最終話

 翌朝、冷たい朝霧がまだ薄く立ち込める中、私は村の入り口へと歩を進めた。少しでも立ち止まれば足が竦みそうで、ただ黙々とその場所を目指した。


 シオが指定した時間までには、あと数分。あたりはまだひっそりとしていて、私一人を置いていくように静まり返っている。


 そして──見えた。古い車の隣で、荷物を詰め込んでいるシオの家族の姿。


 車のドアに手をかけていたシオが、こちらに気づいた。急いで両親に何かを言い残すと、こちらへと駆け寄ってくる。


 

 「カラン!」息を切らしながら、シオが私の前に立つ。

 「やっぱり一緒に……」

 



 その言葉に、胸がぎゅっと痛む。

 

 


 本当は分かってる。

 シオが私を助けたいと思ってくれていること。

 


 本当は知っていた。

 聡明なシオが、ずっとこの国に違和感を抱いていたこと。

 今、リスクを冒してまで、私に手を差し伸べてくれようとしていること。

 

 


 でも──私はきっと、ここで生きるべきなんだ。

 この国で、自分の意志で、式国の民として生きていく。

 それが私の運命なんだ。



「……私は、やっぱりこの国の工作員になる」


 私は一度、深呼吸をしてシオの目を見据えた。

 

「シノビになって、この国の脅威から国民を守ってみせる」



 シオの顔に、困惑の色が走る。

 「じゃあ、なんでここに……?」



 私は言葉に詰まりながら、そっと背中に隠していた花束を取り出した。幼い頃、泣いているシオに渡したものと同じ、ナディシュの花を束ねたもの。

 気づかれないように、昨夜一晩かけて集めて、編み上げた。


「これを渡しに来た」


 シオは目を丸くして花束を見つめている。私は彼にそれを押し付けるように渡し、視線を逸らした。


「私は、シオとの約束通り、絶対工作員になる。だからあんたも、せいぜい生き延びて、どっかでちゃんと医者になりな」


 しばらくの沈黙。

 シオは花束を見つめながら、かすかに肩を震わせた。


「……僕の夢は、医者になることじゃない。ただ、カランとずっと一緒にいたかったんだ」


 その言葉に、私はまた心が揺れそうになる。シオは、ずっとそう言ってくれていた。


 私を支えるために医者になる、だからずっと一緒にいようと。小さい頃から、何があっても私の隣にいてくれた幼馴染。

 

 だけど──それでも、私たちは今、違う道を選ぼうとしている。


「……じゃあ、新しい夢を作ることね」


 そう言うと、シオはかすかな笑みを浮かべ、目に涙を浮かべたまま頷いた。

「新しい夢は……いつかカランと、もう一度会うことかな。ねえ、だめ?」


 その言葉に、また胸がちくりと痛む。でも、私はもう決めた。彼と決別する未来に備えて、心を固く閉ざしておかなければならなかった。


「次に会ったら、私達は敵同士。容赦なくあんたを殺すから」


 無表情でそう言い放つと、シオの表情が一瞬崩れたが、彼もすぐに無理に笑みを浮かべた。

 あれだけ感情を表に出さないシオが、私を見て、泣きそうな顔で必死に笑っている。もうこれ以上、見ていられなかった。


「………もう行きな。…………国境付近の警備は、西門の方が手薄だって、学校で習った。せいぜい殺されないように頑張って」


 シオは両手で花束を持ち、口元をキュッと結んで静かに頷いた。そして私に背を向け、小走りで車に向かう。

 

 私はそのまま、シオ達家族の車が村を出るまで見送った。

 

 さっきまで持っていたナディシュの花粉が手に付いていたのか、目を擦ると鼻が少しツンとした。

 

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バッドエンドに花束を @natsu_no_yoru

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