巫女シリーズ ~東の巫女が死んだ~

江都なんか

東の巫女が死んだ


 レオンは今日も屋敷を抜け出して、社へと向かう。田舎と馬鹿にされがちだが、裏を返せば自然豊かな東方の山の中を駆ける。山の中に社はある。社の白い階段が見えてきたので、数段飛ばしで駆け上がる。階段の頂上まで行くと今日も白メッシュが入った艶やかな黒髪の幼い少女が、落ち葉の掃き掃除をしていた。


「よっ、クソババア」

「また貴方ですか……」


 はあ、と少女はため息をつく。この少女の名はシノという。白髪交じりの黒髪が老人みたいだとレオンに毎回揶揄われていた。


「ニケは今どこにいるんだ?」

「ニケ“さん“です、あのお方は一応年上なので呼び捨てにするのは失礼ですよ」

「お前、俺を誰だと思ってんだよ? あの、イースト家の息子だぜ?立場的に上下はないっつーの」

「イースト家のご子息がこれだなんて……頭痛いです」

「大体、対等な立場でも礼儀を払った言葉遣いをすることは大切で……」とシノが説教を始めたので、レオンは右から左へとシノの言葉を流す。いつもこうなのだ。それに、シノは言葉遣い自体は丁寧かもしれないが、こちらを「見下しています」と態度の節々ににじみ出ているので上からものを言える立場ではないと、レオンは思った。


「やあ、少年。また脱走してきたの?」


 その声に、ぴくりとレオンの耳は動いた。レオンとシノ、二人の子供の表情が明るくなった。その先にいるのは、二人よりもうんと背丈の高い妙齢の女性だった。彼女が「ニケ」で、イースト家と契約を結んでいる東の巫女で、レオンの初恋の相手である。


「あ! ニ、ニケ」

「御師(おし)様、お疲れ様です」

「いやー、今日も奉納頑張ったわ」


 シノがレオンの言葉を遮った。二人の間に火花が飛んだ。


「今日頑張ったから、自分へのご褒美をあげるべきよねー」


 ニケはいつもなんだかんだそう言って理由をつけて、毎日甘味を口にしていた。管理を任され家計に厳しいシノも、甘味関連の出費には目を瞑っていた。だって甘味は人を幸せな気分にするんだもん。


「二人も一緒に食べましょう」

「やったぜ」


 今日のおやつは三色団子だった。緑茶とともにいただく。

 レオンはイースト家という、この世界で四大家と呼ばれるやんごとなき家柄に生まれ落ちた三男であった。三男であることにコンプレックスはない。跡継ぎとされる長男やその右腕となることを期待されている次男の受けている英才教育のスパルタっぷりを間近で見ているからである。それに比べれば、上の男子と比べて重圧がない自分の受けている教育なんて、三日に一回は脱走できるレベルで甘かった。

 イースト家は何をしているかというと、とにかく歴史があってえらくて、東の巫女と協力してこの世を治めているのである。まともに勉強していないレオンはこの程度の説明しかできない。ちなみに巫女はあと、西の巫女と南の巫女、北の巫女がいて、さらに一番巫女の中でえらい中央の巫女がいるらしい。

 そんな巫女は、霊術という不思議な力を操る。そして、次世代の巫女を教育するのだ。その次世代の巫女候補を継子(つぐこ)と呼ぶ。シノはニケの継子であった。

 レオンはニケをちらりと盗み見る。ぱっちりとした双眼に、右目の下に二連の涼やかな印象を与えるほくろ、すっと通った鼻筋に愛情深さを感じさせる厚めの唇、そして何よりもさらさらとした長くて濡れ羽色の髪。大人っぽさと少女のような可憐さの奇跡的なバランスが彼女にはあった。そして、ニケの持つ銀色の虹彩はとても綺麗だ。


 ニケはこちらの視線に気が付いて、いたずらっぽく目を細めて笑う。レオンは気恥ずかしくなってぱっと目を逸らした。


 レオンはその日もいつも通り、日が暮れたので屋敷に帰って、教育係からお小言をもらった。




 「ごちそうさま」と、シノとニケは手を合わせた。縁側に続く障子の奥には、すっかり夜帳が落ちている。食器を洗いもの用の桶に張った水の中に沈めると、シノはニケに問うた。


「御師様って、あいつのことどう思っているんですか?」

「あいつって?」

「レオンですよ」

「うーん、かわいいなあって」

「……私の方がかわいいですよ」

「知ってるう~」

 

 ニケはシノのつむじを優しく撫でた。一日二回の霊術の修業の一回目は早朝に行われる。本日二回目の霊術の鍛錬をした後は、今日も一緒に風呂に入る。それで、同じ部屋に布団を敷いて眠るのだ。


 ニケは、苦しそうな少女の呼吸音で目が覚める。隣を見ると、シノが自分の体を抱きしめて蹲っていた。シノ、と呼びかけても届いている様子はない。目からはらはらと涙を流し、瞳孔を極限まで開いた彼女は自分の世界に入っている。

「シノ」

 もっと強く呼びかけて、シノを抱きしめるとだんだん落ち着いてきた。ぐすりと鼻をすする音が静かな部屋の中で響いた。この少女は、たまにこうなる。


 ニケは第八十五代目の東の巫女だ。先代は、例の儀式で現中央の巫女に目の前で殺された。そんな憎き仇兼上司に、着任二年目に押し付けられたのがシノだった。本来北の巫女の継子だったが、「北の巫女としての適正が無かった」のだという。

そして東の課題点として巫女の後継者問題というものがある。東はなかなか適正を持ったものが現れにくいのだ。つまりシノは、次期北の巫女としては落第生だったが、次期東の巫女としては及第点だった。

ニケとしては煩わしいだけだったが、シノの震える小さい手を握った瞬間、そんな考えはどこかに飛び去った。


 ニケは考える。どうしたら、シノのつらい過去を幸せな今で上塗りできるのか。北の巫女の教育方法は、「犠牲者を出してなんぼ」なのだという。西も東も南も、基本的に先代から愛を注がれる環境だが、北はとにかく温もりがないと聞く。シノから、北でなにをされたのかを話されたことはない。禁忌の話題なのである。


「シノ。お出かけしよっか」




 レオンは今日も屋敷を抜け出して社を目指した。しかしそこは、もぬけの殻だった。

「ちぇ、なんでいないんだよ」

 石畳の階段に座り込んでいると、遠くから大人の女と小さい子供がやってくるのが見えた。


「あら、待ってたの? お待たせ」


 その二人は、ニケとシノだった。ニケとシノの格好は、いつもと違っていた。二人はいつもなら巫女専用の白装束を着ているはずなのである。だが今日は違った。


 太もも。


 いつもならロングスカートに隠された、ニケの程よい肉付きの健康的な生足が冒険者が着用するようなショートパンツによって晒されていた。レオンの視線はそこに釘付けになる。


「……スケベ野郎」


 シノが心底軽蔑したような声を出してそう言ったので、弾かれるようにニケの太ももから目を離す代わりに、シノを見た。可愛らしい白いワンピースに、淡い色合いのストローハットを被っていた。これもニケが選んだのだろうか。

 レオンはなんだかいたたまれなくなって、話を逸らそうとした。


「……どこ行ってたんだよ」

「ちょっとお忍びでね。市場まで行ってた」


 「ねー?」と、ニケはシノの顔を覗き込んだ。シノは柔らかく笑って頷いた。




「……で、あんとき買ってもらったのがそれか」

「そうです」

「触らせろよ」

「嫌です」


 赤とんぼが描かれた美しいデザインの木製の櫛を、シノは両手で持ってレオンに見せびらかしていた。「あんとき」とは、数か月前のことである。

「もうすぐ、御師様の誕生日が来ます。あの方を喜ばせたいのです」

「俺も市場に行ったことなんてねえけど」

「頼れるのが貴方しかいないんですよ……」


 レオンは考える。ニケのことは超好きだ。シノも……まあ、好きだ。付き合ってやってもいいかもしれない。


 翌日、シノは悪い子になった。ニケとたった二人で回している社の雑用をほっぽり出して、レオンと街の市場まで行ったのだ。街、といっても歩いて数十分のところにそれはあった。中央や西と比べると鼻で笑われるレベルの規模である。


 レオンが家の図書室から持ち出した街の地図片手に、市場のある広場を歩く。二人であれでもない、これでもないと露店を見て回る。


 そして空が朱くなったころ、二人は社の在る場所に着いた。

 パン、という音が響く。


「どれだけ心配したと思ってるの」


 シノは初めて、ニケに叩かれた。右頬がじんわりと熱くなる。シノはショックで涙を浮かべ、泣き出した。

「あの、あふぇ、ええっう、もうしわけえっ、えっぐ、うえ……」

遅くなった理由を伝えようとするも、泣き声が漏れるせいで赤ん坊の喋る言語のようになっている。レオンはいつも澄ました顔のシノのそんな様子に驚いた。

 レオンも、こんなときどうすればいいのか分からずおろおろしていると、シノが懐から美しく包まれた小さな物を取り出し、ニケに差し出した。レオンはそれを見て言葉を紡ぐ。


「ニケ、シノはニケに喜んでほしかっただけなんだ。ほら、もうすぐニケの誕生日だろ、あんま怒らないでほしいんだ……」


 ニケはその言葉を聞いて、レオンと、シノの顔と掌を見つめる。そして、ぎゅっと強い力で抱きしめた。


「もう、勝手にどこにも行かないで」


 ニケがシノに囁くと、シノの抑えていた泣き声が大きくなった。

 ニケはその日から、化粧をするようになった。レオンは、あの翌日に鮮烈な紅色を口元につけたニケの姿を忘れられない。


 ニケは、東の巫女就任から十年目だった。

 レオンは真面目に勉強していなかったのであとで知ったことだが、巫女は他の人間と違って寿命がはっきりと定められているらしい。短い者で十年、長い者で二十年。

ニケはあまりにも短かった。

 酷い。運命ってやつは酷い。レオンは思った。

 なんであんなに愛情深くて、笑顔が可愛らしい人の命を持っていくんだ。


 父が、深刻な顔で家中の主要な大人を集めて会議をしている間、レオンは盗み聞きすることしかできなかった。

そういえば。

 あの、ニケのことが本当に好きなアイツはどうなってしまうのだろうか。

 一人になったシノを思い浮かべた。それはモノクロームで、善い光景には思えなくて。

 レオンは初めて、夜に屋敷を抜け出した。


 夜の山を駆ける。足元が見えにくくて、怖かったけれど、そんなことで躊躇っている場合じゃない。社の石畳の長い長い階段を、数段飛ばしで行く。


「シノ!」


 社の裏側にある、ニケとシノの思い出が詰まった小屋の扉を開ける。鍵は掛かってなかった。シノは、あの一緒に三人で三色団子を食べた居間に、ぺたんと魂が抜けたように座っていた。


 心のままに、レオンはシノを抱きしめた。


「お前は、一人じゃないから! 一人じゃない……」


 レオンは鼻と目から、ぐちゃぐちゃに水を流した。心細いであろうシノを安心させるために、とんとんと背を叩いた。


――ニケ。お前が愛したこいつを、絶対不幸にさせない。


「レオンさん……」


 シノはそっと、レオンの背に腕を回した。




 あれから数年がたった。あの夜から、レオンは心を入れ替えて勉学に励んだ。この世界の事が色々とわかってきた。


 まず、巫女とはこの地に流れる生命力――「霊力」と対話して人間が住みやすい環境を整える役目がある。一日一回、それを一時間。これを「奉納」と呼ぶ。東西南北に巫女がそれぞれ一人配置されるが、さらに素の状態では霊力が強すぎて人間の毒となる世界の霊力を深い所で調整し幹となる存在が必要で、その役割を中央の巫女が果たす。中央の巫女は、神に等しい存在である。


 しかし、この中央の巫女は四十年間しか不老不死でいられない。そこで、新しい中央の巫女が決まり、四十年後――中央の巫女の死後、さらに新たな中央の巫女の座を巡って(中央の巫女とは違って不老不死ではない)東西南北の巫女が殺しあいをするのである。各方角の四大家――イースト家、サウス家、ノース家、ウェスト家はその戦争の援助をする。そして、見事勝ち抜いた巫女には神に等しい中央の巫女の座を、それを援助した家はこの世界での覇権を握るのだ。この儀式――殺し合いはよく人々に「戦争」と呼ばれた。


 イースト家は、百二十年間負けっぱなしの家だということをレオンは初めて知ってショックだった。自分は結構えらいと思っていたが、前回の殺し合いを勝ち抜いた地方――ノース家には下手に出ないといけないらしい。


 ニケの先代は、第八十四代目の東の巫女は第八十四代目の北の巫女――現中央の巫女・リリーシャに殺された。ニケは生前、そんなことをレオンに教えてはくれなかった。だが、先代の東の巫女との思い出を語る時、彼女はとても優しく、懐かしそうな瞳をしてみせた。大事な存在だったのは変わりないだろう。

 そして、色素の薄い髪と全方角中一番白い肌は北方人の典型的な特徴であった。

つまりニケにとって、シノは仇と同じ血を引いていた。

 しかし、そんなシノをニケは真に愛していたようにレオンは思えた。


「よお」

「レオンさん、いらっしゃい。ちょうど今、奉納が終わったところです」


 レオンは、屋敷での課題を全て終わらせたあと社を訪ねた。シノは居住している小屋の中へとレオンを招いた。縁側へと案内し、「少しお待ちくだしさい」と言って台所の方へと消えていった。レオンは縁側に腰かけて、シノが茶を準備する物音を目を瞑って聞く。


 数分後、後ろからシノが「お待たせしました」と湯飲みを二つ置いたお盆を持ってやってきた。縁側にお盆をしゃがんで置き、お盆を隔ててシノとレオンは隣り合う。レオンはちらりと、湯飲みを手に取るふりをしてシノを盗み見る。


 彼女は綺麗になった。


 雪のように白くて清らかな肌の頬に、淡く桃色がさしている。腰まで伸びた白髪交じりの黒髪は艶やか、伏せた睫毛は筆が乗るように長い。湯飲みを持つ手は自分より華奢で、湯飲みにつけた口元は頬と同じ色合いで、鮮やかである。……黒目がちの、吸い込まれるような瞳と目が合った。


「スケベ野郎」といつぞやの幼い姿のシノが脳内で罵ってきたので、レオンは内心必死で幼い彼女に弁明する。

――別に、やらしい目で見ているわけじゃないから。兄目線で、親が子供の成長を喜ぶのと同じようなノリでそう思っただけだから。シノはただの妹分だしな、ニケとはちげえんだわ――




「なんです?」

「あー、いやあ」


 レオンは必死に目を泳がせて話題を考える。そういえば。


「俺、婚約することになったんだよ」


 そう言えば、シノはぱちくりと瞼を瞬かせた。嘘ではない、数日前親戚の女性と婚約することになった。彼女はレオンと歳が近く、西方の血が混じっていて金に近い茶髪が特徴的だった。名は確かキエラと言ったか。姿見と書類でしか彼女のことを知らないが、近日会う予定である。


「こんにゃく……?」

「婚約な。キエラっていう親戚の女とする」

「それしたらどうなるんですか」

「あー、どうなるんだろ。何も変わらないと思う」

「じゃあ、今まで通りじゃないですか」

「そうでもねえよ、周りにいずれ夫婦となる二人として認められるんだ。そしてゆくゆくは結婚して、子供作ることになる」


「ふうん」と、シノは手に持った湯飲みの中を覗き込んだ。




「レオン。キエラ嬢は『他の女の話を婚約者になる私に対して惚気るだなんて』とたいそうご立腹だ」


 キエラとの逢瀬後――と、いっても屋敷の庭を散歩しただけだが――、若くも当主になった長男と、傍らに控える次男のいる執務室に呼び出されて、レオンは冷や汗を流して目を泳がせた。

 ただ話が盛り上がったと思ったのはレオンの錯覚だったらしい。

 ことの始まりは、キエラに「東の巫女様とは面識がございまして?」と訊かれたことだ。

『はい、でもまあ、あいつは妹のようなものですよ』

 そこから、シノとのエピソードを面白おかしく沢山語り、この日の逢瀬は終わったのだが帰り際にキエラは兄たちにクレームを入れた。


「このお話は無かったことにしたい、だそうだ」


 結局、レオンの見合い話は破談となった。




 レオンは、社を訪ねるのが随分と久しぶりだと感じた。シノに「婚約することになった」と告げてから、なんとなくばつが悪かったのだ。前回湯飲みの中身を見つめてから顔をあげた時や、今回レオンを出迎えた時のシノの表情は硬かった。


 いつもの定位置、縁側に二人は湯飲みを乗せたお盆を隔てて座る。


「俺さ……フラれた。破談だって」

「……。……はあ」


 シノはあんぐりと口を開けた。表情の変化が戻ってきたと踏んだレオンは「慰めてくれよ」と、シクシクと嘘泣きをした。シノはレオンの背中をさする。


「まあ、レオンさんは魅力がないのです。もうどうしようもありませんね」

「ひでえぞ!」


 言い合うが、二人の表情はにこやかだった。

 シノはレオンのと関係性が変わることを危惧していたのだった。


 しかし、結局二人の関係は変わることを強いられた。


「シノ殿、この度はご足労いただき感謝する」


 巫女と四大家の定例会議の一週間前、イースト家の談話室で、長男と次男の座るソファとシノとレオンが座るソファは向かい合っていた。


「シノ殿とレオン……貴方達には、婚約してもらう」

「いやいやいや!」


 レオンは立ち上がった。


「おかしいだろ! そもそも巫女の結婚だなんて聞いたことないぞ!」

「ああ、ここ数百年は無いようだが、巫女の結婚は禁止されているわけじゃないし、昔は巫女と四大家の子息が結婚して関係を強めることもあったそうだ」

「どれくらい昔だよ……」

「それに、巫女の跡継ぎ問題もある。存じているとは思うが、東は巫女の適正者の分母が少ない。だが貴殿らに子女を作ってもらえれば話は早い」

「…………まじか」

「シノ殿は就任五年目だろう、そろそろ継子を迎えないとまずい」


 レオンはシノの反応を窺うが、ぱちくりと目を瞬かせただけだった。



 一週間後。中央協会本部、中央の大聖堂にて、東西南北の巫女と四大家の者が集った。

 会議の始まりは、荘厳な空気の中取り行われた。上から伸びる螺旋階段から、中央の巫女が下りてくる。  中央の巫女の証の、紅い布の巫女装束を纏いながら少女の風貌をした彼女――リリーシャは現れた。白く長い髪と、雪のような肌、それらと同色の睫毛に伏せられた瞳は身にまとった赤装束と同じぐらい赤い。

 この場にいる全員が、彼女に対して頭を下げる。

「顔をあげなさい」

 皆、伏せた頭をあげる。

「今年も寒くなってきたわね。まあ、霊力の操作……「奉納」をきちんとやっていれば凍え死ぬことはないでしょうけど。……史歴1925年度の定例会議を始めます」


 会議の内容はいつも通りだった。街道の魔物――霊力の余剰から生まれた怪物である。巫女の働きかけにより完全に0にすることはできないが、減らすことはできる――の動向だとか、各方角の街の治安だとか。


 会議は数時間ほどで終わり、日が暮れた頃打ち上げの立食パーティが始まった。これは毎回、腹の探り合いや嫌味の応酬が各家の当主の間で行われる。が、三男のレオンには関係のないことだ。ちびちびと端で酒でも飲んでいよう……と思った。

 シノは、南の巫女に捕まっていた。浅黒い肌――南方人の肌は白くなく、日の光を避けている者の肌も黄味がかっている――に、くすんだ金髪の少女だった。遠くでは話し声が聞こえないし、シノは親しい者以外には表情の変化をそんなに見せないので、どんな話題を語らっているのかわからない。

 ふとレオンは改めて、シノが自分と結婚することになるという事実が不思議に思えた。「どうしてこうなった」と頭が沸騰しそうになったので、バルコニーに出て夜風で頭を冷やすことにする。


「ねえ、お隣いいかしら?」


 レオンはななめ右から声を掛けられた。見ると、ブルネットの髪を束ねた美女が立っていた。肩を出しているがフォーマルさを失わない詰襟とひざ丈のプリーツスカート、二の腕から手首を隠すアッシュグレーの羽織が特徴的な――灰色の巫女装束を着た女だ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 彼女は、西の巫女だ。巫女装束は、方角によってデザインが違う。今隣にいる女の灰色装束が西の巫女、見慣れた白装束が東の巫女、厚い布地の黒装束が北の巫女、涼し気な緑装束が南の巫女であり、リリーシャが来ていた華やかな赤装束は中央の巫女のみが着る。継子たちも、同様にそれぞれの方角の先代と同じデザインの装束を纏う。中央だけは例外であり、継子をとらない。


「定例会議って、わざわざ中央まで行かなきゃいけないし面倒よね。ま、労いの美食美酒があるのは良い事だけれど」


 そう言って、西の巫女は片手に持ったグラスを口につける。


「はあ」

「そういえば、ご存じ? イースト家のご子息が東の巫女と婚約したんですって」

「それは……本当ですか」


 レオンは兄の言葉を思いかえす。

 

『レオン、シノ殿、この婚約は重大機密だ。なにせ方角の家の子息と巫女の結婚は歴史を経るにつれタブーとされてきた。実際にはそんな決まりはないのだが、暗黙の了解だ。貴殿らを無用な攻撃の的にしたくない。定例会議後にある祭りまでの間に諸々を済ませる。婚約発表は祭り当日で、その日のうちに結婚まで済ませてしまう。いいな?』


――お兄様、西の巫女殿になぜか機密情報が洩れているぜ……?!――


「ほんとほんと、女の勘が言っているわ」


 なんだ酔っ払いの戯言かと、レオンは肩の力を抜いた。


「いいわよね、私なんて毎日の奉納に加えて五人もいる継子のお守りよ。男との出会いを求めても、巫女ってだけで敬遠されるし。しかも、ウェスト家のじじい共が『巫女としての純白性が』『イメージが』ってうるさいのよ。知ったこっちゃないっての、私はお前らのアイドルじゃねえんだわ」


 ぐちぐちと言ったあと、西の巫女は酒を呷った。そして、ふ、と彼女は息を吐いてレオンの頬に触れた。


「あなた……結構男前じゃない、そうだわ、この後一緒に抜け出さない?」

「え?」


 彼女のもう片方の手が、グラスを中指に挟みレオンの手に触れてくる。

 色っぽい仕草に己でも自覚せず、レオンはごくりと唾を飲んだ。

 そのとき。

「あっ、見つけましたよ御師様!」


 西の巫女とレオンは振り向くと、そこには五人の灰色の巫女装束を着た幼い少女と、白装束の美少女がいた。

――あ、シノ……――


「こんなところにいたのね!」

「酔っ払い! めちゃくちゃ探したんだから!」

「げ」

「何していたんですか!」

「ああ、もーこんなに飲んで……」

「ううっさいガキども! 久々の美酒よ、美酒! ハメ外したっていいじゃない!」


 わらわらと、子供たちが西の巫女の足元に集い、手を引いて部屋の内側へと連れ去っていく。残されたシノとレオンの間には、沈黙が流れた。シノは、左下に視線を向けて口をへの字に曲げていた。


「ごめん、浮気じゃなかったんだ、本当だ、彼女が勝手に。俺がシノと婚約しているって知らなかったみたいで」


 シノは、視線をあげてレオンの顔を見た。シノの顔は寂しそうだった。レオンは、「こんなセリフじゃ本当に浮気したやつみたいじゃないか」と思いながらも、シノの手を握る。


「そ、そうだっ、婚約指輪……婚約指輪を買いに行こう! そうすればもう今回みたいに間違えられることはないだろう?」


 そう言ってレオンは、己の指でシノの薬指を包み込んだ。


 ――そうして、後日二人は婚約指輪を買いに東の街に繰り出すことになったのだった。

 当日レオンは、東の街に赴く前に社までシノを向かいに行った。

「レオンさん、お待たせしました」

「お、おお……」


 落ち着いた色合いのワンピースを身にまとって、彼女は石畳の長い階段を下ってきた。「綺麗だよ」とは言ってやらない。恥ずかしいので。


 シノとレオンは並んで歩き、良い婚約指輪を探し店を回ったが決まらず、休憩として広場のベンチに座り近くの露店で買ってきた三色団子を口に含んだ。


「……! 美味しいです」


 ぱあっと、シノは表情を輝かせる。そういえば、二人で甘味を食するのは久しぶりだとレオンは思った。ニケが死んで以来、二人で茶を飲むことがあっても、自然と共に――社で茶を嗜むときなど――甘いものを口にしなくなったのだ。


「久々だよな」

「…………そうですね、久しぶりに食べました。甘味が人を幸せにするという言葉も納得できます」


 彼女の口の中に、パステルカラーの団子が引っ張られ形を変えながら消えていくのを見送りながらレオンも同じように団子を齧った。二人は休憩を終えてベンチを発つ。

 そもそも、良い指輪とはなんだ。色か? 形か?ふと、ある露店の店先に置いてあった指輪が目に留まった。

 蝶々を模した銀に、細かい青色の宝石が点々とはまっている。蝶々の青い輝きが点々とある銀色の羽の彫られ方を見るに、素晴らしい技術の産物だと一目でわかった。


「シノ、これ似合うんじゃないか?」


 露天商から指輪を試着させてもらい、シノはその指輪をつけた指を太陽に翳した。きらきらと輝く宝石と同じように、シノの瞳もきらめいていた。


「これにします」


 店主に代金を払ったあと、シノを社の前まで送った。どうでもいい話をぽつりぽつりとしているうちに、騒々しい街の大通りを抜け、門をくぐり視界の端に木々が増えていき、石畳の階段の前までたどり着く。


「私は、気づいてしまったのです」


 急に、彼女は言った。レオンはシノを見る。

 シノはレオンの顔を覗き込み、ブラックホールのように、自然と吸い込まれるその瞳を潤ませて告げた。


「あなたが私以外の人を、隣に置くのが気に入らない」


 シノは、つま先を伸ばして、触れる。口と口を、軽く合わせただけだった。レオンの思考が止まる。シノの唇が離れてから、思考を止めていた時間を取り返すようにぎゅるりとレオンの脳みそは高速で回転する。


 ――え、なに、こいつ、妹分を気取っていたんじゃなかったのかよ。俺の努力は一体なんだったんだ。というか、やはり、やはり? 嫉妬していたのか? 先日の西の巫女と一緒にいた件だよな? 親愛的なアレじゃなかったのか? 兄みたいな存在の俺がとられて寂しかったわけじゃないのか? とっさに「婚約指輪」なんて言ってしまったけれど、この展開がショックだということは、婚約者という関係になっても、俺はシノとそういう、男女の関係になることを完全に違和感なく受け入れていたわけではなかったのか――


 そうこうしているうちに、シノは階段を駆け上って去っていった。レオンは屋敷に帰ってからも衝撃過ぎてぐるぐると、口づけの意味を考えていた。夕食の味がわからなかった。

 シノの真意、己の想い、巫女とイースト家の子息の立場、今までの関係性……それが、寝る間際になっても螺旋状に渦巻いていた。螺旋は、やはり、最終的に、とある結論に辿り着いた。


 シノはレオンと男女の関係になっても良いと思っているし、それはレオン側も然り。


 そのはちきれそうな事実にレオンは頭を抱えて、入眠した。


 それから三日間、レオンはシノに会いに行く気になれなかった。


 三日後、一か月後の祭に向けて東の街は祭の準備へと動き出した。巫女はいつもの「奉納」に加え、街のパレードで踊る舞の練習が加わり忙しい。町人は、その祭りの装飾、衣装、巫女の舞の前座の踊りなどのサポートをする。町内会本部の一室、装飾班の会議所で、レオンは一身に町人の視線を集めていた。

「どうも、イースト家から派遣される今年の装飾班の監督者・レオンだ。以後よろしく頼む」


 ひそひそと、会議部屋の隅からどこともなく囁き声が聞こえてくる。


「イースト家のご子息じゃねえか」

「例年はもっと、監督役と言えば使用人が派遣されていたよな」

「これもあの噂と関係あるのでは……?」


 遡ること二日前、レオンは兄たちに巫女と関わりの深い祭りの準備にかかわることを強制された。これも巫女の婚約者としての務めだそうだ。しかし、指輪を選びに行った帰りの出来事によりシノとどう顔を突き合せればいいのかわからないレオンにとって、それは幸いだった。あのことを思い出して、脳内がエラーを起こすのであの二対の青い蝶の指輪は自室の棚の中に閉まってある。

 シノと婚約していることはまだ町人には公表していないのだが、なぜだか噂になっているらしい。おかしい、先日の婚約指輪選びはお忍びとして行ったはずなのだが。あの露天商の口から噂が広まったのか。こほん、とレオンは咳払いすると、ぴたりと囁き声は止まる。


「では、街全体の装飾のコンセプトから考えていこうと思う。何か意見はあるか?」


 憂鬱だ。レオンの口からはついため息が漏れ出てしまう。

――どうせ皆、イースト家のご子息様であるこの俺に忖度し、俺が何か意見を出さないと永遠にこの会議は終わらないのだろう。まいったな、適当に考えておこう――


「ここは花はどうだろう、華がある」

「いや、獣などどうだ? 斬新でかっこよくてロマンがあって良い。獣をかたどったオブジェとか置かせたいな」

「木を推薦する」

「蝶は雅で華やかだ。どう?」

「ここ最近十年の中で、祭りのコンセプトとして採用されているのは……」

「皆もっと思考を自由にするべきだ、なにも具体的なシンボルをコンセプトにしなくてもいい、もっと抽象的な……」


 しかし、レオンの予想に反して、町人たちはレオンに忖度も遠慮もせずに各々の意見を述べて議論を白熱させた。もうかれこれ六時間になる。レオンは、壁にかかった黒板にチョークで彼らの意見を書くが、目が死んでいた。レオンの予想通りだったら、どんなに楽だったか。


「レオン殿はどう思う?」


 がやがやしていた会議室が、その声の持ち主が言葉を発した瞬間、しんと静まる。レオンが振り返ると、そこには貫禄のあるご老人が椅子に腰かけていた。只者ではない、カリスマの持ち主だ。


 レオンは頬を掻いて答える。

「俺は……別にいい感じならなんでも。多数派に合わせる」

「なっとらんな」


 老人は唾を吐くように答えた。


「ワシらはこの街が好きだ。年に一度の、人々が熱狂する楽しいイベントだ。それにこの行事は先一年の霊力の対話のしやすささえも変えてしまうという。人々の喜びが大きいほど、対話がしやすくなる。わかるか? 我々の生活にこの祭りは重要な役目があるのだ。霊力とは生命力、すなわち感情と密接に関わっておる。だから、ハレの日、熱狂をこの行事に捧げることに意味がある。だが、貴殿はどうだ? 冷めた目で厭々行っているのが伝わってくる。貴殿には自覚が足りない」


 レオンはその説教を聞いてにっこり微笑んで思う。

 ――めんどくせえ~……――


 しかし老人はどう解釈したのか、レオンの顔を見てにっかりと笑った。


「貴殿の情熱を見せてくれ。ともに情熱をぶつけ合おう」


 レオンはその顔を見て、「しかし」と考えを改めた。


――俺は、確かにシノの婚約者……としてなっていなかったかもしれない。シノは、俺の女として見る見ない以前に、大切な存在だ。そのシノが生涯を捧げて関わる仕事の一つに、俺は関わることになった。もっと情熱を持つべきなのかもしれない――


 レオンは神妙な顔で、改めて部屋の中の男たちの顔を見渡した。


「この六時間で、お前らが挙げた案は全て、己自身の情熱の形をしていたのか?」


 男たちは次々に頷く。

「ああ」


「そうか……俺は思うんだ。東方の素晴らしさとして挙げられるものは、自然の豊かさにあると。お前たちの提案は全て、根底は自然に関するものだった。俺は、初心に戻って……“山”……を提案したい。どうだ? 花も獣も木も蝶も含んでいる」


「そ、それは……」

町人たちは顔を見合わせた。

「最高じゃねえか!」

 口々に町人は言った。

 異義もなく、今年の祭りの装飾コンセプトは山に決まった。


 そこから、街全体の装飾する区域を考えたり、オブジェのデザインを話し合ったりした。そのうち、レオンは彼らの名前を知ることになった。ひょうきんなカーター、無口なサム、この街一のガタイの持ち主ニルス、穏やかな人柄のベニー、カリスマなご老人ナサニエルなどなど。


「俺ちゃんさ、レオン殿の巫女さんとのじれったい噂をよく聞くんだけど、あれってマジ? 頻繁に社に通っているとか、指輪を見繕ったとか」

 二週間後、今日も装飾班は会議所に集まって町工場に発注する装飾品の確認をした。ふと、休憩中の雑談で、カーターがレオンに問う。レオンはそれを聞いて、水筒から口に含んだ水分を吐き出しそうになった。せき込みながら飲み干す。

「な、なんだよそれ」

「え、マジなの?」

「……俺らのことなんてどうでもいいだろ」

「おいみんなー! レオン殿と巫女さんの噂、マジだってよー!」

「話をきけ!!!」


 なんだなんだと、各々で弁当をかきこんでいた男衆の視線がこちらに向く。そして、カーターの発した言葉を理解すると生暖かい目でレオンを見た。


「ひゅー、青いね~」

「まあ、頑張んな。巫女さんとの恋だなんて大昔はともかく今は難しくて無謀だけど、俺らは応援しているからよ」


 レオンの首に腕を巻くやら、背中をたたくやらしてくる。随分とこの街の町人は馴れ馴れしかったんだな、とレオンは思った。いっそ、もう婚約していますと叫んでやろうか。しかしレオンとシノの結婚は機密事項なのでそういうわけにはいかなかった。祭り当日に婚約発表をする予定である。


 二週間後、装飾に使う布の変更があったので、布を提供してくれた衣装店へカーターと共に返しに行った。緑色に彩られた木製のドアを押すと、からんからんとベルが鳴る。そこに祭り当日のパレード用の衣装の試着を受けている彼女がいた。そして目が合った。気まずい、なにせあの帰り際のキス事件から社に顔を出しに行っていないので。


「……シノ」

「レオンさん……どうして、私を避けているんですか。納得できる説明を」

「シノさん、ちょっと動かないでね」


 衣装店のマダムに言われ、むすりとした表情で着付けに向き直る。帯を整えているところだった。


「なあなあ、痴話げんか中なの?」


 ヒソヒソと、カーターはレオンに訊いた。


「痴話げんかっつうか、まあ気まずくてですね……」

「ふーん、なんか、やっぱり前の噂で聞いていたよりも巫女さん、レオン殿に対して脈あるくね?」

「……は?」

「なんかさ、現東の巫女のイメージってとにかく堅苦しくて笑わないイメージあるじゃん。先代はめちゃくちゃ気さくな人だったけど。俺らはレオン殿がそんな美少女巫女のケツを必死に一方的に追いかけているという共通認識があったわけよ」

「失礼だな」


 噂は噂だ、その共通認識通りならシノがレオンにキスをしてきた理由を推測不可能になり、こんがらがり、シノがものすごい謎の存在になってしまう。


「でも、なんか、最近その論調が覆されつつあったのよ。だってレオン殿が送ったらしい綺麗な指輪を身に着けていたから」

「え」

「それに巫女さんの今の反応を見ているとレオン殿に対して結構情ある感じだよな。むしろめちゃくちゃ好きじゃね?」


 レオンは、顔がとても熱くなっているのを否が応でも認めざるをえなかった。


「あら、その手に持っているのはお祭りで使う布じゃないの、どうしたのかしら」

 衣装店のスタッフが、レオンとカーターに近づきながら言う。カーターが「いやあ、使う布の色を変更とのことで……」と喋りだす。

 さっきまでのレオンとカーターの様子を見て会話を盗み聞きしていたのか、衣装店で働くマダムたちから寄こされるあの視線が、あの馴れ馴れしい男どもと同じような生ぬるさでレオンはなんとなく居心地悪かった。新たに使用する布の種類を書いた紙をスタッフに見せると、彼女は店の奥へと消えていった。

 シノからの目線をビシビシと感じるが、レオンは必死に目を合わせないようにした。


 ――とっとと予定を終わらせてずらかろう――

「レオンさん!」


 しかし思惑とは裏腹に、シノの衣装の帯を整えていたマダムがこちらに声をかけてきた。


「今年のシノさん、どうかしら? 今年は装飾のコンセプトが“山”ってことだから、白をベースに淡い緑をサブカラーにしているの。刺繡も物凄く気合入れちゃった、かわいいでしょ」


 マダムは衣装のこだわりポイントを得意げに語る。シノをレオンに見せたのは、絶対何か思惑があるだろう。ほら、レオンはシノと向き合ってしまったじゃないか。シノが祭りの舞の練習で忙しくてレオンを追いかける暇がないのをいいことに、せっかくこそこそと逃げ回っていたのに。これは、レオンがシノを褒めなくてはいけない流れだ。


「……似合ってマス」

「……どこらへんが具体的に素晴らしいと思いますか?」

「えと……衣装、の色合いが。シノ本人の持つ色に……映えているかと!」

「ふうん、まあいいでしょう」


 レオンは顔から火が出そうな心地だった。

 二人は沈黙するが、シノから口を開いた。


「……風の噂で聞きましたよ、レオンさんも装飾班の監督業務で忙しかったって」

「ああ……そうだな、久しぶり、シノ」

「でも、あの日から今まで社へと顔を出しに行かなかったのは、おかしくありませんか」

「……ごめん」


 レオンが謝ると、衣装屋のドアベルが鳴った。


「シノさん、時間ですよ。一回通しでパレードの流れを確認しないと」

「あ、すぐ行きます」


 呼びに来た女性はパレード進行の運営者のようだ。

 レオンの傍を通り過ぎる際、いたずらな声でシノは囁いた。


「仕方ないから、一週間後のモウモトリが飛ぶ刻に訪ねてきてくれたら許してあげます」


 店の中に残されたのは、胸を抑えるレオンと、にやにやとした顔で成り行きを見守っていたカーターとマダムたちだけだった。




「大変なんだ、シノ」


 ため息をつき、レオンは茶を口に含んだ。約束通り久々に訪ねてきた彼にシノはどこか晴れやかな空気を出しているのに、対照にレオンはどこかうなだれた空気を出していた。


「……どうしたんですか?」

「装飾班のピンチなんだよ」


遡るは昨日の事、無口な装飾班の男・サムの発注ミスが発覚した。町工場で十数日かけて作ってもらう装飾品――サーチェリー――の発注数が全く足りなかった。特別な鉱石を使って作られるそれは、もうこの時期は原材料が品切れなのだ。


「あらまあ……」

「どうしような……」


 レオンは、珍しく用意された甘味の下にひかれたシートを折り曲げたりしていじっていた。レオンは、その折り曲げたシートをじっと見つめる。


「……待てよ」


 レオンはひらめいた。




 祭り当日。いつもより人が多い街は山の自然を模したサーチェリーと、紙によってつくられた花や木の飾りによって彩られた。


「ほんっと、レオン殿の機転は素晴らしかった! 生産コストの低い紙で街を彩るとは!」

「来年も、この紙飾りは採用されるでしょうなあ。なにしろコスパがいい」


 レオンは、むさくるしい装飾班の男どもに両肩を組まれながら「ははは」と笑った。

 神聖な音楽が、遠くの方から聞こえてくる。

カーターが、手を額に当てて目を細めた。


「おっ、そろそろパレードが広場に来る時間だな」


 まずは、踊り子たちが歩きながら舞を繰り出す。ひらひらとながれるような衣装と身体の動きが美しい。次に、音楽隊。最後に、舞うシノを乗せた大きめのみこしがやってきた。大人数の老若男女に支えられ、あの衣装屋で見たものを纏った彼女は舞う。

 別に初めて見るものでもないのに、今までにないくらい美しいと感じた。


 現在、レオンたちのいる広場はパレードの終着点だ。一時間近く舞っていたシノは、サビの笛の音で動きをぴたりと止め、そして礼をした。それに続いて、音楽隊や踊り子たちも礼をする。観客による拍手喝采が止まらなかった。


 予定通り、レオンは広場の中心に行き、みこしから降りて待機していたシノの横に並んだ。人込みの中から、レオンの兄二人も出てきて、声を出した。


「皆の者、今年も盛大な素晴らしい祭りを作り上げてくれたことに感謝する。今年も質の良い奉納が行えることだろう」


 上の兄が続ける。


「しかし、東が奉納の担い手に恵まれないのはご存じのとおりだろう。我々もそれに頭を悩ませている。しかし素晴らしきかな! なんと巫女殿と歴史的に婚約の前例のあるイースト家の我が弟は、愛し合い、運命の糸に結ばれていたのだ!」


 兄はバッと、腕を背後で立っていた若い二人に向けた。

 パンッ。

 スポットライトが突如、レオンとシノにまぶしく当たったので二人は肩を飛び上がらせる。


「レオンとシノは、結婚することになった!」


「まじかよ!」「おめでとう!」拍手喝采雨あられ。町人たちは、祭りの窮地を救った男と、素晴らしい舞を踊った巫女二人を祝福した。



 婚姻届けを書いた翌日、レオンは社に住むことになった。

レオンがのそりと起きると、一緒の布団で寝ていたシノも目を覚ました。


「おはようございます……」

「お、おはよう」


 寝間着姿の色っぽい彼女に、心臓がフルマラソンを始めた。乱れた寝間着から、意外と豊満な胸が顔を見せた。さっと目線を彼女の頭上に移すと、寝起きだけあってボサボサだった。使用人なんてものは、財政や人手が厳しいイースト家のことだ、一人も寄こされなかった。


「櫛、場所わかる?」

「え?」

「梳かしてやるよ」


シノは顔を赤く染めて「はい」と返事をしてからのそのそと動き出し、箪笥の中を漁った。だが、彼女が持ってきた櫛は例の――ニケがシノに贈った――櫛ではなかった。


「シノ、ニケにもらったはずの櫛はどうしたんだ?」


 シノは、目を伏せる。


「……失くしました」


 真冬の山の中で迷子になった幼子のような寂しさを宿していた。


 何年もの月日が流れた。春夏秋冬、花鳥風月を楽しんだ。他の方角から夫妻への風当たりは強く、ときたま嫌味を言われたりしたが、レオンはめげずに巫女の夫としての補助も頑張った。

 二人の愛の結晶――子供を授かりたいと、そんな内容を褥でこそばゆい表情で囁き合い、何度も交わった。それでも、なかなか子供を、次代を担う者を授かることができなかった。




 その日は、いつもよりシノの奉納が長かった。奉納は社の本殿に巫女が籠り、数時間程度霊力を地に手をついて流すのだが、それにしても長い。もうかれこれ五時間になる。

 腹が減っては戦もできぬ。さすがに昼食をとるために、奉納を中断するぐらいは許されるだろうと思う。シノと結婚して知ったことだが、別に奉納の中断は禁忌ではない。そう思い、レオンは本殿の扉を叩いた。


「おーいシノ、飯できたぞ」


 ……返事はない。嫌な予感がして、レオンは扉を蹴破った。


「……?! シノ!」


 中央で、彼女は倒れていた。




 敷いた布団に寝かせ、彼女の手を握る。


――結婚してから十年は経った。シノの巫女就任から今年で十七年。恐れていたことがついに、本物になったのか。跡継ぎもまだできていないのに――


 すなわち、巫女の寿命による死。

 巫女は前触れもなく倒れて寿命を迎えるという。しかし、シノの心臓はまだ動いていた。奇跡だ。その一縷の望みを賭け、レオンはシノの生還を祈った。

 突如、か細い声が部屋にこだました。


「最後にどうしても、我慢ならなくて」


 声がした。レオンは弾かれるようにシノの顔を確認した。目を開けて、ぱちくりと瞬きをしている。生きている。レオンは安堵により「ああ……」という声を漏らして瞳を潤ませた。しかし、シノの次に発した言葉に耳を疑った。


「あなたが、私のことを私だと知らずにお別れするのが我慢ならなくて」


 ――なにを、言っているんだ?――


 シノは八十六代目の、就任十七年目の東の巫女だった。


「あなたと出会ってから、十七年。私の中で、あなたは全ての中心でした」

「……シノ?」

「私は、正確には“シノ“ではありません。元の”シノ“が渾身の霊力を込めて作った、式神です。……十七年前、先代・ニケが死んだあの日、私たちは入れ替わりました。」

「何言って」

「レオンさん、子供ができないのは――私が偽物だからです。そして、私は巫女兼式神としての寿命を三日以内に迎えます」


 シノは表情の抜け落ちた顔を、レオンから逸らした。レオンは呆然とするしかなかった。


「騙していてごめんなさい」


 レオンは、その後丸一日本殿に籠った。もちろん眠れるはずがない。シノが霊力でできているのなら、霊力を消耗する奉納を行わせたくなかった。ギギギと扉が開き、外の光が入る。


「レオンさん、業務妨害ですよ」


 わざと、シノが冷たく言い放つ。ひざを抱え込んで座った姿勢で、顔を膝にうずめてレオンは言う。


「いやだね、お前の言うことなんて聞いてやるもんか」

「わかりました。本来は毎日の奉納をしなくても、霊力は先五十年、安泰だそうですし」

「そんなの聞いたことないけど」

「“シノ“からの情報です……“シノ“が明日、ここに来るそうです」


 困らせたいがために反論すると頭上から震えた声が降ってきたので、つい顔をあげる。そこには、泣きそうな表情を笑顔で押さえつけた、式神のシノがいた。


「私は所詮偽物です。跡継ぎを産めないし、ニケや、“シノ”や、あの晩抱きしめてくれた以前の貴方を私は情報でしか知らない……!」


 シノは拳をブルブルと握りしめていた。そして、レオンの前にしゃがみ込む。


「きっと、“シノ”もあなたのことが好きになります。大丈夫、私なんていなくても」

「そんなこと言うな!」


 レオンは声を荒げた。


「お前はお前だ、俺が一緒に過ごしてきたのはお前だ! 愛を注いできたのも、寄り添ってきたのもお前だ! なんで俺の大切なものを貶めるんだよ!」

「レオンさん」


 シノの眼から、涙が一筋、垂れた。


「ごめんなさい、本当は」


 そして、涙腺が決壊して、くしゃりと顔を歪めた。


「本当はっ、もっと一緒にいたい……!」


 レオンは、シノを即座に抱きしめる以外の選択肢がないと思った。力強い抱擁を交わす。シノの慟哭のような泣き声がだんだん大きくなる。最初はこらえていたそのタガが外れた。そして、ふいに静かになった。


「シノ……?」


 レオンの頬を雫がつたう。顔を確認しようと、腕を解いたらボロリとシノの体が水でふやけた紙屑のように崩れ落ちた。




 朝起きたら布団の中にいた。どうやって敷いて入ったのか、記憶を思い出せない。味をしない朝食を食べて、着替えて、社の前の落ち葉掃きをした。

――いつも通りの生活を送れば救われるはずだ――

 レオンはそう思った。だから、シノが偽物だったことも、死んだことも実家に伝えられないままでいる。もしかしたら、霊力や運命がシノを生き返らせてくれるかもしれない。そんな突拍子もない幻想を抱いていた。


 そして、掃く落ち葉もなく箒が地面を撫でるだけの行動を繰り返していたとき、声が聞こえた。女子供の声だ。それに、時折返答する落ち着いた声もする。


――この声に、聞き覚えがある――


 石畳の白い階段を見つめる。黒色の頭が上ってきた。それは白髪交じりで。


「シノ!!!」


 レオンは叫んだ。奇跡が起こったのだ。――しかし、彼女は見慣れた姿ではなかった。

 髪は耳の下で短く切り揃えられ、動きやすい男女兼用の旅装束を来ている。北以外では珍しい白髪もすっぽりと隠せるフード付きのものだ。


『“シノ”が明日来るそうです』


 そうだ、死ぬ前に妻が言っていたではないか。

 この女性は、妻のシノではない。

 現実は無情だった。


「お母さん、お知合いですか?」


 鈴を転がすような幼い声がする。よく見ると、南方人らしく黄味がかかった肌に綺麗な金髪の幼い少女が、“シノ”と手を繋いでいた。


「ええ。……レオンさん、お久しぶりです」




「いきなり、“私”が死んで苦労なさったことでしょう、お疲れ様です」

「………………。……おう」


 違う。言葉選びからして違う。もっと妻は圧があるが、他人を気遣える女性だった。そもそも、ニケが死ぬ前のシノはそうだった。他人の気持ちに鈍感で、人を自然に見下していてイライラさせる天才だった。


 彼女は、レオンが出した茶を両手で持っていただいた。金髪の幼い少女――キサという名前らしい――は、茶をごくごくと飲むと、辛気臭く沈黙の多い大人同士の会話に飽きたのかキャッキャと庭で一人遊びをしていた。「こ~れ~は~月光草~!」「こ~れ~は~姫薬草!」一人なのに随分とたのしそうな声が響く。


 シノの袖から覗く腕を見る。全然違う。妻はもっと、ほっそりとしていてしなやかな体つきだった。こんな、男のように骨骨とした骨格ではない。

 髪の長さが違う。声のトーンが違う。表情の作りが違う。

 よく見たら全然違う。こいつは、あのシノにはなれない。


「御師様を、蘇らせたかったんです」


 シノは、ふと語り始めた。


「本当に、大好きだったから。生き返らせたかったんです。だから全国の霊脈を探って、黄泉がえりができないか、十七年も旅をしていたんです。……御師様に会うことはできたんですけど、黄泉がえりはできませんでした。代償として私の命が必要だったのですが『キサちゃんがいるでしょ』『抱きしめてあげて』……って追い返されちゃって」


 その言葉で、レオンは思い出した。

――ああ、そうだ。俺はなんだかんだ、ニケが死ぬ前に一緒にいたシノに絆されていたし、妹分として真面目に好きだったんだ――


 レオンは、シノの顔を見つめた。


――こいつも、こいつだ。別に俺の妻だったシノの代わりではないんだ――


「やっと見てくれましたね」


 シノの口が弧を描いたわけではなかったのだが、あまりにも優しい声でそういうのでレオンは「ごめんなさい、シノのこと、俺の妻と重ねてみてた」と謝った。シノは微妙な表情をした後、こう言った。


「感じ悪かったですよ貴方」

「……その言葉、お前にそっくり返すぜ」


 それから、一拍沈黙、二拍目で二人とも、眉を八の字にして笑った。


「そういえば、あの子、キサ、ちゃんってお前の実子か?」

「いえ……五年前少々きな臭いとある研究施設から彼女を連れ出しましてね。そこから流れで一緒に旅をしています」

「……きな臭いとは?」

「一言でいうなら、北の仕業。戦争の準備」


 戦争。そうだ、レオンはすっかり忘れていた。己の子供に巫女同士の殺し合いの儀式に参加させなくてはならなかった。どこか、見ないようにしていた都合の悪い事実。―――一歩間違えばこのキサという少女と、己の子供が中央の巫女の座をかけて殺し合わなければならなかったのか。


「キサをそんなことに巻き込みたくない。そこで……道中で知り合った方の伝手をたどって参加することにしました。反戦争派が巻き起こすクーデターに」

「……クーデター? 反戦争派?」

「知らないんですか? まあ、こんな片田舎じゃ仕方ないか……。現在中央でまことしやかに流行っている噂があります。『“戦争“は各方角の家が仕組んだ陰謀』『奉納をせずとも五十年はその土地は最低限保たれる』『古代には中央の巫女を殺し合いせずに決めていた』」

「は、デマじゃないのか、それ」

「まあ、流行らせたのは私本人ですし、本当の事です」

「お前が……?」

「霊脈や歴史をたどっているうちに気づいてしまったんですよ。だから拡散力のある知り合いに流してもらいました」

「……」

「……戦争は非効率です。街を壊し、経済を衰退させる。大切な人を奪っていく。だから、中央の巫女を決めるために戦う必要のないとわかったのなら、これ以上戦争に突き進むのはおかしいです。だから。中央に集まった協会のお偉い方々――協会卿らには死んでもらい、私の協力者と首を挿げ替えていただきます」


 レオンは戦争というものを経験していない。どれだけの人が阻止したがるものなのか、実感もわかなかった。


「本題です。キサを預かっていただけませんか」

「キサちゃんを……?」

「すぐに戻るつもりではあります。が、万が一、私が戻ってこれなかった場合。キサを巫女にせず、イースト家に隠し通してくれませんか」

「リスキーすぎるだろ……」

「お願いします。一か月私が戻ってこれなかったら、南行きの馬車にキサを乗せてください。協力者の家があるので」


 レオンは長考した。目を左下、右下と動かす。

突如その堅苦しい空気にそぐわない子供の声が、空間に割って入ってきた。


「お母さーん、見て~!」

「ん? どうしたんですか?」

「ブーケです!」

「わあ! 綺麗にできましたねえ」


 彼女は別人のように、キサに対しては、花が咲くようにわらった。

 シノがキサを見つめる目は、ニケがシノとレオンを見ていた、あの目に似ていた。愛情を注ぐ、親のそれ。思考が段々傾く。ダメだ、リスキーだ、これ以上実家に迷惑かけられない……。


「わかった、キサちゃんを預かろう」


 しかし、レオンの唇からは理性とは正反対の本音がまろび出た。


 レオンは、微睡から目覚めた。視界に布団の白が映る。この暗さでは、まだ日も昇っていないだろう。ごそごそという音がする。隣の部屋からだ、と思ったと同時に襖が開いた。


「もう行くのか」


 起き上がりながら訊ねると、旅装束を着込んだシノは「ええ」と答えた。シノが出てきた部屋には、彼女が一緒に寝ていた布団にキサが仰向けになっていた。しかし、キサは目をこすりながら体を起こした。


「お母さん……?」


 シノはキサの声を聞いた瞬間、パッと目を見開く。おそらく、キサには何も伝えていないのだろう。


「どうしたんですか……?」

「キサ……」


 シノはキサの方向へと身体を向ける。


「お母さん、これから数週間中央へと向かいます。キサはいい子に待てますね?」


 シノは、キサに己のことを「お母さん」と呼ばせている。それは、少しでも普通の子供と近しい感性を与えたいからだと彼女は言っていた。シノも普通の子供に憧れていたのだろうか、レオンが幼少期好きなだけ野山を駆け巡りたかったように。

 そんなことをレオンは思うと、キサが何かを見透かしたように言った。


「行かないで」


 シノの呼吸が一瞬、止まる。

 キサはしゃくりあげた。


「行かないでください、おいてかないで」


 ボロボロと泣き出している。そんなキサに片膝ついて、シノは頭を撫でた。


「ごめんなさい」


 懐から何かを取り出す。それはあの日、ニケからもらった櫛だった。


「お母さんの宝物です。これがあればきっと、」


 シノは櫛を、キサの小さい掌に握らせた。


「キサ。大切にしてくださいね」


 キサはうんともすんとも答えず、泣きじゃくった。最後にシノはキサを強い力で抱きしめると、キサから離れて歩き出した。後ろを振り返らず、キサの泣き声を背後に外へ出た。




 シノの心臓が位置する胸の部位から、白く美しい剣の切っ先が出ていた。だんだんとシノの上半身の布は紅色に染まっていっき、彼女は倒れた。

 彼女の背後には、あの美しい中央の巫女がいた。表情は氷のように冷たく、赤い巫女装束はまるで幾人もの血を絞って染められたようだ。霊力で創った剣で一刺したところだった。

 遠くから、彼女の側近の初老男性が駆けてきた。

「リリーシャ!」

「ニヴェル。……私は無事。でもどうしましょうね、クーデター犯らが全員、現協会卿を全員殺してしまった」

「……心なしか嬉しそうじゃないか」

「まあね」

 リリーシャを幼少の頃から虐げ、中央の巫女になった後は裏から操ろうと画策していたクソ爺共が全員死んだ。鼻歌でも歌いたい気分だった。




 結論から言うと、クーデターは成功した。だが、シノは死んだ。クーデター犯らは全員、中央の巫女が当日に処刑した。

 ――結局、レオンは実家に迷惑をかけてしまった。

クーデター犯の中から、シノの死体が見つかったことや、式神のシノやキサの存在を秘匿していたこと。一か月は座敷牢暮らしで尋問に次ぐ尋問の日々が続いた。しかし、幸いなことに何の処分もされなかった。


 ――すべての真実を、兄から聞かされたキサは巫女になると申し出てしまったようだったが。母親のシノとの約束は守れなかった。


「よろしくお願いいたします。お父さん」

 表情が抜け落ち、一か月前の無邪気な様子が見られないキサを抱きしめながら「ごめんよ」とレオンは泣いた。「キサを巫女にするな、隠し通せ」というシノとの約束を守れなかった。



 あれから一年が過ぎた。山の葉は紅葉し、本格的な秋がやってきた。

「今日も豊作ですね」

 山の幸がたくさん入った籠を抱えながらキサが言う。

 キサは初めの頃と打って変わって、レオンをあまり警戒しなくなった。行状も柔らかくなった。並んで歩く。まるでキサは、“シノ”との娘だった。

キサはシノとの長旅の間で料理スキルを有していたので、レオンの家事を毎日難なく手伝う。

「キサはえらいな」

 レオンはキサの頭を撫でる。キサはくすぐったそうな表情をした。

「いただきます」

 二人は手を合わせて卓を囲った。


「お父さん、今日の食後のおやつはありますか?」


 キサは米を頬張りながら訊ねた。


「そうだな……」


 レオンは、目線を戸棚に向ける。


「三色団子があったはずだ。一緒に食べよう」


 キサは「なんですか、さんしょくだんごって」と訊くが「まあ食べてみればわかる、美味いぞ」とレオンは返す。

 先代も先々代の東の巫女も好きだったそれ。この子も気に入ればいい。

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巫女シリーズ ~東の巫女が死んだ~ 江都なんか @eto_nanka

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