第18話 生贄の夜【デッドリーナイトドリーム:幼心の君】

 夜の帳が下りて参りました。カーテンコールの夢。

 ポツンと――佇んでおります。

 夜の音が轟轟と響きます。スキルの類、カード類を失っております。視線が妙に低い。違和感を覚えます。身に着けているものは着物――にございましょうか。肌寒い――。

 赤い着物にございましょうか。

 あの子を失った着物。あの子が求めた着物。あの子を連れてゆきました着物。濡れておりますね。何処か身に覚えのある泥臭さに瞼が細まります。なぜ――そのような考えが浮かぶのでしょうか。


 どうやら子供になってしまったようですね。

 生贄の夜【デッドリーナイトドリーム:幼心の君】にございますか。これは……リアルになると非常に、なんと申しますか、恐ろしいものにございます。

 誰もが通る道。帰れない道。求められない道。遠すぎる道。通り過ぎる道。通り過ぎた道。あの頃の約束。あの頃の幻。あの頃の夢見た未来。幻想の私。理想を眺める私。残酷な現実。避けようのない未来。今はもうそこにあるだけの私。

 お父さんと――。

 忘れられず、失えず、何よりも慈しまなければならない過去。

 おとぎ話の貴方。避けられなかった現実と目を背ける事のできない事実。振り返り自分の姿を眺めますと頬が赤く染まってしまいます。馬鹿な行いばかりをしていたものですから。十年後の自分はどうでしょう。過去から眺める未来と未来から眺める過去。

 もう戻れない。一方通行のその先に佇んでいるのは――。


 女の子の泣き声が耳に入って参ります。

「おかあさーん。おかああさーん」

 その叫び声は何よりも心を揺さぶるものにございます。


 そちらへと歩を進めます。幼い少女が歩きながら涙を流しておられました。

 【ライアーセンス】を習得しておいて良かったですね。この場ではモナドやベースレベルは無効ですが自らは偽れます。

「どうしたの? 大丈夫?」

 声を伝えます。少女の体が刹那に震え視線がこちらへと流れて参ります。

 怯えておりますのでしょうか。何も言葉を返して頂けません。傍へと寄りまして微笑みかけます。

「私はムスビと申します。貴方は?」

「私は、その、誰? 私は……めめだけど」


 これは、よろしくありませんね。メメ様でしたか。今回の生贄はメメ様でしたか。笑えませんね。これは非常によろしくありません。メメ様にございますか。息を深く吐いてしまいます。メメ様にはおそらく苗字がございません。これだけでわたくしが命を賭けるに値します。

 設定通りであれば――の話にございますが。顔を傾け瞼を細めてしまいます。

「メメ様。なんと良いお名前でしょうか。よろしくお願い存じ上げます。ここは危険かもしれません。さぁ一緒に参りましょう」

 手を紡ぎます。少々驚いたようにございます。ですが多少拒否されたぐらいでは傷付きませんのでご安心下さい。

「えっ? 何処に? ねぇ? ムスビちゃん……?」

「はい。何でございましょう」

「ここって何処なの? 何処に行くの?」

「何処でございましょうか。わたくしもとんと検討が付きません」

「なんか……なんかね。少し……変なの。変な場所なの。変じゃない? 変だよ」

「そうでございますか?」

「うん……ほら」


 メメ様の人差し指の先には男性の方が佇んでおられました。顔を伏せ、微動だに致しません。

「メメ様。人様に対して指を向けてはいけません」

「えぇ……そうなの?」

 明かりが瞬きます――そうして男性は消え、目の前に現れ、そしてお消えになりました。刹那の出来事です。メメ様の体が強張り、わたくしも自意識では警戒を、実際には【リリスの瞳】が反応を示さないので大丈夫だと感じております。


 シャキリ――シャキリ――と鋏を開閉するかのような音が鳴り響いて参ります。遠くでは電車の音が。不意に落ちて来た塊は、人の生首でございました。ケタケタ笑うのはおやめなさい。勢いで蹴り飛ばしてしまいました。

 恐怖とは対処が未知にて生じます。理由の説明できない、対処の仕様のないものに、人は恐怖を抱くと存じます。つまり、対処できないから逃げろと体が反応しているのです。それが恐怖の正体だと私は存じております。いいえ、私だけの答えにございますが。

「ねぇ? ここやっぱり変だよぉ」

「そうですね。多少はおかしいかもしれません」

「貴女は、人間だよね?」


 その問いは非常に難しいです。私が人間であるか否か。そもそも人の定義とは何でしょうか。少女はそこまで掘り下げているわけではないのですよね。

 まず記憶はございます。ですがこの記憶は本物でしょうか。普通に生活しているつもりです。ですが他人からご覧になれば常軌を逸しているかもしれません。普通か否か、わたくしが人間か否か。それを決めるのは貴女です。それが答えです。なんて。

「人間ですよ。ちゃんと生きております」

 手を取り頬へと当てます。冷たい手ですね。

「冷たいですか?」

「ううん。温かい」

 ほっと頬を緩める少女は少しはにかんでいるようでもございました。

「きゃあああああああああああああああああああああああああああ‼」


 耳をつんざくような金切り声が響きます。大人の女性の声かと存じます。少女の顔が恐怖に歪みますが、わたくしが手を掴んでおりますので僅かに動いただけとなってしまいました。

 あまり美しくはない悲鳴ですね。魔笛……等、あれは素晴らしい悲鳴と笑い声にございます。

「ひっ」

「落ち着いて下さい」

「でもっでもっこあい。ちょっと……ちょっとっこあい」


 じりじりと背後へ下がろうと力を込めるメメ様の手を強く掴み引き留めます。

「恐怖に負けてはいけません。もしかしたら、誰か女性がお困りなのかもしれません」

「……え? ほんとに? ほんとにそう? あの……あのね。にんげんじゃ……あの、人間じゃあくない? それにでもこあいよ……」

 例え人間ではなかったとしてもゲーム通りであるのなら即死要素では無いのでおそらくは大丈夫でしょう。好奇心猫を殺すとは申しますが、本当に人間であった場合は大変です。

「や……やだ。行きたくあい。お願い。やめよ? ね? やめようよ」

「人だったのならば見捨てる事はできません。ここで待ちますか?」

「あのさ……怖いのに離れるとか馬鹿なの? 馬鹿なの? 馬鹿なの? おしっこ漏らしそう」

「では参りましょう」

「なんで⁉」

 目の前に助けを求めている人がいるかもしれない。それなのに逃げるだなんてそんなのは悔しいではございませんか。と申すのは建前にございます。これがゲーム通りであればセオリーは理解しております。

「……ほんとに行くの? こあい。こあい。ねぇ……こあいよ。ねぇ先行かないでよ。ねえええええっ。なんで先行くの」

 するりとメメ様が手を両手で握って参ります。


 第五夜と同様にございますが、今回はより明かりがございません。街灯は明滅を繰り返し、点灯してない物もちらほらとございます。立ち並ぶ建物は商店やビルディング、ビルジング等々、住宅地も入り乱れ、まさに開発中と申します所でしょうか。


 おっかなびっくりと夜を歩く――蝋燭へと灯った小さな火種のようにございます。

 不意に音が響きます――何かを叩きつけるかのような、地面に何かが叩きつけられるかのような、そんな何処か重く、それでいて鈍い音が致します。

「なに?」

 反射が刹那痙攣を起こすメメ様の体。その緊張がわたくしにも伝わって参ります。過呼吸はいけません。

 ふふーん。よくってよ。わたくし、ホラーは大好物にございます。

「ねぇこあいよぉ」


 また大きな音が致します。背後にございます。水が跳ねるような、水の袋が地面に叩きつけられて爆ぜるかのような、それでいて袋が辛うじて割れていないかのような、そのような鈍い音にございます。

「ひっ」

 メメ様はすっかり縮み上がってしまったようですね。離れないように強く手を握っておりますが、引っ張られてしまいます。


 また音が響きます。振り返ると音が連続で続きます。

 バチャ。バチャ。バチャ。

 黒い手形でございますか。地面に黒い手形が続いております。足ではなく手。これがミソですね。わかります。

 連続して響く大きな音、近づいてくるその音にメメ様は耐え切れないようでした。この場での対応はわたくしを見捨てて一人で走り逃げるか、わたくしを見捨てられずその場に蹲るかの二択と考えておりましたが、どうやらメメ様は後者のようにございますね。良い。とても良い。

「走ります‼」


 メメ様の腕を引き走ります。通常であるならば、人に引っ張られ走るのはストレスにございます。しかしながらご安心下さい。わたくしは【リリスの瞳】を所持しております。メメ様の動きに対応しつつ、走ることが可能にございます。

 おっと雨のように激しい音で手形が責め立てて参ります。これは恐ろしい。捕まったのならどうなるでしょうか。それが未知ゆえに体は恐ろしいと感じるのです。


 先方に人影が窺えて参りました。どなたでございましょうか。人ならば良いのですが、少女のようですね。こちらをご覧となり困惑しておられます。両手をお上げになっております。人のようですね。

「逃げますよ‼」

 声を掛けますと少女は頷き一緒に走ります。

「こっち‼」

 通りすがりのマンションの中へと入ります――息を止めたい所にございますが荒れた呼吸が止められません。二階まで駆け上がり、様子を窺います。音は道の向こう側へと真っすぐに進み消えてゆきました。一先ずは安堵にございます。

「はぁはぁ……大丈夫にございますか? はぁはぁ」

「すごい……はぁはぁ、疲れた……はぁはぁ、足が痛いよぉ」

「メメ様。さすって差し上げます」

「はぁはぁっ。あのぅ。二人は? はぁはぁっ。その……人間?」

「はい。わたくしはムスビと申します。こちらはメメ様にございます」

「ボクはヨウイチ。はぁはぁ……」


 ヨウイチ様にございますか。名前の割に姿は少女のようにございますが。

「あっ。性別は今は女の子なんだけど……ちょっと理由があって」

「そうなのでございますか」

「二人はプレイヤーなの?」

「プレイヤーとは……?」

「いや、違うならいい。ボク、このイベント知ってるから。大丈夫だから」

 メメ様が近づいて唇を耳に寄せて参ります。

「なんかこの人、変じゃない?」

「ちょっと変わっておりますが、ちゃんとした人だと存じます」

 おそらくはパメラさんあたりでございましょうか。


 姫結良さんの一人称はオレ系ですし、古村崎さんとは雰囲気が異なります。古午房さんは俺にございますし、もう二方、三方はいらっしゃるはずにございますが、一人称がボクはパメラさんに見受けられたものにございます。おそらく一番可能性が高いのはパメラさんだと存じます。もちろん確定ではございません。まさかウィヴィーさんのわけはありませんよね。容姿が全く異なりますのでそれは無いでしょう。


 コツッ。コツッ。と足音が響いて参りました。誰かが下から上がってくるようにございます。わたくしとメメ様は視線を合わせてすぐに立ち上がり、ヨウイチ様も釣られて立ち上がります。ヨウイチ様はあまり運動がお得意ではない様子がお見受けできます。走り方をご覧になればわかります。演技でなければ……のお話ですが。

「どうしよっ。足音だよ」

「遭遇するのはよろしくないかもしれません。上へ参りましょう」

「上り過ぎちゃダメ。たぶんだけど……こっち。ボク知ってるから」

 四階はBADです。四階で遭遇すればおそらく死にます。日ノ本の方は四の数字を恐れる傾向にございます。わたくしは四の数字が一番好きですけれど。

「早く‼ 移動しよう‼」

 メメ様は一刻も早く移動したいようですね。

 三階の扉はどちらも閉まっておりますが、扉と直角する壁に備え付けられた分電盤の扉を開き、盤の上にある鍵を手に取り扉の鍵を外します。

「こっち‼ こっちだよ‼」

 ヨウイチさんは右の扉を開いたようにございますが、わたくしは左の扉を開いてしまいました。足音が近づいて参ります。反射的に左の扉の先へと入ってしまいました。

「すみませんヨウイチ様。もう移動の猶予が」

「チェーン‼ チェーンかけて‼」

 足音が近づきメメ様が扉から顔を出すわたくしを押しのけるように中へと入って参ります。すみませんヨウイチさん。これはわたくしのミスにございます。


 もう移動に猶予はございません。扉を閉め鍵を回しチェーンを取り付けます。

 チェーンが重要にございます。

 メメ様がわたくしの背中へ張り付いております。メメ様を気遣いつつ、まずは退路を確認致します。わたくしの住むマンションとは作りが異なりますね。

 少し……おかしな話なのではございますが、コツコツと足音が、なぜか部屋の中にまで……響いて来るのでございます。まるでそれが当たり前だと言わぬばかりに。

 玄関から廊下。廊下左に扉、扉の先、洗面所そのまま正面にスリガラス、先はお風呂場でしょうか。右に扉、開くと御手洗い。三点セパレート。お風呂トイレ別ですか。素敵です。

 廊下右側壁に台所、廊下真っすぐ先にリビング、そのまま先がベランダ。振り返りますと襖が一つ。台所の裏側にある部屋。襖を開き眺めますと和室、奥に押し入れがございます。


 足音が止みました。入居者はいらっしゃらないご様子ですが、人の住む気配はあります。鍵を差し込む音が致します。ガチャンッと回りました。

 ドアの開く音と共にチェーンが引かれたのか大きな音が響きます。何度が繰り返される音。段々と激しくなって参ります。

 だいぶお怒りのご様子。何度も激しい音が響き渡ります。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

「メメ様?」

「おトイレ」

 おっとこれはピンチにございます。

 ベランダへと誘導致します。

「ここでは無理ですか?」

「ぇえええええ。無理だよ。こんなところで」

 何度も何度もチェーンが扉を阻む音が鳴り響きます。乱暴で粗雑。それでありながら引きちぎらんばかりの音が致します。

 このままではまずいですね。


 ベランダを通じて下の階へと参ります。

「メメ様。下の階へ移りますよ」

「えぇ⁉ 無理だよ‼」

「そこまで高くはございません」

 チェーンの引きちぎれる音が致しました。玄関が開いてしまいましたね。

「下をご覧にならないように」

 手すりを乗り越えて伝い、下の階への移動を試みます。ある程度降りたら、メメ様が参ります。

「あっ‼ あっ‼」 

 支える体に何か温かい感触が――これは申し訳ない限りです。


 手を繋ぎ支え、下の階の手すりへとメメ様の足を下ろします。ドアを開けている音が響いております。荒らしているようにも感じます。襖が乱暴に開かれる音。バリバリバリバリとまるで畳を爪で研いでいるかのような音が響いて参ります。

「ぎぃいいいいいいいいいいいい」

 人間が発して良い声色とは考えられません。メメ様がお降りになられましたので自分も下へと参ります。どしどしと足音が近づいて参りました。ベランダが乱暴に開けられる音が致します。下の階へと降りました。

 震えているメメ様がいらっしゃいます。涙目にございます。恐怖と羞恥に責められているご様子です。わかります。しかしながら現在物音を立てるのはよろしくありません。

 ガラスの割れる音。割られる音。先ほど触れていた金属の手すりが切り刻まれている音。それと共に火花が視界に入って参ります。


 メメ様の傍により上からご覧になれないように身を潜めます。

 ベランダを荒らしまわる音――足音が遠のいてゆきます。上の部屋はめちゃくちゃですね。逃げていなければヤツザキにされておりました。危ないですね。

 これは悪夢にございますが、この世界で亡くなりますと現実でも死にます。ガチです。

「おしっこ漏れちゃったようぅ」

 本当に申し訳ない限りです――音が静かになりましたらベランダの戸が開いていないかを確認致します。開いておりませんね。困りました。右に窓ガラスがございます。

「少々お待ちください」

「……うん」

 手すりへと乗り出して窓ガラスへのアプローチを開始致します。


 開いておりますね。小さな窓でございますが――足が滑ってしまいました。

「大丈夫⁉」

「はい……くっ」

 危ない。指が窓枠にかかっておりました。【リリスの瞳】が無ければ下へ落ちておりましたね。注意しなければいけません。着物が擦れてしまいますが、仕方ありません。

 帯が破れて少々痛めてしまいました。お高い着物ですのに。


 部屋の中へと入ります――誰もおりませんね。警戒しながらベランダの戸の鍵を外し引き開きます――音が……引く音に警戒し緩慢に引きます。メメ様が抱き着いて参りました。

 部屋の中を探ります。大きな物音に瞼が細まります。右斜め上からにございます。

 三階、ヨウイチ様のいらっしゃる部屋へと何者かがアプローチされていらっしゃるようですね。ヨウイチ様ならば大丈夫でしょうと腹を括ります。


 まずはお手洗いにメメ様を連れてゆきます。

 よれよれのトイレットペーパーにございますが、我慢してくださいまし。

「お願い。拭いて。手が震えて、うまく立てないの」

 仕方がございません。下のスカートとパンツを着脱して頂き、トイレットペーパーで丁寧に拭わせて頂きます。靴下と靴も脱いで頂きました。

「少々お待ちくださいませ」

 失礼とは存じますが部屋の中を物色させて頂きます。


 部屋の中を物色させて頂いた限り――おそらく居住していらっしゃるのはご夫婦と息子が一人と存じます。まずは奥様のパンツから小さいものをチョイス。息子様はまだ幼いご様子。息子様のパンツも少々漁らせて頂きます。息子様のズボンと靴下も――おっと、おっとこっこれは猫さんスーツ。猫さんスーツではございませんか。これは失敬させて頂きます。

 お手洗いに戻りますとメメ様が嗚咽を漏らしておられました。

「おしっこ漏らしちゃったよぅ。もうやだぁ」

「何時までも落ち込んでいてはいけません。はい。パンツと……猫さんスーツです」

「……うん。うん? うん……うん?」

 奥様のパンツはちょっとぶかぶかのようにございます。男物でございますが息子様のパンツと猫さんスーツを着て頂きます。

「なんかこの服、足裏がモコモコしてる」

 なんとこの猫さんスーツは靴がいりません。足の裏に肉球が備わっており、ある程度の高さから落ちても自動で立て直し衝撃を逃して頂けます。なんとガラスを踏んでもへっちゃら。つおい。


 ついでに冷蔵庫から飲み物を物色させて頂きます――牛乳と栄養ドリンクを視認。栄養ドリンクに口を付けて毒見を致します。消費期限は過ぎておりませんね。魚肉ソーセージがございます。これも少々失敬させて頂きます。この悪夢での食べ物は気力を回復するアイテムと設定がございます。この気力がなくなると走れなくなります。


 メメ様にもお渡し致します。右上では変わらず何者かが暴れているご様子。ヨウイチ様は大丈夫でしょうか。メメ様。フードを被らないなんていけません。そっとフードをかぶせます。

「あのさ」

「なんでしょう」

「ムスビだけずるい。私おしっこ漏らした。それ見られた」

「そうですね」

「ムスビもおしっこ漏らして」

「そうは申されましても」

「わたしだけ見られてずるい」

「では下半身をご覧になると言う事で相殺させて下さい」

「おしっこ漏らして」

「それは無理にございます」

「ムスビだけずるい‼」

「メメ様。それどころではございません」

「ムスビ、ズルい、おしっこ漏らして。平等じゃないとダメ。ママ言ってた。おしっこ漏らして」

「それは無理です」

 寧々は女性ではございませんし鉄の膀胱をお持ちです。男性と女性では差が生じます。

「うーっ‼」

 威嚇なのでしょうか。メメ様の……うーん。なんでしょうかこの猫感。

 直後斜め上から一層激しい音が響きます。これはよろしくありませんね。玄関へと向かいます。

「逃げるの⁉」

「それ何処ではございません」


 上の階でしょうか。扉の開く重い音が致します。誰かが階段を駆け下りていらっしゃる音とご様子。玄関の鍵とチェーンを外して外の様子を窺います。窺えました。ヨウイチ様ですね。上の階から上手にお逃げになったご様子。扉を開きます――ヨウイチ様の驚いた顔。招き入れ鍵をかけチェーンを掛け直します。

「死ぬかと思ったッ。はぁはぁ。死ぬかと思ったぁあああ」

 玄関の開く音が再び致します――暴れるような音が響きます。間一髪にございました。あれがいなくなるまでは大人しくしていた方がよろしいかもしれません。


 部屋の奥へと参ります。

 居間へと参りまして襖を引き開き入り、二人が入るの確認致しましたら閉じて奥まで歩きます。押し入れの戸を引いて――舞い上がる埃に瞼も細まります。反射的に唇を袖で覆ってしまいました。少々埃がひどいようですが文句は申せません。中は布団とダンボールの山です。

 扉のブチ破られる音が致します。早すぎる――。

「やばいやばいやばいやばい。どーしよ。どーする?」

 ヨウイチ様もパニックを起こしているご様子。押し入れ最上段天井にアプローチを試みます。積み重なる布団によじ登り、天井を押し上げます。上がりましたね。やはり戸がありました。この戸の先には断熱材等が敷き詰められた小さな空間が存在すると存じます。

「ここへお入りになってくださいませ」

 ヨウイチ様の手を取りお尻を押して扉の先へと押し込めます。

「きゃっ‼」

 お尻に触れるとヨウイチ様はそのようなお可愛いらしい声をお上げになりました。メメ様の手を取りお尻を支えて登らせます。

「ぴゃっ」

 お尻に触れるとメメ様の体が反射的に動きます。

「うーっ‼」

 振り返り上から睨むメメ様。

 そんな睨まれましてもそれどころでは――それに時間がございません。押し入れの扉を閉めて、わたくしも急いで登ります。戸を乗せるのと同時にございます。息が止まるような感覚に襲われます。

 光と闇の交差。向こうからは光が、こちらへは闇が参ります。

「きぃいいいいいッ。きぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい‼」

 耳が痛く存じます。物の荒れる音が致します。


 乱暴に扉が閉められます。開けられます。閉められます。動けません。

「ムスビ? ムスビ? 何処?」

 小声ですがメメ様の声と判断できます。

「メメ様。ここにございます。ヨウイチ様。大丈夫ですか?」

「死ぬぅ。死んじゃう。こんなの死んじゃうよぉおおお」

 落ち着いて下さい。ヨウイチ様。

 暗がり、大量の埃と断熱材の中、動けませんね。

「ムスビ……何処?」

「ここにございます」

 手を伸ばすと柔らかい陰影を感触として捕えます。掴んだ手を掴まれます。そのまま求めるように身を寄せられます。


 大きな音が響きました――再び押し入れの襖が開かれたようにございます。

 目が大きく開いておりますのを感じます。時が止まったかのように息すら致しません。

「きぃぃいいい。きぃいいい。きぃいいいい」

 まるで噛み合わせの悪いボルトを回すような金切り音にございます。ひどく痛い。

 心臓の鼓動だけが妙に大きく、これを聞かれているのではないかと感じるほどに時間と感覚が鈍くございます。


 襖の閉める音は致しませんが、緩慢にドスドスと足音が遠ざかり安堵を、また近づいて緊張を、玄関のドアを開いて、閉まる音がして、止めていた息を盛大に吐き出して咽てしまいました。

「ひとまず――」

 ダダダダダダダダッと足音が響き、その音はUの字を描いて目の前へと。乱暴に引かれる戸の音。自らの瞼がこれでもかと開いているの感じます。音に集中するために耳が尖っているかのような錯覚すら覚えます。音と同時に反射でメメ様がビクビクと動きます。そして無音――呼吸すら止まっている。息を潜めるとはこの事にございましょうか。

 木の板一枚向こうに決して相容れられない誰かがいる。

 扉を開け外へ出るフリをして戻って来た――駆け引きするぐらいには頭を使える。


 やがて足音が緩慢で小さな音となり、目的を見失ったかのようにゆったりと遠ざかってゆきました。アクティブがノンアクティブになったようにございます。

 袖で口元を押さえておりますが、ここは埃があまりにも多いです。戸を持ち上げて明かりと空気を取り入れ――メメ様に腕を引っ張られ、戸を開くのをひどく拒絶されます。


 僅かな光、瞼を細め、メメ様の顔がすぐ傍にございました。

「うぅ」

 わたくしの顔をご覧になられますとメメ様は顔を歪めて縋りついて参ります。恐ろしかったのでしょうね。体は震え嗚咽を感じます。体を強く密着し、ヨウイチ様の顔も窺えました。ひどい顔ですね。鼻水が垂れております。

「おしっこ漏らしちゃった」

「え?」

「おしっこ漏らしちゃったよぅ」

 今度はヨウイチ様がおしっこを漏らしてしまったようですね。

 さすがに命の危険を感じました。仕方がございません。女の子は膀胱が弱いのです。


 おずおずと戸から降り、警戒しながら押し入れの中へと降り立ちます。今すぐにでもまた足音が鳴り、アレが駆けて来るのではと恐怖心に襲われております。

 下でメメ様を受け止め、押し入れから抜け出します。最後にヨウイチ様がおずおずと降りて参りました。

「おしっこ漏らしちゃったぁ」

「あー泣かないでくださいまし。対処致しますから」


 メメ様にズボンや下着などを見繕って頂く間に、お風呂場にてヨウイチ様の対応をさせて頂きます。よれよれで黄ばんだタオルでございますが、これしかございませんので、これで拭わせて頂きます。上着も下着も濡れてしまわれたようですので全裸になって頂きました。


 玄関にはしっかりと鍵をかけ、意味があるのかもはや定かではございませんがチェーンも掛けてございます。

 ヨウイチ様――ご飯はしっかりとお取りになっておられるのでございましょうか。少々痩せすぎに存じます。

「シャワーは使わないで下さいまし。音で気づかれるかもしれません」

「……うん。ごめんね」

「構いませんよ。少々黄ばんだタオルにございますが、これしかありませんので、申し訳ありませんがこれで拭わせて下さい」

 体を拭い、メメ様の持ってきた羊さんスーツへと着替えて頂きます。ん。羊さんスーツです。ん。何度ご覧になられても羊さんスーツです。防御力最強モコモコ羊さんスーツです。

「見つけたから」

「そうですか」

「なに?」

「何も申しておりません」


 栄養ドリンクとソーセージを頂いて英気を養います。まだまだ夜は長いです。

「これでおしっこ漏らして無いのはムスビだけだね」

「そうですね」

「おしっこする時は言ってね」

 ん。瞳の光りが強くそのように穴が開くほどこちらを窺わなくともよろしいかと存じます。

「申すだけは申しますね」

「ムスビも漏らしてくれないとフェアじゃないね?」

「メメ様。それこそフェアではないと存じます」

「私は恥ずかしかった。ムスビだけずるいよね? ね?」

 頬へと唇を這わせて頂きます。

「これで許してくださいまし」

「あっ……うーっ。……これとそれとは……話が別だもん。ダメだもん。そんなんじゃ許さないもん」

 ご納得頂けたようですね。頂けておりませんね。


 しばらく様子をご覧になりマンションを後に致します。恐怖で足がすくみ、メメ様はここから移動したくないようにございました。ですが移動して頂く他ございません。彷徨う事を前提とされた夜です。同じ所におりますと酷ですが時間経過がございません。ゲーム時にはそのような設定が存在しておりました。その設定が生きておりますと移動しなければ何時まで経ってもこのままにございます。また徘徊者がやって来られましたら、やがてじり貧となってしまいます。


 渋るメメ様の手を引いてマンションの外へと歩み出します。

 入口を出てすぐに何処からか赤子の泣き声が響いて参りました。

 様子を窺いに参ります。声のする方へとまるで誘導されているかのようです。メメ様には背後から着物の帯に手を入れて頂きます。

「本当に行かないとダメ?」

「ここにいても仕方がございまんから」

「こあいよ……戻ろうよ」

「あのね? 移動しないと時間経過しないんだ」

「……君、何意味わかんない事言ってるの?」

「嘘じゃないって。ほんとなんだから」

「ムスビぃ」

「しー……。二人共、声が大きいです」

「だってぇ」

 通路の先――巨大な猫が鎮座しております。どう考えてもまともではないご様子。

 眺めるに大猫さんの足元には赤い死体のような肉塊が転がっております。その長く差し出された赤い舌がピチャピチャと液体を舐め、そして嬉しそうにゴロゴロとその鳴き声が赤子の声と類似しているのでございます。

「赤ちゃんかと思ったら猫みたい?」

「……何食べてるんだろ。気持ち悪い」


 猫の隣には河川。道が途切れてございます。はっと気づいて焦点を合わさせます。猫の向こう側、河川の向こう側に巨大な女性と思わしき陰影がおられます。この明かり少ない中、その女性の姿をはっきりと認識出来てしまうのでございます。幽霊が本物かどうかは瞼を閉じればわかります。

 暗がりで良く眺められますように幽霊は光ではございません。瞼を閉じても窺えるのが幽霊なのでございます。


 瞼を閉じ真っ暗な闇となってもその女性の姿は開いていた時と寸分と互いませんでした。

 白いワンピースが何処か体の陰影を歪め、頭にかぶっておられるのは白いリボンの帽子にございましょうか。こちらを眺めてご覧になっております。まるで母親のように。愛おしさと何処か……違和感を。愛と申します感情が、まるで人間とは異なっているのかのような。同じ言葉でありながら、その言葉の解釈がまるで私と貴女で異なるかのような。

「ねぇっねぇっ。あれすごく怖いんだけどっ」

「八尺様だよ」

 ヨウイチ様がそう申し上げられました。ヨウイチ様。フードを被らないのは如何なものか。そっとフードをかぶせます。

 あれは大猫さんとは違い、こちらに気付いておりますね。明確にこちらを視認しておられます。


 わたくしがそう認識した途端、女性と思わしきその姿、そのお口がニンマリと赤く歪みました。よくありませんね。よくありません。わかります。明確にわたくし達を標的と致しております。

「大猫さんに気付かれる前に参りましょう」

 わたくし達が動きますと、その方向へと寄り添い対岸を歩いて参ります。よろしくありませんね。八尺様ですか。即死案件です。


 残念にございますが今はプレイヤーと言えど子供。戦闘スキルがございません。対抗の仕様がございません。逃げるしかないのです。川から離れる選択を致します。そっと踵を返し振り返りますと、より近いと感じる違和感が生じます。違和感ではございませんね。実際に近くなっているのでございます。逃げると気取られましたね。その足の速さが加速して参ります。

「やばい。やばいやばいやばいやばいやばい」

 ヨウイチ様がそう申しながら足を速めます。路地を進みお社がご覧になられました。小さな社です。

「こっち‼」

 赤い鳥居をくぐり社の扉を開いて中へと避難させて頂きます。鍵はかかっておられませんでした。奥にはご神体でしょうか。丸い鏡が窺えます。

 閉める扉には無数の四角い穴細工がございます。風通しは良いですし外が窺えますが、少々不安になりますね。

 誰かが鳥居の前を通り過ぎてゆきます――二人の子供。思わず身を乗り出してしまいました。反射的にではございますが刹那は逃しません。

「こっちにございます‼」

 声を張り上げます。

 気付いた子供達が戻って参ります。鳥居をくぐり、扉を開いて迎え入れます。

 白い女性が通り過ぎてゆくのを扉の隙間から窺います。

「こええええええええええええええっ。めっちゃこえええええええっ」

「古午房ッ。声がでかいッ」

 どうやら、古村崎様と古午房様にございますね。やはり子供になっておられましたか。


 残るは姫結良様と――他の方は大丈夫でしょうか。となるとメメ様が生贄の女性で間違えありませんね。これは、許せません。

「貴女‼ 無事だったのね⁉ なかなか見つけられないから心配したのよ⁉」

 その言葉の真意に迷います。わたくしが誰か……判明しているとは考えにくいですが、その視線ははっきりとわたくしを捕えております。

「……誰かと勘違いしておられませんか?」

「は⁉ えっ⁉ あー……ぞっとしてきた」

 着物の少女に遭遇したのですか。あれもなかなかの恐怖にございます。


 それにしてもラフな上着……ではなくカエルさんスーツですね。わかります。寝間着の状態で召喚されたのでしょうか。しかしながらやはり子供です。

「ちっちがっ。たまたま。たまたまだから」

 そっとフードを被せます。

「おい‼ そんな事やってる場合じゃないぞ」

 古午房さん。なぜ……ゴリラスーツを。

「いっいいだろ⁉ なんだよ‼ ゴリラの何処が悪いんだよ⁉」

「何も申してはおりません。わたくしはムスビと申します。こちらはメメ様とヨウイチ様です」

「ムスビ……じゃあ私の名前はムツミでいいから。よろしく三人共。事情はともかく今は協力よ」

「そうですね」

「おい‼ なんか……なんかやべーぞ‼ 生贄は何処だ⁉ 差し出せば終わるだろ‼」

「最低‼ 古午房‼ このクソ野郎‼」

「こっちは命がかかってるんだ古村崎‼ これはゲームじゃないんだぞ‼」


 炸裂音――鳥居が破壊されてしまわれたようですね。さすがは八尺様。

「やばい……やばいやばいやばいやばい‼」

 メメ様を視認し手を繋ぎ確実にお連れ致します。

「こっち‼」

 ヨウイチ様がそうおっしゃいましたが、振り下ろされた大きな手で進行を阻害されてしまいました。そちらへは参れません。建物が天井から破壊されてしまいます。瓦礫が舞い――。

「ムスビちゃん‼」

 ヨウイチ様が振り返ります。

「いけません‼」

 手を広げて突き出し拒絶を。参りますのを制します。

「ムスビ‼」

 ヨウイチ様は止まりましたが、ムツミ様が止まりません。隣のメメ様が生贄の少女であることを察したのでしょう。あるいはわたくしが生贄だと勘違いしていらっしゃるのかもしれません。

「いけません‼」

「このおおおおおお‼」

 振り回されるのは長い爪を帯びた腕。ムツミ様は滑り込みで鮮やかに回避致しました。そのままわたくし共と合流し腕を引かれて走ります。無理を致しますね。ハラハラ致しました。

「メメ様‼」

「うん‼」


 ヨウイチ様と古午房様と逸れてしまいました。

「はやくはやくはやく‼」

 しかしながらわたくし達は子供。体力には限界がございます。緊張と運動の連続で足が思うように動かなくなって参りました。気力を消費し続けております。逃げ切るのは非常に困難だと判断致します。【リリスの瞳】があろうとも気力の設定はどうにもなりません。

「はぁはぁ‼ ごめん‼ 私もう走れない‼ ごめんなさい‼」

 メメ様が根を上げました。仕方がありません。足の乳酸値が限界にございます。わたくしも足がふらついております。

「頑張って‼ お願いよ‼ 二人共‼ いつつっ」

 良くご覧になればムツミ様も背中が裂けており、血が滲んでおられます。命の危機に直面し、わたくしの瞳孔も強く開いております。せっかくのカエルさんスーツですのに。


 背後には八尺様。その陰が威圧が窺えます。八尺様は元々は神様だったと何処かで聞いた事がございます。この世界にはそのような神様もいらっしゃいます。忘れ去られようと名前が知れ渡っておられなくとも存在するのです。

 本物の逸話は語られません。なぜなら生存者は存在しないからです。

 善だけではございません。そうでなければ怪異等存在しないのです。この世界ではその神々を鎮めるために怪異が存在してしまう。必然であり運命なのです。

「行き止まり⁉」

「馬鹿野郎‼ こっちだ‼」

 声のする方へ、見上げますと窓が開いており顔が覗いております。腕が伸びて参ります――察して背後のメメ様を優先し、脇を持ち上げお尻を押し上げ引き揚げさせます。

「またッ。またお尻触った」

「先に行って‼」

「ダメです‼ ムツミ様‼」

 手を組み足場を作ります――察したムツミ様が手に足を掛け飛び上がります。

「ムスビ‼」

 窓を無事越えたのでしょう。手が二つ伸びて参ります。縋るように伸ばし掴み思い切り引き上げられ、窓の中へと引き込まれます。窓の閉まる音。

 黒髪パジャマ……ではなく黒髪黒豹さんスーツの少女が窺えました。

「姫結良?」

「お前古村崎か。てめぇらは誰だ。まぁいい。話は後だ。ここはダメだ‼ 隣の民家に移るぞ。二階へあがれっ」

 メメ様の傍へと寄ります。


 メメ様は物の無い嘔吐のような動作を何度も繰り返しておられました。

 苦しい所を申し訳ないのですが腕を抱え無理やり歩かせます。

「もう少し頑張ってくださいませ」

 メメ様は首を振りますが無理やり二階へ連れて参ります――二階へと参りますと炸裂音が響きます。一階でしょうか。窓ガラス等が割られたご様子。あまりによろしくございません。

「ここからどーすんのよ⁉」

「うるせぇ‼」

 肩で息をする姫結良様も苦しそうにございました。

 幼い頃の姫結良様は病弱の設定がございます。その設定のせいでかなり苦しいのかもしれません。

「仕方ねぇ‼ 隣に移るぞ‼」

 姫結良さんがベランダへと通じる窓を開け放ち、手すりを越えてジャンプ――隣の手すりへと移ります。

「メメ様。もう少し頑張ってくださいまし」


 階段の軋む音がして参ります。八尺様が階段を上がっているのでございます――ムツミ様が勢いをつけて隣へ。壁を引っ掻く異音が耳を削ります。

「こんなのっ。こんなの無理よ……こあい。もう無理っ。一歩も動けない。うごけないよ」

「メメ様ッ」

 辺りを見回し、椅子や本で階段を作ります。躊躇うメメ様を抱き上げ勢いをつけ――壊れる階段を踏みしめ手すりを越えて――重い。

「マジかよ‼」

 手すりを飛び越え――足が……。手の内を離れたメメ様を姫結良様とムツミ様が受け止めて下さいました。衝撃が――手すりを越えられずお腹が手すりにぶつかってしまいます。何とか掴んだ手すり、握力ももう……古村崎さんと姫結良さんに引っ張り上げられます。

 力を振り絞り手で這いながら部屋の中へ――姫結良様が窓の鍵を閉め、カーテンを閉じます。一気に部屋が暗くなり。

「……明かりは無いの? こあいよ。ムスビ」

「今はやめとけ。てかてめぇ‼ 無茶すんじゃねーよ‼」

「そうよ‼ 死んだらどうするの⁉ ……姫結良、あんた無事だったのね」

「死ぬかと思ったわ。こんなこえーの二度とごめんだぜ」

「うぅ……」

「メメ様。大丈夫にございますか?」

「……なんでこんな事になってるの?」

 喉が、足が痛みます――隣の部屋、カーテンの向こうより破砕音が響きます。わたくし達を探しているのでしょうか。皆息を潜めてしまいます。


 足が痛く体は重いですが少々一階へと参ります。

「おい、何処行くんだよ」

「……少々一階の冷蔵庫を漁って参ります」

「マジかよ。オレも行くわ」

「姫結良様、体が弱っておいででしょう。それに何かあった時に一人の方が逃げられますから」

「てめぇ、なかなか根性あるじゃねーか」

 部屋の外へと参ります――視界が暗いですが手探りで進みます。

 なるべく音を立てたくはないのですが、ギシギシと音がなってしまいます。視界が暗闇に慣れて参りました。恐怖が体を支配しております。妄想が脳裏を過るのでございます。この暗がりから老婆が縋って来るのでは。襲われるのでは。そのような妄想で全身の産毛が逆立っております。


 一階へと降り立ちました――明かりがございます。テレビの砂嵐の音。誰かがいるのかと視界を巡らせておりますが誰もおりません。テーブルの上にはマッチ。火を扱うのは躊躇われますね。箪笥を開閉致しますが、役に立ちそうなものは見当たりません。

 台所――水道水は。静かに蛇口を捻りますとヘドロのような水が滴り落ちて参ります。これは飲めそうにございません。冷蔵庫を開きます。駆動音――スポーツドリンクが二本と炭酸飲料三本がございます。抱えて引き揚げます。

 影が差し込み動きが止まってしまいます。帽子の影――触れられて瞳孔が。

「動かないで。静かに。マッチと蝋燭があったわ。引き揚げましょう」

 古村崎さんですか。


 蝋燭の明かりが階段を照らしております――階段には色々な絵が張られておりました。子供が書いたようなそんな絵にございます。温かみと申しますよりは……。

「不気味な絵よね」

「そうですね」

 部屋へと戻って参りました。

「マジ心配になるから簡便しろよ」

 姫結良様が心配して下さいました。

「メメ様。飲み物です」

「……ありがとう」

 蝋燭の火に揺られ、部屋の様相がわかります。ベッドに本棚、机、子供部屋にございましょうか。部屋一面に貼られた絵は……それに気付いて皆息を飲みます。メメ様が強く体を密着させて参ります。


 玄関の開く音が響きます――息を飲み視線を絡めます。

 姫結良様が部屋の鍵をかけようと――ムツミ様が静止致します。

「鍵を掛ければ中にいると言っているようなものだわ……」

「でもよぉ」

「いいから」

 フッと蝋燭の火を消します。刹那漂うニオイはどうしようもございませんね。


 一階を徘徊するような足音、円状に部屋を回っているようにございます。押し入れの戸を引いて中へメメ様を誘導致します。押し入れには布団がございました。少々カビ臭さが漂っておりますが我慢するしかございません。

 ギシッギシッと階段を上がる音が耳に響いて参ります。

「こえええええええええ」

 姫結良様も古村崎様も押し入れに避難して参りました。襖の戸を少しだけ開き。

「動かないで」


 隣の部屋の扉が開く音が致します――どう考えても真っ当な人間の足音とは考えられません。しばらく徘徊するような音――メメ様が耳を塞ぎ瞼をぎゅっと閉じておられます。

 中の布団を襖の方へと押しやり、万が一開かれても布団によりこちらが見えないように細工を致します。四人かたまっております。

 大変申し上げにくいのですが、ムツミ様の胸とメメ様の胸、足には姫結良様の胸が当たっております。

「……ごめん。狭いけど我慢して」

「……構いませんが」

「シッ‼」


 ドアノブが回る音――何かが部屋の中へと入って参りました。緊張が最大へと引き上がります。メメ様が強く抱き付いて参ります。

 何かが部屋の中を徘徊しております。円状に足音が響いてゆくのがわかります。かなりのストレスにございます。

 不意に押し入れの前で足音が止まりました――ズズズッと押し入れの扉が開いて参ります。ゴクリと唾を呑みそうで押さえ込みます。


 隙間から真っ黒な足がご覧になられておりました。黒いと申しますよりは灼けていると申した方が良いかもしれません。灼けて炭化した肌と申しますか。この暗い中でもその爛れた肌がはっきりと視認出来てしまいます。肉の焼けるニオイがその煙と共に漂って参りました。それよりもはるかに焦げ臭い。

「ウァアアアアアアアアアアアアア」

 瞳孔が開きます――空気を振動させる雄叫びのようにございます。ビクリッとメメ様の体が痙攣しております。メメ様の口に手を当てて塞ぎます。


 足が動きます。離れるようです。二、三度部屋の中を回り、部屋の外へと出てゆきました。まだ油断はできません。皆さん限界のご様子。わたしも動けませんでした。

 ひとまずと三人の安堵の息が聞こえて参ります。

 さすがに喉が渇きました――飲み物をと。メメ様が離してくれません。

 二人が緩慢に警戒しながら襖から身を乗り出します。

「メメ様」

「もうやだぁ……こあい。お尻触られたし、お漏らし見られたし。もうやだぁ」

 もう少しです。もう少しでこの恐怖から解放されるはずです。頭をよしよしと撫でさせて頂きます。

「大丈夫ですよ。大丈夫です。メメ様はお強い方です」

 見上げたメメ様は涙目にございました。

「お強くあって下さい。辛い時はわたくし達が傍にございます。メメ様。太陽のようにあって下さい。どうかどうか真っすぐなお天道様であらせられて下さい」

「よくわかんないよ」

「申し訳ございません。よしよーし。よしよし……いい子ですね」

「……ムスビは、お尻触ったんだから、責任取ってね」

 うっうーん。何の責任にございましょうか。

「……ムスビは、お漏らしも見たんだからね。ダメだからね」

 お可愛らしいですね。

「絶対だからね。約束だからね」

 何でしょうか意識が――重く、暗く、自分が、正気なのかどうかすら疑わしい精神の目まぐるしさに歪みます。己が。


 何時の間にか気を失ってしまったようにございます。

 次に瞼を開きますと――そこは見慣れた部屋の中にございました。

 母と妹がわたくしに寄り添っておられます。安堵と深く息を吐き、お二人の寝顔とその頬に手の甲を当てて触れてしまいます。

 何でございましょうか。わたくしは変な汗を纏っておりました。

 それが嫌で一刻も早く拭いたいと洗面所へと参ります――歩いておりますと脳裏を流れ記憶として存在しております先ほどまでのあれらが、現実だったのかそれとも夢だったのか、それとも現在も進行している現象なのか境界が曖昧で境目を見定められません。

 足の裏が地面に触れる感触と戸に触れる指先だけがリアルを脳へと伝えて参ります。

 到着した洗面所。

 視界に入りました鏡――顔には黒ずんだ手形がございました。鏡を袖で拭っても落ちません。何か炭のようなものが全身に纏わりついております。メメ様の身を案じずにはいられません。

 焦げ臭い。

 肉の焼けるニオイよりもはるかに焦げ臭い――それは湯気のようにわたくしへと纏わりついておられました。

 僅かに立ち込めるその煙とその煙から立ち昇るそのニオイ――緩慢に視界の中を流れて漂います。

 第六夜――どうやらなんとかクリアできたようにございます。しかしながら、本当にクリアできたのか、境が曖昧で不安が拭えません。

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