第3話

カランside


 シオと別れ、怒りにまかせて家まで一気に駆け戻った。胸がざわざわして落ち着かない。シオの言葉が頭から離れず、心の奥にトゲのように突き刺さっている。


「捨て駒なんかじゃ、ないのに……」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


 重い足で玄関に足を踏み入れたその時、かすかにお母さんの声が聞こえた。壁越しに、電話で誰かと話しているらしい。

 普段は冷静沈着なお母さんが、声を低くして緊張した口調で喋っているのが気にかかった。何かが妙だった。




「もし夫が日本人だと知られれば……」





 ………え?



 今、なんて言った?

 


 日本人?お父さんが?




 混乱し、信じられない思いで耳を澄ませる。



「彼が消されたのは、村の誰かが気づいて通報したからでしょう?私だって……私だってその時に初めて知ったのよ。あの人が……まさか日本人だったなんて」



 信じられなかった。ずっとお父さんは「失踪した」と聞かされてきた。だけど、矢継ぎ早に話すお母さんの言葉が全てを裏返していく。


 失踪なんかじゃなかった。

 



 消された?

 



 日本人だったから?

 



 私のお父さんが?

 



 どうして今まで、こんなことを隠していたの?

 

 頭の中で何度も問いが響き、胸が張り裂けそうになる。

 


「もし、カランがそのことを知れば、きっと……」


 お母さんの言葉が遠ざかっていく。心の中で何かが崩れて、視界がぼやける。


 私の中には……日本人の血が流れているっていうの?

 ずっと軽蔑してきた我が国の敵、日本の……?


 「そんなの、嘘だ……」


 思わず呟いた声は震えていた。


 私はずっと、式国のために生きることだけを考えてきた。

 国に尽くし、工作員として役立ちたい、そのために努力することこそが、自分にとって唯一のアイデンティティだった。

 

 それなのに、父親は日本人で、私にはその血が流れているだって?


 つまり、私の存在そのものが、この国からしたら異物であり、汚らわしい存在だということ?

 

 ふざけるな。認められるはずがない。こんな真実、私の中にあるはずがない。

 


「何も知らない、知らないままでいれば……」


 でも、もう知ってしまった。抑えきれない怒りと憎しみが、自分でも分からないほど湧き上がってくる。吐きそうなのを堪えながら、お母さんにバレないよう、静かに自室に戻ることしかできなかった。


♔♔♔


  自分に忌まわしい日本人の血が流れていると知ってから、気づけば30日が経った。心の中では、その事実を否定するための声が毎日渦巻いている。

 

 「自分は純粋な式国人だ、会ったこともない父親の血なんか関係ない」そう何度も自分に言い聞かせても、胸の奥に湧き上がる嫌悪感と憤りは消えなかった。


 そんなことをぐるぐる考えながら、自室で明日の予習をしていると、玄関で呼び鈴が鳴った。

 ドアを開けると、そこにいたのはシオだった。


「カラン、話したいことがあるんだ。今から一緒にナディシュの丘に行かない?」


 ああ、きっと私に謝りに来たんだろう。工作員は捨て駒なんかじゃない、崇高で素晴らしい仕事だと。自分が間違っていた、どうか許してほしいと。

 私はどこか安心している自分に気づいた。今まで気まずかったことが全部流されて、やっとまたいつもみたいに、シオと笑い合えるんだ。仲直りの言葉が、彼の口から出てくるのだと信じていた。

 


「……で、話って?」


 丘に着き、私はちょっと不機嫌そうに切り出した。

 正直、別にもうそこまで怒ってはいないけど、まあ一応、私が許す側だしね。

 威厳を出しとかないと。

 

 でも、シオの口から出たのは、私が求めていた言葉じゃなく、衝撃的なものだった。


「明日の早朝、家族でこの村を出て、そのまま日本に亡命する。カラン、一緒に行かないか」

 


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。



 

 亡命?

 


 シオが?


 

 しかも日本だって?

 



「は……?」

 


 笑ってしまいたかった。笑い飛ばして、冗談に決まってるって、そう思いたかった。だけど、シオの目は真剣で、ひとつの迷いもなく私を見つめていた。その真っ直ぐな視線が、どれだけの覚悟を持ってこの言葉を告げているのかを物語っていた。


「……嘘でしょ」


「本当だよ。カラン、君も一緒に行こう」


 信じられなかった。シオが日本に行くなんて、しかも私に「一緒に来てほしい」なんて。胸の奥がざわついた。何かが壊れるような感覚がして、無理やりそれを押し込めた。こんなこと、受け入れられるはずがない。


 私は、私の血を汚した日本になんて、絶対に行かない。

 あの国にだけは、絶対に屈しない。

 この国で生き抜き、この国に尽くすんだと決めたから。


 そう心の中で叫んでいるのに、声に出すことはできなかった。もはや怒りの言葉も出てこない。ただ、シオの顔を見ていると胸が苦しくなった。こんなはずじゃなかった。


 私が知っているシオは、ずっと私と一緒にこの国で、この国の未来を築いていくんだと、そう信じていたのに。

 それを信じて、ここまでやってきたのに。


 やがて、私は彼に背を向けた。何も言わず、ただ黙って去る。それが精一杯だった。シオがどんな表情をしているのか、振り返る勇気がなかった。


♔♔♔


 その夜、私は決意した。父親と、私の血を汚した日本に復讐することを。だからこそ、絶対シノビになってやる。そのためなら命でも何でも捧げる。国家に尽くして、一刻も早く、この汚れた血を清めなければ。


 それでも、シオを通報することはできなかった。政府に知らせることも、彼の亡命を阻むことも。

 

 なぜかそれだけは、どうしてもできなかった。


 

 

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