第9話 両手に花のデート
明くる日。朝からなんだか騒がしくて、目が覚めた。がやがやと話し声が聞こえる。父さんが帰ってきたのか? そう寝ぼけてベッドから起き上がって、昨夜のことを思い出した。
そうだ。うちはもう一人じゃないんだ。オレの部屋は一階だし、リビングへ降りてきている人がいれば、少しうるさくも感じるか。
今日は
とりあえず、部屋から出て、洗面所で顔を洗う。
寝ぼけた目が冴えて、意識がはっきりしてきた。大丈夫。頭も働いてる。いつも通りだ。
朝食を取ろうとリビングへ行くと、既に姉妹の数人がソファを占領していた。誰がいないんだろうかと、一人ひとりの顔と名前が一致するかも兼ねて、見回してみる。
まだ降りてきてないのは、
用事がある肝心の二人は、もうすっかり着替えもメイクも決めていて、いつでも出発できそうだ。オレも急いで準備した方がいいかもしれない。
そう思っていつも朝に食べている食パンを取りにキッチンへ行くと、キッチンにはまだ少し眠そうな様子の
「おはようございます」
「うん。おはよう」
昨夜のことは気にしていないのだろうか。普通に挨拶を返してくれる。
食パンの袋がいつものところになくて、辺りを探しても見当たらない。そして、静玖さんがなぜキッチンにいるのかを考えて、さっきから聞こえるじーっという音の正体に思い至る。オレが彼女に視線を向けたちょうどその時、チン、と音がして、オーブントースターの灯りが消えた。
「静玖さん、ここにあった食パンって……」
「あ……これが、最後だった」
甘く見ていた。この家には今までの八倍の人数がいるのだから、それだけ物の減りも早いわけで。食料の備蓄もあっという間になくなってしまう。
しょうがないから二人に事情を話して、途中で何か買って食べるなりしようと思ってキッチンを出ようとすると、とんとん、と後ろから肩を叩かれる。
何だろうと思って振り返ると、静玖さんがトーストを半分にちぎって、片方をオレに差し出してくれた。
「お腹空いてるんでしょう? お食べ」
なぜか施しを受けたみたいになった。ありがたくいただくけれども、なんだか哀れまれたみたいで悲しくなったのは何故だろう。
「……ありがとうございます」
オレがパンの半分を受け取ると、静玖さんは手のパン屑を払って、満足そうにオレの頭を撫でてくれた。オレは犬か何かだと思われているのだろうか。それなら昨夜の態度も納得である。
「随分懐いてるのね」
キッチンにやってきた可淑さんが、そんなことを言う。それはオレが、だろうか。それとも静玖さんが、だろうか。
「すみません。すぐ準備しますね」
「いいよ、焦らなくて。わたしたちが気合入り過ぎなだけだから」
そうは言われても待たせるのは申し訳なかったので、少し急ぎ目に支度を済ませて再びリビングに戻ってくる。女に比べれば、男は準備にさほど時間がかからないのが幸いだった。
「お待たせしました。いつでも出発できます」
ソファに並んで座っている二人の元に行くと、ほんのり甘い、いい匂いがした。さっき可淑さんがキッチンに来たときとは違う匂いだから、これは瑠璃子さんの匂いなんだろう。
「急がなくていいって言ったのに」
「まぁまぁ、
こうして、長い連休の初日が始まった。
◆◇
荷物も多くなることが予想される上に、買い揃えるには色々回る必要がある。だから今日の移動は車でするらしく、まずは近くのレンタカー店へ向かうらしい。
「車運転できるんですか?」
「わたしはね。瑠璃子が運転するんだったら、わたしは行かないわよ」
「そこまで言う?! いや、車出してくれるのはありがたいけどさぁ」
聞けば、瑠璃子さんも免許自体は持っているらしい。だが、その腕前に自身も疑いを持っているから、ほとんど運転したことはないのだとか。それを聞くと、確かにオレも彼女の運転する車には乗りたくないな。
「言っておくけれど、わたしだって運転が得意ってわけじゃないのよ? 瑠璃子よりマシなだけで、普段から乗り回してるわけじゃないんだから」
それでも、同じことを言ったとしても可淑さんの方が信用できそうなのは何でだろう。その答えは、瑠璃子さんが茶化すように言った言葉で見つかった。
「大丈夫。なんたって“一番しっかりしてる”お姉さんなんだし」
「やめろ、蒸し返すな」
可淑さんは自分で言っていた割に他人に言われると恥ずかしいようで、ちょっと早歩きになった。
「いーじゃん、信頼してるよ、可淑お姉ちゃん。ね、凛太郎くん?」
「まあ、瑠璃子さんよりは、信頼できますね」
オレの正直な返しが存外面白かったのか、可淑さんは笑いをこらえようと肩を震わせていた。そんなにおかしなことを言っただろうか。
当の瑠璃子さんは、撤回を求めてオレの腕に縋りついてくる。
「えぇ、ウソでしょ……。凛太郎くんまで、そんな……。これでも一番上のお姉ちゃんなんだよ? 一番頼りにしてくれていいのに……」
ちらと隣を見てみれば、オレと頭一つは違うかという小柄な女の子。だけれども、どこか不思議と年上だと思わせる何かがある。
「ん? どうかした?」
オレの視線に気付いたらしく、上目遣いで微笑んでくる。こうして近くで見ると、この人結構可愛いかもしれないと、不覚にも思ってしまった。幼げに見えるけれども、オレと同年代の女子とはやっぱり何かが決定的に違うような気がした。
「いや、何でもないです」
そっかそっか、と言いながら、瑠璃子さんは少し前を歩く可淑さんの後をついていく。しかも、ちゃっかりオレの手を握ってきた。彼女の小さくて温かい手が、オレの手を優しく包む。人と手を繋いだのはいつぶりだろう。
レンタカー店に着いて、オレと瑠璃子さんが入り口近くで待っていると、可淑さんが手続きを終えて戻ってきた。
「さ、行くよ。どっちが前乗る?」
可淑さんの言う“前”とは、助手席のことだろうか。するとオレの答えを待たずに、瑠璃子さんが再びオレの腕を引いて、いじらしく上目遣いをして見せる。
「ねえ、凛太郎くん。わたしと一緒に後ろに乗ろうよ~。後ろ一人だとつまらないじゃん」
運転を任せっきりにしておいて、後ろ二人で楽しくやってるというのもちょっと失礼な気もする。ちらと可淑さんに視線を移すと、可淑さんは小さくため息を吐いた。
「……わかったわよ。ほら、早く後ろ乗んなさい、二人とも」
「やった! ほら、おいで、凛太郎くん」
瑠璃子さんが先に車に乗り込んで、運転席の後ろに座る。オレは車に乗る前に、ありがとうございます、と可淑さんに小さくお礼を言って、瑠璃子さんの隣に座ってシートベルトを締めた。
可淑さんが借りてきた車は白い大きな車だった。人は前に二人と、後ろは詰めれば三人乗れるかという感じだが、後ろのトランクスペースが広い。たぶんたくさん買い物するつもりでこの車にしたのだろう。
車に乗るのも久しぶりだ。何せ父さんは車を持っていない。そもそも日本にもいないことが多いので、維持費の方が高くついてしまうということで、しばらく前に手放したきりだ。
まだ母さんが生きていたころは、母さんの運転でどこか連れていってもらったことがある気がするけど、あまりはっきりとは覚えていない。
「なんか、楽しそうですね」
普段からこうなのかはわからないけど、瑠璃子さんは今日はずっとにこにこ微笑んでいる。明るくて、快活で、なんとなく機嫌が良さそうだと思った。
「わたしね、男の子の兄弟がほしかったんだ。ほら、うちって女ばっかりでしょ? わたし一番上だし、欲を言えば年上の兄弟がよかったけど、弟もいいなぁって思って。凛太郎くんはどう? こんなにいっぱいお姉さん増えちゃって、やっぱり一番は、“大変”?」
「まあ、確かにオレも兄弟がいたらなぁと思ったことはあります。うちは一人っ子なうえに、家はほとんど誰もいませんからね。だから賑やかになったなぁとは。まだこの生活が始まったばかりなんだから、大変なのはしょうがないですよ」
「わぁ……なんか、大人だね。考え方が。ちょっと可淑とか、霧摘とかに近いタイプかな」
七つも年上の人に“大人”と言われるのは、ちょっと変な感じだ。
「こんな弟では、嫌でしたか?」
「ううん、そんなことないよ! わたし、あんまり頭よくないし、子どもっぽいってよく言われるし……。だから、凛太郎くんが大人っぽいくらいなら、ちょうどいいんだよ。頼りにしてるよ、男の子!」
「まあ、瑠璃子は日常ではこんなだけど、魔法少女としては天才的だから。それを見せてあげられたら、きっと印象変わると思うんだけどね」
運転席から声だけで可淑さんも話に参加してきた。オレはどうやら、
「えぇ~、珍しいじゃん。可淑がわたしのこと褒めるなんて」
「わたしを何だと思ってるの。瑠璃子のことはちゃんと尊敬してるよ。姉さんとしても、同じ魔法少女としても」
「ありがと。わたしはぶっちゃけ、可淑のことはちょっと苦手だけどね」
この流れで笑いながらでもそう言える瑠璃子さんは、空気が読めないのか、それともあえて隠さず正直に話したのか。オレは、瑠璃子さんは彼女自身が言うほど賢くないとは思わない。だからたぶん、後者なのだろうと思った。
「え、何で?! わたし、瑠璃子に何かした?」
「だって可淑、言葉キツい時あるし。めっちゃ怖いんだよ? あとわたしより頭いいからなんかむかつく」
すると、瑠璃子さんが何かを思い出したように、あっ、とこっちを振り向いた。何だか忙しい人だ。
「大事なこと聞いとくの忘れてた!」
「大事なこと?」
「凛太郎くん…………彼女いる?」
大事なことと言われて、なんだろうと考えたのがバカらしくなった。そんなに神妙な顔で聞くことだろうか。
「いませんけど……」
「良かったぁ……。だってね、凛太郎くんの家に居候してます、なんて急に現れたら、彼女に殺されるかもじゃない、わたしたち。あ、これから彼女になりそうな子とかはいたりしない? 大丈夫?」
「今更ですね、その心配……。オレは彼女どころか友達もあんまりいないので、大丈夫ですよ」
自分で言っていて悲しくなる。家のことをやらないといけないから、どうしても友達付き合いは悪くなる。目線も主夫みたいになっていくから、周りと話も合わなくなってくる。だからどうしても、仲のいい人は作り辛い。そういう意味では、一気に七人も共通の話題があって近い目線で話せる人ができたのは、オレにとってはいいことなんじゃないかと思えてきた。
彼女らと接することによって、年上の女性に対する免疫もできるだろうし、実は一石二鳥なのかもしれない。
「じゃあ今日は、わたしたちとデートだね」
「デートって二人で行くものじゃないんですか? これじゃあ二股してるみたいじゃないですか」
「いいんだよ、細かいことは。両手に花ってやつでしょ?」
物は言いようだ。まあ、悪い気はしないのは事実だし、オレにとって都合が悪いわけでもない。せっかくだから、オレもこの状況を楽しまなきゃ損だ。
隣の瑠璃子さんは鼻歌まで歌い始め、機嫌はますます良くなっているようだった。
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