第19話
風と千歌は住職の言葉に従い、京都の町を散策することにした。二人は興奮しながら町の風景に目を輝かせ、古い街並みや人々の服装に驚きながら歩いていた。まだ見たこともない景色が広がっており、まるで別の世界に来たような気分だった。
風と千歌は、町を歩きながら新しい景色や風物に目を奪われていたが、その日千歌が身にまとっていた和服もまた、周囲の景色に溶け込む一部となっていた。
千歌の和服は、町娘の装いそのもので、柔らかな桜色が基調となった着物だった。細やかな模様が全体に施されており、まるで桜の花びらが風に舞うような美しいデザインが印象的だった。襟元には薄紫色の帯が締められ、帯の結び目には小さな飾り紐が垂れ下がって、風になびいていた。その帯の色合いが、着物の桜色と絶妙に調和し、彼女の明るい表情を引き立てていた。
着物の裾は足元で少し広がり、歩くたびにふんわりと優雅に揺れ動いていた。下に着ている白い足袋と、足元を引き締める黒い下駄が、和服の全体的なバランスを保っていた。千歌が歩くたびに、下駄の音が軽やかに響き、町の静かな雰囲気に溶け込んでいた。
風はその千歌の姿を見て、思わず微笑んだ。千歌が歩く姿には、まるで時代を越えてきたかのような不思議な感覚を与えていた。風自身もまた、彼女のその姿に少しだけ驚きながらも、目を奪われていた。千歌の和服が、まるで古の時代から直接現代に舞い降りてきたように感じさせるほど、見事にその場に調和していた。
町を歩きながら、風はその美しい風景と千歌の姿に、ふと時の流れが止まったような錯覚を覚える。どこか懐かしく、そして新鮮な感覚が心に広がった。
「わあ、このお店、なんだかとても可愛い!」千歌が言うと、風も興味深そうに店の前を歩きながら目を輝かせた。二人は小物屋さんに足を踏み入れ、そこで見たものすべてに驚いた。浮世絵の本物を初めて目の前で見たとき、千歌は思わず手を合わせて感動してしまった。
「これ、本当に本物だよね?すごい!」千歌は浮世絵の美しい色使いや細かな線に見入っていた。風もその絵に見とれ、ただただその美しさに圧倒されていた。
町を歩きながら、二人は色んな食べ物を見つけては試してみた。お団子やお好み焼き、焼き餅や甘い和菓子など、普段の食事とは違う味に心を奪われた。まるで時代を超えて来たことを忘れそうなほど、目の前のものすべてが新鮮で魅力的だった。
そのうち、二人はあるお茶屋に立ち寄った。
お茶屋に足を踏み入れた瞬間、風と千歌はその落ち着いた雰囲気に包まれた。元禄時代の風情を感じさせるそのお茶屋は、木造の建物で、重厚感のある格子窓が並んでおり、温かな光がその中からこぼれていた。店内に入ると、薄明かりの中で木の香りと、お茶のほのかな香りが漂っていた。
室内はしっとりとした静けさが漂い、中央には低い四角いテーブルがあり、その周りには、黒漆塗りの小さな椅子が並べられていた。テーブルの上には白い布が敷かれ、茶道具が整然と置かれている。茶碗や茶筅(ちゃせん)、茶巾(ちゃきん)などの道具が、磨かれた木の棚に整然と並べられ、茶室のような清らかな空気を作り出していた。
店内の壁には、古びた屏風が立てかけられており、そこには花鳥風月を描いた絵が優雅に広がっている。薄暗い照明の中で、その絵はまるで生きているかのように浮かび上がって見える。窓の外では、風に揺れる竹や、庭の小道が見え、外の喧騒とは対照的に、まるで時が止まったかのような静寂が広がっていた。
お茶屋の奥から、店員らしき女性が、優雅に動きながら湯呑みを持ってきた。その手つきは慣れたもので、静かながらも温かな心遣いが感じられる。彼女の姿勢や仕草は、まるで茶道のように丁寧で、見る者に心の落ち着きを与えた。
店内の穏やかな空気に包まれながら、お茶をすすり、二人はしばしこの時代の中で、安らかなひとときを過ごすのだった。
風と千歌が座敷に腰を下ろし、畳の上に広げられた白い布の上に湯呑みが静かに置かれた。お茶の香りがほんのりと立ち込め、二人はその温かさを感じながらゆっくりと茶碗を手に取った。湯呑みの縁から立ち上る湯気が、ほんのりとした穏やかな光の中で揺れている。
風は静かにお茶をすすり、目を閉じてその深い味わいに浸る。千歌もまた、手のひらで湯呑みを包み込み、温かさを感じながら一口含んだ。茶の渋みが心地よく、喧騒を離れた静かな空間で、二人の心も次第に落ち着いていった。
その時、隣の席から声がかけられた。どこか恥ずかしそうな男の子の声だった。「お嬢さん方、こんな場所でお茶を飲んでいるなんて、実に風情がありますね。」男の子は少し頭を下げ、ぎこちなく微笑んだ。
風と千歌は、互いに顔を見合わせた後、少し驚いたようにその男の子を見た。少しずつ表情を和らげ、千歌が軽く声を返す。「ありがとうございます、でも、こんな場所でお茶を飲むのは初めてなんです。」彼女の言葉には、楽しげな響きがあった。
「そうですか。では、この京都の町も初めてなのですね。」男の子は少し照れくさそうに話を続けた。「町娘のような優雅な方々とお話できるなんて、なかなかの幸せです。」
千歌と風は思わず顔を見合わせ、少しだけ息を呑んだが、すぐにまた微笑んで、風が静かに口を開く。「なるほど。」彼女の声には、少し意地悪な響きが込められていた。
男の子は、少し顔を赤らめ、言葉を詰まらせた。どうしてよいのかわからない様子が見て取れた。
千歌は楽しそうににっこりと微笑んでから、「浮世絵に見入っているとは、なかなかおしゃれなことをされますね。」と続けた。
男の子はしばらく言葉を探し、ようやく「私…このような場所で浮世絵を見ながらお茶をするのが好きで…」
二人はその様子を見て、思わず笑みをこぼした。現代から来た風と千歌には、男の子の恥ずかしがる様子が少し面白く感じられ、全く悪気はないものの、ほんの少しからかっているような気分にさせられた。
「良いですね。」千歌がそう言いながら、湯呑みを軽く置くと、「ここに来るのは、ちょっとした息抜きですか?」と続けた。
男の子は顔を赤くしながら、「ええ、そうですね。こうしてお茶を飲んで、落ち着くことができるのが、何よりの楽しみです…」と恥ずかしそうに答えた。
風と千歌は、男の子の反応にまたクスリと笑いながらも、あまり深い話にはならず、軽い気持ちでそのやり取りを楽しんでいた。町の静けさと、ここでのやり取りのユーモアが、彼女たちをさらに和ませていった。
千歌と風はそんな男の子に笑いながらも、決して悪意はなく、ただただそのギャップに楽しんでいた。江戸時代にタイムスリップしたとはいえ、二人は令和の女子。時代を超えて来た不思議な感覚を抱きながら、その男子をからかう楽しさを感じていた。
男の子はやがて恥ずかしそうに顔を背け、しばらく黙ってしまった。二人はその様子に、どこか愛おしささえ感じていた。
茶屋を後にした二人は帰り道を並んで歩く。
「まあ、楽しい思い出になったね。」風がそう言うと、千歌は頷きながら、「うん、でも、なんだかちょっと面白い人だったね。」と笑った。
二人は歩き続けた。京都の町で、二人の心は元禄にどこまでも広がるようだった。
しあわせは淡い/京町禅陽日寺橋の町娘の剣 紙の妖精さん @paperfairy
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