代理戦争論

柿井優嬉

代理戦争論

「皆さま、いかがお過ごしでしょうか。茶筒裕美子でございます。本日は三月三日、桃の節句ですね。また、恥ずかしながら私の誕生日でもございます。紹介する必要はないとも思いますが、覚えやすいこともあるのでしょう、今年もリスナーの方々から実にたくさんのお祝いのメッセージを頂戴しておりますもので、触れないのも失礼に当たると考えて、こうして述べさせていただいている所存です。私、昔から年齢を口にすることにまったく抵抗はございませんので申しますと、九十五歳になります。この歳で祝福していただくのは本当に恐縮する気持ちが多分にあるのですが、真心のこもったお手紙等を送ってくださった方々への感謝も抱えきれないほど感じております。一言で済ませるのは非常に申し訳ありませんが、ただただ、ありがとうございますと言わせてくださいませ。それでは、通常の放送に入りたいと思います。シリーズ『とことん戦争を考える』。十七回目の本日お迎えしているお客さまは、期待の若手の論者でいらっしゃる、夢物語匠さんです。こんばんは」

「こんばんは」

「ようこそいらっしゃいました」

「どうも、失礼いたします」

「夢物語さんは、最近はあまりメディアにはお出になられないようですね?」

「そうですね。そんな人前で偉そうに発言していいような立派な人間ではないという自覚が強くなりまして」

「何をおっしゃいますやら。だとしたら、私などはどうなるのですか」

「いえいえ、茶筒さんは素晴らしいじゃないですか。皆さんそう思ってらっしゃるはずですし、私も尊敬しております」

「まあ、お世辞だと思いますが、やめにしましょう。褒め合うようなのは、傍から見るとみっともない感じになってしまいますからね。ところで、夢物語さんはおいくつでいらっしゃいますか?」

「二十九歳で、今年で三十になります」

「おやまあ、お若い。うらやましいですね。その二と九を反対にしても、私より歳が下ですからね。ええと、世間の多くの方の注目を集めた、集団的自衛権の発言のときは?」

「十四です」

「あらまあ、中学生でしたの?」

「はい」

「やはり、ご立派です。万が一その件についてご存じないというリスナーの方のために説明いたしますと、当時の政権が日本では認められないとされていた集団的自衛権の行使を容認することを決めた際、反対派の人たちの多くは違憲であると強く主張するなか、夢物語さんは集団的自衛権そのものを批判的に語られました。そうでしたよね?」

「はい。僕も違憲ではないとは思いませんでしたし、その点が気にならないことはもちろんありませんでしたが、近隣諸国による脅威が高まっていて、集団的自衛権は国連で認められている正当な権利であるということから、憲法の話を抜きにすれば、あるいは、きちんと手続きを踏んで改憲しさえすれば、集団的自衛権自体は必要なんだという雰囲気が強くあり、それは違うのではないかという思いがより大きかったんです。核武装もそうですが、武力を強めれば結果的に安全になるという考えがあります。しかし、例えばアメリカは銃の所持がかなり認められた社会ですよね。それは銃の協会が政治的に強いから規制があまりされないという話も聞きますが、自分の身を守るために銃を持つ必要があるから規制に反対するという一般の人の意見も多いようです。それは、言わば集団的自衛権の考え方ですよね。警察官しか武器を持っていないのでは危険だから、市民も銃を持って治安を守ろうという。けれども、その銃を持てるアメリカと、銃を持つことが禁じられている日本、どちらが安全でしょうか? アメリカは年中銃による事件が起きていますよ。言わずもがなでしょう。アメリカの警官がよく市民に暴力を振るったりしますが、それも、相手が銃を隠し持っているかもしれないからという面もあるのではないでしょうか。暴力的な要素はとにかく少ないほうが安全の確率も高まると思います」

「また、集団による安全保障が進んで、世界が二手に分かれるという状態になることも危険ではないかという主張でしたよね。過去の二度の対戦がまさにそうではないか、と」

「わかりやすく敵と味方がいるというかたちですよね。それも、一つの国対一つの国よりも、同盟を結んで仲間の国が増えることで、『戦争になっても自分の国に及ぶ被害は少なくて済むんじゃないか』であるとか、気が大きくなって、進んで『戦争してやろうじゃないか』という気持ちに陥りやすくなるのではないかと思いました。それよりも、国際的に同盟というものを禁止するようなかたちにして、例えばAという国がBという国を攻撃したら、世界中の他のすべての国がA国を攻撃するという決まりにするほうが、世界の安全は保たれるだろうという主張をしたのです。実際に、多くの国と同盟を結んでいる国よりも、永世中立国のスイスなどがまさに安全を保てているではないかという意見とともにですね」

「ところが、鳥練磨博士による反論があったのですね?」

「そうです。鳥練磨先生はまず、スイスは永世中立国になる、つまり他国の誰も守ってくれないその代償として、徴兵制を採用している。日本も同じ立場になろうと思うなら、当然徴兵制を視野に入れなければならなくなってくるが、構わないのかと問われました」

「一方で、集団的自衛権の行使に関しても、いずれ徴兵制につながるかもしれないということによる、特に自らが兵役を課される可能性が出てくる、若い人の反対が多かったですね」

「それに対して僕は、今現在の状況で日本が永世中立国になることは現実的に無理でしょう。そのなかで、集団的自衛権を認めて同盟を強化するのと、現状維持なら、やはり同盟を強化するほうが危険が増して徴兵制につながる可能性も出てくると答えました。また、スイスが徴兵制を採用していることに疑問があるという話もしました。もし戦争となった場合、徴兵していないよりはしているほうが、敵国にとって手ごわくはなるでしょうが、その敵国が戦争の前に、あそこは徴兵制を敷いているからやめよう、していないから攻撃しよう、とはおそらくならないでしょう。特に軍事力で遥か上をいく大国なら、その気になれば簡単に占領できる。しかし、どこもそうしない。中立であるという立場が攻撃できなくさせているのであって、徴兵制をやめても何も変わらないのではないですか? と。しかし、きみは甘過ぎると言われました。まず、第一次大戦の幕開けは、中立の立場をとっていたベルギーが攻撃されて始まったのだと。それから、過去の僕のカント批判からの指摘もされたんです」

「カント批判とは、カントによる『永遠平和のために』に対してのご批判ですよね。私が夢物語さんを知ったのは、あのときでした。おいくつのときになりますでしょうか?」

「十歳です」

「まあ、ご立派。カントの『永久平和のために』は、反戦の立場からよく取り上げられますね」

「僕は戦争に反対の立場ですが、あれには違和感を覚えたんです。一番有名な箇所と言えるのではないでしょうか、『常備軍は廃止するべき』という部分です。もっともだとは思いますが、ではどうやって既にある常備軍を廃止するのか、その方法が書かれていない。常備軍を廃止すればいいという主張だけで廃止できるなら、単純に『戦争をしなければいい』と言うことで戦争を起こせなくできるというのと同じではないのか、ということです」

「はい。鋭いご指摘だと思います」

「鳥練磨先生は、『ならば同様に、既に結ばれてしまっている日米などの同盟をどうやってなくすのか、その方法を述べるべきだろう。そう簡単にはいかないはずで、仮に表向き解消できても、人間は弱いもので、裏で通じ合って変わらない状態になるのが目に見えているし、きみは若いから知らないかもしれないが、冷戦時にまさにきみが主張していたような非同盟運動という動きがあったが、十分な成果は得られなかったんだぞ』と。僕は言わばぐうの音もでない、完敗を喫したわけです」

「世間では夢物語さんへの失望の声も聞かれましたが、私は決して無駄な問題提起ではなかったと感じていましたよ」

「ありがとうございます」

「少し話を変えましょう。夢物語さんがそんなにも早く、戦争や平和への考えを持つようになった、きっかけのようなものは何かあったのでしょうか?」

「そうですね。やはり親、なかでも母親ということで間違いありません。母は心理学を学び、精神科医をしておりまして、例えば一般的に親は我が子に対して、『そうあるべきだから』他のコに意地悪をしては駄目であるとか、仲良くしなさいということを言って、平和を尊ぶようにしがちだと思うのですが、彼女はそうではなく、『悪いことをするのは簡単で、平和を続けるのは遥かに難しい』『だからこそ過去において世の中を永続的な平和に導けた人はいない』『それができる人がいたら見てみたい』などと、だった僕がやろうじゃないか、どうすればできるだろう? といった、欲求をくすぐるようなことを頻繁に口にしまして、まんまとそれに引っかかってしまったというわけなんです」

「そうでしたか。お母さまの育児、教育論もじっくりうかがいたいものですね」

「いえ、母はあまりそういう話はしたくないようです。子どもというのは、というよりも、他人は誰であっても、思い通りになどできはしない。それができるくらいならとっくに自分が世界を平和にしていると言っていました。仮に凶悪な人間に育てようとしたってできるものじゃないし、育児はすべて結果論。問題ないように確率を高めるだけに過ぎず、偉そうに語りたくはないそうです」

「そうですか、残念です。話を戻しましょう。その鳥練磨先生との論争後、しばらく沈黙していらっしゃったと思うのですが?」

「はい。平和のために何が必要かということは変わらず考えてはいましたが。再び口を開くきっかけとなったのは、テレビでやっていたサッカーの試合をたまたま見たことなんです」

「サッカーですか。私はまったくなじみがなくてわからないものなのですが」

「僕も詳しいわけではなく、本当のたまたまという感じだったんです。それはイングランド対アルゼンチンだったと思いますが、実況のアナウンサーが『代理戦争』というようなことを口にしたんです。代理戦争という言葉自体初めて聞くというわけではもちろんなかったのですが、なぜかその瞬間にふと、ひらめいた感じになったんです」

「はい」

「元々僕は、戦争をどうしてもしたいのならば、したい者同士、例えばA国とB国が戦争になったならば、それを決めた首相や大統領同士が一対一で戦えばいいじゃないかという発想があったんです。しかし現実味が低いのと、もし仮にそうなったらなったで、どこの国も権力者に、より凶暴な人物を選ぶということになってしまう。けれどもその代理戦争という言葉で、首相や大統領の代わり、つまり代理でその国の誰かが戦っていいという条件にすればいいのではないかと思いついたんです」

「しかし、そこでも鳥練磨博士が異論を唱えたのですね?」

「はい。何を言っているんだ、それは軍隊が戦う今と何ら変わらないではないかというご意見でした。ですが、果たして軍隊というのは権力者の代理で戦っているのでしょうか? 違うと思います。代理というのは、病気でできない本人に代わって別の人間がやるといった、代行するといったものであって、軍隊が権力者の代理であるなら、権力者が軍隊のトップの地位にあって指揮を執るというのはおかしいですよね。戦争の際に戦うのは国民なんです。軍隊はその代表ではありますが、国民も同じように戦うわけです。だからこそ、民主国家を名乗っている国でさえ徴兵なんてことが許されているし、民間人を攻撃して殺害することも事実上許されているのです。戦争をするのは戦争をすると決めた権力者が行うべきであり、しかし代理を認めるよ、とはっきりすべきです。とにかく、自分が誰かを殺したり殺されたりしたくなくて戦争に反対する人が、非国民などと非難されるというおかしなことが起きないようにするべきです。そういう批判をする人は、自分が権力者の代理となって戦えばいい。女性だろうが、年寄りだろうが、子どもだろうが、関係ありません。そして戦うのは日本の戦国時代の合戦のように広々とした原っぱのような場所で巻き添えが出ないようにし、なおかつ、武器は使用せず素手で戦うことにする。それを『戦争』と呼ぶように概念を変えるべきだとも同時に主張したわけです」

「そしてその考えを広めようと、あの戯曲を書いたのですね」

「はい」

「あれは素晴らしくよくできた作品だと私は感じました。本来すべてここで朗読したいのですが、時間の関係上それが難しいので、失礼とは思いますが、あらすじを簡単に説明させていただく許可を夢物語さんにいただきました。もし何かあれば、ぜひ遠慮なく割り込んでおっしゃってください」

「わかりました」

「お話の舞台は日本の山田家と川田家という、何の変哲もない平凡な二つの一家です。山田家の世帯主の六十代の男性と、近所に住む川田家の、同じく世帯主の六十代の男性がケンカをし、戦争に突入します。お互いの世帯主の二十代や三十代の息子たちが武器を持ち、鉢合わせになると直接戦いますが、基本的には相手の家や敷地を攻撃します。当然家の中には世帯主の妻や娘、息子の妻や子どもたちなどがいますが、それは仕方がない。戦争ですからね。そしてお互いの世帯主は、家の中の一番頑丈で安全な部屋にいます。息子たちは攻撃によって相手の世帯主を殺すことはできないとわかっています。攻撃するのは、できるだけ相手の家を破壊し、相手の家族を多く殺し、相手の世帯主から『降参する』という言葉を引きだすためです。途中、近所のある男性が世帯主たちに、自分たちが一番安全な場所にいて恥ずかしくないのかと尋ねます。それに対して世帯主たちは、自分たちが息子たちにどう攻撃すべきかを指示しているのだし、自分たちは戦争をしつつも生活のために働いて一家を養っていて、もしものことがあれば家族全員路頭に迷うから、仕方のないことだと答えます。しかし青年は、まったく罪悪感も迷いも感じていないようにしか見えない世帯主たちに納得がいかず……と、ここらへんで止めておきましょうか。最後までしゃべってよいとおっしゃってくださいましたが、やはりご覧になっていないリスナーの方にはぜひその目で観ていただきたいと思います。この作品は国内はもとより、海外の反響も大きかったようですね」

「はい。しかし初めから世界中の人たちに伝えたいと思って、何度も足を運んでPRしたからということもあります」

「それ以来戦争は起きていませんし、独裁政権が二つ倒れました。その作品の成果だという声も多く聞かれますが?」

「どうなんでしょうか、わかりません。ただ、とにかく僕は伝えたかったのです。権力者は危機感をあおり、国民を守るようなことを言いますが、実際に自分は体を張らない。戦争はやはり国民の大多数が許さなければ起こせないのであり、なんで自分たちが戦わなければならないのだ、おかしいだろうと、気づいてほしかったのです。もしも自ら体を張る度胸のある権力者が現れても、それはそれで国民が危険にさらされないのだから構わないわけです」

「鳥練磨博士からは何もなかったのですか?」

「はい。あ、いえ、ありました。僕は鳥練磨先生を打ち負かせたような気分で、浮かれた部分もあったのですが、僕の代理戦争論が広まって、賛同してくれる人が多かったなか、『暴力は暴力を生むだけだぞ』と一言。先生は行方を見守るというかたちをとっただけであって、この考えも評価してくださったわけではなかったのです」

「私は、かなり評価はしていたから、強く反論しなかったのだと思いますが」

「僕はそうではないと解釈しています。民主主義は世襲によって運悪く出来の悪い権力者を生んでしまう可能性を回避する代わりに、とんでもなくずる賢い人物を権力者にのし上がらせてしまうこともあり得る制度なわけです。そして権力者にのし上がる知恵のある人間は、ある犯罪に対して有効な対策がとられるようになっても、賢い犯罪者はまた新たな犯罪方法を考えだしてしまうように、今は有効に機能しているかもしれない僕の考えも乗り越えて、民衆を巻き込む戦争を始めてしまうかもしれないと思うのです。まだまだやるべきことはたくさんあります」

「なるほど。お時間が来てしまったようです。夢物語さんの今後のご活動、ご活躍を、楽しみにしております。本日は誠にありがとうございました」

「こちらこそありがとうございました」

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