白昼夢
懐かしい高校時代の夢につられてか、首元がむずむずと痒くなった。
高校二年の最後から始まった大雅さんとの関係は、よく小さな赤い花びらを首筋に残していた。
彼氏がいるのによくないよ、そんな正論は、当時の私に効く口撃でもなんでもなかった。思春期を拗らせた女子高生は、無敵だ。
キスマークを残したまま登校するほど承認欲求が高くなかった私は、毎回行為を済ませて帰ると、ベッドに腰掛け、絆創膏を目立たないように貼り、その上からコンシーラーを塗りたくっていた。繰り返し同じような箇所に貼られる絆創膏に、耐性は下がり、いつしか痒みを伴い、余計に赤く残るようになった。
頭の中に流れ出した唐突なその記憶に、首を掻く。
ああ、キスマークにいい思い出なんか無かったのに。なんで今になって、相手からの独占欲を欲しているんだろう。
目に見える形が欲しくなっているんだろうか。
「愛彩?」
急に首を掻き始めた私を、心配そう、よりは不審げに彼が覗き込んでくる。
「なに?」
「痒いの?かゆみ止めいる?」
「いらない」
焦点をテレビに合わせたまま冷たく言い放った言葉に、ハッとして「ありがと、大丈夫だから」と付け加える。
痒くなんてない、思い出がそこに浮かび上がってくるような気がした。杞憂を搔き消すための抗不安行動。
「ごめんね、冷たい言い方しちゃった」
「それな」
媚びるように、同じベッドにするりと入り込んだ。彼の腕が胸に回される。
このまま服に手が入り込めば、彼なりの「今日どうですか確認」だ。
拒むことだってできるが、何せ私もまだ齢二〇歳。せめてもの自分の理性すら抑えて拒む理由は、月の物が来た時くらいなのだから仕方ない。
私が首を掻く理由を知っているのだろうか。知るわけない。分かっていても、もしかしたらという疑念が拭い切れなくなるくらいに、今日は激しく求められた。
「苦しいよ、」
首に掛けられた、彼の私よりも少し小さな手が締め付けを強め、反射で言葉が出た。
「苦しいの好きじゃん」
「ん、」
なんでだろうね、好き「だった」行為の流れに、快感と同じ量の苦痛を感じ始めたのは。
その日は抵抗の少ない私に、理性が早く飛んだのか、それとも元々そんなものはなかったのか、三十分と経たずに終わった。
「真昼間からこんなことしたら眠くなる」
下着を身に着けながら、恨めしさを込めた視線を彼に送る。
恨めしさなんてものはただのオブラート。心の中には、冷めきった感情のようなものが立ち込めていて、そんな部分を見たくないのは、感じたくないのは私もそうだったから。
多分彼も見たくないと思うから。
言い訳をできるだけ卓に並べて、ジョーカーはスカートの内側に隠した。
「ごめんって。なんか我慢できなかった」
「いいけどさあ」
いいけどさ。「つい可愛くて」とか「なんかエロかったから」とか、私がときめく枕詞は常備してないわけ?
なんて我儘は今更、喉元の関門を通してやれない。我儘じゃないけどね、耳元で私に甘い男が囁いたような気がした。
案の定、うっすらと眠気に誘われていく私を、煩過ぎる着信音が引き戻した。
寝ようとしてたんだけど、と靄掛かった意識で表示される名前を見る。
〈ひなた〉
あれ、今日何曜だ。月曜日の表記される画面に、やはり頭の中でインタロゲーションマークが駆け回る。
表示され続ける中学時代の親友の名前に、本能的に違和感が沸き上がる。仕事が平日休みだなんて聞いていない。ましてや、そこそこ厳しいと聞いている職場だ。
「出らんの?」
同じ睡魔におそらく手を引かれていた彼が、長い着信音に痺れを切らして言った。
「間違いかも」
「こんな長々と?」
確かに、と思い、電話に出て耳にスマホを充てる。
「もしもし、ひなた?どうしたの?仕事は?」
電波は悪くない。なのに開いた少し長い気がする間に、ぶわっと不安が押し寄せた。
「愛彩」
「なに?」
「稜のこと、聞いてる?」
「いや」
「昨日の夜、部屋で自殺してたのが、見つかってさ、うん、と」
「は?」
「稜が、死んだ」
あるんだな、これ。力が思わず抜けきって、握力がスマホの重さすら支えられなくなり、落としてしまう演技みたいな現象。
ドラマで見るたび、わざとらしすぎるだろ、なんて毎度思っていたのに。
わざとらしいほどに、太陽がカーテンの隙間から光を入れている。わざとらしく顔が引き攣った。慌ててスマホを取り、涙も流さず淡々と事実を聞き取る自分すら、わざとらしい演者に思えた。
白昼夢だろ、どうせ。そう思うことにした。
そしたら本当に夢でした、なんて夢を見た。馬鹿馬鹿しく、稜は同じ世界にもういなかった。
神様どうかこの人を 倉予 入琉 @nonnames
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