燦然と切り抜かれた私的

ネコロイド

燦然と切り抜かれた私的

 日々の生活の中で自分だけを切り抜いた風景を見つけたことはあるだろうか?


キッチンの椅子を見つめてそう言えるなら、あなたは立派な地縛霊になれるだろ。大半の人は自分のお気に入りの場所から自身の姿を切り抜くなんてことはしないし考えない、私もそうだ。


出来たとしても恐らくは、ぼんやりとイメージした『キワもハキッリとしない自分』を切り抜く事が常。この男も例外ではない、いや『多少深く切りこみ過ぎるくらいで丁度いい』とシャープにくり貫く事が癖になって染み着いている節がみられる。


だからなのだろう主観的に見て、腹の形がそれでは収まらない、足が長過ぎだよ、鼻が高いな、『誰だよ?(笑)』って呟きながらいつだって無理やりソコに上手く収めてしまう。まるでピカソの絵と比較しても遜色がないくらいに抽象的な仕上りをみせるほどだ。


「でもね、不思議とそれはそれで上手くいくんだ」

少なくとも本人はそう言っている。ソレを客観視する人たちがこの男を傷つけまいと、概ね適当な賞賛を浴びせて妙な勘違いをさせているからに違いない。


そうでなければ嫌でも額縁に入れたくなるなんて本気で思わない筈だ。


カタチがハッキリしないと燦然としない。


そう、いつだって自認と視認が入り交じりより良く自分を加工してしまう。無加工の人なんてこの世には生まれたての赤ちゃんくらいしかいない。


「でもね、いつだったかこんな事があったんだ」

この男の話しを聞いてみよう。


「観光地で履き物を脱いで上がらなきゃいけない所があって沢山脱がれたソレ等が所狭しと並んでた。大体こういう場面では左の端っこに置くんだよ」

習慣というより習性というやつだろう。


観覧して帰ってきたら全く同じ履き物があったそうだ、しかも丁寧に上下に並べて。


「まぁ驚いたね」

そこに置いた他人は自分で置いたのだから上に置いたか下に置いたか分かっている筈だ、何ならこの男の履き物を目印に置いたまである。


「だけど不思議なもので足を突っ込んでみたら何か違う、違和感を感じるんだよ。もう一方に突っ込んでみたんだ、そりゃもうしっくりときたね。例え違ったとしてもこれがオレのだよ、懐かしさとかをつま先や土踏まずに感じるのさ」


大げさではあるが人生とはこんな時にそこから切り抜かれた自分の姿を発見するものなかもしれない。


「履き違えたとしても気にしなくたって構やしない。どうせ受付で渡されたスリッパなのだから」

この男そのものである。

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