第一話 初戦

「孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる」


              -----トルストイ




市街に砲音が響いた。


その音と共に赤く焼けた砲弾が24口径75mm戦車砲から放たれ、ポーランド陸軍の単砲身型7TP戦車の前面に命中した。口径が短いため初速は低いが、その威力は高く、7TP戦車の正面を貫通した。


そして、爆発。車体の一部と砲塔が宙を舞い、爆炎とともに街路へ散らばる。


「ブラウ7からロート1へ、目標を破壊した」


『こちらロート1、了解した。ブラウ7は別名あるまでそこで待機せよ』


ドイツ帝国陸軍機甲科所属のマインラント・ヘスラー中尉は、敵車両を破壊したことを確認すると、無線機に向かってそう言った。


一旦ひと息つく。現在、彼の指揮するブラウことⅣ号戦車の戦車小隊は先ほど敵車両を破壊する任務を完遂した。今現在この街で動けるポーランド戦車はないと言っていい。


ヘスラーはふと思い出したかのように体を動かした。Ⅳ号戦車は以前の戦車よりも大型ではあるが、内部が狭いというのは以前のものとは変わらず、思わず体をぶつけそうになる。


「ちょっと煙草吸ってくる。すぐに終わるから待っててくれないか?」


「了解です」


そう部下とやりとりを交わしながら、彼はマンホールのような硬いハッチに手をかけた。




ヘスラーは、キューポラを開けて身を乗り出した。肌に新鮮な空気を感じる。


ヘスラーはすぐに周囲を確認した。彼の目から見た限り敵は見えない。


しばらく周囲を見ていた彼は、ポケットにしまっていた紙煙草の箱を開け、煙草を咥えてライターで先に火をつけた。むせないように注意しながら吸い込み、白に近い煙を吐き出す。


美味い。彼は満足そうな表情をしながら煙草を吸う。


彼は、そろそろこいつも吸えなくなるかもなと思いながら名残惜しそうに口から離した。ナチス・ドイツは様々な禁煙法を施行しており、今の時点でも煙草製造会社がいつくか潰れていた。


彼は紙煙草を処分すると、特に何も考えぬまま再び周囲を見つめた。




正直言って、ヘスラーにとってこの戦争の始まりはかなり拍子抜けなものだった。


1939年9月1日、さまざまな偽装工作を経て発動した「白の場合」計画に基づき、ドイツによるポーランド侵攻は幕を開けた。


猛禽類のような羽をした急降下爆撃機シュトゥーカが国境付近の都市であるプウォツクやオストロウェンカに攻撃を開始し、ドイツ陸軍が誇る装甲師団が国境線上を食い破った。


宣戦布告されぬまま開始されたため、この戦争においてドイツは順調なほどの快進撃を続けており、もはやポーランドは風前の灯火と言えるほど衰弱しているといった状況であった。




実際、このポーランド侵攻が始まった時、ヘスラーにとって戦争が始まった実感はなかった。


プロイセン騎士を先祖に持つの家の生まれである彼は、17歳でドイツ陸軍機甲科として軍に入り、今では一個戦車小隊の小隊長を務めて、そしてよくても少佐で軍役を終えるつもりであった。そんな彼にとってこの戦争の始まりは、あまりにも唐突すぎる出来事だった。


今でも、戦争の只中にいるという感覚は薄い。




だが、ドイツが戦争を始めたこと、そして交戦国の一つであるポーランドをほとんど陥落させたのは事実だった。


今、彼のいるポーランド西部の都市、プルシュクフには彼の車両も含む多数のドイツ戦車が跋扈ばっこしており、古い建物のたつ街のあちらこちらは半壊しており、すでにあちらこちらの場所ではハーケンクロイツのついた旗を翻してるのが見える。


彼の乗るⅣ号戦車の下にも、Wz.29小銃を持った兵士の骸が晒され、前方には彼の戦車が破壊した単砲塔型7TP戦車の砲塔が転がっている。


まさしく、戦争中の街といった光景であった。戦争を知らぬ人々が見たならば、心を痛めてしまうほどだろう。


「ひどいもんだな」


ヘスラーは人ごとのようにそう言いながら周囲を眺めていた。元から精神は強い方だったのと、戦争が始まってから何度も見た結果、彼自身このような風景には慣れている。


ともかく、今いるプルシュクフではもう戦闘は起こらないだろうと感じさせた。すでにこの場所には敵による抵抗はほぼないといっていいし、彼の眼前にあるのは死骸と鉄屑になった兵器しかなかった。




ともかく、この戦闘が終了したらひと息つきたいものだった。


ポーランドだけではなく、イギリス、フランスらの国ともドイツは戦争状態に入っているのだ。当然彼にとっての戦争もここで終わったわけではなく、途中で休憩を挟まねばならぬほどの長期戦になるはずだった。


そう、第二次世界大戦はまだ始まったばかりであった。





本日は晴天であった。


春川四郎は改めて今日の天気に満足しながら周囲を見つめた。


いつもは実家の酒屋を手伝っているが、今日は休日のために彼の装いは控えめであり、鳥打ち帽に灰色の二重回しインバネス、その下に紺の上下という格好をしていた。


春川は今、神戸港で行われている観艦式の真っ只中にいた。春川が現在乗っているのは新型の吉野型重巡洋艦の[畝傍]で、巡洋艦とだけあってかなりの広さを有しているが、その甲板は見物客によりごった返し、押し除けないければまともに歩けないほど人で埋まっている。


「流石に来れてよかったな」


春川はそう言って少し目を細めながら周囲を見回した。今回は妻と事前に予定を決めておいたから早めに来て見て回ることができていた。


事前に間に合うために列車に乗って現地へ向かい、今日の朝食も神戸市内にあった蕎麦屋で軽く済ませてきて、そして乗艦する1時間前には埠頭の付近で待機し、うまく[畝傍]に乗ることができた。いつも適当に物事を考える彼からしてみたら入念に考えたつもりだ。


それに、甲板がこの様子だと、もしも予定をあまり決めていなかったら[畝傍]に乗ることすらできなかっただろう。


彼はそんなことを思いながら、艦艇がよく見える位置を人の波に押されながら探していた。


「お、もしかして春川か?」


「ん?」


春川は名前を呼ばれた気がしたので、立ち止まってから振り返る。


呼ばれた方向には男性が立っていた。パナマ帽に鶯色の上下の上に黒の中羽織という深みのある格好をしており、身体も恰幅の良い体型をしているため、ある程度威厳もあるように見えた。


彼はああと気づいたような顔でその男性に言った。


「なんだ、大河原か。お前も来てたのか」


「だな。俺も今日は予定がなかったし来てみたんだ」


そう言って彼は小さく笑った。


その男性…大河原昭夫は春川と同期の友人で、海軍兵学校で知り合った中だった。春川から見ると、彼は少々口は悪いが、これまでにいくらか助けられたことがあり、根は決して悪いやつではないと思っていた。


「それにしても意外だな。お前、どっちかといえば艦艇がそんな好きでもなかっただろ?」


「まぁ興味自体はないわけでもないし、たくさん艦が集まってるから、これから乗る艦とかあるかなと見ておきたいってのもあるからな。そうだったら見ておきたいなと思ったわけよ」


「なるほどな。たしかにここまで艦が集まってると、お前がこれから乗る艦もあの中にあるかもしれんしな」


春川はなるほどと相槌をうってそう言った。たしかに、今日はたくさんの軍艦が来てるみたいだし彼の言うように大河原の乗る艦はもちろん、自分がこれから乗る艦ももしかしたらあるかもしれなかった。

 



「よし、そしたら一緒に見て回ろうか。この[畝傍]から全部見れるわけじゃないが、大型艦ならかなり見えるはずだ」


「うん、そうだな。そうするとしよう」


彼らは再び見えやすい位置を探しに群衆に溢れた舷側へと歩き始めた。




「すげぇ…」


九六式艦上爆撃機の後席に座っている中尉はそう感嘆の声を上げた。まだ若々しい顔を横に向け、風防越しに視線を向ける。


機体の後方には、緩やかな大阪湾の海と、紅葉が増えてきた六甲山、沿岸都市として発展した神戸市の市街、そして航行する軍艦らが見える。


中尉は操縦員に対し、搭載されてる中島[寿]五型エンジンの音にかき消されないよう少し声を大きめにして聞いた。


「すいませーん、あれ撮ってもいいすか?」


「よし、いいぞ。存分に撮ってやれ」


操縦員はニッコリと頷いてそう言った。


中尉はありがとうございます、と言い洋上に向けてカメラを構えた。




1939年9月19日に神戸沖で行われた特別大演習観艦式には、総勢50隻以上の艦艇が参加していた。


艦列は一〜三列に分かれており、中央の列には、先導艦を務める巡洋戦艦[金剛]を先頭に、天皇の御召艦である[比叡]や[榛名]、[霧島]の3隻や、見物客らを載せた他艦艇群が続く。


そして、一列を進むのは戦艦たち、正確に言えば第一次世界大戦後に計画された「八八艦隊計画」により建造された各艦や、近年就役したばかりの新型戦艦が航行していた。


1番前を進むのは、第一戦隊を形成する六甲型巡洋戦艦の[六甲]、[妙見]。この2隻は、近年に扶桑型戦艦を代替えするために建造された巡洋戦艦で、後方にいる音羽型から外された50口径41cm3連装砲4基12門を装備していた。速度の方は32ノット出せるが、これは元々金剛型の代艦として計画されたことによるものだったころの名残でそうなっている。


3番目からは巡洋戦艦[音羽]、[尾鈴]、[妙義]、[石湧]、この4隻は全艦が第二戦隊に所属していた。八八艦隊最後の艦艇として建造されたこの巡洋戦艦は、その初期では50口径41cm3連装砲を4基搭載していたが、のちのちの改装により新型の45口径46cm連装砲に換装していた。装備なども改装で変わっており、外観は建造初期の面影がほとんどないほど変化している。


それに続くのは、第三戦隊を構成する紀伊型戦艦の[紀伊]、[尾張]、そして改紀伊型とも呼ばれる丹波型戦艦の[丹波]、[筑前]が続く。どちらもほぼ同じ艦型だが、丹波型は1番と5番主砲を3連装砲にしている。


紀伊より後ろの艦はすでに見慣れた面子なので、彼は三列目へと視線を移した。


三列目を航行するのは日本海軍の誇る空母達だった。


中でも、先頭を進む[蒼龍]、[飛龍]は日本の空母のなかでは1番大きく、全長242.5mに達する巨艦だった。艦首にもこれまた巡洋艦並みの15.5cm3連装砲が備え付けられてあり、見るものを圧倒させている。


その後ろにいるのは龍鶴型航空母艦の[龍鶴]と[神鶴]、この龍鶴型は日本発の正規空母で、蒼龍型ほどでないもののそれでも50機程度の艦載機が収容可能だ。


そして、その後方から翔鶴型軽空母の[翔鶴]と[瑞鶴]が続く。翔鶴型は空母鳳翔を発展させた軽空母で、小型とはいえ貴重な航空戦力として2隻で第三航空戦隊を編成していた。




圧倒的な艦隊であった。


だが、またこのような観艦式を行えるのは戦争が終わってからになりそうだった。


その主力を構成する艦隊のうち、今の時点でも紀伊型より前の戦艦たちと空母2隻は欧州派遣艦隊に所属し、日本を離れることになっているからだ。


そう、もうすぐこの艦たちの半分は欧州で地獄を味わうこととなるのだ。

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蒼海の巨城たち〜大西洋の旭日旗〜 とりさん @202303

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