣れているハズなのに、今日のさくらはきれいで…ドキドキしてきた。あー、…もう。
だけど、動揺している俺に気付かず、さくらはそのまま俺の前を通り過ぎようとした。
「さくら?」
思わず、さくらの手を掴み呼び止めると、さくらがビクッとして、目を見開いて驚く。
「キョーヘー⁉…あ、そのっ…、素敵だね。」
掴んだ手から、さくらがドキドキしているのが伝わってくる。いつも俺だけドキドキしている気がするから、これはいい気分だ。
「さっき下であった仲間たちが手伝ってくれたんだ。」
レストランに向かいながら事情を説明すると、さくらが驚く。
「そんな偶然があるんだね!私たちはとても恵まれているんだね。私も皆さんにちゃんとお礼を言いたい!」
今日の食事会でしっかりと話をして認めてもらえたら、俺も改めてみんなをさくらに紹介したい。この先の未来も、一緒に過ごしていきたいから。
そのために、まずは一つずつクリアするんだ!
頬を紅潮させてはしゃいでいるさくらの手を取り、俺は真っすぐにさくらの目を見る。
「さくら、ちゃんと言っておく。さくらのおじいさんにもご両親にも認めてもらえるように努力するし、絶対にさくらの事を諦めない。だから、俺を信じて待ってて。」
突然の事に一瞬驚いたさくらの顔が、どんどん赤くなっていく。
答える代わりに、繋いでいるさくらの手に力が入り、さくらはぶんぶんと頭を振り、何度も頷く。
「こんな場所で言うのもなんだけど…、俺と結婚してくれる?」
まさか俺が10代のうちに、しかもホテルの廊下でプロポーズすることになるとは思わなかった。でも、大事なことは早く伝えておかないとダメなんだ。もう後悔したくないからね。
色気の無いプロポーズにはなってしまったけど、さくらは一生懸命に涙を堪えながら、また大きくぶんぶんと頷いていた。
俺たちがレストランに着くと、既にヨハンさんは中に入っていて、俺たちは彼の待つ席まで案内された。
仕切られた半個室の広いテーブルに、ヨハンさんは1人で座っていた。
テーブルセッティングは3名分…?これはどういうことだ?
「さあ、待っていたよ。2人とも座って。」
少し疑問に思いながら、促されるままヨハンさんと向かい合わせの席に2人で並んで座る。
「これは…どういうこと?あちらのご家族はどうしたの?」
さくらが聞くと、ヨハンさんがゆっくりと答える。
「恭平君。まずは君に謝りたい。君がどうするか見せて欲しかったんだ。お見合いをするはずだった相手と同席する覚悟があるのか、試したかった。驚かせてしまって、申し訳ない。」
やはり試されていた。でも当然だよな、短時間で俺の事を知るすべが少ないのだから。
「実は、彼らとは昨日の夜に食事をしたんだ。昼に連絡をもらって、お見合いをキャンセルしたいと言われてね。お詫びにディナーを一緒にと誘ってもらった。中山夫妻と、さくらとお見合いをするはずだった凪斗くんと、弟の真斗君も一緒にね。お見合いの件は納得したし、楽しい時間を過ごした。会食の後、真斗君に呼び止められて、少し話したいことがあるとラウンジに誘われたんだ。すると、そこには他の友人もいて、君とさくらの話を聞いた。そして、明日、お見合いの時間よりも前に君がさくらの事を取り返しに来るから、会って話して欲しいと言うんだ。私は半信半疑だった。今までさくらからそんな相手がいるとは聞いていないし、いたならなんでもっと早くに出てこなかったのかと。でも、彼らは必ず君は来るから、君の事をちゃんと見てほしいと言った。だから私はさくらにお見合いの中止を伝えず、待っていた。」
あいつら…、そんなことまでしてくれてたのか。なんか…胸が熱くなってきた。
「私は君を2度試したけど、君は2度越えてくれたんだ。ありがとう。」
ヨハンさんは立ち上がると、丁寧に頭を下げる。
「そんなっ…、こちらこそありがとうございます。」
俺たちもそれにならい、立ち上がって頭を下げた。
「さくらさんを迎えに来るのが遅くなってすみません。自分の力を信じられなくて、誇れるものがなくて、そんな自分がさくらさんのお見合いを止めることなど許されないと思っていました。だけど、どうしてもさくらさんだけは譲れないと気付いたんです。もう1度離れるなんて…、もうあんな思いはしたくありません。だからどうか、私にチャンスをください。」
俺が頭を上げると、ヨハンさんが俺を見てニコッと笑う。なんだかこの笑顔はさくらに似ている。
「まずは、お詫びに今日は一緒に食事を楽しもう。君の事を知りたいと言ったのは本当だ。それと、緊張せずに食事を楽しめるようにゲストもお呼びしたよ。」
そう言って、ヨハンさんが近くのレストランスタッフに声を掛けると、なんとさっきの4人が現れた。
「な、なんでっ…?」
俺が驚くのを横目で見ながら、4人が挨拶をする。
「今日はお招きいただきありがとうございます。」
「うん。わざわざ来てもらってありがとう。さあ、座って。今日は私の知らないさくらの話も聞かせてもらおうかな?」
最初の落ち着いた紳士のイメージとは少し変わり、ヨハンさんは気さくな雰囲気で、思いがけず賑やかな食事会になった。さくらと出会った時の話や、あの事件の事、バスケの事、いろいろな話をした。
さくらはあの時のケガを、ご家族には俺と一緒にいたことは伏せて説明していたらしい。家族から、俺に対して少しでも嫌なイメージを持って欲しくなかったから。結果、今まで俺の話は家族の誰にもしなかった。
一通り、話し終わると、ヨハンさんが静かに言う。
「さて、恭平君。私は君を認めているよ。正直で、自分の弱さを認める強さも、さくらに対する誠実さも、ちゃんと伝わってくる。それに、君にはこんなに素晴らしい友人がたくさんいる。友人の為に行動を起こす彼らと、その彼らから信頼されている君。それだけで君の人間性の良さは証明されている。…あとは、息子のルカスがどう考えるかだな。ルカスだって、さくらの幸せを願っている。だけど、同時に家の重みも感じているんだろう。せめて音楽家の一家に拘らなかったのはルカスなりの愛情だな。」
ありがたい言葉だった。今の俺をちゃんと認めてくれて、周りの友人まで認めてくれている。
家の重みは分からなくはない。自分だけの問題じゃないから難しい。だからこそ、俺にできることは何かを探さないと。
「それについてですが、ちょっと良いですか?」
顎を撫でながら考えるヨハンさんに、中山が言う。
「恭平の家は、創業600年を越える『よろづや』というかなり老舗の和菓子屋です。ウチのホテルにも和菓子を分けてもらってますし、結婚式の引き菓子にも人気で、昔から献上品にも使われるような名店でありながらそれを鼻にかけることもなく、ずっと地元から愛されている素晴らしい和菓子屋です。恭平は十分、家柄の釣り合う相手と言えるのではないでしょうか?」
思いがけない中山の言葉に、俺は驚いた。
だけどそれ以上に、ヨハンさんが強く反応する。
「よろづや…?恭平君、君のご実家のお店には桜餅はあるかな?もしかして『八重桜』という名前で。」
少し急かすように言うヨハンさんの言葉に、今度は俺が強く反応する。
「えっ⁉…あります。ご存じ…でしたか?」
『八重桜』というのは、祖母が作った桜餅につけられた名前だ。色の濃さを分けた2種類の生地を作り、濃淡で桜の重なりを現した桜餅で、道明寺粉で作った関西風。
ちなみに、母の作る桜餅は、小麦粉を使ったクレープ状の生地を使う関東風で、『関山』と呼ばれていた。
母が作っている間は『関山』だけを出していたから、『八重桜』がまた店に並ぶようになったのはここ数年の話だ。
「では、君のおばあ様は“あやめ”という名前ではないだろうか?」
ヨハンさんの震える声に、俺とさくらは気付いてしまった。
「もしかして…ヨハンさんの探している方というのは、ウチの祖母のあやめだったんでしょうか?」
俺がそう答えると、ヨハンさんは両手で目を覆い、天を仰いだ。
「なんということだ…。こんな事があるなんて。」
そう言うと、大きく深呼吸をして、もう一度俺の方に向き直る。
「そうだ。私がずっと探していたのはあやめだ。あの当時、私は日本語が分からず、あやめが大学生だという事しか知らなかった。あやめは私によく和菓子を作ってくれていたけど、それも、日本人はみんな和菓子を作れるのだろうくらいに思っていた。あやめは桜が好きで、私をお花見に連れて行き、自分の作った桜餅を食べさせてくれた。その時にあやめは、一生懸命にドイツ語を織り交ぜながら、それが桜餅だという事と『八重桜』という名前を付けたことを教えてくれた。私はあやめが和菓子屋の子だとは知らなかっし、日本人がみんな和菓子を作れるわけではないと知ったのもしばらく経ってからだった。今回、日本に来てから何気なく見ていたニュースで桜餅の話題が出ていて、急に『八重桜』のことを思い出した。それから私は桜餅を手掛かりにあやめを探していたんだ。やみくもに探しても見つからず、日本の友人にも聞いてみた。そうすると、その中に百貨店のバイヤーと繋がりのある友人がいて、彼を通じて聞いてもらったところ、『よろづや』ではないかと今朝メールで回答がきたんだ。」
なんていうタイミングだ。
確かに祖母は3人姉妹の長女で、家を継ぐために婿養子を迎え入れた。妹2人は他所に嫁いでいったが、祖母とは歳も離れていたし、祖母は妹2人を自分のように家に縛らせたくなかったのかもしれない。…すべてが繋がっていく。
「あやめも…、重たいものを背負っていたんだな。」
寂しそうに言うヨハンさんの声が、深く心に残った。
俺たちは会食の後、一度着替えてからみんなでスポーツ公園に来ていた。みんながさくらのピアノを聞きたがったし、桜もだいぶ花をつけてきていたから。
「思った通りに生きるって、当たり前のことじゃないんだね。でも、何を選択するのかを決めるのは自分で、選択したその先を変えていけるのも自分。」
さくらが、木々を見上げながら言う。
俺は今回、自分の為に自分の選択をした。そして、この手で本当に自分の望む幸せを掴むことができた。
これも、時代や環境が違えば、もしかしたら掴めなかったのかもしれない。でも、そもそも選択しなければ何も掴めない。だからこれからも、自分が望むものを諦めることはしないんだ。
そして、今ある幸せを、当たり前ではなく自分の所に来てくれた幸せを、ずっと大事にしていく。
ヨハンさんに、ウチの祖母と会う機会を作ると提案したのだけど、ヨハンさんは断った。
突然に失った初恋の行方をずっと追いかけていたけれど、彼女の無事が分かった今、迷子になっていた魂が救われたようだと。それに、祖母にはもう新しい人生があり、それを惑わすような事はしたくないとのことだった。
俺とさくらが正式に結ばれて、両家の祖父母として再会できるまで楽しみに待っていると言って笑っていた。
「彼はすごいよな、奥様とはお互いに政略結婚でありながら、2人でそれを認め合い、逆らえない運命の中でも最善を尽くしてより多くの幸せを感じられるように過ごしていた。結ばれなくても、一度は誰かの事をとことん好きになることができたし、恋愛の愛情とは違うけど、パートナーとして、家族として奥様を尊敬し協力し合えたから悪くない人生だったって。…俺たちも何十年後かにそう言ってたいよな。」
佐々野はすっかりヨハンさんの生き方に感銘を受けたようだ。
「また新しい家族の形を見させてもらったよ。…幸せの感じ方って自分次第なんだろうな。」
和己は誰かの事を考えているようで、穏やかな顔をしている。
祖母の人生も悪くないものだったのだろうか?俺の知らないところで、辛いこともたくさんあったのかもしれない。だけど、祖母は店主として常に気丈で、和菓子作りに迷いが出たことはない。俺とさくらがバスケで繋がりを感じていたように、祖母にとっては和菓子作りこそが心の拠り所だったのかもしれない。
「なんだか濃い時間だったな。この場所に来るとあの6年前のあの日を思い出すけど、また数年後には今日この瞬間の、みんなで桜を見ていたことも思い出す。思い出が積み重なっていくって、いいもんだな。」
あまり感情を出さない柳が、今日は少し嬉しそうにしているのが、なんだか俺も嬉しい。
「ところで恭平!お前はドイツ語は話せるのか?さくらさんの母国語くらい話せるようにならないとな!」
唐突に、中山が俺を現実に引き戻してきた。
「そ、それはもちろん勉強するよ!さくらは一人娘だし、俺が婿養子になるとすれば、ドイツで住むことになるし…、あれ?その場合、俺たちのこどもとはどっちの言葉で話せばいいんだ??なあ、さくら…。」
そう言って、俺がさくらを見ると、さくらが真っ赤になっている。
「おいおい、恭平!まだ結婚もしてないのに、こどもって…。」
あーっ!また先走ったか。動揺したさくらが、よく前を見ずに歩いて外灯にごつんと額をぶつけた。
「いたたた…。」
涙目で額を抑えているさくらに近づくと、さくらの手を取って額の傷を確かめる。
「さくら、おでこが赤くなってる。大丈夫?あっちでちょっと冷やして…。」
俺がそう言いながら、4人の方へ振り返ると、なぜか4人とも後ろを向いている。
「…?どうした?」
不思議に思って俺が聞くと、遠慮がちに振り返った佐々野が言う。
「いや…ラブシーンかと思ってな。」
違うよっ!
それは、あとでゆっくり…な!
好きと気づいた、そのあとで 空見 れい @rei333
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