柔らかい家の中で《乙》

ハナビシトモエ

あたたかいもの

 山の実家に行くのはもう五年ぶりだ。お父さんとお母さんは小さい頃に死んじゃって、ばばが一人で住んでいた。大阪と奈良の県境にある暗峠くらがりとうげには冬に行くのはおすすめしない。大阪側の坂が急すぎるのだ。スタッドレスタイヤを持っていないと坂を登れない。

 仕事が押せ押せで私は大阪から行くしかなかった。

 坂を上りきると住宅が脇を連ね、帰って来たと思える。





「ただいまー」

 私は、もふもふわんわんに飛びついた。

「お帰りなさい。さりなちゃん、ばばと約束は?」

「手洗いうがいにじゃんけんぽん」

「しておいで」

「はーい」

 私は昨日小学校でお芋さん掘りしたの。幼稚園のお手伝いに行ったの。それと、そう。花瓶の水を替えたよ。わんわん、それからね。それからね。

「さりなちゃん、ココアにする? コーンスープにする?」

「ばば、私は大人だからコーヒーにするよ」

「ミルクといっぱいお砂糖入れようね。おてて洗った?」

「まだ」

 ばばは七十歳、私は七歳。十が違うだけで同じ歳。ばばは昼間ずっと家にいる。暇じゃないの? って聞いたことあるの。そうしたらね。

「わんわんともふもふして、お掃除とたまに五十円が落ちているのよ」

 すごく楽しいよ。わんわんだけでも嬉しいのに五十円なんてすごい。

「洗ったよ。わんわんまだもふもふ早いよ」

 わんわんはテーブルの下のご飯皿に群がっている。ばばは炊飯器で作ったわんわんのご飯をお皿にいれた。わんわんはがつがつしちゃう。うへへ。

 ポッドからけむりが出ている。ばばは湯気っていうんだって教えてくれた。

「もう洗ったの? 賢いね」

「ばばは私のコーヒーいれてえらいね」

「そんな偉そうなこというなんて、こうしてやる」

 うりうりと頭サンドされる。そうされたくて、私も少しだけ大人になる。大人になったら、偉いって褒められるから。

「コーヒーの前にお父さんとお母さんに今日の事を教えてあげて、なむーって」

 私は手を合わせる度にとても不思議でいつもばばに聞く。

「本当に両手を合わせたら、お父さん達に届くの?」

「両手が発信機になってお空に届くの」

「遠くにいるの?」

「そう、うんと遠くに」

「いつか会える?」

「さりなちゃんが偉くて賢く正直に生きていたら会えるよ」

「今じゃダメなの?」

「デザートは先に食べるより、後に食べた方が美味しいよ」

 クラスの子は先に食べた方が美味しいというけど、ばばは友達がそういっていたと言っても、絶対に先に食べさせてくれない。ばばはいつもこういうのだ。


「先に食べたらそれはご飯です」

 バンッと言われて、ヒェェってなっちゃう。


「コーヒー出来ているよ。大人のスペシャル」

「すぺしあるこーひー、かもーん」

「かもんかもん。スコーンは?」

「チョコレート!」

「ちゃんと椅子に座ってね。こぼしたらわんわんの血液検査が真っ黒になる」

「でもわんわん欲しいって、来るよ」



「私よりも早く行ったら困るから」



「ばば、どっか行くの?」

「行くよ。ずっと先にね」

「置いてかない?」

「先に行くだけ、きっと迎えに来る」






 私が独立して数年、家で死にたいと言ったばばは骨折して、大きな病気が見つかって、病院で死んだ。私は看取りに間に合った。九十いくつになって、本人も何がどうだか分からない。ただ、静かにその瞬間は訪れた。いつも家に帰るとミルクと砂糖たっぷりのコーヒーとばばはコーンスープを飲んだ。

 最後の時、ばばは静かに「ミルクといっぱいお砂糖入れようね」と言った。



 わんわん達はご近所さんが面倒を見てくれたそうだ。先生に連絡先を教えてもらった。電話連絡をすると三匹の犬たちは歳のせいでというくらいには元気らしい。半年預け、私がスタッドレスタイヤをもってして、大阪から上ったのは三が日が終わったくらいの頃だった。


 少し標高が上がれば寒い。

 遺書みたいなものもあったが、中身は私に全て譲ると言ったものだった。親戚が近くにいないので必要のないものだけど、ばばの事だ。書いてみたいと思ったに違いない。


 それよりも私に宛てた。おてがみが気になった。


 家の前で開いてねとのことだった。


 駐車スペースに私は車を止めた。手には手紙をたずさえた。

 鍵を開けて、私は手紙を開いた。



【わんわんもふもふ、お帰りなさいさりな。ばばと約束は?】

「手洗いうがいにじゃんけんぽん」

【今日はココア? それともスープ?】

「ばば、私は大人だからコーヒーにするよ。私、大人になったよ。ばば、なんで置いていくの。一緒に連れて行ってよ。家に帰って来たら一人なんて嫌だよ。ばばは平気だったの? 一人ぼっちのおうち」

【ミルクといっぱいお砂糖入れようね】

「わんわんもふもふがいても、五十円が落ちていても、ばばは寂しくなかったの?」

【さりなちゃんにプレゼント。ばばの戸棚の一番上】

 ばばは戸棚だけはけして触らせてくれなかった。そこに私への何かが入っている。改めて見てみると確かに小学生に触らせるには高い。高校生になって届いたはずなのに私はそれを開けようとは思わなかった。


 戸棚はすーっと開いた。小さな箱の中には包装紙とメモが入っていた。

 包装紙の中はたくさんのもこもこの何か。広げるとパンツだった。


「さりなちゃん。わんわんもふもふとお掃除とたまに五十円と私の秘密。柔らかい毛糸のパンツ七枚セット。これで一週間は大丈夫」


 私はわんわんもふもふがばばのところに行くまでは仕事はここから通うことに決めた。


 外はキンと冷え切っていた。


 私は家の中に入って、ポッドで砂糖たっぷりのカフェオレをいれようと思う。新しくメンバーの加わったばばへはスープとお父さんお母さんには温かいお茶をいれた。私は仏壇の前に座って、両手を合わせた。


「ばば、お父さんお母さん。今日ね」

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柔らかい家の中で《乙》 ハナビシトモエ @sikasann

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