終焉の魔女アルヴィーラ

みつまめ つぼみ

終焉の魔女アルヴィーラ

 今日も掃除が行き届いた店内を見回し、私は満足の吐息を漏らす。


 たとえお客さんが一人も来なくても、お店を構える以上はきちんとしないとね!


 外のドアにかけてあるプレートを『閉店中』から『開店中』に裏返し、私は気合を入れて声を上げる。


「よし、今日も頑張ろう!」



 誰も来ない午前が終わり、昼食のサンドイッチを食べながらお客さんが来るのを待つ。


 食べ終わったお皿を奥の台所で洗っていると、ドアベルがカランコロンと来店者を告げた。


 私は慌ててお皿を片付け、手をタオルで拭きながら店のカウンターに出て告げる。


「いらっしゃいませ! 雑貨屋ネルケにようこそ!」


 店の中に居たのは、気品のある貴族風の青年だった。


 サテンのシャツの上にベルベットのシャマールを羽織り、フェルトの帽子をかぶっている。かなりの上流階級だなぁ。


 彼は肩までの黄金色の髪の毛を揺らしながら、その琥珀色の瞳で店内を見回して告げる。


「アルヴィーラ殿はおられるか」


 バリトンの低い声は、その男性らしい容貌によく似合っていた。


 私は奇妙な胸の高鳴りを覚えながら、元気一杯の営業スマイルで応える。


「おばあちゃんですか? 先月亡くなりましたよ?

 お客さんはおばあちゃんに用事があったんですか?」


 お客さんは驚いたように目を見開いて私を見つめた。


「……『終焉の魔女』アルヴィーラ殿が、死んだ?」


「ええ、いくら凄い魔導士とはいっても、おばあちゃんだって人間ですから。

 老いには勝てませんよ。

 それで、お客さんの用件はなんだったんですか?」


 貴族風の青年が、カウンターに目を落としながら応える。


「そうか、老齢とは聞いていたが、亡くなったか。

 ――私はライナーという。

 終焉の魔女に、苦痛を覚えずに死を与える魔法薬を頼もうと思っていた」


 おやおや、なんだか物騒なお話だぞ?


 私は眉をひそめてライナーに応える。


「お客さん、そんな危ない薬を何に使うつもりなんですか?」


 ライナーは暗い顔で応える。


「母上が病床に伏していてな。

 医者や魔導士たちは、さじを投げてしまった。

 父上も、母上のことは諦めてしまわれたようだ。

 母上は今も、死に至る病で苦しい思いをしている。

 ならばもういっそのこと、苦しまずに死を与えられないかと相談に来たのだ」


 あら、なんだか母親想いの青年だった。


「それじゃあお客さんが母殺しになってしまいませんか?

 罪を背負ってまで、お母さんを楽にしてあげたいんですか?」


「このままでは、何年も生きられないと言われている。

 時間をかけて苦しみ抜き、衰弱して死ぬくらいなら、『あらゆるものに終わりを告げる』と言われる終焉の魔女に、母上の死を頼めないかと、こうして来たのだ。

 それで私が罪を被ろうと、これ以上母上が苦しむよりはずっとマシだろう」


「でも、お母さんは息子にそんなこと、してほしくないと思うんじゃないんですか?」


 ライナーがフッと辛そうな笑みを浮かべた。


「そうだな。母上は私の前では、気丈に明るく振る舞ってしまわれる。

 だが侍女たちから聞く様子では、毎日とても苦しい思いをしておられるようだ。

 私自身、扉の外で母上の苦しむ声を何度も聞いた。

 救えるものなら救いたいが、救う手段がわからない。

 ならばせめて、苦しみを早く終えて欲しいと思ったのだ」


「お母さんから、恨まれませんか?」


「構うものか。母上には最後くらい、安らかに眠っていただきたい」


 んー、お母さん思いだけど、少し考えが凝り固まっちゃってるな。


 なんだかこの人も、死に取りつかれてしまって居るように思える。


 それだけ家族が、お母さんの病気で苦悩してるんだろうな。


「お客さん、おいくつなんですか?

 若いように見えるのに、随分と大人びた考えをしてるんですね」


「もうじき十七になる――そういうお前は、いくつだ?

 なぜ子供が店番をしている?」


「私ですか? この間、十五歳を迎えたので立派な成人ですよ?

 このお店をおばあちゃんから受け継いだんです」


 ライナーの目が、私の束ねた髪の毛と目を眺めていた。


「七色に輝く銀髪と燃えるような赤い瞳は、噂に聞くアルヴィーラの容貌と同じだな。

 お前はアルヴィーラの孫か? 両親はどうした?」


「両親は私が物心つく前に、流行り病で死んだと聞かされました。

 それからはおばあちゃんに引き取られて育てられたんです。

 ですから今の私は、天涯孤独という奴ですね」


「お前はひとりで、生きていけるのか?」


 私はニコリと営業スマイルで応える。


「大丈夫ですよ、ありがとうございます」


 ライナーが小さく「そうか」とつぶやいて息をついた。


「……どうやら、無駄足になってしまったな。邪魔をした」


 身を翻して店を出ていこうとするライナーに、私は声をかける。


「あ、お客さん! ちょっと待って?!」


 ライナーがこちらに振り向き、私の言葉を待った。


「あのね、私の作った薬で良ければ、売ってあげられますよ?

 『苦しみを取り除き、安らかになる薬』がご注文の品でいいんですよね?」


 ライナーが私の目を、疑い深く見つめてきた。


「……お前が、魔法薬を作れるというのか」


 私は上目遣いで、両手の指先を合わせながら応える。


「本当は、おばあちゃんから『まだ未熟だから、魔法を使ってはいけない』と言われてるんですけどね。

 お客さんのお母さんを助けるためなら、おばあちゃんも許してくれると思うんです」


「それは、本当に母上を苦しみから解き放てる薬なのだな?」


「始めて作る魔法薬なので、自信はないですけど……たぶん大丈夫だと思います!

 これから作成に入りますので、三日後くらいに取りに来てください」


 ライナーが私の目を見つめて告げる。


「三日後だな? わかった。村に滞在して、三日後にまた来よう」


「ええ、お待ちしておりますね!」


 彼は今度こそ店を出ていき、店内には私だけが取り残された。


「……よし、私の初めてのお客さんだし、頑張らないと!」


 私は外のドアプレートを『閉店中』に裏返し、店の奥にある魔導工房へと向かった。





****


 三日後、ライナーが朝から店にやってきた。


「魔法薬はできているか」


 私は驚きながらライナーに応える。


「もちろんできてますけど……まだ開店前ですよ?

 そんなに待ちきれなかったんですか?」


「当然だろう、母上の苦しみを早く終わらせて差し上げたい」


 ライナーは、とっても情に篤い人みたいだ。


 私は魔法薬の瓶を取り出し、カウンターの上に置いた。


「代金は大金貨一枚――と言いたいところですが、私が初めて作った魔法薬です。

 サービスでお客さんには、金貨五百枚でいいですよ」


 大金貨は金貨千枚分。普通は貴族や大商人が扱うような大金だ。


 平民ならそれだけで、一生遊んで暮らせる。そんな金額。


 さすがにライナーも目を見開いて驚いていた。


「それほど高いのか」


「おばあちゃんが『大金貨以外で売ってはいけない』って、口を酸っぱくして私に言ってました。

 でも最初の薬くらい、半額サービスしてもいいかなって思うんです」


 ライナーが懐の革袋をカウンターにおいて、私に告げる。


「今の手持ちは金貨百枚しかない。普通の魔法薬なら、これで充分に釣りが来るはずなんだがな。

 これを前金にするから、その魔法薬を売ってくれないか。

 残金は改めて、私が持って来よう」


「ええ、それで構いませんよ」


 私は革袋の中身をカウンターに並べ、金貨の数を数え始めた。


 ライナーが私を見て告げる。


「……目の下に隈がある。徹夜をしたのか」


 私は金貨を数えながら応える。


「何度も失敗しちゃいましたからね。

 でもきちんと間に合いましたし、結果オーライです。

 ――はい、金貨百枚。丁度ですね。前金として頂きます」


 ライナーが大事そうに魔法薬の瓶を抱え、私に頭を下げて告げる。


「ありがとう、これで母上を苦しみから救って差し上げられる。

 ……お前の名前を、聞いてもいいか」


 私はニッコリと営業スマイルで応える。


「マルティナです。マルティナ・ネルケが私の名前です」


「そうか、マルティナ。また会おう」


 身を翻し、ドアベルを鳴らしながら店を出ていくライナーの背中を、私は最後まで見送っていた。





****


 半月が経過する頃、お店に新たな来客があった。


 今度は性格の悪そうな、厳つい貴族だ。


 人を疑う鋭い目つき、神経質そうな輪郭。三十歳前後かな。


 彼は騎士たちを三人連れて店内に入り込み、私に横柄に告げる。


「終焉の魔女が死んだと聞いたが、本当か」


 私はニコリと営業スマイルで応える。


「おばあちゃんなら、先月亡くなりましたよ?

 お客さんはどんな用件なんですか?」


 貴族の男性がニヤリと口角を上げて微笑んだ。


「そうか、あの目障りな女が死んだか。

 おい娘、お前の名前と年齢を言え」


 私はむっとしながらも、営業スマイルを保って応える。


「マルティナです。十五歳ですよ」


 貴族の男性が、嗜虐心あふれる笑みを浮かべた。


「そうか。終焉の魔女と同じ容貌ということは、奴の孫だな?

 成人済みなら丁度いい、お前を私の妾にしてやろう」


 私は営業スマイルを投げ捨てて声を上げる。


「――は?! なにを言ってるのかな、この人は?!」


 いきなり愛人になれとか、意味が分からないんだけど?!


「私はこの地の領主、ルーウェン・グロースハイム侯爵だ。

 お前はまさか、領主に逆らうつもりではあるまいな?」


「領主だからって、なんでも思い通りになると思わないで!」


 グロースハイム侯爵が、楽しそうにニヤリと口角を上げた。


「わかっていないようだな。

 領地に住む民は領主の所有物だ。

 お前に拒否権など存在しない。

 ――連れていけ!」


 周囲の騎士たちが、私の両腕を捕まえて店の外に無理やり連れだしていく。


 別の騎士たちはグロースハイム侯爵に命令され、店内をぐちゃぐちゃに荒らし始めた。


「やめて! お店をめちゃくちゃにしないで!」


 私の声は彼らに届かない――いや、届いているけど、彼らも苦悩しながら命令に従っているようだった。


 君主の命令には絶対服従、逆らうことは許されないってことなのかな。


 私を捕まえている騎士の一人が、小声で「申し訳ないが、耐えて欲しい」と伝えてきた。


 彼らに悪気がないとしても、こんなの許せる訳がない!


 ――だけど、今の私には力がない。


 私は騎士や兵士たちがお店を壊していくのを呆然と見つめながら、馬車に押し込まれた。


 最後にグロースハイム侯爵が「火を放て!」と声を上げ、私のお店は燃え上がっていた。


 周囲に他の建物がないからって、やりたい放題してくれるじゃない!


 ……ああ、おばあちゃんから受け継いだお店が燃えていく。


 グロースハイム侯爵は燃えるお店を見て満足したように頷いた後「撤収だ!」と叫んで馬車に乗りこんできた。


 私は彼から精一杯距離を取り、馬車の片隅に身を寄せた。


「ククク……怯えているのか?

 屋敷に戻れば、思う存分なぶり倒してくれる。

 アルヴィーラに味わわされた屈辱の分、たっぷりとな」


 おばあちゃんが、この人の恨みを買っていたというの?


 納得できない依頼は受けない人だったからなぁ、おばあちゃん。


 たとえ騎士がついていようと、『終焉の魔女アルヴィーラ』なら、簡単に追い返してしまっただろう。


 たぶん、それが侯爵のプライドを傷つけたんだ。



 私は馬車の中で身を固め、グロースハイム侯爵を睨み付けていた。


「ククク……いい目だ。

 お前が屈服して、泣いて許しを請うのが楽しみだよ」


 ――この人、嗜虐癖がある?! 趣味悪いな?!


 私はおぞけを我慢して、馬車の中で襲われないように警戒し続けた。


 馬車は真っ直ぐ、グロースハイム侯爵の屋敷を目指して進んでいった。





****


 道中で私に与えられた水と食料は最低限だった。


 グロースハイム侯爵の屋敷に着く頃には、私は疲労と空腹で今にも倒れそうになっていた。


 侯爵が騎士たちに告げる。


「その娘を部屋に放り込んで見張っておけ!」


 騎士たちに両肩を担ぎ上げられた私は、半ば引きずられるように屋敷の中に入っていった。





 私は騎士たちにソファの上に寝かされた。


 おそらく部屋の外に、騎士たちが見張りについている。


 だけど部屋の中には誰も居ない。


 なんとかソファから立ち上がって窓辺に行くと、飛び降りて逃げるのは無理な高さだった。


「……これからどうしたらいいんだろう」


 魔法を使って飛び降りようにも、もうヘロヘロで力が出ない。


 だけど夜になれば、私はグロースハイム侯爵によって私自身がめちゃくちゃにされてしまうだろう。


 それを思うと、悪寒が背筋を走って自分の身体を抱きしめた。


 ――侯爵なんかに心と体を穢されるくらいなら、自爆魔法を使ってしまおうか。


 命と引き換えに大爆発を起こす、最後の魔法。これなら、力が出ない今でも使えるはずだ。


 ……ライナーから、残金をもらえなかったな。


 あんな燃え尽きた私のお店を見たら、ライナーはびっくりするだろう。


 不思議と『ライナーにまた会いたいな』という思いが胸に宿っていた。


 ライナーに最後に会えなかったのが、残念だな。


 私はゆっくりと、目をつぶって自爆魔法の詠唱を始めた――



 不意に、窓を叩く音がした。



 驚いて詠唱を中断して目を空ける――窓の外に、ライナーが居る?!


 彼がジェスチャーで『窓を開けろ』と伝えて来たので、フラフラの身体で必死に窓の鍵を開けた。


 ライナーは部屋の中にするりと入りこむと、爽やかな笑顔で私に告げる。


「どうやら、間に合ったみたいだな」


 私は呆然とライナーの顔を見つめた。


「……どうして、ここに?」


「お前の店に残金の支払いに行ったら、すっかり燃え尽きていたからな。

 村人から事情を聴いて、急いでこの場所に迎えに来た。

 ――魔法を使って逃げ出そうとは思わなかったのか?」


 私はフッと自嘲の笑みを浮かべて応える。


「今の私の魔法では、侯爵以外の騎士たちも巻き込んでしまうもの。

 彼らも侯爵の命令に従っていただけで、悪気があったわけじゃない。

 お店を壊したのは許せないけど、命を奪う理由にはならないわ」


「そうか、マルティナは優しいのだな。

 ――お前の薬も、優しい薬だった。

 あの魔法薬のおかげで、母上は病を克服した。

 あれは、母上の命を奪う薬ではなかったのだな」


 私はニコリと微笑んで応える。


「オーダーは『苦しみを取り除き、安らかになる薬』だもの。

 病を終わらせ、人を安らかにするだけの薬よ。

 これでもおばあちゃんの弟子なのよ?

 これぐらいできても、不思議ではないでしょう?」


 ライナーが私の手を取り、両手で強く握ってきた。


「ありがとう……父上や母上、弟たち。そして誰より私が、お前に感謝している」


 彼の手から、強い感謝の心が伝わって流れ込んでくる。だけど――


「わかった! わかったから少し手を緩めて! ちょっと痛いわよ?!」


 ライナーが慌てて「おっと、すまん」と手を離してくれた。


「ともかく、ここから脱出しよう。

 グロースハイム侯爵に見つかると面倒だ。

 窓から飛び降りるぞ」


 私が黙って頷くと、ライナーは私を横抱きに抱え上げ、窓から外に飛び降りた。


 ――お姫様抱っこって奴?! ちょっと恥ずかしいぞ?!


 ふわりと魔法で着地をしたライナーが、着地と同時に高速で庭を駆け抜けていく。


 見咎める騎士たちの「何者だ!」という誰何の声を振り切り、ライナーは侯爵邸の壁を軽々と飛び越え、繋いでいた馬にまたがり、侯爵邸を離れた。





****


 侯爵邸からは続々と追手が追いかけてきた。


 ライナーは道を塞ぐ追手から逃げるように馬を走らせ、ついには高台の上に追い詰められていた。


「……チッ、さすがはグロースハイム侯爵の騎士たちか。

 簡単に逃がしてはくれないみたいだな」


 私たちを取り囲む騎士たちの向こうに馬車が到着し、その中からグロースハイム侯爵が降りてきた。


 怒りに震える侯爵が、大きく声を上げる。


「ライナー殿下! これはどういうつもりなのか、ご説明願おうか!」


 ――殿下?! 王族ってこと?! じゃあライナーのお母さんって、王妃様?!


 ライナーが険しい表情で侯爵に応える。


「彼女は王家の恩人だ! そんな彼女を、むざむざと見捨てるわけにはいかん!」


「たとえ王族とは言え、我が領民を無許可で連れ去るのは越権行為! それを知っての狼藉か!」


「狼藉は貴公の所業だろう! 無理やり連れ去り、店に火を放つなど、まっとうな領主のやることではない!」


 睨みあうライナーとグロースハイム侯爵の間に居る私は、とっても居心地が悪い。


 うーん、この局面をどうやって乗り切ったらいいんだろう?


 周囲を取り囲む騎士たちも、相手が王族とわかって戸惑っているようだった。


 ……となると、グロースハイム侯爵さえなんとかなれば、あとはライナーがなんとかしてくれるかな?


 私は背後のライナーにこっそり伝える。


「ねぇライナー、私の髪留めをほどいて。

 さっきみたいに私への想いを込めて、思いっきり引っ張って」


「それになんの意味があるんだ?」


「いいから早く!」


 戸惑う様子のライナーが、私の髪留めに手をかけた。


「……固いな。本当に引っ張るだけでほどけるのか?」


「ちゃんとさっきみたいに、私への想いを込めてる?

 あなたの強い想いを込めれば、それはほどけるのよ」


 背後を見上げると、ライナーは強い眼差しで私を見つめ返してきた。


「……わかった、マルティナへの想いを込めればいいんだな?」


 ライナーが念を込めるように手を止め、一気に手を引くと、私の髪留めがするりとほどけていった。


 私の長い髪の毛が風になびいて広がる。


 七色に輝く私の銀髪が、ライナーの想いを受け止めたかのように光り輝いていた。


 私は満足して笑みを作り、告げる。


「ありがとうライナー。これでようやく、私も一人前よ」


 片手をグロースハイム侯爵に向け、私は告げる。


「侯爵、言い残すことがあれば、今のうちに言っておくことね」


 グロースハイム侯爵は、私をあざけるように笑みを作った。


「ハッ! 貴様のような小娘に何ができる!

 ここまで満足な食事もできず、弱り切った貴様に!」


 わかってないなぁ、この人。


「それが最後の言葉でいいわね?

 ――それじゃあさようなら、グロースハイム侯爵」


 私の放った魔法が侯爵の身体に届き、突然グロースハイム侯爵が苦しそうに喉を抑え、倒れ込んだ。


 言葉もなく芝の上を転がる侯爵を見下ろしながら、私は告げる。


「侯爵、あなたの『呼吸を終わらせた』わ。

 あなたはもう、呼吸することを許されなくなったの。

 私のお店を燃やしてしまった報い、たっぷりと受け取って頂戴」


 呼吸ができずに顔を紫色にしながら、侯爵は声もなく苦しんでいた。


 やがて痙攣するように手が天を掴んだ後、力尽きたように侯爵は脱力した。


 騎士の一人が恐る恐る侯爵に近寄り、彼の首筋に触る。


「――死んでる?!」


 驚いて侯爵から飛びのいた騎士が、大きな声を上げた。


 私は静かな声で騎士たちに告げる。


「私は終焉の魔女、アルヴィーラ・エンデス。

 もう今回みたいな無法な真似は、止めておくのね。

 あなたたちも、侯爵のように苦しみ抜いて死にたくはないでしょう?」


 取り囲んでいた騎士たちが、恐怖に顔を歪めて私たちから距離を取った。


 背後のライナーが、戸惑いながら私に告げる。


「お前は……マルティナ・ネルケではなかったのか?」


「終焉の魔女は襲名制なの。

 一人前になった時、初めてその名前を名乗れるのよ。

 その髪留めは封印。

 未熟な魔女が、うっかり強い魔法を使ってしまわないようにするためのね」


 私はライナーの手から髪留めを受け取り、再び髪の毛を縛り直した。


「――ふぅ。せっかくライナーから想いを受け取って回復した魔力、全て使ってしまったわ。

 この場の収集は、ライナーに任せるわね」


 ライナーを見上げると、彼は戸惑いながら頷いた。


 そのまま周囲の騎士たちに、大きな声で告げる。


「グロースハイム侯爵は王家に逆らい、その報いを受けた!

 この件は私から陛下に報告し、判断を仰ぐ!

 貴公ら、今は道を空けよ!」


 ライナーが馬を進めると、私たちを避けるように騎士たちが道を空けた。


 そのままライナーは、町へ向かって馬を走らせた。





****


 町に向かう途中、ライナーが私に告げる。


「お前はマルティナなのか? それとも、アルヴィーラなのか?」


「ふふ、本当はまだまだ半人前なの。

 だから今はまだ、マルティナ・ネルケよ。

 さっきは魔法が巧くいってよかったわ。

 失敗してたら、他の騎士たちの呼吸も止めてしまっていたわね」


「……どうしたら一人前になれるんだ?」


「おばあちゃんは、たくさんの想いを受け取ることが出来れば一人前って言ってたわ。

 ライナーの想いは、とても強いものだった。

 おかげで髪留めをほどくことができたわね。

 もうこの髪留めは、封印の効力を持たないただのリボンよ」


「……その想いは、どんなものでも構わないのか?」


 私はクスリと笑みをこぼして応える。


「半人前でも誰かの役に立って、感謝してもらうのが普通なんだけど。

 ライナーの想いには、なんだか別の気持ちが込められてるように感じたわ。

 とても熱くて若々しい想い……これはなにかしら?」


 それはとても心地良くて、思わず身を任せたくなるような甘い想い。


 その正体はわからないけど、あれは何度でも味わってみたいと思えた。


 ライナーが背後から私に告げる。


「お前はこれから、どうするつもりだ?」


「お店が燃やされて、住む場所は無くなってしまったわね。

 でもライナーが残金を持ってきてくれたなら、どこかに家を買って住んでみようかしら」


 金貨四百枚なら、小さな家は買えるかもしれない。


 お店を構えられるかは、ちょっとわからないけど。


 ……どうやって生活していこうかなぁ。


 ライナーが私の耳元で告げる。


「この残金では、魔導工房を備えた店を作るのは難しいだろう。

 お前さえ良ければ、王宮に滞在してみないか。

 私から父上を説得してみせる」


 私は背後のライナーを見上げて告げる。


「いいの? いつまで居られるのかしら。

 でも王都では、なおさら残金で家を探すのが難しそうよ?」


 ライナーが私の目を見つめて告げる。


「いつまで居てくれても構わない。

 誰にも文句は言わせない」


「それはどういう意味かしら?」


 ライナーが強い眼差しで私の目を見つめた。


「アルヴィーラ――いや、マルティナ・ネルケ。

 私と婚約をしてくれないか。

 お前の優しさと美しさに、私は心を射抜かれたのだ。

 さらにお前の強さにも、私は惚れ直した」


「……私は平民よ? 王族のお嫁さんにはなれないんじゃない?」


「言っただろう、誰にも文句は言わせない。

 お前には母上の命を救った功績もある。

 父上も、文句は言うまい」


 彼の眼差しから、さっき感じたような強くて甘い想いが流れ込んできた。


 そっか、これが誰かに好意を寄せる心なのかな。


 ライナーに想われてると思うと、不思議と私の胸の中からも甘い想いが溢れていく。


 ということは、私もライナーに好意を寄せてるの?


 ――それは、これから見極めていくとするかな。


 私はニコリと微笑んでライナーに応える。


「ええ、いいわ。あなたの申し出、受けてあげる。

 私も自分の気持ちを確かめてみたいし」


 ライナーが嬉しそうに微笑んだ。


「そうか、ありがとう」


 私はライナーが馬を操る腕の中で、二人分の温かい想いに包まれていた。





****


 王宮では、王様や王妃様、そしてライナーの幼い弟たちからもたくさんの感謝の想いを受け取った。


 ライナーが私の滞在を告げると、王様は快く承諾してくれた。


 グロースハイム侯爵の悪行は枚挙にいとまがないらしく、放っておいても処分が下される直前だったそうだ。


 結果として、彼を殺してしまったことは不問となり、私はライナーの婚約者として迎えられた。


 本当なら高位貴族の家に養子に入るのが習わしらしいのだけれど、『終焉の魔女』を引き取ってくれる家が見つからなかった。


 王様は特例として、私たちの婚約を認めてくれた。


 ――以降、表舞台から『終焉の魔女』は姿を消した。


 だって、ライナーが見初めてくれたのは『マルティナ・ネルケ』であって、『アルヴィーラ・エンデス』ではないのだから。





 数年後、王太子となったライナーの横にはマルティナが妃として立っていた。


 七色に輝く銀髪と燃えるような赤い瞳を持つ妃は、平民出身でありながら独特の存在感を持ち、社交界を支配したという。


 やがて王位を継いだライナーを、王妃マルティナは献身的に支え続けた。


 王国は二人の力で末永く栄えたという。

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