『魔の気配』


『しゃんとしろ……と言いたいところなんじゃがのぅ……』



傍ら歩く男の――、その軽妙な足取りと定まらない視線に苦言を呈したい灰火だったが……。

歩く度、腰に留め置いた生首が揺れる様を見て、中途半端な呟きしか出てこない。



『貴様からも何か言ってやれ』



炯と灰火の後方で無言を貫く瞳が光る。


間を空けてついてくる赤毛の偉丈夫――キジュトゥ。

自然体で歩くも右手には常に大剣を握り込み、前方を歩く背に闘志を、揺れる生首に憐憫に似た何かを抱き続けている。

臨戦態勢……だが、これでも落ち着いた方だ。

少し前まで、振り下ろすこと叶わない剣を時偶振り上げまた静かに下ろすという、こちらの中途半端もなかなかのものだった。


街道に差し掛かった折その様も落ち着きを見せたが、人通りが増えたことと、そも全員の出で立ちが目を引くものだったために、あちらこちらからの好奇の視線に晒されることになる。


雑に編んで背へと垂らされた赤髪はその下地である筋骨へと視線を誘導し……。

端に燐火熾す九つの尾と銀の長髪は絶世の美貌を更に飾り立て……。

剣の腕に僅かでも覚えの在る者は、先頭を歩く生首携えた徒人に、訳も分からず畏怖を抱く。


西方都市国家ベルテンカより南、大渓谷ベルティートから帰還中の炯一行。


徒人の余暇をそれもまた良しと受け容れている炯は、戦の気配を探ることもせず、今この世界にこうして在ることを気ままに謳歌していた。

その気になれば背後の大剣とじゃれつくことも容易。蛮勇が勇気へと醸成していく様は何度も見れるほど偏在してはおらず、後に残す愉しみとしては極上の部類。


迎えにいく拵えの出来映えで以て指針を改めようと、今はそれだけを考えて歩を進めていたが……。



「――……」



歩みを止めたキジュトゥ。

落ちた視線に込められていたのは、遥か遠方で跳ねたの予感から来るものだった。


闘志の矛先が変わったのを受けて、灰火は遠見を、炯は戦の気配をそれぞれ探る。

地響きにも満たない小さな震え。頭蓋に響く乱れに乱れた理の波。凶兆の全てから見下ろされているかの様な胸騒ぎ。


――魔の気配。



「見てきたぞ炯。遠いが……西に暗雲が広がりつつあるようじゃ。

敵の多い少ないで今更何も変わらんじゃろうが、その剣では役不足であろう?街へ急ぐか?」



「……暫し待て。

キジュトゥ――」



容易に大剣の間合いに入り込んだ炯。



「これより吾とこの駄狐は西の暗雲を晴らしに向かう。

……案ずるな。貴様との契りは何も変わらぬ。

勇気を手にしたのなら剣の調べに耳を傾けよ。吾が身は彼の地にて猛っているであろうからな」



背を向けた炯は、未だに勇気とは何かの答えを出せないでいるキジュトゥに一言付け加える。



「守るための戦い――それこそが、亡くした心に真に暁を宿す。


覚えておくがいい。

そして思い出せ、吾が身に振り下ろした最初の一撃を……」



それだけ言い残し、風の様に消えていく。


――守るための……。


一人残されたキジュトゥは何を守れるのかを静かに考える。

そうした時、略奪の折に口にしたベルテンカ産の香る酒と香ばしい燻製肉の風味が語らいの記憶と共に蘇った。

輩との食事は満たすことに意義が無い腹に心地の良い重さを与えてくれた。


――亡くした物は守れない。ならばまだ在る物を守るまで。


気配の大元には魔の大群。

目線の先にはベルテンカ。


己の守るものを見定めたキジュトゥは大剣担ぎ駆けだす。

街道行く皆々は疾走する偉丈夫とその背で抜剣を待つ大剣に、まさかそれが我らを守るために振るわれようとは、この時はまだ思いもしなかった。



一方そのころ。

ギルド・アガーティアの地下工房では、運び込まれた物資の分解と再構築が終了したところだった。



「どうルブラン?そろそろ掴めてきたんじゃな~い?」



「おうよ。

これだけ物が揃ってりゃ傾向ってもんが見えてくる。

相性がいいのは木材、特にル・ホウ木だ。

まだいけるかリテーリアよ?」



「触媒が殆ど鉱物だからねぇ……変換効率は極端に落ちるし、正直魔力限界も近いわ~。

で~もっ、師であるわたしが真っ先に音を上げたんじゃ格好がつかないものね~。

気にせず好きなだけ注文しなさいな。


この身が朽ちようと、望むだけ創ってあげるわよ~」



「……おう、頼んだぜ」



――魔力限界なんてとうに超えてるだろうに……。


鉱物から合金まで、実に9128種類。

そこから更に天然物資を加えてル・ホウ木に辿り着くまでが約5000種。

質の向上を図るため元より倉庫にあった物資も再構築しなければならず、消費された莫大な魔力を示すが如くリテーリアの肢体を伝って汗が流れ落ちる。


……魔力の対価を払えなけりゃ、次に削るのは……。


容易に想像が付く犠牲を憂い、繊細宿す手は仕上げの速度を上げていく。


適度にしなり手に吸い付くような感触のル・ホウ木。

朱色に染まったその板材を削り出し、柄と鞘に――。

金と魔鉱の合金、魔力伝導率を極限にまで高めた茜宿す魔性金を鍔に――。

霊香宿す白銀鉱で装飾を、鞘に嵌め込み下緒と戦衣の調和を織りなす。



「ミシーラ糸で柄巻なんぞするもんじゃねえな、時間が掛かってイライラして最高に愉しいぜぇ……。


……っと、フォドン!

下緒と戦衣の仕立てに使った上の連中はどんな案配だ?」



「皆悲鳴を上げながらてんてこ舞い、といったところですが……。

下緒、戦衣、どちらも滞りなく作業中です。もう間もなく出来上がるでしょう」



――――カーン……カーン……カーン……。


鳴りだした警報は、街五つ分の距離を瞬く間に侵略しきった魔の証。

戦火――濁流となって押し寄せる魔の大群は、今や誰にも聞こえる地響きとなり、砂塵を吸った暗雲が日差しを遮る。


ベルテンカ西門の守りを固めだした衛兵や騎士だったが……。

護国に燃ゆる力強いその足取りは、魔の先頭を走るを見て止まり果てる。


――血と泥に塗れた白金の体毛。

――駆ける足を羽ばたかせる翼。

――唄うように詠唱を綴る兇尾。


――白金の魔獣王エルドアレーヴェ。


その群れが示す咆哮は、人界の終わりを告げていた。

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語り継がれる詩《ウタ》 アルエルア=アルファール @Alela_Alfal

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