第12話 愛の証明は人それぞれ

 王都で行われた王妹の輿入れパレードから一週間後。


 ベレンガリオは、王都の高級住宅街アップタウンにあるサンベルジュ伯爵邸——となっているアパートメントにやってきました。この五階建てアパートメントがまるごとサンベルジュ伯爵邸であり、一階が伯爵の住まう家である以外、他の階はすべて書生や預かっている貴族子女たちの下宿先となっています。もちろん、彼ら彼女らに生活能力がないことは自明のことなので、各階には専属のメイドが数人ずついて、希望すれば独り立ちできるよう家事も教えてくれるとのことです。


 なぜそんな境遇からは縁遠い次期グレーゼ侯爵のベレンガリオがそれを知っているかといえば、サンベルジュ伯爵は王都と地方の橋渡し役として有名であり、それは国王直下の侍従長であることから任されているのです。ゆえに、資産が乏しく王都事情に不案内な地方の貴族たちの子女にも、王都での仕事紹介や王城に登るのに不足ない程度に教養を身につけさせることも、彼のやるべきことであり、また代々権力のない国王へ直接地方のいい人材を紹介する斡旋者、そして一つの登龍門の役割も担っていました。


 その事実自体は有名であり、一方でサンベルジュ伯爵のその仕事が邪魔をされることは滅多にありません。なぜなら、貴族たちはすでに自前で優秀な人材を集める方法を知っており、わざわざ地方の貧乏貴族の家中をかっさらってまでどうこうしないのです。貴族の男子なら王立士官学校経由で情報が入りますし、貴族の女子ならむしろサンベルジュ伯爵は貴族たちの社交界へ定期的に送り出しています。第一、サンベルジュ伯爵が面倒を見る子女は教育が行き届いていると評判であり、『親が手を焼く暴れん坊や泣き虫の子どもでさえ、伯爵が五年も接すれば一人前の紳士淑女になる』と謳われる以上、自分たちの網にかからない人材はだから、サンベルジュ伯爵に任せておいたほうが手間がかからず安上がりなのです。


 今、サンベルジュ伯爵が預かっている貴族子女のうちの一人が、ベレンガリオの懸想するジョヴァンナであり、彼女もまた貴族として教育を受けるため、はたまた王都の舞踏会でデビューするためにここに暮らしています。


 そのはずなのです。


 ですが、実際にはベレンガリオが招待したにもかかわらず、ジョヴァンナは舞踏会欠席を伝えてきました。何度も人をり手紙を出してその理由を探ろうとしても、適当にはぐらかされ、いまいちベレンガリオの納得するような回答は聞けていません。


 なので、ついにベレンガリオは士官学校の外出許可を何とか勝ち取り、手土産の袋を持ち、直接サンベルジュ伯爵邸にやってきたのです。


 時折階上から子どもの笑い声が聞こえてくるアパートメントの、玄関横にある来客室へ招き入れられると、中にはすでに家主であるサンベルジュ伯爵が足を組んでソファに座っていました。折目正しく儀礼服を身につけた、五十代の初老の男性です。


 開口一番、サンベルジュ伯爵は未だ席にも着いていないベレンガリオへ、こう言いました。


「ベレンガリオ公子、ジョヴァンナは恥ずかしくてお会いできないそうだ。舞踏会の件はもう諦めてはくれないかね?」


 ベレンガリオは即座に反論します。


「諦めきれません。私は彼女の舞踏会の欠席理由を知りたいのです、できれば彼女には出席してもらいたいので」


 あれからジョヴァンナに会うこともなく一週間、ベレンガリオは日に日に思いが募っていき、できるだけ早くこの思いをジョヴァンナへ伝えたいと願っていました。


 しかし、直接会うことだけでなく、お茶会や舞踏会に誘っても一向にいい返事はなく、ただ断られつづけています。もし婚約者がいれば隠し立てはしないでしょうし、正当な理由があればそれを伝えてくるでしょう。改善点があるのなら、ベレンガリオはすぐにでも修正する気満々です。


 そんなベレンガリオのやる気に満ちた様子を目にして、サンベルジュ伯爵は追い払っても無駄だと思ったのでしょう。席を勧めてくれました。


「まあ座りたまえ、そこの修道院のストゥルッフォリは美味いだろう? エスプレッソによく合うんだ」

「はい、知っています。なので、こちらをどうぞ。マガロ植民地領から取り寄せたコーヒー豆です、エスプレッソにはこれかと」


 ベレンガリオは手土産の袋をサンベルジュ伯爵に手渡します。袋を開けると、しっかり焙煎したばかりのコーヒー豆の匂いが部屋中に湧き立ちました。


「むう、用意周到だな、君は」

「我がグレーゼ侯爵領の西沿岸部にはリモンチェッロの名産地もあります。さらにかつて西域貿易で栄えた港湾都市もいくつか、もちろん現役で西域からのブラウンシュガーを取引しており、品質では我が国の流通品の中で随一です」

「存外アグレッシブに攻めてくるのだな、君は。何だね、私のコーヒー趣味を把握しているのかね」

「それもそうですが、サンベルジュ侍従長閣下は国王陛下の召し上がるコーヒー豆の一粒一粒まで直にその目で鑑定して厳選している、との噂を耳にしたことがありましたので」


 ふむ、とサンベルジュ伯爵は短いひげを撫でて、何か考えていました。若いベレンガリオがよく情報収集して、気を利かせて最適な手土産を持参したことについては、文句のつけようがないのでしょう。


「やれやれ。それで、君はまず、何を聞きたい?」

「ジョヴァンナはダーナテスカ出身だと聞きましたが、実家はどこですか?」

「ああ……まあ、君ならかまわんか。ダーナテスカ伯爵家の長女だよ」

「やはりですか。聞いたことはあります、昔、魔法使いや魔女がいた土地だと。土着の伯爵家にもその血が流れている……という、あくまで噂ですが」

「そう、あまり、ダーナテスカ伯爵領は王都で評判がよろしくない。二百数十年前に起きた疫病騒動で、当時のダーナテスカにいた魔法使いや魔女たちがその原因だとして迫害され、王都で処刑される事件があってな。今ではそれが間違っていたと分かるが、やはり人の記憶はなかなか風化せず、演劇だの小説だので面白おかしく描かれるものだから、今も王都の一部……市民だけでなく、王都在住の貴族たちにも未だにダーナテスカを魔女の棲家として嫌う風潮がある」


 それは昨今では歴史の教科書に載るような事件です。今の時代には考えられないような不思議が人々を蝕んでいたころ、人々は『不思議なことは誰かのせいにして、誰かをやっつけて終わらせる』という人身鎮撫の方法を平気で取っていました。


 実際には環境汚染や寄生虫、伝染病の流行で人々が病に倒れていても、『誰かにやられた』『その誰かは倒せる』と架空の打ち倒すべき敵を作ったほうが人々は安心したのです。


 歴史上無数にあった魔女狩りが、二百年以上も前にダーナテスカを襲い、その地の民は未だに偏見に悩まされている。それはジョヴァンナも同じでした。


「そういうわけで、ジョヴァンナも肩身が狭い思いをしながら社交界デビューのいい日取りを待っている状態だ。まともな人間が揃って参加する舞踏会はそうそう開かれないからな。そこに君が、ジョヴァンナを舞踏会に招待すると言い出したものだから、こちらも困っているわけだよ」

「何か問題が? グレーゼ侯爵家の威信をかけて、ジョヴァンナのために快適な空間と有意義な時間を作ることをお約束しますが」

「……いや、それがだね、困るというか、何というか」


 ベレンガリオには、サンベルジュ伯爵の言いたいことが分かります。サンベルジュ伯爵はジョヴァンナを傷つけたくないのです。貴族の中で立ち回ったことのない可憐な少女は、偏見にまみれた目で見られたことも、理不尽な嫌味を言われたこともないでしょう。社交界デビューに失敗すれば、一生残る心の傷を負うことだってありえます。


 ですが、ベレンガリオはその懸念をすべて払拭した上で、ジョヴァンナを舞踏会へ誘うつもりなのです。その本気度をしっかりと伝えれば、首を縦に振ってもらえるはずだと確信したベレンガリオが弁舌を振るおうとする前に、サンベルジュ伯爵はこう言いました。


「君、本気でジョヴァンナと結婚するつもりかね?」

「はい。もちろんです」

「グレーゼ侯爵には」

「説得は済んでいます。病床に伏せている父も、死ぬ前に私が結婚し、家督を継げるならそれでいいと」


 ベレンガリオの答えによどみはなく、そもそも侯爵令息とはいえ勝手に家の名義で舞踏会を開くことはできません。間違いなく父親であるグレーゼ侯爵——この時点では王都の侯爵邸で療養中でした——が承知の上で行動しているのです。


 それにしても熱心に、ジョヴァンナとの結婚を望むベレンガリオの姿に、只事ではないと思ったのかどうか、サンベルジュ伯爵も最終的には折れました。


「ふむ。まあ、そこの条件はクリアしたか……あとは、ジョヴァンナの意思と、ダーナテスカ伯爵家にも話を通さねばならん」

「分かりました。説得しますので、ジョヴァンナを呼んでください」

「分かったよ、君も頑固だな。このまま放っておいてもずっと居つきそうで怖い」

「恐縮です」

「一応言っておくが、褒めておらんぞ」


 すでに若干呆れつつあるサンベルジュ伯爵ですが、ジョヴァンナに偶然にも舞い込んだこの縁談が悪いものではないことは分かっていました。


 愛は熱しやすく、冷めやすいものです。なので、この日からベレンガリオはジョヴァンナを口説き落とすために、あの手この手を講じていきます。


 その間、士官学校の教官たちへ熱弁を振るって堂々とサボる許可を得るなど、尋常ではない縦横無尽の働きを見せたベレンガリオでしたが、ジョヴァンナの口から結婚の許しを得るにはあと数ヶ月かかったのです。

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