海の王
Green Power
俺が異世界で内政チートしてやんよ!
あの日、みゆきと別れたのを最後に俺の意識は暗転した。なぜ急に意識を失ったのかは今でも分かっていない。でもあれから意識を戻し、自分がその時に死んだのだと理解するのにはそう時間はかからなかった。
なぜなら、意識を取り戻した時の自分は人間ではなかったからだ。
最初は夢だと思った。なによりもそう思いたかった。
みゆきともう二度と会えないなんて、受け入れられなかったからだ。
でもこれは夢じゃない。現実だ。
段々と早くなる鼓動と、その度に動くエラ、鱗で覆われた固い皮膚の感触。その肌に流れる海水と、海の臭い。
自分の五感を刺激する全てが、自分の中にあった微かな希望を否定していた。
俺は彼女と別れた後、駅のホームで突如意識を失い、次目覚めた時には魚人族、その王子に生まれ変わっていたのだ。
「父上!なぜ私の願いを受け入れてくださらないのですか!」
俺は宮殿の廊下を歩いていた、魚人族の族長にして、この世界での父に話しかけた。魚人族とパルニア人の従者を引き連れていた父は、俺の呼びかけに歩みを止める。
「これから海水浴の時間だ。あとにしろ」
この老年に差し掛かった魚人が、この世界での俺の父親にして、2代目シュレースヴィヒ=ホル シュタイン公国の公爵である、クリスチャン・アルブレクトだ。
父は低く濁った声で俺に返事を返す。そしてすぐに俺を通り過ぎて浴場の間へと向かっていった。
ちっ…くそが、なんでこうも話を聞けない大人ばかりなんだ。
このままじゃ魚人族は王国に搾取されて滅びるだけだぞ…。
気づけば拳に力がこもっていた。
やるせない気持ちを抱きながらも、俺は自室に戻る。
暇つぶしに魚人族の伝承が記された伝記を読みながらも、集中できずに気づけば物思いにふけってしまう。俺が次期族長として、部族会議で認定されたのが今からちょうど三か月前。俺が次期族長に選ばれたのは、別に俺の継承順位が高かったからではないし、優秀だからでもない。俺以外の兄弟が死んでしまったからだ。長兄は俺がまだ生まれてくる前に夭折し、次男と三男にあたる兄たちは三か月前にスルージャ王国との戦争で戦死した。
兄が死ぬ以前の俺は、城の自室でこもるだけの日々。部屋を出るには従者の許可さえ必要だった。でも外に出たって俺を相手にする者たちなんて誰も居なかった。俺が何を言おうと、父や兄に相談してくださいと門前払いを受けるだけ。
最初は族長の息子として生まれて来たと知って、異世界に転生して落ち込んでいた俺の気持ちも幾分かマシになったと思ったが、魚人族の徹底的な家父長制と序列第一主義に、俺はずっと辟易していた。
良く言えばルールと秩序守り、集団性の高い種族だが、悪く言えば頑固で気難しく、閉鎖的な集団だ。
でもだからこそ、あの日から俺の生活は目まぐるしく変わった。
誰からも見向きもされなかったのに、俺が次期族長として選ばれた瞬間に、全員が俺に名前と顔を覚えてもらおうと、頭を垂れて挨拶に来て、贈り物が届けられるようになった。
全員が手のひらを返したように俺を”王子”と呼び始めた。
あれだけ俺を無視してきたと言うのに。
…でも正直、悪い気分じゃなかった。
みんなから尊敬され、必要とされている。そんなこと、日本で働いている時になんて一度も感じることはなかった。
だから、少しだけ嬉しかったんだ。
でも父だけは違った。
相変わらず俺には厳しかった。
真面に話も聞いてくれず、目を合わせることすらしない。
一緒に食事をしたことも、産まれてから一度もない。
どうでもいい雑談や談笑だって一度もしたことがなかった。
俺になんてなんの興味ももっていない。
でもなぜかは分かっている。
俺が魚人族なのに水魔法が使えないからだ。
魚人族で水魔法が使えない者はいない。
それは魚人族に本来備えられているものだから。
人族がレベル20を超えると”覚醒”するように、エルフが長寿で魔力が高く、その魔力を視認することもできるように、魔族が言葉の通じない魔物たちや精霊を従えられるように、魚人族は水中の中でなら、言葉を発さずとも、近くの仲間たちと意思疎通ができるし、手足を動かすように水魔法が使える。
でも俺が使えるのは土魔法だけだった。
別に魚人族でも土魔法が使える者はいる。もちろん数は非常に少ないが。
ただ土魔法だけしか使えず、水魔法が使えない者など、魚人族では俺しかいなかった。
みんなが俺を煙たがっていたのも、一番の理由はこれだ。以前にも、王の側近たちが俺を陰で”異端児”と呼んでいるのを聞いた。その者たちも今では俺を王子として祭り上げているがな。
歓迎されていないわけではないだろう。王子じゃなかった時だって、行動に制限はあったけど、衣食に関しては充実していた。でも魚人族の彼らにとっては、水魔法が使えない俺は”異質”なんだろう。
より正確に言えば、俺は彼らから”障がい者”として見られているのだと思う。
でも俺がそれに対して怒ることなんてできない。勝手に自分たちの”当たり前”を押し付けて、俺の”当たり前”を否定する。自分たちがたまたま運よく多数派として生まれて来ただけで、少数派を異端として断定する。
それは日本に生きてた俺自身が、障がい者や外国人に対して抱いていた感情そのものだったからだ。自分が同じ少数派になって初めてその”生きにくさ”に気づいた。
だから俺を蔑ろにしてきた魚人族の彼らを恨んだり、怒るつもりなんてない。
ただ俺は――。
俺が大理石の水槽に入ろうとした時だった、扉がノックされた。
俺が小さく返事を返すと、扉の向こうから聞こえてきたのは父の声だった。
「――私だ」
開けられた扉の前には、族長である父の姿と数名の従者が立っていた。
「お前たちは入ってくるな。二人だけで話がしたい」
父がそう言うと従者たちはこうべを垂れ引き下がる。
扉がゆっくりと閉められた自室のなかで、俺は父と対面した。
「父上…どうされたのですか」
この人が俺の部屋に来るなんて初めての事だった。俺は驚きのあまり呆然と父親を眺める。だが父はそんな俺を無視して、客人をもてなす時に使う、小さな円卓に備えられた椅子に座った。
お前も座れ、そう父から向けられる視線に俺も腰を掛ける。
「私に話があるのだろう。言え」
そう父はぶっきらぼうに答えた。
「あるにはありますが…」
突然のことに戸惑っていると、父は少し不機嫌そうな表情を浮かべた。
「ならなんだ、私は忙しい。さっさと言え」
「なぜ私の助言をお聞きくださらないのですか」
俺が父に問いかけると、父はエラを鳴らしながら腕を組んだ。
「魚人族の独立か…」
「はい!このままでは我々魚人族はデーン人に支配されるままです」
「圧政に苦しむパルニア人たちを味方につければ、王国との戦いにも勝てると…そう言っていたな」
全く話を聞いてくれていないと思っていたが、意外にも以前に俺が言ったことを、父は覚えてくれていたらしい。俺たち魚人族が支配しているシュレースヴィヒ=ホル シュタイン公国は、現在デーン王国の支配下にある。というのも、50年前、魚人族が住んでいた北方の海域は、未曽有の地殻変動によって海底火山が爆発したようだ。それによって住処を失った魚人族は十年以上も海を彷徨った。そして偶然たどり着いたデーン王国に保護を求めると、王国は公国一帯の土地を与えることを見返りとして、兵を供給することを条件に王家へ臣従し、当時はまだパルニア帝国領だったこの地域を奪ったのだ。
そして魚人族の長であった俺の祖父は、当時のデーン王からシンガリアという家名と、この地域一帯を治めるシュレースヴィヒ公とホル シュタイン公の位を授かった。
しかし俺の一族であるシンガリア家が治めてる土地は、首府のキールとそこから半径10マンス内の直轄領だけだ。これは両公国領の5パーセントほどでしかない。それ以外の土地の多くは王領か、王家との共同管理地となっている。
公爵といっても形だけで、実態は公国内における一領主という立場でしかない。しかも王家との共同管理地も、実態は本国から送られてきた徴税代理人たちによって実権を握られている。そこから得られる税収の8割以上が本国へ送られ、シンガリア家に残るのはわずか2割ほどだけだ。
それでも陸上移動が得意ではない魚人族にとっては、支配の難しい内陸の領土は徴税代理人に任せた方がマシだ。支配にかかる費用のほとんどを負担せずに、わずかながらではあるが税収も得られる。
それに共同管理地から得られる税は、キール伯領から得られる税収の二倍以上にあたる。80年前に土地を奪った現地のパルニア貴族たちに年金を払わなくてはならない我々にとって、この共同管理地から得られる税が無ければ金庫は空になる。
魚人族の兵士たちに払う金銭すらないだろう。
でもこの全てが、魚人族がデーン王国に依存するための策略であることぐらい、父も分かっているはずだ。
「お前の言っていることは正しい」
「なら!」
俺が身を乗り出すと、父はゆっくりと首を振った。
「今の情勢でそのような行動には移せない。なにより、誰がお前の言葉を信じ、付き従うというのだ」
「それは…」
父の返答に俺は言葉が詰まった。
「お前が言ったような話を私にしてくるのが、お前だけだと思うな。家臣のなかにもお前と同じように進言してくる者たちはいる。しかし口だけなら誰でも大層なことが言えるのだ。そして実際に行動に移し、達成できるだけの能力も根拠もだれも持ち合わせていない」
お前も含めてな。
父の口から最後に聞こえた言葉に、俺は悔しさのあまり奥歯を噛みしめた。
「お前も、他の家臣たちもこの話を私だけに言ってくるだけの知能があるだけマシだが…もしこの事がシュレスヴィヒにいる徴税代理官にばれれば、計画を起こす前に我々は処刑される」
父の話しはもっともであった。
水中では無敵を誇る魚人族も、地上では動きが遅いだけの銃の的でしかない。魚人族の肌に生える鱗はサメでも傷つけれないほど頑丈だが、至近距離でピストルを撃たれれば普通に死ぬ。
地上で銃を前にすれば、殆どの魚人族が無力だ。
何も言い返せない俺は父の顔を見ることが出来ずに、テーブルの縁を見つめることしかできなかった。
「デーン人に不満を持っているのは魚人族もパルニア人も同じだ。皆の不満や敵対心を焚きつければ反乱は起こせるだろう。だがそれを率いて公国の独立を取り戻すのは我々でなくても良いはずだ。そもそも我々魚人族は彼らからすれば部外者でしかない」
「それは…でもキールの市民と魚人族は非常に友好的ではありませんか」
俺が苦し紛れにそう言うと、父はため息をつくようにエラから息を吐いた。
「…キールの市民はな。しかし彼らとて全ての者が魚人族に友好的なわけではない。それに公国内の領民のほぼすべてがお前の名前も、顔すらも知らない。私に権限を与えてほしいと言っていたが、権限を与えたところで、誰が名前も顔も知らないお前の元に集まる?王子になり皆から親しまれるようになったからとて、勘違いするでないぞ」
「っ……」
「正当性ならば、北のフレンスブルク伯爵の方にあるだろう。彼は我々が侵略する前にこの地をを支配していた一族の、正統な後継者なのだから。それを差し置き、魚人族であるお前が民衆を導くというのなら、それ相応の実績が必要になってくる。なによりお前が言っていることは族長の役目だ。王子の役目ではない」
その言葉に俺は父へ視線を戻す。
「では王子の役目とはなんなのですか」
「そう焦るな、半年立てばお前も成人だ…その時になったらお前にある”仕事”を与える。それまでは黙って勉学に励め」
「……分かりました」
海の王 Green Power @katouzyunsan
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