1 夢に見る空

 ――雪積もる街道での戦闘からさかのぼること数刻前。


 バチバチと、先ほど暖炉にくべられたばかりの薪がはぜる音だけが聞こえていた。


 巨大な王城にふさわしく広々とした応接室は、まだ冷え冷えとして。

 まるで、来訪者であるマリクを、歓迎すべからざる客のように持て余しているかのようで。


 いや、それも仕方のないことだろう。

 すでに街も寝静まろうかというような刻限。

 こんな時間に来訪するマリクのほうが、本来ならば礼儀知らずというもの。


 普段であれば門前で追い返されているはずのところを、けれどこうして客間へ通されているのは、当然、勿体をつけるまでもなく――マリクがむしろ招かれた側であるからに他ならない。


 そのはず、なのだが。


 だとしたらなぜ応接室を温める程度の準備すらされていないのか。

 そんな疑念が浮かぶも、マリクにとってはさほど気にかけるほどのことでもない。


 精緻せいちな壁紙の模様に見入るでもなく、飾り棚におかれた美術品を愛でるでもなく。

 長椅子や机のふちを彩る彫刻を楽しむでもなく。


 ただ悠然と、室内で着るには厚すぎる黒い外套を脱ぐこともせず、まるで調度のひとつと見紛わんばかりに微動だにせず。

 静かにただ待ち続ける。


 戦闘士であるマリクにとって、暖かい部屋で安穏とすることが依頼の内容であるはずがないのだから。


 ――“戦闘士”。


 その名の通り、報酬と引きかえに戦闘を請け負う者たち。

 多くは傭兵として戦場で戦った者たちが、平和の中での生き方を知らぬままに行きつく先の一つ。


 傭兵との違いといえば、彼らが国家や組織に雇われるのだとすれば、戦闘士は個人に雇われるということであろうか。


 危険な獣退治などを依頼されることもあるにはあるが、そういった仕事はむしろ狩人のもの。

 戦闘士の役割はもっぱら喧嘩・決闘の代行、護衛・用心棒、諜報、要人の暗殺などに集約されてしまう。


 その仕事内容から、必然的にその雇い主は権力者――たとえば、権謀術数の渦中にある貴族たちであるとか、欲深い商人たちであるとか――そういった上流の連中にかぎられる。


 そのため報酬は破格であるものの、人々からは金に汚い殺し屋と後ろ指をさされ、依頼主たちからも蔑みこそあれ、感謝を口にされることなどほぼ無いといっていい。


 ましてや、裏の事情に踏みこみすぎるがゆえに、今度は自分が殺し屋を差し向けられる羽目になる――といったことも、ありすぎるほどによくある話であろう。


 ともあれ、戦闘士の顧客は上流の者たち――たとえば、うしろ暗いところのある犯罪組織の首領であるとか、陰謀にまきこまれた地方領主であるとか――なのであって。


 だからして、マリクが城下の庶民たちより王城の方にこそ用があるというのは、なにもおかしなことではなく。


 約束の時間から四半刻も過ぎたというのにこうして捨ておかれているなどという扱いも、蔑み忌み嫌われる立場からしてみれば、不満に思うべきことでもなく。


 故にマリクはこうして、ただじっと待ちつづけている。


 ――コンコン。


 と、どれほどの時間が過ぎただろうか。


 前触れもなく部屋の扉がたたかれたあと、間をおかず開いたその向こうから、ひとりの男が姿をあらわした。


「お待たせしましたな……すこし立て込んでおるもので、申しわけない」


「……いや、構わない。こうして待つのも仕事のうちだ」


「そう言ってもらえるとありがたい」


 言葉ほどには謝意を感じさせない――どころか、むしろ傲慢さをにじませる口調で言う。


 そこに悪意はないのだろう。彼にとっては普段どおりでしかない。

 人を使うことに、人の上に立つことに慣れきった者の態度。


 それも当然のことであった。

 彼の名は、アルマン・ルノー。


 アグリス王国城内大臣としてこの巨大な王城のすべてをとり仕切る人物、そして今回のマリクの依頼主なのだから。


「しかし……ふむ、貴公が?魔剣士殿で間違いないだろうか?」


「好き好んで魔剣士などと名乗ったことはないが、俺は間違いなくマリクだ。

 ……名指しの依頼だと聞いたのだが、何か取り違えでもあったか?」


「いや……想像よりも若かったのでな。歴戦の戦闘士と聞いたのだが……まあよい。

 さあ、殿下もどうぞ、お入りください」


「うむ」


 年齢を理由に軽んじられるのも、いつものこと。


 けれど、その彼が振りかえった扉の先、侍女をともなって入ってくるもう一人の人物を目にしたところで、はじめてマリクの眉が動く。


「………」


 それは少女だった。


 年のころは10代の半ばを過ぎたあたりだろうか。

 背中にかかるほどに長く伸ばした色素の薄い金髪をきれいに切りそろえ、顔のわきに垂らした房の一部を飾り紐で束ねている。


 長いまつ毛にふちどられた目元は、快活さをあらわすようにやや吊りあがり、深い緋色の瞳はまるで宝石のようにきらめいて。


 可憐というには溌溂としすぎる雰囲気は、その印象的な眼ゆえであろうか。


 その大きな瞳が、年相応の好奇心をこめてマリクへと向けられている。


 そして何かをこらえるように閉じられていた唇が、マリクの対面に腰かけるや否や解き放たれた。


「そなた――」


「姫様、お話は私がいたします」


 が、まるでそれを予期していたかのような城内大臣の一喝にさえぎられてしまう。


「あ、うん……分かった、アルマン……」


 しゅんとしてそれだけを言うと、姫様は黙ってしまって。


 どう見ても場違いな年若い姫君の登場に、マリクはこの時点で、もうかなり不安になっていた。


「さて……遅くなってしまったが、名乗らせてもらおう。

 私は、アルマン・ルノー。このアグリスの城内大臣を務めておる。

 すでに予想がついておるとは思うが……貴殿に頼みたい依頼とは、こちらの方に関するものなのだ」


「ふん……城内大臣ともあろう者がわざわざ出てくるのだ。

 相応の立場、それも王家に連なる人物なのだろう?」


「紹介の必要もなさそうだが、いちおうご紹介しておこう。

 この方は、セシリア・エール=アグリス殿下であらせられる。

 ジェローム王陛下の末の妹姫様であり……今年成人となられることは知っているな?」


「この国に住んでいる者で、知らぬ者はおるまいよ」


 そう答えながら、改めて正面に座る少女に目を向ける。


 先ほど釘を刺されたためか口は閉じているものの、隙あらば喧しく騒ぎ立てようとばかりに唇がうずうずと動いていて、大きな緋色の瞳が興味深そうにマリクを眺めている。

 その視線がせわしなくこちらを物色していて――おもに注目を集めているのは、傍らに置いた大剣をおさめた鞘と、そして閉じられた右目であろうか。


 大体にして衆目を集めるそのふたつに視線を向けられることに、いまさら何を感じるでもないのだが、それにしてもこの姫様のは些か度が過ぎている。

 まるで街に出たばかりの童子のようであると言えばいいか。


 躾のたまものか姿勢だけはきちんとしているものだから、彼女の背後に立っているアルマンや侍女からは、大人しくしているようにしか見えないだろう。

 まだ成人を迎えていないというからには、好奇心旺盛な年頃であるといえよう。


 それを思えば年相応の振る舞いとはいえるかもしれないが、そこに王族という要素を加えると、この姫君の振る舞いはいささか幼すぎるというもの。


 アグリス王家の末の王妹。


 聞くところによれば、妾腹の子としての生まれから、王宮内では微妙な扱いを受けているという話だったはずだが。

 けれど、目の前であどけない笑みを浮かべている姿からは、とてもそんな境遇を伺い知れるものではなかった。


「この度、殿下はアグリスの東部、アリマまで赴かれることになっておる。

 貴殿にはその道中、殿下の護衛を務めてもらいたいのだ」


「……護衛?」


 ふとセシリアの笑顔に見入っていたマリクは、そう告げたアルマンの言葉に意識を戻す。


「……アグリスには主力の“魔導軍”をはじめ、精強にして勇名をとどろかす正規の軍隊があったと思ったが、俺の記憶違いか?

 王室付きの近衛軍も十分な数がそろえられていたはずだ……なぜそいつらを使わん。

 末姫とはいえ王妹殿下だろう。それで近衛すら動かせん理由にはならないと思うが?」


「貴殿の疑問はもっともだろうな。

 だが……軍も近衛も、一枚岩ではない。そういう意味では、まだ外部の人間のほうが信をおけるであろうと判断したまでだ。

 殊に、金のために動く者ならば、十分な金子を積みさえすれば、下手な騎士なぞよりもよほど信用できる」


 ぼかすような言い方はあえて明言をさけたのであろう。


 けれどアルマンほどの地位の人物が誤魔化すほどの事柄という、そのこと自体が、逆に隠そうとした内容をあらわにしてくれる。


「ふん、なるほど……相手は王家につらなる者ということか。

 だから、むしろ彼らの影響が強い軍に頼るわけにはいかない」


「好きなように捉えてもらってかまわん。

 ……重要なのは、軍と王国に頼らず、ただ殿下の護衛のみを務められるものが必要だということだ」


「それで俺のような者に依頼が舞いこんだと……」


 それだけを応えて、マリクは考える。


(……予想以上にきな臭い話になったものだ。王城に呼ばれるからには相応の覚悟はしてきたが……)


 内心で独りごちながらも、嘆息する。


 この段階ですでに、ならば腰を上げているところだろう。


(まず間違いなく王家の後継者問題にからむ依頼。

 そんなもの、何の後ろ盾ももたない一介の戦闘士が、やすやすと首をつっこめる話ではない……)


 こういう場合に、ほとんど犯罪者まがいともいえる戦闘士が依頼をされるというのは、疑いなく、容易に切り捨てられる人間であるからに他ならない。


 そうでなくとも法の範疇はんちゅうぎりぎりの仕事をとする彼らを、人間としてあつかう心根の深い雇い主など存在しないのだから。


(当然、断るべきだ……


 だからこそ、戦闘士という存在は利にさとい以上に、危機管理に優れていなければならないのである。

 金を得るまえに命を失っては、なんの意味もない。


 それは、マリク自身にしても同じことであるだった。


 けれど……


「………」


 視線を正面へと向ける。


 こちらに向かい合って座る、末の王妹殿下へと。


「?……」


 王族というにはやや溌溂としすぎる笑顔を浮かべたまま、問いかけるように小首を傾げた少女。


 その笑顔が、記憶の中の少女のそれと重なって。


「……報酬は1万ダルムオン。前金としてその1割、千ダルムオンをいただこう。

 それがこちらからの条件だ」


 マリクは、承諾の代わりの言葉を口にしていた。


 マリクが口にした金額――このエル・マ・グリスの貴族街に建つ邸宅の一つぐらい買い取れるほどの高額を耳にして、セシリアの背後にひかえていた侍女たちが目を丸くする。


 けれども――よく分かっていなさそうな姫様はともかく――大臣アルマンは顔色ひとつ変えずに。


 さすがに城代大臣の肩書は伊達ではないらしい。

 ほとんど嫌がらせのような無理難題にも、まるでたじろぐ様子もなく、悠然と応じてみせる。


「よかろう。前金の千ダルムオンはすぐに用意する。

 残りは仕事を完遂してからということでよろしいな?」


「……いいだろう」


 政治的な事情、ましてや王国の暗部にまで絡むそれが、報酬の額を引き上げたのは確かであろう。


 けれども、それだけではマリクがされる理由にはならない。


 漆黒の剛剣使い〈魔剣士マリク〉が世間において称されている、もう一つの呼び名。

 その名が、マリクの元にこの依頼を呼び込んだのであろう。


 すなわち――〈教団狩り〉という名が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年1月10日 08:00
2025年1月11日 08:00
2025年1月12日 08:00

黒示録 耶律 @yaritsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ