第10話 変身

 しばらくして、目的地に着いた。東京郊外に新しくできた、ショッピングモール。

 色々と買い揃えるには、効率重視で色々な店が集まっているところに行くという、実に合理的な選択だ。きっと決めたのは可淑かすみさんなんだろうということが、言われなくても何となくわかった。


「まずは雑貨からだっけ?」


「近いところから順番に見ていくのが一番効率いいでしょ?」


 思った通りだ。昨晩色々と話し合っていた成果なのか、瑠璃子るりこさんにもその考えが浸透しているらしい。



 買うものはあらかじめ可淑さんがリストアップしてくれているので、買い物自体はてきぱきと進んだ。オレは案の定荷物持ちを手伝わされて、何故連れてこられたのか、目的を見失いかけていた。


 そんな時、不意に視界の端に黒い靄のようなものを捉えた。形はおぼろげだったけど、色はかなり濃かった。この色はマズい。さすがに見過ごせない。黒い靄のような影は、少し先の角を曲がっていって、すぐにその姿は見えなくなってしまう。オレは荷物を乗せていたカートを瑠璃子さんに押し付けて、咄嗟に飛び出していた。


凛太郎りんたろうくん?! どこ行くの? 待ってよ~!」


 今追いかけないと、見失う。あの影の濃さなら、昨日のデパートのような事態が起きてもおかしくない。オレは自分にできることがないのも忘れて、どうにかできる二人を置いてけぼりにしてしまった。


 瑠璃子さんの呼び止める声も聞こえなくなって、オレはようやっと黒い靄に追いついた。動きはそんなに速くない。触れたらダメだから、とりあえずどこに向かっているのかだけでも突き止めておかないと。


 そう思って追い回していたら、屋上の駐車場に辿り着いた。これ以上先に進む場所はない。この影は空を飛んで移動できるのだろうか。だとしたら、この先を追いかけるのは難しい。

 と思ったら、黒い影——心象虚像ゴーストは駐車場の一角に停滞し始めた。ここが目的地なのだろうか。


「凛太郎くん! もう……! 勝手に、どっか、行かないでよ……! 何のために、一緒に、来てると、思ってるの……? 危ない目に遭ったら、どうするのよ……!」



 後ろから追いかけてきたらしい瑠璃子さんが、息を切らしながら、怒ったり、安堵したり、泣きそうになったりしている。忙しい人だ。でも、たしかに心配させてしまったのはいけなかった。彼女の言う通り、昨日みたいに危ない目に遭うかもしれなかったんだ。瑠璃子さんか可淑さんのどちらかでも、一緒に来てもらうべきだった。


「ごめんなさい、急に飛び出して……」


 素直に謝って、事情を簡潔に説明する。今は一刻を争う。謝罪なりなんなりは、後でいくらでもすればいい。


「あそこに、心象虚像がいます。形ははっきりしませんが、色はかなり濃いです」


 それだけで、彼女には状況がわかったらしく、一気に真剣な面持ちに変わった。


「ありがとう。危ないかもしれないから、ちょっと離れてて」


 そう言うなり彼女はオレを背に隠すように誘導し、自分の胸に手を当てて、何かを呟く。


変身スタイルチェンジ——“葡萄ヴァンデミエール”——起動アクティベート


 言葉の意味はよくわからなかったが、その言葉の後に彼女の身体が淡い光に包まれ、消えていった。彼女が魔法少女の力を使ったのだろうと思って、オレは心象虚像の方へ視線を移すと、一瞬のうちに破裂したように靄が散らばる。しかし、消滅はしていない。


 すると、散らばった破片の一つひとつが、今度は次々と消えていく。わざと細切れにして弱体化させたのか。これなら完全消滅も秒読みだ。


 そう安堵したのも束の間、背筋が凍りつくような、強烈な悪寒を感じた。そしてこのフロア全体を包み込むような黒い霧が見えたかと思ったら、それは一点に凝縮されたように集まって、真っ黒い人影の形を取った。そいつは猫背になりながらゆっくりと歩き出して、徘徊するわけではなく、意識的にどこかへ向かっていた。

 その目指す先は、一つの車。両隣に車は止まっていない。だから間違いなく、あの白い軽自動車に向かっているのだとわかった。その車の中には、フロントガラス越しに若い女の人が乗っているのが見える。エンジンをかけているが、手元でスマホをいじっていて、すぐには出発しないようだ。


 瑠璃子さんに心配させたばっかりだけど、やるしかない。

 瑠璃子さんに届くかわからないけど、やるしかない。


 オレは一か八か、心象虚像よりも先にその車の前に立ちふさがるように飛び出して、声を張り上げる。


「瑠璃子さん! オレの後ろ、デカいのいます!」


 瑠璃子さんの姿はオレには見えない。彼女は今、何をしているだろう。彼女だって、アレ・・に気付いていたかもしれない。でも、気付いてなかったら……? 可能性があるなら、できることがあるなら、やるしかないと思った。


 車のお姉さんは、不審そうにオレを見つめながらクラクションを鳴らす。


 見えなくても、気配で感じる。さっきの人型の影が、ゆっくりじゃなくて、段々勢いを増してこっちにくる。走ってきてるんだ。


 ダメか……瑠璃子さん……! 届いてくれ……!


 オレに触れるかどうかというところで、心象虚像の気配が大きく後ろへ離れる。咄嗟に振り向けば、消滅はしていないが、人影は向かいの壁際に転がっていた。


 間に合った、のか……?


「ちょっと、何なの? 君!」


 クラクションを鳴らしてもオレが退こうとしないので、いい加減にイラついた様子でお姉さんが車から降りてきた。

 そこへタイミングよく、可淑さんもやってくる。


「何やってるの? 凛太郎」


「可淑さん! この人、狙われてます! 今 瑠璃子さんが戦ってる心象虚像、この人に執着して、殺そうとしてる!」


 それを聞いて、お姉さんは青ざめたようにその場にうずくまってしまった。ぶつぶつと何かうわごとを唱えている。お姉さんの前で殺そうとしている奴がいるなんてことを言うのはやり過ぎだったか。怯えさせてしまったかもしれない。


「嘘よ、そんな……。あいつがこんなところにまでいるわけない……。なんで、何なのよ……!」


 お姉さんの方は、犯人に心当たりがあるらしい。可淑さんは至って冷静で、状況を打開するべく、まずは現状を整理しようと口にした。


「その心象虚像を生み出した者がいる。たぶん近くにいて、この人のことを見てるはず。それをどうにかしない限りこの人は狙われ続けるし、瑠璃子が相手してるのも、完全に消し去るのは難しい」


 そう言われても、どうやって見つけるって言うんだ。こんな車だらけで、柱だって多い。隠れる場所ならいくらでもある。オレが焦り出したのが態度に出てしまったのか、可淑さんの声の調子が少し優しくなった。


「落ち着いて。この人のことはわたしが守るから、凛太郎は心象虚像に意識を集中させて」


 可淑さんが、優しく背を撫でてくれる。焦っていた気持ちが、少し落ち着いた。焦っていてもしょうがない。今は、この人を守れるかもしれないんだ。今までとは違う。瑠璃子さんも、可淑さんもいる。


「心象虚像は人の意識が生み出したもの。わたしたちじゃわからないけど、凛太郎なら、その出どころが見えるかもしれない。その人影のような心象虚像を維持している悪意の供給源は、どこにいる?」


 言われて、はっとする。そうだ。これまでもオレは、人からあの影が生まれる瞬間だって見たことがある。どれだけ薄くても、ぼんやりしてても、それを辿ることができれば、本体・・に辿り着くことができるはず。


 集中して、目を凝らしてみる。


 たぶんだけど、オレの視界は層になっているんだと、少し前から思っていた。普通の人が見ているであろう世界と、心象虚像がいる世界。その二つが立体的に折り重なって、3Dホログラムみたいに、オレには見えているのだろう。その上層の、心象虚像の世界だけに集中して見ることができれば、今までよりも微細な心象虚像も見ることができるはず。


 瑠璃子さんが相手してるのか、黒い人影はふらふらとよろめいては倒れたり、また立ち上がったりしている。だが、やはり消滅はしない。消えかかっても、すぐにまた元に戻る。

 その影から細く伸びる糸みたいなものが、どこかへ向かって伸びて見えた。そんなに遠くない場所。影のいる隣の区画。いやそのさらに一つ、二つ車を隔てた隅。オレは視線だけで、可淑さんに標的の位置を伝える。ここで逃げられては、また別の場所で同じことが起こるだけ。何の解決にもならない。だから、ここで確実に仕留めなくては。


「可淑さん、場所がわかりました」


「じゃあ、彼女を頼むわ。後は、わたしたちに任せて。……変身スタイルチェンジ——“夕霧ブリュメール”——起動アクティベート


 可淑さんも胸に手を当てながらそう呟いて、姿が見えなくなった。


「お姉さん、どうにか守りますから、絶対にここから動かないでくださいね」


「は、はい……っ」

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