19 解毒の聖女


「ヨアヒムは、第一皇子の部下だったのか……?」

「いいえ、俺の主人はフィルさまだけです。あなたをお救いするため、第一皇子に手を貸したまで。あちらも承知の上ですよ」


 肩をすくめ、お茶を呷る。

 ごくりと飲み干すと、大きく息を吐き、フィルに向き直った。


「疑問はたくさんおありでしょうが、まずは俺の話を聞いてください。あとで質問にはお答えしますから」


 言い置いてヨアヒムは、己の仕事と立場について話し始めた。





 第一皇子フェルナンと接触したのは、フィルの子守り役として部屋付きとなったころだった。


「おまえがフィリップの護衛か?」

「はい、フェルナン殿下」


 当時、十歳だった第一皇子は、すでに聡明な殿下としてその名を知られていた。

 彼が順当に次の皇帝になるのだろうともくされており、だからこそ、対抗馬になりそうなフィリップに接触してきたのだろうとヨアヒムは考えた。

 だがフェルナンの瞳に見えるのは嫉妬ではなく、幼い弟を案じる色だったので、疑問に思ったことを強く憶えている。


 後継争いに余念のない皇族でも、弟を想う兄心があるらしいと感心したが、彼の真意を知ったのはフィルが神殿へ入ったあとのことである。

 護衛対象の皇子が居ないため、やることがなくなってしまったヨアヒムは、さまざまな仕事を短期間だけ従事するようになった。フェルナンの護衛も仰せつかったことがある。


 さすが第一皇子というだけあって、フェルナンの周囲には凄腕の騎士が多く配置されており、正直なところ、たいして腕が立つわけでもないヨアヒムが呼ばれた理由がわからなかった。せいぜい、年齢が近いため、ちょっとした世間話を兼ねた使用人程度の位置だと思っていたが、どうやらフェルナンはフィルのことを知りたがっていたようなのだ。


 フィルを、というよりは、彼が気にしていたのは正確にはフィルを産んだ母親のほう。

 フェルナンは、自分と四つしか年齢が離れていない少女が父の手にかかり、子をはらみ、この世を去ってしまったことをひどく悔いていた。


「あの子を助けてあげられなかった。あんなに小さくて、妹よりも幼く見えたあの女の子。不安そうに辺りを見回していたときに目が合った。あの顔が忘れられないんだ」


 魔女とそしられ、祖国から逃げ出してなお、この国には彼女の敵しかいなかった。

 帝国では聖魔法として持て囃される能力だが、それは幸福ばかりをもたらすものではないと、皇族の第一皇子の立場にいればわかってくる。

 聖魔法を宿す神子としてだけを望まれて、それだけに価値を見出されている弟フィリップがあわれで、フェルナンは弟をそこから解放してあげたいと思った。

 そのために時間をかけて策を弄し、確実に罠にはめられるよう画策していった。


 ヨアヒムがしょっちゅう出かけていたのは、このためだ。

 自身の妻子へ会いに行くことを隠れ蓑にして、接触を図っていた。メナは第一皇子が暮らす宮の所属メイドであり、妻を介して情報のやり取りを続けてきた。

 デフローダがついに自身で動き出したことを知り、そこを勝負とすることを決めたという。



「そこにエルンじいさまはどう関わっていたんだ」

「あの御方は助言役といったところですかね。皇帝陛下のなさりようには、親族として頭を痛めておりましたので、フェルナン殿下が皇帝となる足がかりを作ってやろうと」

「第一皇子が次の皇帝陛下になるんですか?」


 思わずくちを挟んでしまったミノンを見て、ヨアヒムは首を横へ振る。


「絶対ではありません。そうなるように仕向けていこうとしている最中。俺としては賛成ですが、陛下がどう出るかわかりませんね」


 第三、第四皇子のふたりは、自らが上に立って国をまわしていくつもりはないようで、すでに合意済みとのこと。あとは母を同じくする弟オーブリーの扱いのみ。彼を擁立しているデフローダ公爵家の当主を挿げ替えてしまえば、オーブリー派は消えるだろう。


「デフローダの息子はフェルナン殿下の学友だそうで、学舎に通っているあいだに計画は練られておりました。互いに父親には頭を痛めていらっしゃるようで、意気投合したのだとか」


 おまえの父親を排してやるから、こっちにも協力しろよな。

 みたいな密約が結ばれていたと知り、ミノンは腕をさすってしまう。

 上流階級のひと、こわい。


「他人事みたいな顔をしてますけど、ミノン嬢もこの計画の重要人物ですからね?」

「はいい!?」


 いきなり言われて声が漏れた。どういう意味ですそれ。


「ミノン嬢に関しては、俺ではなく専門家にお話をしていただくつもりです。もうすぐいらっしゃるでしょう」

「もう来ておる」


 のんびりした声が耳に届き、驚いて部屋の入口を見る。


「おじいちゃん!?」

「エルンじいさま!」


 そこに立って、ひらひらと手を振っているのは、ミノンの大恩人、前神殿長であった。



     ◇



「これじゃこれじゃ、やはりミノンの茶は旨い!」


 新しく淹れ直したお茶を飲んで、ご満悦な笑みを漏らす好々爺を前に、ミノンはおずおずと声をかける。


「おじいちゃんの名前、エルンストっていうんだね」

「そういえば、結局ぬしには言っておらなんだなあ」


 次にフィルが声をかける。


「エルンじいさま、きちんと説明をしてくれ。ミノンを選んでここへ寄越したのは、じいさまなのだろう?」

「そうじゃ。フィルを救えるのは解呪かいじゅの能力を持つミノンしかおらんと思うたからの」

「解呪? わたしのちからは、解毒げどくでは?」

「生命の活動に良くない影響を与えるものを毒とする。そう教えたことを憶えておるか?」

「はい」

「フィルの成長を阻害していたものも、広義では『毒』といえよう。ぬしのちからが与える範囲は、解釈次第では無限に広がるんじゃよ」

「僕が張った結界の効力を無効化したのも、その一環ということか……」


 なんということ。結界がどんなものかはわからないけれど、それは本来、護るためのものだろう。

 それなのに『異物』扱いで消してしまうとは、我が能力は適当がすぎる。


「じゃあ、ここ最近、僕の体が成長していたのは、ミノンの能力で呪いがすこしずつ解けていたということなんだな」

「なるほど、ミノン嬢が事あるごとにフィルさまを抱きしめたり、頭を撫でたり、接触していたから、彼女の手を通じてフィルさまの体内を解毒していたわけですか」

「なんと、そんなうらやましい毎日を送っておったのか、フィル坊よ」

「ち、違うぞ! べつにあれは僕が望んでそうしていたわけではない。やめろと言ってもミノンが聞かなかっただけだ!」


 男たちが騒ぎ立てる。

 ミノンは自分の手のひらを見た。

 そんなつもりはまるでなかったけれど、この手がフィルの呪いとやらを解いたのであれば、愛でていた甲斐があったというものだ。結果よければすべて良し。


「あれ? でも、フィルの呪いが完全に解けたのは、わたしの解毒能力ではない気がしますが」


 なにしろあのとき、ミノンは朦朧としていた。頭を占めていたのは「フィルを護る」ということだけ。呪いとは無関係に思える。


 そう言うと、エルンストは笑みを浮かべ、そうしてフィルを見つめた。


「フィル。あれはたしかに呪いだが、それを掛けたのはおまえ自身じゃよ」

「――なんだと? 僕が、僕自身を呪ったというのか!? 五歳の体のまま成長しないような、そんな呪いを自分に? ありえないっ」


 憤慨するフィルに、エルンストは続ける。


「周囲の圧力がおまえを追い込んだ。いつか皇帝になる男だという期待が、おまえを追いつめたのだろう。大人にならなければいい、ずっと子どものままでいれば、そんな立場にならずに済む、と」


 するとフィルが目を見開いて固まる。

 その言葉に、なにか引っかかるところがあったのだろうか。


「大人になるのが楽しみだという善意の声、同時に、大人になるまえに排除してやろうという悪意の念。それらはおまえを常に取り巻いていたことだろう。ひとびとの思念を感じてしまうおまえは、聞かぬふりをして、すべて受け止めていた。やがてこころを壊し、感情を留めておくべき器すら失ってしまったようだが」


 大人にならなければいい。

 なりたくない。


 大人になってはいけない。

 争いが起きてしまう。


 強い思念は聖魔法と結びつき、自身の体をときの狭間に縛りつけた。



「おまえの傷を癒やすのは、肉体の損傷を癒やす聖女ではなく、目には見えぬものを癒やして良い方向へ導く、ミノンがふさわしい。そう思ったから、ミノンをここへ派遣した。どうじゃ、良い采配だろう」


 言って、ぐびりとお茶を飲み、カップを差し出す。コポコポとおわかりを注ぎながら、ヨアヒムが感嘆の息を漏らした。


「フィルよ。おまえは自分でからを破った。こころの底から、大人になりたいと願ったからこそ、自身に掛けたしゅは解かれた。ミノンはキッカケに過ぎんのだ。本当に大切なのは、おまえ自身の願いだったのだからな」

「僕自身の願い……。でもエルンじいさま、やっぱりミノンが僕の呪いを解いたのだと思うのです。空っぽだった僕に、たくさんのことを教えてくれたのは、ミノンだったから」

「それもよかろう。ふたりが共に励んだ成果じゃな」


 エルンストが言い、ミノンはフィルに目を向ける。

 示し合わせたようにフィルもまたミノンを見て、目が合う。


 どちらからともなく笑みが漏れ、ミノンはこころの底から湧き出てきた想いをくちにする。

「フィル、還俗おめでとうございます!」

「ありがとう、ミノン。お祝いのやり直しは、きちんとさせてほしい」

「その席に、ワシも呼んでくれるんじゃろうのう」

「エルンストさま、空気を読みましょう。ここはふたりきりにする場面ですよ」

 


     ◇



 やり直しのお誕生日会は、すぐには訪れなかった。

 ミノンの鈍痛は思った以上に後を引き、腰の曲がったおばあさんのような歩き方をしてしまったのをフィルに見られ、「安静にしていないと駄目だ!」と言われてしまったせいである。不覚。


 うっかり抱きかかえられて部屋に運ばれそうになり、慌てて逃げようとして痛みにうずくまり、結局本当に部屋まで横抱きで運ばれてしまった。

 そのさまを見たヨアヒムが、またいつものように「おお、フィルさま。大人になられましたなあ」と合いの手を入れ、フィルときたら、それを肯定してくれやがった。

 真っ赤になって否定していた、あの可愛い子どもフィルはどこへ行ってしまったのか。返して欲しい。


 甲斐甲斐しく世話を焼かれると、ひどく居心地が悪い。

 だってフィルは、第五皇子フィリップ殿下なのである。知らなかったこととはいえ、あまりにも不敬。呼び捨てにするのをやめたいぐらいだったが、本人に懇願されてしまい、現在うやむやになっている。どうしようか悩みの種だ。


 襲撃を受けた日――フィルの誕生日には、還俗の見届け人としてエルンストが立ち会った。

 前の神殿長が儀式を進行し、還俗を承認したのだから、神殿としては受け入れるだけだろう。


 これでフィルは晴れて『神子』ではなくなり、ミノンもお役御免となったはずだが、まだこの家に住んでいる。お誕生日会のやり直しという名目だけではないのだということは、フィルの態度からなんとなく察していた。



 ぼくがおおきくなったら、そのときはずっといっしょにいてくれるか。

 ずっと、ですか?

 そうだ。ずっと、いっしょうだ。



 約束ともいえない約束。

 子どもの他愛ない言葉といえばそうなのだが、フィルは子どもではないわけで。

 つまりあの言葉は、還俗を控えた青年が、同じ年の娘へ乞うた求愛であった。


 フィルが自分に掛かっていた制約を解き、大人の姿になってから、あの言葉はくちにしていない。よもやミノンのほうから持ち出すわけにもいかず、気持ちはどっちつかずのままで宙ぶらりんだ。


 はじめてこころを動かされた異性が幽霊氏で、その幽霊氏はフィルだった。

 幽霊氏と同じ姿を取り、なんだったらもっと素敵度を増した美青年になったフィルに同じ言葉を繰り返されたとしたら、ミノンの心臓は今度こそ停止してしまうかもしれない。



「ミノン」

「なんでしょう?」


 台所でぐるぐると考えていたら、うしろから声をかけられる。


「手伝う。断られても手伝うからな」

「……わかりました」


 先手を打たれてしまったので、おとなしく従うことにした。

 ぐつぐつと煮える鍋をかき混ぜていると、隣に立ったフィルが緊張気味に声をかけてきた。


「ミノン、明日のことだが」

「お誕生日会がどうかしました? エルンおじいちゃんも来ます。それにメナさんもいらっしゃるそうです。お子さんも連れてきてくださるって。わたし、お会いするの楽しみです!」

「うん、たくさんのひとが来てくれるから、その前に言っておこうと思ったんだ」

「なにをでしょう?」

「好きだ」


 カラン。

 手からお玉が滑り落ちて、床に転がった。


「ミノンのことが好きだ。僕が大人の姿になったら、ずっと一緒にいてくれる約束だよな」

「――わ、わたし、承諾したつもり、は、ないの、ですが」

「でもミノンは大人の僕のこと、好きなのだろう?」


 たしかに気になる男と言われて、幽霊さんですと、堂々と答えてしまっていた。

 あのときのわたし、もうちょっとよく考えて発言しなさいよ。

 顔を赤くして呆けるミノンを見て、フィルが微笑む。ミノンをときめかせた、あの穏やかな笑み。


「ひ、卑怯ですぅぅ」


 熱くなった頬に手を当てて、ミノンは床にしゃがみこんだ。

 併せて膝をついたフィルがミノンの手を取り、いつのまに用意したのか指輪を嵌めた。


「んな、ど、えっ」

「ヨアヒムに相談したら、ミノンへの贈り物はこれがいいって」


 あの男。

 にんまり笑う顔が脳裏に浮かび、その頬に張り手をする。避けられたが。


「僕のこと、もう嫌になったか? 自分で自分を呪って殻の中に閉じこもって出てこないような、情けない男だ」

「それは違います。フィルはとっても強いひとです。いくらフィルでも、それだけは聞き捨てなりません。わたしの大好きなフィルを、フィル自身が否定しないでください」


 するりと言葉が出てきて、ミノンはようやく自分の気持ちが見えた気がした。


 子どものフィルも、幽霊氏のフィルも、成長したフィルも。

 ぜんぶぜんぶ、同じ人物で。

 ミノンがここ半年以上も一緒に暮らしてきて。

 そして、できることなら、これからも傍にいたい男の子なのだ。


 理由は単純に、ひとつでいい。



「わたしはフィルのことが大好きです。お傍にいてもいいですか?」

「ずっと、一生だからな」

「望むところです!」


 ミノンが宣言すると、フィルは泣きそうな顔になったあと、ミノンの手を取り、指輪にくちづける。

 だからミノンはフィルの頭をそっと撫でた。


 うん。大きくなってもフィルは可愛い。






 殻を脱ぎ捨て、大人への一歩を踏み出した元神子さま。

 彼の前に広がっている未来は、安泰とはいいがたいものだろう。

 だからこそ、そんな彼のこころを救う存在でありたい。


 解毒の聖女ミノンの願いは、まだまだ続くのだ。





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解毒の聖女は、呪われたカラの神子を救いたい。 彩瀬あいり @ayase24

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