第10話 厳しい生活、甘いお菓子
その日は春を目前にしながらも肌寒く、王都の空は快晴ながらも冷たい風が吹いていました。
冬薔薇が王都の家々の軒先にあること以外、王都では植物に接することは少なく、石灰岩由来の灰色の街並みがひたすらに続きます。元々は軍都であったため、王城を中心とした放射線状の通りが地平線まで続くきわめて人工的な都市です。なので、華やかな場所は貴族たちの集まる屋敷やホテルばかりで、それ以外はさほど面白味のない街です。
王都は規律の取れた、清潔で安全な街です。一方で、歓楽街はごく少なく、軍人や官吏たちの権力闘争の場に使われることもあって、一般市民は普段は街中で働き、週末やバカンスで別の土地の開放的な空間に滞在するスタイルがよく見られます。よく言えばオンオフのはっきりした、悪く言えばつまらない街なのです。
そのつまらない土地に、王立士官学校があり、この国では十四歳を迎えた貴族の男子のほぼ全員、受験に合格した一握りの平民の男子が最低三年間通うことになっています。しかし卒業年度はまばらで、貴族であろうが平民であろうが厳しい軍隊教育課程をこなせなければしょっちゅう落第させられ、二十歳を超えても
もっとも、ベレンガリオは順当に進級し、夏前には卒業できる予定でした。それは侯爵令息だからではなく、ベレンガリオの実力が優秀な士官として務められると認定されてのことです。
そのせいで、士官学校の最上級生である三年生のうち、素行がいいとされる生徒たちが、春に隣国へ輿入れする国王の末妹のパレードの警備へと駆り出されたわけです。
大通りを西へ、どこまでも連なる華美な馬車の列が過ぎていく沿道で、王妹殿下を一目見ようと集まる老若男女の大衆に混じって二人組の士官学校の制服を着た生徒があちらこちらにいました。
とはいえ、ベレンガリオとその友人は、別に真面目ではなかったので、端っこのほうで突っ立っているだけです。
「王妹殿下の輿入れの警備なんて、やる気出ないなぁ」
出るわけがない、とベレンガリオは頷きます。
大して美人でもなく、特別優秀でもなく、ただ国王の妹であるというだけの女性に、この国の男性陣は興味などありません。少なくとも、貴族が有り難がるような要素は一つもありませんでした。
この国は官僚制度が発達しているため、国王や王家に権威こそあれ権力はあまりありません。宮廷の職を奪い合う貴族たちに混じって優秀な平民が軍人や官僚として成り上がり、家系による門閥や
そのため、王立士官学校は貴族の男子の高等教育の場であると同時に、横の繋がりを作る社交界の意味合いもありました。中には将来を約束して平民の優秀な生徒を青田買いしたり、貴族同士で密約を交わしたり、貴族としての策謀の練習場と化している現実もあります。
ですが、ベレンガリオは気難しい上に優秀なため、社交界が嫌いでした。実力だけ見れば、確かにベレンガリオはこの国でも一、二を争う有望株です。それだけに、足の引っ張り合いに巻き込まれたくない思いから、人付き合いがよくなかったのです。
なので、点数稼ぎをするつもりもなく、かといって堂々とサボるわけでもなく、こっそりベレンガリオは大通りから立ち去ろうとしていました。
それを目ざとく見つけた友人が、一応は引き止めます。
「おいベレンガリオ、どこに行くんだ?」
「警備はもう十分だ。先に帰る」
「ちょっ、先生にどやされるぞ! 待て待て! おい、そっちは学校じゃないぞ、どこに行くんだ?」
「せっかく学校の外に出られたんだ、修道院に寄って帰る」
「修道院?」
「お前はもう少しそこらへんにいろ。二人抜けると目立つだろう」
抗弁しようとした友人を放って、ベレンガリオは素早く走り出しました。目深に帽子を被っているので目立つ銀髪と青紫の瞳は隠せます、それに士官学校の制服なので一般市民には誰が誰だか判別は付きません。
それを利用して、ベレンガリオは街中のとある修道院の通りに面した小さな窓口へ急ぎ、中にいた修道女へ尋ねます。
「
このとき、ベレンガリオは至極真面目に、修道女へ質問したのです。
立派な士官学校の制服を着た美青年が、一目を忍ぶように修道院にやってきて、求めるものは『とても甘いお菓子』です。
ストゥルッフォリはビー玉くらい小さな生地を油で揚げ、ハチミツをくぐらせてシナモンシュガーを振りかけたり、あるいはカラフルシュガーで見た目も楽しげに仕上げる祭日用のお菓子です。とにかく甘く、子どもの大好きなお菓子ベスト3に入るでしょう。
修道院では寄付に頼らず財政を支えるために、修道女たちが作った素朴なお菓子を売っています。王都ではそれが少し華やかになり、クッキーや地方のお菓子だけでなく、
しかし、士官学校では生徒の私用での外出許可は滅多に下りません。学外に出かける用事があれば、他の生徒たちからあれもこれもと調達や配達を頼まれる慣習があるくらいで、さらには士官学校内では甘いお菓子がほとんど作られていないのです。
そんな環境で、甘党のベレンガリオは三年間耐えていました。滅多に味わえない甘いお菓子をこの機会に確保しなくてはならない、その使命感に燃えています。
ところが、窓口の修道女は、無慈悲にもベレンガリオの希望を断ってしまいました。
「申し訳ありませんが、本日はすべて売り切れました」
「そう、か……他の菓子も?」
「はい。先ほどご令嬢がたがお茶会のために買い求めにいらしたので」
めまいがするほど、ベレンガリオは絶望感に覆われました。まだ砂糖菓子の匂いは残っているのに、商品は一つも残っていないなどありえるだろうか、いや、ない。ありえない。
下手に砂糖菓子の匂いが修道院から香るだけに、ベレンガリオは諦めがつきません。
(タイミングが悪いな。士官学校の敷地外に出られる機会はそうそうない、甘いものが食べたいのに)
どうすればいいか、優秀な頭脳は回転を始めます。他の修道院も回ってみるか、しかしサボっている時間が長くなれば発覚の危険性が高まる。士官学校近くには修道院はなく、王都を横断するほど歩かなくてはならない——ベレンガリオの脳内にある精密な王都の地図を使っても、今日中の甘いお菓子の調達は不可能である、と判断しつつありました。
そのときのあまりにもベレンガリオの顔が深刻そのものだったからでしょう。
窓口の修道女が、ベレンガリオの左をそっと指差していました。何事か、とベレンガリオは顔を向けます。
一人の金髪の少女が、精一杯の早足でやってきていました。花も恥じらう乙女の年頃は十五歳くらいでしょうか、ベレンガリオより三、四歳は年下でしょう。サテンリボンで一つに結んだ巻き毛を揺らし、清楚なブラウスとロングスカート、ショートブーツという可愛らしい格好をしています。
裕福な平民の娘だろうか、それともどこかの名のある貴族の子女か。ベレンガリオの視線が金髪の少女の顔にようやく向かうと同時に、金髪の少女は手にしていた紙袋の一つをベレンガリオへおずおずと差し出しました。
「あの、もしよろしければ、こちらを」
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